生まれて初めて一目惚れを経験した。

見た瞬間、電撃が走り、息は止まり、衝撃に耐え切れず心臓が焼ききれるかと思った。
その人がそこにいるだけで、全身が痺れる。存在が強烈過ぎて、俺の頭はうまく機能してくれない。
なのに、目も耳も、体のありとあらゆるものがその人だけに向けられ、必死にその人の情報を得ようと貪欲に求める。

知りたい。触れたい。好きだ、欲しい。会いたい。泣きたい。ずっと、ずっと側にいたい。

そして、俺は真っ白な頭のまま、ぽろりと口に出した。


「好きです。結婚してください」


俺の言葉に、空気が凍りつく。ギャラリーたちが絶句する様も気付かぬまま、俺は一心にその人だけを見つめていた。


その人は唯一覗かせた目を細めて、一言言った。


「ごめ〜んね、ホモはムリ」


すぱんと言い切った言葉に、脳裏へ瞬殺という二文字が躍る。
いっそ清々しいと思えるほど、俺は大人ではなく、風に吹かれ、はらりと花びらが散るように、自分の意識が散るのを感じた。
遠いところで同僚たちや周りにいた人がやたら俺の名を呼ぶのが聞こえたが、俺はそれに応える気力すらなく、暮れゆく意識に身を任せた。



人生初の一目惚れ。
その相手に完膚なきまでに玉砕した俺。


ホモという不名誉な二つ名をおまけにして――。




一目






「でね、でね、あいつら『全然上忍らしくない』ってブーブー文句言っちゃうんですよ〜。オレが全部したら、それこそ任務の意味ないっていうのにねぇ。それなのに、ちっとも分かってなくて――」

ほうほうと相槌を打ちながら、俺はおかわりと差し出された茶碗に飯を盛る。
どうぞと手渡せば、にっこり笑って「ありがとう」といい笑顔見せるこの男はほんっとうに何も分かっていないと、胸のうちで泣きながら、それでも惚れた弱みのせいか、嬉しくて顔がにやけて下がる己の顔に無言で拳を埋めたくなった。

うみのイルカ、26歳。ただ今、振られた相手にいまだ絶賛片思い中の痛い男だ。


今日の夕飯は、炊きたてご飯に、ナスの味噌汁、秋刀魚の塩焼き、ほうれん草のお浸しと、漬物。
肩書きに似合わず、案外、質素な和食好きという、好いた男のためにしゃこしゃこと得意でない料理を作る(しかも男の好物なものを!!)俺って何て健気なんでしょう。


仕事から帰って嫌な顔せずに、手間暇かけて料理作る奴なんて、いまどき女の子でも少ないのではないかと思う。
きれいに秋刀魚の身を骨から外し、嬉しそうに口へ運ぶ男を、思わずうっとりと眺める。



青灰と赤い瞳。象牙色の肌理細やかな肌、柔らかそうな銀糸の髪に、長い睫毛。しゅっと走る整った鼻筋。その下では、薄い唇が動き、秋刀魚を租借している。時折、覗く歯は光を放つかのように白く輝き、俺の目を眩ました。
女性、男性という枠を越えた美を体現したかのような男の素顔を、初めて見たとき、俺は腰を抜かしてしまった。


一目惚れだけあって、覆面した男の顔はまったく知らなかったのだが、こんなに整っているなんて、とんだ誤算だった。…まぁ、綺麗にこしたことはないが、それだけ競争率もあがるのも事実なわけで………。


はふぅとため息を零した俺に、男は普段つけている額宛も口布も外した顔で、満面の笑みを浮かべて言った。
「大丈夫で〜すよ。オレがついてるんだから、あいつらのことは任せてください。怪我一つ負わせませんよ」
俺の悩みなど知らず、さわやかな笑みを浮かべる男が少し憎い。こんの男前めッ、その顔で一体何人女を口説いてきたと胸倉掴んで罵ってしまいたい。


ほろほろと己の悩み事に没頭していたせいか、一瞬、男が何を言っているのか理解できなかったが、すぐに、明日の里外任務についてのことを指しているのだと気がついた。


届け物の任務だそうが、俺の元生徒にとっては初めての里外任務になるため、興奮気味にはしゃいでいたことを思い出す。
真っ赤な顔で頑張るとやる気を見せる黄色の愛しい子と、足を引っ張るなよと憎まれ口を叩きながらも楽しみな様子が隠せない黒い頑張りやな子と、それを見つめてかっこいいと恋に夢中な桜色の賢い子。
ついさっきのことを思い出して、笑いながら頷けば、男もにっこりと笑って、「じゃ、そろそろ帰りますね」と暇乞いを告げた。


もうそんな時間かと、心の中の俺は地面に向かって沈む勢いで落ち込む。

立ち上がって三歩も進めば玄関の、そんな狭い廊下で俺は「それじゃ、また」と確かな約束もせずに、去っていく男の後姿を見送った。ついつい名残惜しくて、外廊下までふらふらと出て、華やかな夜の町並みに吸い込まれていく男の背中を見て、俺は内心で叫ぶ。


(また、花街行きかぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!)
のぉぉぉぉと頭を抱えて、今見た映像を頭の中から閉ざすべく、猛烈な勢いで玄関の戸を閉めれば、隣の神経質なご近所さんから「うるせぇぞ、このホモ野郎がッ!」と噛み付かれた。


好きでホモやってんじゃねぇやい! と心で叫んで、その場にへたり込む。土間に直に座るので、尻が冷たい。でも、俺の心はもっと冷たく冷え込んでいる。


視線を上げれば、二人っきりで食事をしていた幸福の残骸が見える。ちょっぴり寂しくなって涙が出そうになったが、今日はあの舌の越えた男が「塩加減がちょうど良くてうまい」って、ご飯もお代わりしてくれた! やっぱ、塩をワンランク上のものにして良かった! 俺、良い仕事した、今日は良い仕事したなッッ!!


あははははははっははと空元気に笑ってれば、隣のご近所さんが壁を叩いてきたので、こっちも負けじと叩き返してやった。
笑うくらい別にいいじゃねぇか、テメーだって深夜、ビデオのおねぃさんのあられもない嬌声を突如響かせてやがったじゃねぇか!! 俺は、そんときテメーの心情を慮って何も触れなかったんだぞ、恩を仇で返す気か、テメー!


ダンダンダンと力いっぱい叩けば、終いには、ボロアパートの天井からぱらぱらと何かが降ってくるのに気付き、俺は手を止めた。


お隣さんはからもうとっくに反応ない。俺の怒りのボルテージ具合に気づいて、怖気づいたのだろう。


………あぁ、分かってるさ。あぁ、分かってるさ、これは嫉妬だ。男が今から抱きにいく女相手に、女々しくも嫉妬してるんだよ、俺は。分かってんだよ、こんちきしょーーーーーーッッ!!!


うがぁぁあぁぁと身の内に燻る思いを奇声に乗せて喚けば、おとなりさんから「ヒィッ」と恐怖に引きつった声が漏れ聞こえた。
そのことに俺のイライラは刺激され、俺は我慢ならずに叫んだ。



「くそぉぉぉぉぉ!! こんな関係、間違ってんだろ、コンチキショーめッッ」



遠くで、犬が応えるようにあおぉんと一声鳴いた。




戻る/


----------------------------------------