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「ねぇ、アンタ、帰んないの? 帰還命令、出てるでしょ?」
突如背後に生まれた気配に、反射的に手が出た。
相手の喉元を切り裂くはずだったクナイは弾かれ、代わりに喉元へクナイが差しこまれる。
「正確な狙い筋だこと。ふーん。やっぱり生き残るには、残るだけの実力がある訳よね」
運がいいだけじゃないのかと独り言を漏らし、喉に押し当てたクナイを収め、犬面の暗部はイルカを覗きこんだ。
「……あ、あのときの…」
面から覗く目が細くなる。犬面の暗部はどうやら笑っているらしい。
「うん、そう。あの後、俺としてはアンタと喋りたかったんだけどね。お節介熊が俺の傷心配して連れ去られたじゃなーい。まだアンタがいてくれて、良かった。里に帰られちゃうと、会えるのがいつになるか分からなくなるからーね」
簡潔な用件のみ話す他の暗部とは違い、犬面の暗部は気さくな性質らしい。
服装も他の暗部はマントを着用しているのに、犬面はマントを外し、腕を剥きだしにした白いプロテクターと、体に添う黒いアンダーとズボンを身につけている。
それだけでも目立つのに、犬面の男は木の葉に珍しい銀色の髪をしていた。






「――あのときは、本当に申し訳ありません。重要参考人の命を狙うばかりか、お怪我まで。覚悟はできています。どうぞ御処分下さい」
地面に正座して、頭を擦りつけた。途端に、犬面の口から大きなため息が零れ出る。
イルカの側にしゃがみ込む犬面の気配を感じ、汗ばむ手の平を悟られぬように握りしめた。
死ぬために突っ込んでいったのに、生かされるばかりか、イルカの罪は不問にされた。だが、それではイルカの気が済まないのだ。
「……アンタさぁ。どーしても、処分してもらいたい訳? 他の暗部にも突っかかってったって聞いたよ。今回の任務が予想よりも早く片が付いたから、冷静な対応してもらえたけど、ちょっとでも苛立った時に行けば殺されちゃってるよ?」
だから、それが望みだったのだ。
ぐっと肩に力が入ったイルカに気付き、犬面はやれやれとため息を吐く。
「頑固だねぇ。って言うより、我がままだよーね。あの最悪な状況下で生きながらえて、重要参考人を殺しかけたってのに、その本人に擁護されて罪も不問にされて、俺の傷も俺が気にしないって言ってるのに、なーにが気に入らないの? ん?」
軽い調子で言った犬面の言葉に、胸が抉られた。地面がぼやける。
「全てです。俺だけがここにいる。俺だって、あの人と同じなのに。俺だって家族を見殺しにしたのに、俺だけ生き永らえるなんて我慢ならないッ」
「………アンタ、本気でそれ、言ってるの?」
低い声が落ちた。
苛立つ気配を隠しもしないそれに、イルカは顔を上げる。それと同時に、犬面に胸倉を掴まれていた。
ぐいっと上に引き上げられ、喉が締まる。思わず閉じてしまいそうになる瞳をこじ開け、見下ろす犬面を見た。
「あれだけの犠牲者が出たのに、生きたいと望みながらも死んだ奴らだっているだろうに、それを間近で見たあんたが言うのかッ?! 死んだ奴らの後を追って、そいつらが喜ぶとでも思ってるのかッ」
犬面の瞳が怒りに燃えていた。ぎらつくように光る瞳に息を飲み、それでも譲れないと声を振り絞った。






