は? 一体何なの?
扉を開けるなり、驚愕の声をあげた訪問者と対せば、赤ら顔の男二人が俺を見つめたまま固まっている。
首を上げて、二人の顔をじっと見つめれば、見覚えがあることに気付く。確か受付の任務を受け持っている中忍だ。
先生とは大層仲が良く、三人でつるんでいる場面によく出くわした。
「にゃ。にゃ?」
先生を連れて帰ってくれてありがとう。でも、とっても遅い時間帯だから早々に帰ってくれる?
怒気を滲ませ応対すれば、丸顔と鋭角顔はびびっと体を震わせた。危機察知能力は、まぁまぁだと言える。
固まったままこちらを見詰める二人に対し、早く帰れと尻尾を振れば、丸顔が声を張り上げた。
「イルカの不潔ぅっ。いくら女にモテないからって、獣とおつき合いだなんて、おとうさんは許しませんよぉっ」
「はぁ? あーにいってんだよ、アサリー」
わっと顔を覆ってわんわん泣き始めた丸顔が意味不明だ。
「おれのイルカが汚れたッ。獣姦って、獣姦ってッッ」と突然、先生に迫るや、胸ぐらを掴み揺さぶり始める。
激しく動かすものだから酔っぱらっている先生は抵抗一つもできず、首を上下に揺らされていた。
「や、やめろって、アサリぃ。どーしたんだぁ、おまえ〜」
暢気に笑い声をあげる先生に、尻尾が激しく上下する。
首を長くして待っていたのにようやく帰ったと思ったら、俺の相手しないで酔っぱらいと戯れてるなんてッッ。帰ったら真っ先に俺の相手をするのが決まりでしょう?!
いい加減にしろと、殺気をぶつけてやろうとしたそのとき。
「あー、雌じゃないぞ。こいつ雄だ。さっき立派なもんがついてんの、この目で見た」
と、鋭角顔が俺の尻を指したではないか。な、ななな何、セクハラっっッ?!
『なんだとぉぉぉぉぉぉぉ!!!!』
無礼な男の言葉に動揺していると、酔っぱらい二人に驚愕の声をあげられた。
もう、だから何なの、あんたたち! というか、先生、まさか俺が男だって分かってなかったの?!
「イルカ! お前ッ、あれほど男はイヤだって言ってたじゃないかっ」
「お、俺だって男はイヤだ! まさか、まさかビジンがッッ。こんなに美人なのに?! ホタテ、嘘だろ、嘘だって言ってくれぇぇぇ」
散々っぱら人の体を撫で回しておいて、何を見ていたの?!
先生は丸顔に代わり、おいおいと泣き始め、鋭角顔にすがっている。
その姿に胃がむかむかしてくる。
だが、俺のむかむかもすぐ止んだ。
「うざいんだよ、お前ら。勝手にあがるぞ」
縋っていた先生を突き飛ばし、鋭角顔は俺の横をすり抜け、冷蔵庫前まで歩みを進める。
え、ちょっとなに? まだあんたたちいるつもりな訳?
これから俺と先生のお楽しみの時間が始まるというのに、何て気の利かない奴らだ。
追い返す気満々で鋭角顔に歩み寄ろうした瞬間、手が伸び、背後から捕まった。
「ビジンー! 嘘だと言ってくれッ。お前は女の子だよな。かわいい、かわいい女の子なんだよなっっ。俺の癒しのエンジェルなんだよなぁぁっ」
背中に頬を擦り寄せ、俺の小さな体を力いっぱい抱きしめてくるからたまったものではなかった。
出るッ、色んなものが出るッッ。
「……ロクなもん置いてねぇな」
先生の拘束から逃れようと暴れていると、目の前で鋭角顔が冷蔵庫を開けていた。しかも密かに俺が買い置きした、先生と飲む用のビールを手にしてだ。
な、なんて奴! 先生、どういう交友関係してるの?! こんな柄の悪い奴らが友達だなんて、神経疑っちゃうっ。
「おい、おまえら。これで、何か買ってこい」
ぽいと無造作に投げられた財布を丸顔が受け取る。
「ま、まさか奢りか!」
「ホタテ、太っ腹だぁっ」
喜びの声が頭上から降ってきた。
さきほどの涙はどこへやら、先生はへらへら笑いだすなり、俺を抱えたまま踵を返し、戸を開けた。
え、何? 何?
