きっと明日は幸せ 3

「あんたさぁ〜、本当〜に泥被るのがうまいわよね。ここまでいくと一種の才能よね。才能ッッ」
くっはぁ〜と実に気持ちよさそうに息を吐きながら、酒を煽った女が俺の背を叩く。
痛い。でもそんな痛みよりも、妙齢の女性が足を大っぴらに広げるのは、如何なもんかと俺は思うわけですよ。


カカシ先生が帰った後、入れ代わるように俺のアパートのドアを叩いたのは、かなりできあがっていた紅さんだった。
無言で膝へとバスタオルを被せた俺に、夕日紅先生は「やだっ。何、ドキドキした?」としなを作ってみせる。
確かに色っぽいが、本性を知っている俺には全く効かない手だ。
「はいはいはい、紅先生はお綺麗ですね〜。男なんてイチコロでしょうね〜」
紅先生が持ってきた酒を勝手にコップに注ぎ、俺もまた飲む。
くぅぅ、うまい! 紅さんが持ってくる酒って、どれもうまいんだよなぁ。さすが飲兵衛!!
心の中で賞賛を送っていると、「つま〜んな〜い。ここはガオーって襲ってくるところでしょう?」とぶすくれた顔を作る紅さんがいた。
「……本当に襲ったら、俺の男としての機能は瞬殺されてますよね?」
「えへv」
こてんと頭に拳を置き、可愛らしく首を傾げるが、目が本気だ。
あぁ、怖い。外見に騙されて、再起不能になった男たちを知っているせいか、俺は紅さんの毒牙にかかったことはない。
つい、あのときの断末魔の叫びを思い出し、男の大事な部分がきゅっと萎縮する。…紅さん、容赦ないんだもんな……。


「………お前ら、本当に仲いいんだな…」
俺と紅さんの会話を今まで黙って聞いていた、もう一人の被害者が煙草をふかしながら、こちらを呆れたように見遣っている。
「まあ……何と言いましょうか…。腐れ縁という言い方が一番しっくりくるかと…」
ぽりぽりと頬を掻けば、紅さんは突如、声を荒げた。
「何よ、腐れ縁って! 私はね、イルカ、あんたのことを実の妹みたいに可愛く思っているんだからッッ。おねぃちゃんのこの気持ち、分かるでしょ?!」
立ち上がり、胸を掻き毟るようにして、オーバーリアクションをしてみせる紅さんに、俺は冷静に受け止める。
「アスマ先生、紅先生は一体どのくらい飲まれてこちらに?」
「…まぁ………10升以上だな…」
じ、10升!! 一体、どこにそんな水分入るんだよ、その細っこい体にッッ!! っていうか、紅さん、酒にはうるさいから安酒なんて絶対呑まないし、となったら、
今日一晩で……に、20万以上は軽く……?!
一ヶ月の俺の稼ぎに肉薄するかという事実に、声を失っていれば、アスマ先生がため息混じりに吐き出した。
少し苦いような、特有の匂いが鼻先を掠める。
「分かってるだろ…? あいつも心配してんだよ。だいたいどうして、よりにもよってアレにいくかねぇ…」
揶揄するような気配もなく、ただ淡々に言うその口調に、アスマ先生にも心配をかけていたのだということを知った。
一歩外に出歩くだけで、容赦なく突き刺さる悪意の中、何とか平常心を持って今までの生活を支障なく送れてこれたのは、紅さんやアスマ先生、そして、周りにいる同僚たちの温かい眼差しのおかげだ。
いい人たちに囲まれて、俺って幸せな奴だったんだなと、案外己の状況がさほど悪くはなないことに気付いて、俺自身もびっくりしながら周りの人に感謝した。


