「……で、おめぇはまた何してんだ?」
ヤニの臭いと共に声を掛けられ、舌打ちをした。
まったく、毎度毎度暇な奴だ。
「うーるさいね。俺は今、忙しいんだよ。髭は大人しく理髪店でも営んでなさいよ」
しっしと手で追い払うが、無精髭に見せて実は毎朝手入れを欠かせていない髭を撫でつつ、髭は腰を下ろした。
もー、本当に何なの、この髭熊。
「またイルカか。…ほー、ずいぶん血色良くなったもんだ。ようやくまともに食べだしたか」
したり顔で言ってきた言葉に眉根が寄る。そんなこと言われなくても分かるし、こっちは今朝の健康状態から食事内容も全部知ってるってーの。






髭を無視して、演習場へと視線を向ければ、アカデミーの子供たちが、トラックの周りをてんでバラバラに走っている。
今日は個人個人にあった体力配分のペースを教える授業なのか、点々と走る生徒の合間を縫い、先生は一人一人に声を掛けていた。
今のところ怪しい気配はない。






イルカ先生から聞いた、伽の話。
案の定、猫である俺は、先生から有力な情報を全く得ることができずにいた。
そこで俺はある仮定を弾き出した。
先生はどっからどう見てもむさくるしい男で、誘いをかけられるような容貌や性格ではない。なのに、声がかかるということは、イルカ先生を影から覗き、懸想をしている輩がいることに他ならないということに違いない、と。






「…変態野郎め…」
奥歯を噛みしめ、吐き捨てた。
ずっと俺が側にいたというのに、今まで見過ごしていたという事実に歯がゆさを覚える。見つけだしたら、速攻成敗してくれる。
写輪眼カカシの名にかけても見つけだしてやると、決意も新たに周囲の気配を探っていると、隣の髭がふーんと声をあげた。
「おめぇ、イルカをつけ回す変態を探してんのか?」
「……だったら、どうだっていうの。ちょっと髭、本当に邪魔! お前の図体が目立って仕方ないこと理解してる?」
とっとと理髪店建てて、女房もらってまともに暮らせと、両手で追い払っているのに、当の髭は下ろした腰をあげようともしない。
図体と同じで図々しい奴め。
さっさとどこかへ行けと睨んでいると、髭は白煙を上に向かって吐きながら、事も無げに言った。
「そういう奴、知ってるぞ」
……………は?






突然の言葉に、髭をまじまじと見つめる。
「オレは何度もその変態野郎を見てるし、話しもしてるなー」
髭の言葉に、額がひきつった。
「ちょっと、髭! そういうことは早く言いなさいよっ! というか、そんな変態知ってるなら、先生に近づけんじゃないよッ」
襟をつかみ、無理矢理こちらへ向ければ、髭は諸手をあげる。その様も小馬鹿にしているようで、おもしろくない。
「おうおう、ヒートアップするな。そりゃよー。オレも心配になってちょいちょい様子は見るんだが、聞く耳持たなくてなー」
なおのこと、質が悪いじゃないの!
先生に何かあってからじゃ遅いのよっていうか、もう何か起きてたらどうするつもりなの!






本当にこいつ上忍なのと憤慨する俺を、にやにやと気色の悪い笑みを浮かべつつ、髭は言った。
「お前だ」
「……は?」
髭の言葉が全く理解できなかった。
こいつの頭は完全にイカレたとそう確信したのに、髭は意味ありげな調子を含んだ声で、俺に指をつきつけもう一度言った。
「他の奴らにも聞いてみろ。イルカをストーカーしている変態野郎はお前だ」






























まったく、なーんなんだろうね!!
憤慨しつつ、人気のない廊下を歩く。





あれから、髭の言葉を鵜呑みにした訳ではないが、俺の潔白を証明するべく、上忍待機所でたむろしている変わり者たちに聞いてみれば。





「は? アンタ、ここ最近の自分を何だと思ってたわけ? まぁ、そのおかげで私の立場は楽になったからいいんだけどー」
と、仲人婆に言われ、
「冗談きついですよ、カカシさん。もうちょっと自覚されてみたらどうですか?」
と、楊枝に諭され、
「え? やけにカカシさん、イルカの後くっついてんなーと思ったら、そういうことだったんっすか! やー、おめでとうございますッ」
と、熱血くんに激しく誤解された。
「マイライヴァー」
急に沸いて出てきたオカッパは無視し、あまりな評価を受け入れられず、ひとまず落ち着くところへ足を進めている状態だ。






