「……髭…、あんた知ってたの?」
上忍待機所でたむろする者たちを殺気で追い払い、図太い髭だけになったところで口を開いた。
大股を広げてソファにもたれ、ぷかーと白い煙を吐く髭が、視線だけで俺に問う。しらっばっくれんじゃないよと、髭の横に座り、眦をつり上げた。
「イルカ先生と、暗部時代に会っていたこと! おまえ、知ってたでショ!!」
俺の言葉に、髭の目が見開いた。何なの、その反応は。
眉根をひそめる俺に、髭はくわえた煙草を抜いた手で指をさしてくる。
「……気づいて、やってたんじゃねーのか?」
「はぁ?」
質問を質問で返すなんて一体どういう教育されたんだと、むかついていれば、髭はしばらく呆然としていたが、突然頭をかきむしり立ち上がった。
「あー、面倒くせぇッ! 何かおかしいとは思っていたが、とんだ見込み違いだぜ」
吐き出すように呟いた後、髭は指を突きつけてきた。
「オメェ、いい加減に真っ正面から向き合えッ。何でもかんでも逃げてんじゃねぇ」
とっさに反応できなかった。
猫の身でイルカ先生のところにいることを暗に言われた気がして、視線を逸らしてしまう。
「わ、わかってーるよ! だから、今、ちゃんと向き合おうと努力してるでショ」
ここ数日間、俺は、はたけカカシとして先生を誘って飲みに繰り出している。日程が合わない日は大人しく引き下がってるけど、その日以外は一緒に過ごしている。
だから、逃げている訳ではないと視線を戻せば、アスマは苦虫を噛み潰した顔で「だといいがな」と呟いた。
そのまま黙りこくる髭と一緒にいるのが息苦しくなって席を立つ。髭が意図的に黙っていたのでないなら、それでいい。
待機所から出ようとする寸前、呼び止められた。
振り返れば、アスマは珍しく真面目な顔をしていた。





「簡単に諦めんな。さもないと、オメェーー」










「カカシ先生、どうしたんですか? 今日は浮かない顔してますねー」
日課となったイルカ先生との飲み会。
今日はやけにピッチの早かったイルカ先生が珍しく酔っ払い、それが心配で送ることとなった。
スキップを踏むイルカ先生の髪が上下に揺れる。
楽しそうな先生を眺めながら、俺は「そうですか?」と首を傾げた。
「そうですよ」と勢いよく振り返った体が、ぐらりと傾く。危ないと腕を掴んだ瞬間、イルカ先生は一瞬体を硬直させた。
間近に見た瞳が揺らめいて、俺を見上げる。酒に酔ったせいか、瞳が潤んでいた。
闇に没すはずの黒い瞳は何故か輝いていて、綺麗だなと思う。
「ははは、すいません、大丈夫です。ちょっと足がもつれただけですから」
もっと見ていたかったのに、イルカ先生は顔を伏せると、俺の手に軽く手を添えて離せと促した。
嫌だと言う訳にもいかず、俺は手を離す。けど、心配だからと嘯いて、先生に寄り添うよう並んだ。
「カカシ先生って、案外心配性ですね」
いっそのこと肩を組んで、腰に手を伸ばそうかと思っていたら、イルカ先生の笑い声が弾けた。あまり言われ慣れない言葉に目が見開く。
「そうですか? 初めて言われましたよ、そんなこと」
「だって、俺、男ですし、一応中忍ですよ? 酒に酔っているとはいえ、家まで送るだなんて」
白い歯を見せて笑う先生に、そんなことと思う。
「いいじゃないですか。もう少しイルカ先生と一緒にいたかったんですよ。送るってのも口実です」
笑って視線を向ければ、先生は一瞬眉根を寄せたけど、すぐさま大声で笑った。
「冗談きっついですよー! こんなもさい男と一緒にいたいって、カカシ先生何考えてるんですかー。あ、っと」
視線を上げた先にアパートが見える。
イルカ先生は一歩大きく前に出て、今度はよろけず綺麗に回ると、頭を直角に下げた。
「おかげさまで無事に到着いたしました。ありがとうございます」
「いえいえ、ご無事のご帰還何よりです」
お互いかしこまったことがおかしくて、笑って顔を上げる。
顔を合わせて、少し黙った。
何か言いたくて、でも掛ける言葉が見つからなくて、後頭部を掻く。
技や術の名前なら一晩中でも言い続けることができるのに、イルカ先生の気を引きそうな話題は何も出てこない。
何て役立たずなと、自分の会話の引き出しの貧困さに呻いていれば、今日もまたイルカ先生から終わりの言葉を告げられた。