「そうですねぇ。俺も実はびっくりなんですよ。俺はおっぱい星人だとばかり、思ってましたからねぇ。まさか真ッ平らな胸板に欲情するとは思いもしませんでした。同じ性の、同じものぶら下げている野郎に惚れるとは…」
ちびりちびりと酒を飲みながら感慨深く呟けば、アスマ先生は頬を引きつらせた。
「……イルカ。オメェ、案外、毒持ってんだな…」
「毒? やだなぁ、アスマ先生、毒持ってんのは、クノイチでしょ。全く人の思い人を夜な夜な誑し込ませるなんて、全身、いや心の奥底まで毒仕込んでなきゃ無理でしょッ、いてッ」
花街に消えていった背中を思い出し、ぐちぐちと言えば、紅さんに脳天を叩かれた。
「指導ッッ! クノイチを馬鹿にする発言は許さないわよッッ。悔しかったら、あんたもアイツを誑し込ませるような毒を仕込みなさいッ。負け犬の遠吠えなんてやってる暇があったら、実践あるのみよッッ」
炎すら見えるのではないかという瞳の輝きに触発された。
「じ、実践。そうか、その手があったかッ!! 変化ッ」
「な、イルカ?!」


素早く印を組み、ぼわぁんと煙が晴れたそこには、女性に変化した俺。
ぼんきゅぼーんの、下ろしたストレートの髪長に、甘い顔をした、いわゆる幼い顔の癖に体は一人前という奴だ。
俺の貧相な頭では女性の服までは補うことは出来ず、忍び服のままだったが、これでどうですかと、俺は紅さんに審査を願った。
「どうです、紅さん! 俺、毒のある女になれましたか?!」
握りこぶしを作り、詰め寄れば、紅さんは難しい顔をして腕を組み、「歩いて、回って、そこでターン。はい、笑顔」とどこぞのモデルの審査員並みに指示を出してきた。
すべての指示を完璧にこなし、どうだと胸を張る俺に、紅さんはやおら俺の両肩を掴むと深々とため息を吐いた。
「あんた、馬鹿ねぇ。そういうのは、こうして、ああして、こうよ!!」
俺の手を握り、印を組む。
え、そこがこうで、あれがああって、えぇぇ? そうします? 普通。
紅さんの意図に気付いて、ブーイングするより早く、印は完成して再び煙があがる。
煙が晴れたそこには、俺。
もっさい俺がまんま女になったような、性別だけ変えただけの女がそこにいた。
体型を見れば、胸はあまり大きくない癖にやたらと腰が張っている。いわゆる安産型で、一応引き締まっていはいるが、何だか野暮ったい感じだった。
「紅さーん。俺にも少しは夢見させてくださいよぉ」
せめて変化のときは絶世の美女とか、小悪魔なかわいい女でいたいと嘆けば、握りこぶしを作った紅さんに全身で否定された。
「何、馬鹿言ってんのよ、イルカってば!! こぉぉぉんな可愛い子、他にはいないわよ―――!!!!」
鼻息が荒い。ただならぬ形相に腰を引けば、それより早く手を握り締められ、真正面から見つめられた。
「日に焼けた肌。丸い大きな黒い瞳。流れるようなストレートの黒髪、いかにもたおやかで女らしい体つき。思わず抱きしめたくなるような安堵感を覚える肉感…! どれをとっても、今時のクノイチじゃ出せない、純朴な美しさがあんたにはあるのよっ。あぁ、かわいい、かわいいわ、イルカ! 私をおねぃさんvって呼んでもいいのよ?!」
わー、ハイテンションだね、紅さん。
期待に目を輝かせる紅さんに押し切られ、俺はしぶしぶ口を開く。
「ね……ねぇさん」
照れくさくて、思わず笑ってしまう。すると、紅さんは、うっっと小さく呻くなり、突然抱きついてきた。
「イルカぁぁぁぁぁ、もぅ、アレにあんたはもったいない!! 私が良い男見繕ってあげるから、あんなロクデナシは止めなさいッッ。あぁ、可愛い、可愛い、かわいいー!」
「ぎ、ぎぶぎぶぎッ――!!」
本気で抱きつぶしにかかった上忍の力の何とすさまじいことか!
あばらの一本でもいかれちまいそうな圧力に加えて、今は女の身である自分に対抗する術はなかった。
「おいおい、止めろ、止めろ。面倒くせぇな。…魂抜け出てるぞ」
白目を剥き出しに、ぐったりとしているところをアスマ先生に助けられた。
満足にできなかった息を夢中でして、咽ていると、大きな手が背中を撫でてくれる。
「す、すいません、アスマ先生。助かりました…」
げほげほと咳き込み、振り仰げば、一瞬手が止まった。
眦に浮かぶ涙を拭い、よくよく見ればアスマ先生は何故か固まっている。
どうしたのだろうと首を捻る俺に、紅さんが嬉々として耳打ちしてきた。
「イルカッ、チャンスよ、チャンス! クノイチの極意って奴を教えてあげるわ。隙を見せた男にこう言ってやれば、イチコロよ」
にやりと凄みのある笑みを見せ、指示を出す。ふんふんと頷き、俺はひとまず実践してみることにした。
我に返ったらしいアスマ先生が、ぶつぶつと独り言を繰り返す中、俺はアスマ先生の肘あたりをきゅっと掴み、心持ち前傾姿勢で言ってみる。
「…お願い、優しくして」
このときのポイントは微かに首を傾げ、唇を開き、眉根を軽く寄せ、男の目をじっとみることが肝要らしい。
ブッと、煙草を吹き出したアスマ先生に、紅さんは大喜びだ。
「やっだぁ、もうアスマってば、分かりやす〜い! やっぱアンタ、こういうのがタイプなんだぁ」
あははははははと大笑いする紅さんに、アスマ先生は珍しく顔を赤らめて必死に否定している。
「ば、馬鹿言うんじゃねぇ! イルカの柄じゃねぇから、調子狂っただけだッ。この、酔っ払いどもがッ」
「またまた〜」と笑う紅さんに、アスマ先生はそりゃもう必死だ。俺、思うんだけど、紅さんて絶対鈍いよな…。
調子に乗って、今度はアスマ先生の女版が見たいと言い出した紅さんに、強制的に手伝いを命じられ、抵抗するアスマ先生を追い詰めていく。
何だか楽しい。子どものときに返ったような無邪気さでアスマ先生に飛びつき、あせった声を出しながら逃げようとするアスマ先生に体で追いすがる。
もう笑いが止まらない。
一人だけ迷惑そうなアスマ先生を除けば、俺と紅さんは生き生きと楽しんでいる。どたばたと忍にあるまじき様で騒いでいたら、突如、ドアが開いた。