目指す場所は、あのおもしろ生け花のある教室だ。
最近ご無沙汰で、今は何が生けてあるか分からないが、ちょっとした気分転換にはもってこいだろう。






ここに最後へ訪れた時は、この生け花の相手を見つけてやろうと思っていたのに、何だかんだで機を逃した感がある。
それでもまぁいいかと思えるのは、生け花よりもおもしろいものが、家に帰ればいるからだろう。
唐突に発せられる独り言に、調子っぱずれのヘタウマな鼻歌、俺に突然まとわりついては変なことをしようと画策したり、ちょっとした紐取り遊びが、本気の奪い合いになったり、とにかく一緒にいて飽きない。






今朝も「今、雀はこの屋根に何匹いるかゲーム!」と叫び、「負けた方は今晩風呂洗い」と忍猫ではあるが猫の俺に本気で罰ゲームさせようとした。
ま、当然、俺が勝ったけど。
いつか俺が勝ってやると捨て台詞を残し、悔し涙を浮かべ出勤した先生を思いだし、笑いがこみ上げてくる。
しょーもないというか、本当、先生って面白い。






思い出し笑いを漏らしたところで、向かう教室に気配があることに気付いた。
わずかに残していた気配を徐々に薄めながら、気配を殺す。
教室にある気配は一つ。
一カ所に止まり、その場で何かの作業をしているようだ。
もしかすると、あの生け花の主か。






気になっていた主ではある。
乗り込む前に姿を拝見と、廊下から出入り口の窓を覗き見れば、一人の女がいた。
すらっとした体つき、腰まで届く長い黒髪。
膝丈のスカートから覗いた足は細いが、伸びやかな筋肉で覆われている。鍛えられたそれは一般人ではない。
これから起きるであろう面倒な予感を覚え、つい漏れた息に、女が素早く反応した。
上忍決定。
振り向いた女は、クノイチにしては大人しい服装をしているが、外見と中身が一致しているとは限らない。






付きまとわれるのも面倒で、それより今ここで相手した方がマシだと、横戸を引いた。
からからと音を立て開いた戸を見つめ、女の目が喜色に輝く。なんだかねー。
媚びの含んだ眼差しを受けうんざりしつつ、黙っていても時間が延びるだけだと口を開く。
「こんにちーは。その生け花、あんたがずっと生けてたの?」
「はい! はたけ上忍に喜んでもらおうと思って、私が!!」
餌を投げ与えた自覚はあるが、力みすぎではないだろうか。
一歩踏み込んできた女に、一歩後ろに身を引く。
「俺の為に? わざわざこんな場所に?」
「私、アカデミーの非常勤もしているんです。偶然、ここから上忍待機所に座ってるはたけ上忍が見えて……」
適当に相づちをつきながら、窓へ近づく。他のものよりも錆が少ない鍵を開け、窓を全開にした。
この教室の向かい側が上忍待機所に当たる。どれも同じ外観なだけに、ぱっと見、どれが何の部屋かは分からない。
教師ならば熟知していることなのだろうが、よく見つけたものだとそこは素直に感心した。
自分のことを熱心に話し始めた女を尻目に、花瓶に生けられた花を見た。
あの不器用だけれど、生き生きとしていた手作りの桜はとうにない。
あるのは魅せるために、計算し飾り立てた美しい花花だった。
「……花瓶も変えたんだ」
「え」
窓にくっつけ置かれた教卓の上、華美な花に合うよう落ち着いたこげ茶色の花瓶が置かれてある。
どこか野暮ったくて土臭い、あの緑色の花瓶もなかった。
「あの桜、捨てた?」
「え、ええ。新しい花を飾りたくて、でもわたし」
「そう」
女の話を無理矢理切った。
分かっていた事とはいえ、いざ聞かされると惜しい気持ちがわき起こる。
あの桜の面影を探そうとして、目の前の花を見つめるのだけれど、あるのは洗練された美だけで、あのときの不器用な必死さが見られなかった。






「はたけ上忍、桜お好きなんですね。今年はもう無理ですけど来年にはまたお見せできますわ。私、いい花屋さん知ってるんですー」
しゃべり出す女の声をただ聞いていた。目の前には女が生けた美しい花がある。
今まで見ていた花は、確かに観賞用とはいえないものばかりで、目の前の花とは比べられないほど稚拙なものだった。けれど−−。






女は言う。
「はたけ上忍のお気に召すような花を、頑張って飾ります。ですから……その、また足を運んでくださいませんか?」
恥じらうようにはにかみ、一定の距離は詰めずに窺ってきた。
節目がちな視線。薄く頬を赤らめ、所在なげに胸元で手を握りしめている。
俺の感覚からすれば、好ましい仕草だ。外見と同様に女は淑やかな性格らしい。だが。






