遅い。遅すぎる……!!
見上げた時計の針が、午前二時を指す。
用事がある日は、先生は家を出るとき必ず俺に言う。
今日出かける時、笑える捨て台詞を吐いただけで、特に何も言わなかった。
ということは、突発的な予定の部類に入るということだが、受付でもアカデミーでも、緊急召集がかかった話は全く耳に入ってこない。
つまり、それが意味することは……。
また、飲みかぁぁぁぁ!!!!!
俺の心情を如実に表現している、尻の先の相棒が畳に何度もぶつかりうねっている。
こういうことなら、あの後先生を尾行すれば良かったと臍を噛んだ。
生け花のある教室で先生が逃げた後、俺はある可能性を見いだしていた。
あの花を生けていた本当の人物は、イルカ先生ではないかと。
昨日に限って、あの教室に飾られた花が、季節外れの物だったこと。
女との会話で、手作りの桜の話題を出したが、女は花屋をあげたこと。
そして、滅多に用のない教室へ、先生が今時期の花であるノノシロを持ってきたこと。
これらの情報を踏まえて考えると、その可能性は高いと思われる。
あのとき逃げ出した先生を捕まえれば良かったのに、あの女が生け花の主だと思いこんでいたせいで、反応が遅れた。
みすみす取り逃がすことになってしまったことを悔しくは思ったものの、あのときの俺は迂闊にも舞い上がってしまった。
もしかして、先生は猫ではない俺のことも気にかけていた?
上忍待機所の、あの席から見える生け花。
俺の定位置であるそこは、生け花が見えるのと同様に、あの教室から俺のことも見える。
アカデミー教師である先生なら、あの教室に行くこともあるだろう。そのとき偶然、俺に気付いたのかもしれない。
そう考えれば考えるほど、先生があの生け花の主だと思えてくる。
一年ずっと俺のために花を生けてくれていた先生を思い、稀にないほど浮かれていた俺が現実に舞い戻ってきたのは、仲人婆の心ない一言だった。
「あんたが座っている場所って、他の奴らもよく座る場所よ」
気分良く上忍待機所に舞い戻り、定位置に座ってにまにましていると、唐突に紅が横から言った。
「は…?」
なぜ、俺の考えていることが分かった! それに、その言葉どういう意味?!
仲人婆よりも妖怪サトリを彷彿とさせた紅を見つめ、わなないていれば、仲人妖怪婆は口をひん曲げて鼻を鳴らした。
「……あんたね。ここ最近、ずっと独り言言ってんのよ。しかも話題は決まって、イルカ先生。だから、男の尻を追う、ストーカー変態野郎って認識があんたについたの」
思わぬ発言に、言葉を失っていれば、いつの間に集まっていたのか、楊枝と熱血くん、プラスして黒眼鏡が俺を囲むように座り、頷いていた。
「カカシさん、かなり痛い男になってますよ。その分、おいしい思いはさせていただいてますけどね」
「あー、それで最近女たちの影がないんすか。でも、関係ないんすよねッ。本命の春が来たんすから!!」
「はたけ上忍、しっかりしてください。このままだと営業伸びずに倒産の危機を迎えます。商売あがったりです」
わいのわいのと周りで騒がれ、覆面の下の顔が熱を帯びる。
そこに空気の読めないデカ男が乱入してくるから、世の中不条理だ。
「おーおー。ずいぶんと人気者じゃねぇか、カカシ。ーー顔まで赤くしやがって、図星でも指されたか?」
「髭ッッ!!」
余計なこと言うんじゃないよといきり立てば、周囲から手が伸びてまぁまぁと押さえようとしてきた。
その手を払い除け、俺はひとまず紅に向き直る。
色々と問いただしたいことは多々あったが、まずは重要証言の聴取を優先せねばなるまい。
「ちょっと、紅。さっきの発言って何?」
にやにやと笑って成り行きを見ていた紅が目を瞬きさせる。
「何か言ったっけ?」
わざとらしくもとぼけた顔して、ぬけぬけと聞いてくるこの女の前世は悪魔か魔物に違いない。
「『他の奴らもよく座る場所』って言っただろ」
眉根を寄せれば、「あーそのこと」と呟いた後、紅は何故かアオバの肩を叩いた。
それを受け、アオバはサングラスを一度持ち上げ、したり顔をこちらに向けた。
「はたけ上忍指定席として名高いこの席。今なら『君も伝説に触れようキャンペーン』にてお安くご提供させていただいております」
きらっとレンズを光らせ、アオバは懐から巻物を取り出した。紐を外したそれは、重力にそって開く。
そこには、1分250両。30分7,400両。60分14,000両と明記されていた。
「ややや! カカシさん、落ち着いて、そこは落ち着きましょうっっ! 訳が、これには訳があるんっす!」
無言でアオバの胸ぐらを掴み、首を絞めていれば、ライドウが横から割って入ってきた。
ライドウの懇願に仕方なく手を離せば、げほげほとむせながらも、アオバは掠れた声で言葉を続けた。
「一日貸し切りプラン、ただしはたけ上忍使用時は無効。も、キャンペーン中にて特別ご奉仕中」
まだ言うか…!!