夜風が室内に入り、気持ちのいい風が顔を過ぎる。
大笑いする紅さんの声が開け放たれた外へと響いていく。
夜も遅いというのに馬鹿騒ぎをしてしまったために大家さんに通報されたかなぁと酔った頭で考え、考え、ドアへと視線を向ければ、そこには大きく肩で息をするカカシ先生の姿があった。
「あれ、カカシ先生、忘れ物ですか?」と俺の言葉が出る前に、ばちーんと横でものすごい音が鳴った。
キィーンと響く耳を押さえれば、カカシ先生の背中が間近に見えた。そこにはアスマ先生がいたのにと首を傾げていれば、奥から舌打ちが聞こえる。
「初手から腕つぶしに掛かるたぁ、どういう了見だ?」
「そんなの自分の胸に聞いてみなよ、髭」
笑いを含んだ声なのに、妙に空気が殺伐としている。
何がどうなってるのか分からずに、きょろきょろと周りを見渡せば、部屋の隅で距離を取った紅さんが顔を覆い、大いに嘆いていた。……何があったんだろうか…。
狭い部屋の中、カカシ先生は靴さえ脱がず、じりじりとアスマ先生と間合いを詰めていく。
緊迫する空気が肌に痛い。
あんなに楽しかった酔いが冷めてしまいそうで、何だか悲しかった。


一触即発の空気の中、その間に割り込んで、紅さんは声を張り上げた。
「はーい、止め、止め、おしまーい! アスマ、帰りましょ。とんだ闖入者のせいでぶち壊しよ。白けるなんてもんじゃないわ、失望の上に絶望よ」
ごろごろと転がる瓶を跨ぎ、自分のポーチだけ持って、紅さんは去っていく。えぇ、ここの掃除、俺一人ですんの?
アスマ先生に助けを求めてみれば、アスマ先生は一つ息を吐くなり、「じゃあな」と俺に向かって手を挙げ背を向けた。えぇ、アスマ先生もですかぁ。俺、アスマ先生はって信じてたのに〜。
「…あんなことされたのに、アスマが良いんですか?」
心の声が顔にも出ていたのか、カカシ先生が聞いてきた。
ちらりと横を見れば、女の俺からしてカカシ先生は見上げるほどでかい。ちぃ、女から見たら、ますます男前じゃねぇかと、くさくさした気分で俺は散乱した瓶を拾い上げ、片づけを始めた。このままだと朝、地獄を見るからな。
「どういう意味か、よく分かりませんけど…。アスマ先生は良い人ですよ。面倒見いいですし、優しいですしね」
俺が女に変化してるっていうのに、最後まで本気で抵抗せずに、じゃれつく俺を適当にかわしてくれたアスマ先生の優しさがくすぐったかった。
俺だったら、拳骨一発くれて終わりなのに、本当に優しいなぁと笑っていれば、腰に何かが引っ付いてくる。