まだ肌寒い夜の空気に晒され、毛が逆立つ。
上を見上げれば、先生は真っ赤な顔に笑みを浮かべ、顎で俺の頭を柔らかく挟んできた。
「ビジンも一緒にお買い物行こうなぁ。おまえの好きなもん買ってやるぞ〜」
は? 買い物?
先生の言葉に冗談じゃないと身を捻って暴れた。
上忍連中にこの姿を見られたら何て言われるか。人前に出るなんてもってのほかだ!
じたばたと暴れていれば、先生は慣れた手つきで俺の腹を撫で始めた。
うっ、そ、そこは……!!
温かい手が毛並みに沿って大きく動く。強すぎず弱すぎず、絶妙なタッチで触れてくる手は、魔性と称しても余りある。
勝手に喉が鳴り、強ばっていた体がふにゃふにゃと力を無くしていく。あぁもーずるいー。そんなことされたら、もう抵抗できないじゃないー。
ごろごろと喉が盛大に鳴る。もう好きにしてくれと先生の腕に懐いていれば、丸顔が身悶え始めた。
「あー、いいな、いいな、イルカー。おれにも抱っこさせてくれよぉ」
俺の断りもなく、無造作に伸びた手へ爪が出る前に、先生の足が出た。
「ほいちゃ!」
「ぎゃん!」
犬の悲鳴のような声をあげ、丸顔は横腹を押さえ体を曲げる。
「ひ、ひどいっ、イルカ!!」
丸顔は泣き上戸なのか、瞳にいっぱいの涙を浮かべていた。
「はっ、俺の許しなくビジンに触れようとは片腹痛いわッッ! ビジンは俺の宝物なのー。お前の手垢でビンジが穢れるッ」
な、ビージンと俺に相槌を求めてくる先生に、何も言えなくなる。代わりに喉を鳴らせば、先生は目を細めて笑った。
とくんと鼓動が鳴る。
あまりに優しい笑みは本当に俺のことを大切だと言っていて、偽りの姿でいる俺の胸に小さな痛みを与えた。
「じゃ、おれ、帰ったら手洗う」
「おう。キッチンハ○ターに30分間浸した後だからな」
丸顔の素直な言葉に、先生は俺の顔を見詰めたまま鬼のような言葉を投げつけた。……先生。
白い息を吐きながら、酔っ払い二人と夜道を歩く。
酔っ払い二人はころころと話題を変えながら、大して面白くないことでも大笑いしては、騒音をまき散らしている。
闇に潜む忍の影も形もない二人に呆れるけど、浮かれた空気がこっちまで移ってきそうだ。
時折、俺に話題を振って、返事をした俺をいい子だと抱きしめてくれる。先生の懐は温かくて、話す度に胸から伝わってくる振動も気持ち良い。歩く振動も揺り籠のようで、睡魔が忍び寄ってくる。
眠るには至らないでも、うつらうつらとまどろんでいれば、歩みが止まった。
閉じていた瞼に灯りを感じ、目的地に着いたのかと薄らと目を開ければ、目の前に驚きの人物がいた。
「こんばんは、イルカさん、アサリさん」
俺の姿も認識しているだろうそいつは、特に顔色を変えずにこちらへ頭を下げる。
「あ、ハナさん、こんばんはですっ」
「お仕事帰りですか。お疲れ様ですっ」
ふらふらと歩いていた二人は急に姿勢を正すなり、直角に腰を曲げた。
犬塚ハナは酔っ払いの二人を見て、忍び笑いを漏らすと、こちらに近づいてくる。
「ご機嫌ですね。明日は非番ですか?」
横から落ちた髪を耳にかけ、笑顔で話しかけてきた犬塚に舌打ちをしたい気分だ。
運が悪い。
犬塚も買い物に出ていたようで、その手にはビニール袋が下げられている。
店の前で会ったことも不運だが、挨拶だけで去ろうとはしない犬塚へ悪感情が募った。