「それじゃ、カカシ先生。おやすみなさい」
にっこり笑う先生に、ちょっと眉根が寄る。本音を言えば、もう少し喋りたい。もっと側にいたい。
「――ええ。イルカ先生、おやすみなさい」
けれど、俺の口は今日もまたイルカ先生の言葉をなぞるだけだ。
くるりと向きを変えて歩き出す。首を後ろに傾ければ、イルカ先生が小さく手を振っていた。それに俺も手を振り返して、前を向く。
先生の気配はまだ去らない。俺の姿が見えるうちは、先生はずっとあそこで手を振り続けている。
角を曲がる直前に、もう一度振り返って手を振る。すると先生は嬉しそうに大きく手を振った。
それを目に収め、俺は角を曲がってイルカ先生の視界から姿を消した。







さぁ、ここからが勝負だ。
俺の姿が見えなくなった途端、イルカ先生の気配が全速力でアパートへと向かう。カンカンカンと古びた鉄の階段を上る音を耳にとらえながら、素早く変化して無我夢中でアパートへと突っ走り、壁を垂直に駆け登る。
あと3m。2m。30cm。
バタンとアパートの扉が閉じる音と同時に、窓から部屋に滑りこむ。
イルカ先生の荒い呼吸を聞きつつ、ゆっくりと窓を閉め、跳ねた息を整え、俺は何食わぬ顔で先生を出迎えに玄関へ出た。
「にゃーん」
おかえりー。
玄関口で座り込み、扉に背中をつけている先生の膝へ顔を擦りつけた。ごろごろと喉を鳴らせば、先生の顔が上がる。
「……ビジン」
そう呼ぶ先生の声は、今日も涙で湿っていた。
俺の体をゆっくりと引き寄せ、抱きしめられる。落ちる涙が背中に伝う。声を押し殺して泣く先生を慰めるように、頬へすり寄った。







先生は、俺のことを好きだと言った日から、はたけカカシと飲んだ後は必ず泣いた。
訳を言ってくれることを期待して、俺は擦り寄るのだけれど、先生は口を閉ざしたまま俺を抱きしめ、声を出さず静かに泣く。
その泣き方は痛くて物悲しくて、胸を締めつけた。
けれど、俺は先生を泣かせると分かっていても、先生を誘わずにはいられない。
いつかはたけカカシとしての俺に、過去の話、今の先生の気持ち、そして泣いていることを全て話してくれないかと願うのだけれど、先生ははたけカカシには笑顔で接する。
何も哀しいことはないと、毎日楽しいんだと、笑顔で話す。






「にゃー」
先生は難しいね。
声を掛ければ、先生は袖で涙を拭うと笑った。
「ありがとな、ビジン。お前にはみっともないところばっかり見せちまう」
「よっし、腹減ったろ。何か作るな」と立ち上がる先生の後をついて行く。
朝しかけたご飯でおにぎりを、そして味噌汁を作ってくれる。先生ははたけカカシと飲んでいる時、ご飯ものを控える。
本当はお酒と一緒にご飯食べちゃう人なのに、俺とご飯を食べる時間を作るために、最近は我慢してくれる。
卓袱台に並ぶおにぎりと、豆腐とわかめのお味噌汁に漬物。
畳の上に置かれたお盆にも同じものが並ぶ。もちろん、俺のだ。
それを一緒に食べながら、「おいしいな」と先生が笑う。俺もおいしいねって鳴く。その時だけは本当に嬉しそうな顔をするから、俺は嬉しくなって喉が鳴る。






いつも通りの毎日。
変化のない日々。
この後はお風呂に入って、一緒に寝るのが通常だった。
でも、今宵は違った。






風呂に入れない俺は、一足お先に寝台の上で毛づくろいするのが日課だ。
日中、上忍待機所にあるシャワー室で汗を流しているが、まぁそれはそれ、これはこれというやつだ。
丸めた手を舐めて、顔を洗って髭を綺麗にする。特に髭は重要だから、念入りに丁寧に梳る。
耳の後ろも忘れずに、丸めた手を引き寄せては舐めるを繰り返していれば、風呂場の方で呻く声がした。
びくりと体が跳ねる。
もしや連日連夜の誘いに、先生の鋼鉄の胃ももたれたかと慌てる。今日はやけに度数のきついものをばかばか飲んでいたから、風呂場で気持ちが悪くなったのかもしれない。だから酒飲んだ後の長風呂は控えろと言っているのに…!!
……通じてないけど。