左手に集まった青白いチャクラがちりちりと音を立て始める。
「や、ややや!! ゲンマ、ゲンマーー!!!」
胡乱な眼差しになった俺にしがみつく、ライドウ。
名を呼ばれ、静観していたゲンマがやれやれとため息を吐きながら立ち上がった。アオバといえば、髭の後ろにちゃっかり隠れ、動向を見守っている。
「これも里の意向なんすよ。三代目、直々のご提案にオレたちは従っているだけなんです」
肩を竦めるゲンマに、は? と素の声がこぼれ出る。
呆然としている俺を尻目に、ライドウもそうですそうですと頷きながら、よく通る声を張った。
「カカシさんの売り上げのごく一部は、上忍待機室の充実予算に使われてるんす!! 冷暖房も最新式になったし、今度はあのくたびれたソファを全面やり換えようという案が出てるんす!」
「私は美容スチーマー置いて欲しいわー。あと、化粧品一式とか?」と、聞いてもいないリクエストを口に上らせる魔物はこの際無視して、納得いかないと俺は憤った。
「冗談じゃなーいね! 本人の預かり知らぬところで勝手に商売されても、こっちが迷惑なんだよッ。禁止、これはもー禁止!!」
髭の後ろに隠れていたアオバから巻物を奪い取るなり、火遁で燃やす。
消し炭になるそれを見つめ、あーあとため息を吐く奴らの大人しさに、違和感を覚えた。
「…火影提案って言った割には、随分引き際いいじゃない」
まさか嘘なのかと疑いの眼を向ける。すると、アスマが煙草をくゆらせながら、笑った。
「ちげーよ。確かに三代目の提案だがな、条件付きだ。カカシの了承をもらえってな」
髭の言葉に、周りを見回す。まずアオバが視線を明後日の方向へ向け、続いてライドウはそっと俺から距離を置き、ゲンマと紅に至ってはふてぶてしくも笑みを浮かべていた。
「………了承出した覚えはないんだけど?」
俺の一言に紅が声をあげて笑う。
「ばっかねー。バレなきゃそれでいいのよ」
「忍の本分っすね」
こいつらは物事ってものを理解しているのか?
頭を抱える俺に、紅は大きく息をつくと、一転して興味なさげに自分の指を眺め始めた。
「始めはじゃんじゃん入ってたんだけどね。もーダメ。さっきもアオバが言ってたけど、変態の汚名を被ったパンダほど、役に立たないものはないわ。潮時かなーって思ってたのよねー」
「ねー」と紅と合わせて、無表情で首を傾げるアオバに殺意が芽生える。
ふるふると震える俺の前に立ち、ライドウがすんませんとへこへこと頭を下げた。
「カカシさんには悪いと思ったんすけど、里の経営状態悪くて、ちっとも上忍待機所に予算回らなかったんすよ。カカシさん人気のおかげで、雨漏りやらすきま風入ってたところ修繕できたんす」
ありがとうございますと笑うライドウに毒気が抜かれた。
まぁ過ぎたことはいいかと、ソファに腰を下ろせば、こちらをじっと見つめている紅に気付く。
一体何なのと声に出さずに視線で問えば、紅は小さく笑った。
「別になんでもないわよ。で、この席座ってる奴をどうして気にしてたの?」
「言うほどのことじゃなーいよ。……あ、そうだ。この席に一番長く座ってた奴誰か分かる?」
本題に入れたことにほっとしつつ尋ねれば、すぐさま答えが返ってきた。
「えー。そうですね。昨年上忍になった、松葉コノシロです」
アオバが指を指し示す先に、まだ幼い面影が残る年若い男がいた。
俺たちが見ていたことに気付いたのか、コノシロ青年はこちらに顔を向けるなり、深くお辞儀をしてくる。それに適当に応えていれば、髭が気安く手をあげた。
「…知り合い?」
柔らかい笑みを浮かべたコノシロ青年に気付き、聞けば、髭は「まぁな」と得意そうに笑った。
その笑みは何だと眉を潜めていれば、続いて髭は勝ち誇った声音を落とした。
「ありゃ、イルカの元生徒だ。知らなかったのか?」
ストーカー変態野郎と笑った髭を、いつか闇討ちにしてやろうと密かに決心した。