「もういいーよ。今までありがとね。もう見ないし、来ることもないから生けないで」
最後の礼儀だと、女を真っ直ぐ見つめて告げた。言葉に驚き視線をあげた女の目とぶつかる。
断られるとは思っていなかったと、顔色が変わっていた。女に悪いとは思うが、撤回するつもりはない。
「理由は? 理由をお聞かせください!!」
咎める視線を向けられ、無理もないかと頭を掻く。
花を見始めて一年と少し経つが、俺が気付かないだけでずっと前から飾られていたのかもしれないのだから。
女の望むままに口を開こうとして、この教室に近づいてくる気配を感じた。この気配は……。
「はたけ上忍!」
気を取られていれば、女が強い口調で迫ってきた。先ほどまでのしおらしい態度を一転させ、顔を紅潮させて怒りに震えている。
女の有無を言わさぬ態度に少し辟易しつつ、聞かれても問題ないだろうと判断して、改めて口を開いた。
扉の前で気配が立ち止まる。






「確かにあんたの花を見てた。ぶっさいくで、何でこんなもん飾るのか常々不思議に思ってたよ。でーもね、俺がここに訪れた途端、手のひら変えて見られるように飾りたてるやり方、俺好きじゃなーいのよね」
怒りに真っ赤になっていた女の顔が、別の意味で赤くなる。
まぁ、頭の片隅では分かっていたことなんだけど。
「俺に近づきたかった? 関心持ってもらって、写輪眼とやらの恩恵を受けたかったんでショ」
「ち、違います! 私はただはたけ上忍のお心が慰められたらいいと、それだけを」
女の言葉に、苛立ちが芽生える。
俺の不興を買ったことを敏感に察した女の顔色が変わる。媚びの入った眼差しは、恐れを帯びるそれに変化した。







「――慰める? あんたが、俺を?」
おもしろいと口端を持ち上げた。試すように目を細めれば、女は息を止め、顔を真っ青にさせた。
じきにがたがたと小刻みに体を震わせ始めた女を見て、笑いがこみ上げた。
この程度でよく俺を慰めたいと抜かしたものだ。
苛立つ神経を無理矢理押さえ、故意に漏れ出させた怒気を納めれば、女は小さく声を上げて忙しなく肩を上下させた。
「不愉快なーの。今後、俺に近づかないでね」
声も出せずに荒い呼吸を繰り返す女に切り出せば、さすがは上忍。俺の意図をしっかりと理解して、言葉も残さず、教室の出入り口へと走り出した。
上忍ともなると、意志疎通が通りやすい。これが中忍ならば、軽い修羅場を演じることになっただろう。
面倒もなく片づいたことにほっと息を吐いて、あっと思った。
扉の前にはーー。






視線を飛ばせば、ちょうど女が教室の戸を滑らせたところだ。
女の体が邪魔だが、額宛から上、黒い犬の尻尾のような髪が見える。
そこには、思った通りイルカ先生がいた。
穏便にすますつもりだったから成り行きに任せたのだけど、脅かせてしまったかもしれない。
悪かったなと、少々ばつの悪い思いを感じていれば、逃げだそうとした女は先生を見るなり、甲高い声を張った。
「あんたも? そうやってはたけ上忍に取り入ろうとしたって無駄よッ。男の癖に気色悪い。ーー退きなッ」
鋭く啖呵をきり、女は先生を突き飛ばして教室から出ていった。よっぽど驚いたのか、先生は受け身も取らず後ろへこけた。
声も上げずに呆然と尻餅をついた先生に慌てて駆け寄る。
「大丈夫ですか?」
声をかけると、先生が我に返ったように俺を見た。目が合った瞬間、先生の顔が茹でタコのように真っ赤に色づく。
「あ、ち、違います! 違うんです!!」
そう叫ぶと、先生は床に散らばったものを集め始める。緑色の茎、白い花びら。そして特徴的なぎざぎざした葉。
「……ノノシロ?」
葉の汁に消炎作用がある野の花だ。
廊下に散らばった一輪をつまみ上げ、花の名を口に出せば、先生はますます顔を赤らめ、手早く集めたそれを後ろ手に隠し、俺から一歩体を引いた。
「す、すいません! 俺、ちょっとこっちに用があったもので、立ち聞きするつもりはなかったんです。本当、すいません!!」
俺が口を出す暇も与えず、先生は直角に腰を折ると、脱兎の如く身を翻した。
「失礼します!!」
あまりに見事な撤退ぶりに、呆然とその後ろ姿を見送りながら、俺は自分の手に残る花の意味を考えた。






これって、もしかして??










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引っ張る形となってしまいました……orz そして特別上忍方の口調がわからない! のー!



君がいる世界 10