「思いませんよ! そんなこと思う訳ないじゃないですかッッ。あいつらが生きたかったってことは、あいつらの夢を知っている俺が、知らない訳ないじゃないですかッッ」
胸倉を掴む手を握り、歯を食いしばる。
面の向こうにある瞳を睨みつけ、叫んだ。
「マツリは昔から頭の回転が速くて情報部に行きたいって言っていた。チハヤは上忍になるんだって毎朝の修練を欠かさなかった、ミノルは動物が好きで獣医になるって、アカリは手先が器用で開発部にって、トモキは植物が大好きで薬師になりたいって…ッッ」
喉が詰まって声が出なくなる。
戦地に送られる補充員の下忍たちの中に、あの子たちがいることを知ったのは偶然だった。
陣営を移動する最中に見た小さな体。
木の葉の額当てが光るのを認め駆けよれば、それはマツリだった。
小さく息をするマツリがイルカを認め、話してくれた。
最近、里では身寄りのない子供たちがこの戦地に送られているのだと。そして、自分が最後の一人だと。
「嘘だと叫びたかった。あいつら、アカデミーを卒業していないんですよ?! あの事件の後に、アカデミーの復興が遅れてたから、親預かりになってた。引き取り手がいない俺たちのような孤児は教えてくれる人がいないから、一応卒業していた俺が教えてたけど、それは基礎中の基礎で! Dランクで精いっぱいのあいつらがこんな戦場に放り込まれて生き残れる訳がないんだッ」
やつ当たりだと分かっていた。
止めろと理性的な頭が言うのに、一度溢れた感情は止まることを知らない。
犬面が握っていた手が離れると同時に、逆にイルカが掴みかかる。
「マツリの奴、最期になんて言ったと思います? あいつ、俺を見上げて『死にたくない』って言いました。『死にたくない』って、『死にたくない』って言ったんですッ。これからだってのに、まだ始ってもいない、全てはこれからだってのに、あいつ、死んじまったッッ」
挑むように犬面の目を睨んだのに、その奥の目はもうぎらついた瞳は宿しておらず、全てを受け入れるような静かな目をしていた。






掴んでいた手から力が抜ける。そのまま地面に手をついた。
自分の影よりも濃い染みがぽつりぽつりと広がる。
「……もう分からなくなっちまったんです。一番、守りたかった奴らは先に死んで、それを死に追いやった奴も、あいつらとは違うけど、やっぱり俺にとっては家族で……。何でこんなことが起きたんだろうって。どうしてこんな結末にしかならなかったんだろうって。自分で死ぬこともできなくて、成り行きに任せても死にきれなくて、俺、自分が惨めで、居た堪れなくて、これからどうしていいか分からなくて……」
項垂れていると、背中を引き寄せられた。
顔に胸を押し当てられ、回された手がぽんぽんと背を叩く。
顔に押し付けられる胸にはプロテクターはついておらず、よく鍛えられた筋肉と人の体温が直接伝わってきた。
暗部だというのに、無防備にも装備を外すばかりか、急所を押し付ける行動に、仰天した。
「…ッ、あ、暗部さんッ?」
離せと身をもがくのだが、犬面は小さく笑うだけで相手にしてくれなかった。そればかりか、より強く背中を抱きしめ、とんとん叩いてくる。
まるでぐずっている子を宥めるような仕草に、イルカは恥ずかしさを覚え、一層激しく抵抗したが、びくともしない拘束に疲れ、最終的にはされるがままになった。
ようやく抵抗を止めたイルカを抱きしめ、犬面はくすくすと小さく笑う。
「アンタって、お日さまみたい。呑気でお気楽で素直で、雲がかかったら暗い顔して、雨雲かかったら一緒に泣いちゃうような、てんでダメなお日さまだーね」
犬面がイルカを称した言葉に、戸惑った。
何が言いたいのか分からず惑うイルカに、犬面はかみしめるように言葉を漏らす。
「でーもね、そういうの、何かいいなって思うーよ」
問おうと開きかけた口が閉じる。犬面の言葉に微かな悲しみを感じてしまった。
そのまま黙っていれば、犬面は何かを懐かしむように囁いた。






「あんた見てるとさ。俺の先生と、昔組んでいたスリーマンセルの連中を思い出しちゃった。あの時の俺は何も分かっていなくて、あの人たちに心配かけてたんだなーって、あんたを見て思ったよ。……ねぇ、これってさ、何気に凄いことよ?」
背中を押さえる腕が緩んだことを知り、顔を上げる。その先で、面の奥でかち合った瞳から、イルカは目が離せなくなった。
紺と、赤い瞳。
まるで綺麗な宝石のような二つの瞳は柔らかく綻び、優しさを湛え微笑んでいた。
犬面はイルカを見下ろし、口を開く。
「俺にとっちゃ、まだ癒えない傷ってやつで、思い出すこともなくて、というより出来なくてさ。ずっと触れなかったものだったの」
ぼぅと見惚れていれば、犬面は鼻水出てるとイルカの鼻を指さし、体を離した。
「う、え?!」
慌てて袖で鼻を擦る。だが、あまり袖口にはつかない。おかしいと思って顔を起こして、青くなった。
犬面の胸辺りの生地が湿っている。涙だけとは言えない、湿った面積の広さに目眩を感じた。
「す、すいません! 俺、気付かなくて、えと、あの洗いましょうか? お時間、あるなら洗います!!」
挙動不審な動きを見せるイルカを笑い、犬面は気にした様子も見せずに、その上からプロテクターを身につけ始める。
自分のものながら、他人の涙と鼻水がついたものをよく放置していられるなと顔を歪ませていれば、犬面は声をあげて笑った。
「あんた、本当にお日さまだよねー。もうその反応といい、存在がまんまッ」
けたけたと遠慮なく笑う犬面に、おもしろくない感情がよぎった。
相手は格上で己の上司ともいえる存在だが、言いすぎの感が否めない。