寝台から下りて、風呂場に向かう。
こういう時、安普請のアパートは狭くて助かる。二秒もかからず脱衣所までやってきて、声をかけようとして言葉を飲み込んだ。
「――ん…ふっ……」
ん?
シャワーが床を打つ音に混じって聞こえる、押し殺した声。
聞き間違えかもしれないと、風呂場の擦りガラスの近くに耳を寄せた。
「あ…」
忙しない息に混じって、息を飲む声がした。そして、徐々に早くなる呼吸音。それに合わせるように、押し殺した声が後を追う。
鼓動が飛び跳ねた。
まさか、よもやと、ぐぐっとガラス戸へと体を近付ける。中を見ようと目を凝らすが、擦りガラスはぼやけた肌色を映すだけで細部まで見通すことを拒んだ。
何故、俺の目は白眼ではないと心の中で罵りながら、それでも見えないかとガラス戸を睨む。
その間にイルカ先生は佳境を迎えたようで、時折押さえ切れない嬌声が漏れ出た。
追いあげる声に肌がぞくぞくとした。勝手に上がる呼吸音が先生の声を邪魔しそうで、俺は跳ねる息を何とか押さえこもうと必死になる。
そして、その瞬間がやってきた。







「っっ、カカシ、せんせ」
先生の息が止まった直後、甘い声を出しながら俺の名を呼んだ。
そのとき沸き上がった凶悪な衝動は、今までの根底を揺るがすには十分だった。
今すぐこの戸をぶち破って先生を貫きたい、だなんて。







シャワーの音に混じり、こだまする荒い息に誘われるよう顔をあげた。
喉が渇く。感情は凪いでいるのに、焼きつきそうなほど体が熱い。鼓動が視界を揺さぶる。
息が苦しくなって口を開ける。さぁ、どうしようか。
そんな問いかけが頭の中を駆け巡る。
擦りガラスの取っ手を見上げる。
あそこを開ければ、先生がいる。さっきまで淫らなことをしていた先生が。
腰を上げる。その先に待つ甘美な快楽を求めて、一歩踏み出した時。







「っっ!」
湯煙と共に先生が現れた。いつも高く括っている髪を下ろし、切っ先から滴を垂らしている。
上気している肌が艶めかしい。わずかに上向いた顎から喉を描く曲線が綺麗で噛みつきたくなる。
逃げることも忘れて見つめていると、不意に先生の顔が振り向いた。
俺を認めて先生の顔がぎょっとする。そして、顔を真っ赤に染めた。
「お、おまえ! いつからそこにッッ」
言われた瞬間、脱兎のごとく逃げ出した。
頭の中ではわーわーわーと意味のない声を叫び続ける。






俺、どーしちゃったの?!
ずぼっと寝台の布団へ顔から潜り込み、ぎゃーすと声にならない叫びをあげた。
イルカ先生は俺を好き。うん、それは別にいい。
イルカ先生は、自慰は風呂場でする。うん、これも別に良い。後かたづけ楽だし、先生だって健全な男なら抜くときは抜かないと体に悪いもんねッ。
イルカ先生の自慰のおかずは俺だった。うん、それも……。






頷こうとして、うわぁぁと頭を振る。いやいやいや、落ち着け、俺ッ。
確かにイルカ先生は好ましいよ。でも、俺はそういう目で見ている訳じゃない訳よ。うん、そうよ。全然、そういう目で見てる訳じゃなかった訳よ。
でも……。





『カカシ、せんせ』
耳にこびりついた甘い声に、背筋が震える。
放った瞬間の顔が間近で見たかったと、舌なめずりをしたあのときの俺は一体何だっていーうの?!
おまけにばっちり煽られちゃってるし!!






猫の性器は普段は外に出ていない。そういう場合ときのみ出てくるようになっていて、しまわれたままになっているのに。
俺のそれは完璧に出ていた。隠しようもないほどばっちりと出ていた。
わーわーわー!!