あぁ、カカシ先生の悪い癖がまた出た。
思わずため息をつけば、一瞬、びくついた後、ますますぎゅっとしがみ付いてくる。
「…元に戻ってください」
小さな声で呟く声。
カカシ先生は俺に頼みごとをするとき、いつもこうして引っ付いてお願いしてくる。大の男がやるには少々絵面は悪いが、好いた男がやるとなったら話は別だ。
……か、…かわいい……vv
きゅぅぅんと胸を鷲掴みにされる俺。
もうこれをカカシ先生にやられた日には、俺は何でも全て叶えてしまいそうで怖い。たとえ、里を真っ裸でランニングしろとか、パンツを頭に被ってアカデミーに行けと言われても、嬉々として従ってしまいそう。
そんなとち狂った俺は、カカシ先生が常識人で良かったと、思わずにはいられない。
腰にひっつく頭を思う存分、撫で繰り回してやりたい欲求に駆られるが、指一本でも俺からカカシ先生に手を触れれば、取り返しのつかないことになるのは必死なため、俺は今日も涙を飲んで、鋼鉄の理性を更に増強して「はい、はい」と返事だけを返す。
男は好いた人の前では狼なんですよ? 分かっちゃいねぇだろうなぁ、この男は…。


印を組み、ボンと特有の煙を出しながら元の姿に戻れば、カカシ先生は安堵したように身を離した。
それを惜しいなぁと思いつつ、俺は座り込むカカシ先生を覗き込む。
「で、どうしたんです、カカシ先生? 何か忘れ物ですか?」
俯いているカカシ先生が不思議で、俺は生徒たちにするように目線を合わせて、ん? と笑みを浮かべて、促した。こういうときは焦らず、じっと待つことが大事なんだよな。
俯くカカシ先生の銀の髪が、安い電灯の光を受けているのにも関わらず、きらきらと光り輝いている。
深く俯いているせいか、普段は滅多に見えない耳の裏が晒されていた。


白い、抜けるように白い肌。
酒でも飲んできたのか、晒された肌には薄く赤みがかっていた。その様が色っぽい。
そこから何気なく視線を落とし、男らしく張った肩から、腕、握りこぶしを握って押し付けられた膝へと移動させる。
カカシ先生の目が気になって、見たい見たいとは思っていたが、こうして間近でじっくりと観察することは初めてのことだった。
いつもの忍服の上からでも、カカシ先生の鍛えられた肉体がうっすらと感じられる。
ぱっと見、俺のほうが筋肉質かなと思っていたが、それはとんでもない間違いだと気付いた。
カカシ先生の体は無駄のない筋肉に覆われ、まさに大型のネコ科のそれに似ていた。運動すればするだけ筋肉のつく、筋肉太りの俺とはまさに正反対の体だ。
裸なら筋肉のつき具合やら肌の張り具合やら、質感なんてものも全部分かるのになぁと、俺は考える。
そこで俺はようやく自分の異変に気付く。
あれ? 何だか、俺、息荒くないか? 何か、異様に熱心な目で見てないか? え、何々、俺、どうしてそんなに曝け出された耳裏ばっかり見てるのかな〜? 単なる耳だよ? 俺だって普通に持ってる耳じゃん、そんな、そんなもん見て、何……


ごくり。

勝手に喉が上下した。おいしそうと思っちゃってる頭が憎い。
うわ、うわわ!!何かついにやってきたっていう展開だ。これは、その、俺、完璧に、


欲情しちゃってるよぉぉぉぉぉぉぉおっぉぉぉおぉ?!!!!!



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次回、ぬるい18禁?です。