内心くさくさとしていれば、犬面は笑い声を止め、「だから」と言った。
「だからさ、あんた。これから先、たくさんの人を和ませるお日さまになってよ」
「……は?」
突然の申し出に口を開けるしかない。
犬面は顎に指を差し、うーんと考える素振りを見せる。
「そうだなぁ。えっとね、あー、あんた、アカデミーの先生になりなさいよ。子供たちにあんたのお日さまパワーを与えてやんなよ」
「お、お日さまパワー?」
暗部とは思えぬちょっと抜けている言葉に、面食らってしまう。この犬面、お日さま発言と言い、お日さまパワーだといい、夢見がちな面があるのだろうか。
話とは関係のないことを考えながら、何も答えられずにいれば、ぽんと手をつき、一本指を立てた。
「それと、受付係! 所構わず温もりを振りまくあんたにぴったりだーよ。わー、いい考え。俺、冴えてるわ」
自分の発言にご満悦な犬面に、何て言おうか迷う。
結局、イルカが言えたのは何てことない憎まれ口だった。
「…俺みたいな忍は内勤やってろっていうことですか?」
身も蓋もない言い方に、犬面は一瞬驚いたような気配を出したが、否定はせずにそうかもと呟いた。
「そうだねぇ。あんたにはこういうところって、似合わない気がすんのよーね。子供たちを貼りつかせて笑ってる方がらしいって感じ」
先ほど会っただけなのに、随分と言いきってくれる。
だけど、不意に心が軽くなるのを感じた。
知らない相手から言われた言葉なだけに、嘘偽りを感じる必要もなく、素直に心へ染み込んだのだろうか。
それと同時に、思い出したことがあった。
あいつらに忍術の基礎を教えていた時、こういうのも悪くないなって。







思い出して、目頭が熱くなった。
救われたと、唐突に思った。
「あ。あんた、何笑ってんの? さては何かいいことを思い出したんでショ? なーによ、教えなさいよ」
「え?」
目敏く指摘され、笑って誤魔化した。それでも犬面はしつこく食い下がって来るから、イルカは渋々、口を開く。
「えっと、その…。暗部さんに言われて、思い出したんです。俺、何かを教えることって好きだなって。だから、その……」
「やっぱり俺って冴えてるね〜。見事言い当てた訳だ」
どう、すごい? と胸を張って来る犬面が少々小憎らしく思えて、イルカはそっぽを向く。
「でも、俺、賢くないし、暗部さんに運だけで生き残ったと思われちゃうような実力ですから。アカデミー教師って、難関中の難関ですし」
無理じゃないですかねと言えば、犬面はじっと考え込み、「そうかも」と漏らした。
「ちょ、ちょっと!! そこは励ましてくださいよッ」
「冗談だって、冗談。まぁまぁ、そう拗ねないでよ。とっておきの呪文を教えてあげるから」
ふふふと面の口元に手を置き忍び笑いを漏らす犬面に、イルカは自分の想像が当たっていたことを知る。
今度は呪文ときたか。
「教えて欲しい?」とあまりに王道な態度を見せるから、ここは乗ってやるかとイルカは「はい」と頷く。すると犬面は得意げに話しだした。
「あのね、これは俺の先生が教えてくれたんだーよ。『望みは言った者勝ち。大きく声に出して言ってごらん。きっとその望みは叶えられるから』って」
ふんと鼻息を大きくし、両手を腰に当て胸を張った犬面に、イルカはあと少しで大爆笑するところだった。
この男はどれだけ夢見がちなのだろうか。
それにも増して、犬面の先生とやらも大人物に違いない。イルカと同い年ですでに暗部に抜擢されているのだ。幼少時も忍として相当実力があったであろう犬面に向かってこの言葉を言えるとは大した先生だ。
笑いを堪え、イルカは戯れに聞いてみた。
「じゃ、暗部さんもその呪文をいっつも言ってるんですか?」
大声で願い事を口にする犬面は可愛いかもしれないと、微笑ましく思っていれば、犬面は少し顔を傾げた。
「ううん。俺は、何も分かっていない奴だったし、今頃気付いても、もう遅すぎるところまで来ちゃったから、ね。結局言えず仕舞い」
寂しげに笑う犬面に、胸を引き絞られた。
それと同時に、ふと犬面の先生の気持ちが分かるような気がした。
きっとこの呪文は、犬面の先生の願いが込められているものなのだ。
たぶん、殻に閉じこもる傾向にある子に向けた、先生の思いのこもった伝言。