カチコチと時計の針が時を刻む。
ただ今、2時30分。
昼間の回想をし終えても、いまだイルカ先生が帰る気配はない。
電気をつけた中、一人でうろうろと台所と居間を行き来する。
コノシロ青年の存在を知り、いつから阿漕な商売をし始めたのか問いただせば、だいたい一年前からだと奴らは言った。
一年も前から俺を出汁に商売していたことに気付かなかった俺も俺だが、売り出した当初から任務で稼いだ金をこの席につぎ込むコノシロ青年もアホだと思った。
それに何より、イルカ先生が花を生けていたのは、俺ではなくコノシロ青年のためだった可能性が出てきたことに衝撃を受けた。
まさかね。まさか、あのことは俺くらいしか気付いていないってと、一縷の希望をかけて、コノシロ青年に接触すれば、コノシロ青年は顔を真っ赤にさせ、どこか興奮気味に言った。
「知ってます! どこの誰が生けてるんですかね。おれたち新人上忍の話じゃ、結構有名っすよ」
はたけ上忍と話せてうれしいっす。おれもはたけ上忍のような忍になれるよう頑張りますと、満面の笑みを向けられ、俺は「がんばってね」とお決まりの言葉を言うことしかできなかった。
次々と出てくる事実に、眩暈がしそうだ。
あの生け花の存在は俺以外も知っており、しかも、生け花の相手は、イルカ先生の元生徒という超強力なパイプがあるコノシロ青年の可能性が断然高い。
そして、今回持ってきた花はノノシロ。
どこかコノシロの名に似通っているこの偶然は、果たして偶然と言えるのだろうか……!!
ぎゃいぎゃいとつまらない話に花を咲かせている場に戻り、俺は真っ白に燃え尽きそうな疲労感を抱え、定位置のソファに体を埋めた。
何やら俺に話を振ってきたりもされたが、それを適当に返し、ふと我に返ったのは、日も沈み、とっぷりと暗闇に包まれた夜だった。
誰もいない待機所。
一人ぐらい声をかけても罰は当たらないだろうと、くさくさした思いを持て余し、こうなれば今宵は先生の手に癒されまくってやると息せき切って帰ったのに、当の本人はまた午前様とはどういうことだ!
「う゛ーーっ」
今宵は容赦せん。
何があろうと、今日は夜通し撫でてもらう。寝かせてやるものかと、唸っていれば、騒がしい音が廊下から聞こえてきた。
「おーい、イルカ、だいっじょぶっれすかぁー?」
「だいじょぶらってぇ。アサリもらいじょーぶかぁー。ホタテもらーいじょぶかぁ?」
「お前ら、ちょっと黙れ。深夜だ。迷惑だ。存在自体うざい」
酔っぱらい二人のご機嫌な声と、冷静な声がこだまする。
深夜だというのに、三人揃って大声での帰還に、頭が沸騰する。
忍びにあるまじき音を立て、玄関に直行した。
気分は毎晩飲みで午前様の夫を持つ、新婚の嫁さんだ。さあ、来やがれ、碌でなしの夫めッッ。
「お、イルラー。電気ついてるよ、電気ッ」
「ふ、噂のイルカの彼女か…」
「あっはっはははー、もぉー照れるなぁ。おれのらいりな家族なんだじょー。羨ましいだろぉ」
「羨ましいっ」と二人の声に混じって、扉をガタガタ揺する音が聞こえた。
「さいっこーにきゃわいいんだからなぁ。もー、目に入れたって、口に入れたって、鼻にいれたっていいくらいなんだかなぁ。デロデロなんだからなぁぁ」
うぇへっへっへっへと、自慢げに話す先生の口を閉じさせてやりたい。
「ノロケ禁止ぃ」「耳たこだ」とブーブー文句を垂れている様から、先生がいかに俺のことを他人に言っているのかが窺えた。
無性に恥ずかしくなって、いまだドアを開けられずにガタガタしている先生の代わりに、手にチャクラを集めてドアノブに飛びかかる。
先生が引っ張るのと同時に、ノブから手を離し、廊下に着地すれば、後ろから驚きの声が聞こえた。
『なっっ、なんだとぉぉぉ!!!』
こっちもなんだとぉ?!(また引っ張ってしまった…)
ちっとも進まない話ばかりを書いて申し訳ありません…orz
何故、きれいにまとまらないのかーー!!