そんな俺の気も知らないで、先生は顔をにやけさせて呑気に話しだす。
「えへへへ、分かっちゃいますか? ハナさんは今までお仕事で?」
犬塚の答えも聞かずに、ご苦労様ですと大きく直角に腰を曲げられ、胸と腕に挟まれ呻き声があがる。
それを聞きつけたのか、犬塚は朗らかに笑いながら頷いた。
「えぇ、往診が今終わったところです。イルカさんたち一杯やってたんですか? 今度私も誘ってください。イルカさんたちの飲み会楽しそうです」
「いやいや〜、それがそうでもないんですよ。ハナさん」
苦しんでいる俺に気付く間もなく、丸顔が犬塚へ話しかける。それに先生は焦った声を上げた。
「ちょ、アサリ、てめっ!」
「こいつ、相当落ち込んで、今の今までホタテと一緒におれたちが慰めたんですよー。ハナさんの耳にも入ったことがあるんじゃないっすかね。はたけ上忍がアカデミー教室へ来たって話」
「あー、余計なこと言うんじゃねぇッッ」
俺を胸に抱いたまま、先生は丸顔を蹴りつける。丸顔はそれにもめげずに言葉を続けた。
「それが笑っちゃうことに、あの生け花を今まで生けてたのコイツだったんですよー! それもなんと二年間。二年間、こいつずぅーっとはたけ上忍のために生けてたのに、はたけ上忍がその存在に気付いた途端、クノイチに生け花の主を掻っ攫われるばかりか、はたけ上忍本人の口から不愉快だって言われてやがんですよー?!!」
笑えるとけたけた笑いだした丸顔の言葉に、先生は顔を赤くして、丸顔への蹴り攻撃を強くした。
「うっせー!! 俺の胸の傷を広げんなッッ」
痛い痛いと笑いながら身をかわす丸顔。
「……そうなんですか」
笑みを浮かべたまま、犬塚は俺に意味ありげな視線を寄こしてきた。え…。
突如明かされた真実に動揺しまくる。
どういうこと、どういうこと? やっぱり先生は俺のことを気にかけてくれてたの? しかも、あの花は俺が気付く一年前からずっと生けてくれていた訳? 俺のために? 俺のために、イルカ先生はずっと生けてくれていたの?
徐々に頭へ浸透していく事実に、沸き起こったのは歓喜だ。不愉快だなんて思いもしない。
あまりに嬉し過ぎて笑いだしてしまいそう。
勝手に揺れる尻尾をそのままに見上げれば、先生の目が赤い。それが酒だけのせいではないとしたら。
俺がクノイチに言った言葉を、自分に言われた言葉として受け取めて落ち込んじゃたーの? そんなことある訳ないじゃない。イルカ先生が俺のためにしてくれることなら何でも嬉しいよ、嬉しいに決まっているじゃない。
だって、先生のこと――。
せり上がるように浮かんだ言葉は不意に消える。
見失ったというより、跡形もなく消えてしまったそれに、戸惑いを覚えた。けれど、それと同時に安堵したのは何故なのだろう。
先生を見た。
からかいの言葉を投げつける丸顔へ、ムキになって蹴りを繰り出している。
呑気にじゃれ合う先生はいつも通りだ。何も変わっていない。変わっていないはずなのに。
胸騒ぎが治まらない。
何かが変わり始めていると、誰かが囁く。
変わらないはずの何かが変わろうとしている。
その変化は俺にはとても恐ろしく思えて、ただの勘違いだと言い聞かせるには実感があり過ぎて気休めにもならなかった。
短いですね…。次回、ちょっぴりイルカカ描写?!