しんみりとした空気を吹き飛ばすように、犬面は明るい声を上げる。
「ま、そういうことだから。あんたにあげるよ。俺の先生の言うことだから、間違いないよ」
安心してと犬面は笑う。だから、今度は犬面をしっかりと見て頷き、確かに受け取る。そして、ゆっくりと立ち上がり、膝についた砂や、忍び服にたまった埃をばしばしと叩く。
何をしているんだと見上げる犬面に笑みを向けた後、イルカは両拳を握りしめ、腹に力を入れ大きく声を張った。



「俺、うみのイルカは、アカデミー教師になる! 絶対になってみせるッ」



天まで貫けと叫んだ直後、ギャーギャーと森の上空で鳥たちが騒ぎ出す。ばたばたと森の中からも慌ただしく駆ける音が聞こえ、ついでに暗部も来た。
音もなくイルカの周囲を囲んできた存在に、さすがにビビる。
剣呑な気配を隠しもせずにイルカを睨むものだから、助けを求めて、犬面に視線を飛ばせば、犬面は両耳を押さえ地面に横倒しになっていた。
「あ、暗部さん?!」
何が起きたと駆け寄ろうとして、周囲を囲む暗部に阻まれ、直立不動の姿勢に戻る。
猿面をつけた暗部が輪から抜け、犬面を蹴りつけた。
「おい、おめーは、何やってんだ。召集命令出てるのに、何だってこんなところで寝てんだ」
しゃがみ込み、猿面は犬面の様子を窺う。
犬面がの体がびくりと反応したことを認め、何もなかったのだとほっとしたのも束の間、イルカを囲んでいた暗部が低く唸った。
「貴様、敵の間者か…」
どうやらイルカは危機に陥っているようだ。
犬面は時々ぴくりと動く以外の反応は見せないし、この状況でイルカが何を言っても無駄な気がした。
駄目元で「違います」と言ってみたが、イルカを見詰める視線は剣呑な気配を引っ込めてはくれなかった。
どうしろって言うんだよと、泣き事が浮かんだ次の瞬間、






「ぷ、あははははははははは、あはははあはははははははははは!!!!!」
地面に蹲っていた犬面が体をくの字に折り、笑い始めた。
「やっだ、あんた、何それー!! も、お腹痛いッッッ。本当に言う奴がいるなんていたのーーー?!」
けたけたけたと笑う犬面の言葉に、イルカは一瞬黙ったが、思い当たることに気付き、顔を真っ赤にさせた。
「あ、あんた!! あの呪文、嘘だったのかぁぁ?!!!」
指を差して怒鳴るが、犬面は笑うだけで答えてくれない。その様子を肯定とみなし、イルカはぎりぎりと歯を軋ませる。
何て、性質の悪いッ。あのとき寂しげな風情を漂わせていた犬面に、感じたあの感情を返せと、怒鳴りつけてやりたかった。
こうなれば本当に怒鳴りつけてやると、息を吸い込めば、周りを囲んでいた暗部が身を引いた。




「…中忍、早く里に帰還しろ。もうじきここには誰もいなくなる」
鳥の面をつけた暗部が、視線を遠くに投げかける。
それにつられて、イルカも見渡した。






得るものはなく、失うだけの最悪な任務だった。
この任務を経験した誰もが忘れられず、抱えていくことになるのだろう。







胸のあたりで手の平を握りしめた。
今、こうも心が落ち着き、前向きな気持ちで里へ帰られるのは、犬面のおかげだ。
彼に会わなければ、彼がイルカに話しかけてくれなければ、どうなっていたか分からない。
人の縁とは分からないものだと、苦笑を浮かべる。
失う縁もあれば、また生まれる縁もあるのだから。