何とか収めようとするのだけれど、妙に気が焦るわ、変化しているせいかうまくいかないでまごついていると、襖を開けてこちらに向かう気配が感じられた。
びくりと体が跳ねる。
どきどきして様子を窺っていれば、どすんと寝台に座り、わしゃわしゃとタオルを動かす音が聞こえてきた。
……先生またドライヤー使わずに自然乾燥させるつもり…? それだと朝の手入れが大変だし、髪も痛むっていうのーに。
全く困ったものだと、現実逃避する俺に、先生が声をかけた。
「……ビジン。顔、出せ」
固い声音に、びくんと体が震える。出たくなくて、じっとしていると、先生は有無を言わせぬ強い調子で、もう一度俺の名を呼んだ。
「ビジン」
そこで仕方なく俺は枕元へとほふく前進し、顔だけ出す。無論下肢は布団の中だ。絶対隠し通してみせると気合いを入れて先生を見上げて驚いた。
先生は真っ赤な泣きそうな顔で、俺を見下ろしていた。
思ってもみなかった先生の反応にぽかんと口が開く。そんな俺を見て、先生は何を思ったのか。髪を拭いていたタオルで顔を隠し、消え入りそうな顔で懇願してきた。
「ビ、ビジン、頼むから今日のことは誰にも言わないでくれッッ。も、マジで頼みます、ほんと、ほんとに頼むッッ」
なっとタオルから顔を出して、俺の顔を見つめる先生。
それに俺はぼけっとしたまま小さく答えた。
「…にゃ」
「ほ、本当に本当か?!」
必死にこちらを覗きこむ先生に、俺はもう一度頷いた。
「にゃ」
すると先生はへにゃーと寝台に倒れ込むと、うぅぅとうめき声あげながら良かったと寝台に顔を押し付け、何度も左右に振った。
見詰めている俺に気づいて、先生は未だ顔を赤らめたまま、視線だけ俺に寄越し、上目遣いで再度念を押した。
「本当に、ほんとーに、言っちゃダメだぞ! 約束だからなっ」
潤んだ目が俺を睨む。機械的に「にゃ」と返せば、先生はふにゃりと笑って、「いやーびっくりした、びっくりこいた! まぁ、俺も男だからそのなんだなんだー」と妙に明るい声をあげ、俺が寝ている隣へとごそごそ布団へ潜り込み、俺から背中を向けて「おやすみー」と言った。
しばらく居心地悪そうにもぞもぞしていたが、先生はやがて寝息を立て始め、深い眠りについた。






先生の寝息を聞いて、俺はようやく我に返る。
どきどきとあり得ないほどの鼓動を刻む心臓を押さえ、何なんだと呻いた。
顔が熱い。くらくらしそうなほど体温が上昇し、肉球から汗が染み出る。
てっきり叱られるかと思いきや、先生は生娘かというほど恥ずかしがっていた。普段は男らしすぎて親父臭いと言われる人なのに、頬を真っ赤に染めて、黒い瞳に涙を盛り上がらせて、あり得ないほど恥じらってみせた。






なんだアレ、なんだアレ、なんだアレ、何だアレーーー!!
思い出してのたうち回る。
信じられないことに、先生の恥ずかしそうな顔を見て、かわいいと思ってしまった。
ものすごくかわいい。そして、食べてやりたいとも。






自分の下肢は未だ衰えを見せず、逆に力付いたようだ。
背中を向けている先生を見る。
息に合わせて、上下する肩。
濡れたままの髪から覗くうなじは、噛みつきたいほど魅力的に見えた。
ごくりと喉が鳴る。
あーぁと思う。
あーぁ、バカだねぇと心底思った。
こんな得体も知れない猫なんて懐に入れちゃうからだーよと、これから起こることを思い、うっそりと笑う。
変化を解いた体を受け止め、寝台がみしりと鳴った。






先生が悪いんだーよ。
こんな野良猫拾っちゃうから、こういう目に遭っちゃうの。
隙なんか作っちゃうから付け込まれるんだーよ。
あーぁ、なんて可哀想な先生。





口に笑みを刻み、欲望のまま無防備に眠る肩を掴んだ。











戻る/ 21




次は、初っ端から軽いエロ入りまーす!
15禁くらいかしら……?







君がいる世界 20