「えー、このまますぐ次行けって? あのジジイ、何考えてんのよ。かれこれ、5年は里に帰ってないってーの」
「オメ―はぺらぺらと口に出すんじゃねぇよ! やることがコスイんだ、テメェは!!」
猿面とじゃれ合いだした犬面の言葉に、息を飲んだ。
そうだ。暗部は火影直属の部隊であり、イルカたち一般の忍とは一線を画している。思えば、暗部と同じ任についたのは、この任務が初めてだった。
逆に言えば、陰惨な任務しかつかない暗部という存在に、胸が痛んだ。
最後に一言礼を言いたい。
犬面に歩み寄ろうとしたが、
「中忍、行け。お前がここから出ない限り、私たちはこの場を離れられない」
鳥面の有無を言わさぬ言葉に、足が止まる。「せめて礼を」と言おうとして、鳥面が太陽を仰いでいる姿に何も言いだせなくなった。
もしかしたら、時間が押しているのかもしれない。
犬面とイルカが話した時間は結構な時間だ。
「――はい。暗部の皆さん、この度はありがとうございました」
暗部たちに向かって頭を深く下げる。視線が向かうのを肌で感じながら、イルカは顔を上げ笑った。
「皆さんのご武運をお祈りしております。里の皆で、無事の帰りを待っていますから」
どうか息災でと、心の中で呟き、もう一度頭を下げて駆け出す。







自分は自分にできることを精一杯頑張ろう。
イルカには暗部が勤めている仕事はできないけれど、里の中を少しずつ良くすることはできるはずだ。
こんな悲惨な任務が起こらないように、そして里に帰れず、何年も外を駆ける忍のためにも、留守をしっかりと守っていこうと、イルカは真っすぐ前を見詰める。
視線の先に、隊が見える。
皆、早く帰りたいだろうに、ゆっくりと歩を進ませるのは怪我人や病人を伴っての行軍だからに違いない。
やはり木の葉の者は皆、家族だ。
どんなに傷つこうとも、お互いを思いやる気持ちが確かにそこにあるのだから。
それを育んでくれた木の葉の里を愛おしいと思う。








隊へ合流するため、自分の忍登録番号と名前を叫ぼうとした時。
走っている進行方向に、白煙が立ち上る。瞬身だ。
慌てて足を止めようにも、距離が近すぎて勢いを殺せない。
ぶつかると目を瞑った瞬間、腰に手が回り、走り込んだ勢いを殺すように体が回転した。
一体何だと驚いて、目を見開いた瞬間。
影がイルカ覆い、柔らかい感触が唇に触れた。
軽く押し当てるだけの唇が、ちゅっと音を立てて離れていく。
ぴきりと固まるイルカの目が光を捕える。
太陽の光を受け、きらきらと銀色の光を放つ。その真ん中で、赤と紺の瞳を細め、にやりと悪戯を成功させた子供のような笑みを浮かべた男が、イルカに言った。






「これが俺の傷の慰謝料代わりでもらっとくよ。でさ、何年後になるか分からないけど、俺が一般の任務受け持つようになったら、あんたに会いに行くよ。だからそのときはさ、『おかえり』って俺を出迎えて」
「で、これが約束の証」と、もう一度下りてきた唇を受けた。






「それと、あの呪文は本当だよ」と唇が離れる直前に小さく囁かれる。
何かを思う間もなく、マスクを上げ、瞬身で去った男に、イルカは尻もちをついたまま、真っ赤な顔で固まった。
瞬間、見た顔が頭に焼きついて離れない。
大した美青年だった。百合の花にも負けぬ劣らぬ美しさを備えていたが、いかんせんあの歪んだ笑みが男を単なる美青年として見せてはくれない。
まるで美しい悪魔のようだった。それも自分の美を武器にして、人を誑し込むことに秀でた、極上の悪魔。
暗部の顔を見ても良かったんだっけ、いや、それよりも俺、今、何されたと回らない頭でぐるぐる考えながらも、イルカは口に出して叫ぶ。






「し、仕方ねーから、受付任務にもついてやらぁぁぁ!!! 会いに来なかったら承知しねぇぞ、この色魔ッッ」
張り上げた途端、近くで笑い声をあげながら遠ざかっている男の声を聞きつけ、イルカの胸がつきんと痛んだ。
それは痛みと同時に、甘さも含んでいて、切なくて仕方なかった。









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君がいる世界 18