きっと明日は幸せ 7

「も、申し訳ありません!! 報告書をどうぞ」



何度も頭を下げ、手を出せば、報告書と一緒に手を握られた。
任務を終えたにも関わらず、余計イラ出せることをしでかした自分に怒りの鉄拳が打ち込まれるのかと、びびって目を瞑れば、上忍の男は俺の手を挟み込むように包むなり、小さく笑った。
「あんたは温かいな」
思わぬ言葉に目を向ければ、男はもう一度言った。
「あんたは温かいよ」



砂埃に塗れたぼろぼろの服には、ところどころ血の跡が残る。
声の張りや、肌の具合から見ても、俺と同い年くらいの男だろうと推測できたが、顔に張り付く疲労と濃くできた目の下の隈が、男を老けさせて見えた。
引きつるように笑う顔が痛々しかった。
その目に浮かぶ、諦めと悲しみの色がひどく切ない。
「悪い。いきなり男に手ぇ握られて、そう言われても気色悪いだけだな」
自嘲気味に笑い、離そうとした男の手をこちらから握り締め、真っ直ぐに見詰めた。
驚くように目を見開く男へ、俺は労わりを込めて笑みを浮かべる。
「はぎの上忍、あなたの手も温かいです。そして、強い。俺たちは、この手に守られている。お帰りなさい。長期任務お疲れ様でした」
最後にきゅっと手を握り、報告書を受け取り、頭を下げる。はぎの上忍の気配が揺らぐ。
一呼吸置いて、顔をあげたときの、はぎの上忍は年相応の顔に見えた。
「……ありがとう」
震える声と共に、はにかんだ笑みが自然と浮かんだ。
その笑みに、安堵の息が出た。



ようやく帰ってきた忍を見るたび、俺は受付任務をして良かったと思う。
長期任務、そして、陰惨な任務を遂行した忍は必ずといっていいほど何かを諦めた顔をして帰ってくる。
凶暴になったり、無表情になったり、陽気になったりと、表現する方法は人によって様々だが、瞳に浮かぶ感情は恐ろしいほど静謐で、無気力感に彩られている。
里の中に、大事な者がいる者はいい。その存在が、里の大門を潜ることにより本来の自分へと帰っていく。
だが、はぎの上忍のように、すでにその存在が失われた者がいる。
その人たちを迎え入れ、本来の自分に戻す手伝いをするのも、受付任務に携わる俺たちの仕事だ。
陰惨であり、人を人とも思わぬ所業を繰り返し、心身を磨り減ってまで任務を遂行し、世の汚泥に飲み込まれた時、自分が何者か分からなくなる瞬間が、忍という業を背負う生業をしているとき、不意に訪れる。
里の入り口である俺たちがまず受け入れ、一人ではないことを告げる。そうすることがどれだけ救いになるのか、大事な者を失っている俺たちにはそれがよく分かる。
だから、受付任務を行う者たちは、家族という温もりを失った者たちがつくことが多い。
『痛みを知るものだけが、人に優しくなれるのだ』と、受付任務に携わる前、火影さまにそう言われた。



「はい、結構です。はぎの上忍は、今日より三日間、休日となります。お疲れ様でした。ゆっくりお休みください」
「あぁ、ありがと。それより、その――!」
報告書に目を通し、不備がないことを告げれば、はぎの上忍は何かを言いかけ、顔を真っ青にして出入り口へと飛び出た。
もしかして、任務の合間に忘れていた彼女のことを思い出したのかもしれない。
女性には信じられないと憤慨されそうだが、男というものは、二つのことを同時にこなすことはできない生き物だ。だから、長期任務ともなれば、任務に没頭するあまり、里に残した恋人の存在を忘れたりする者がいる。
その点、くのいちは大したもので、誰が大事か常に心の中にその存在を刻み付けている。
そういう違いがあるせいか、任務遂行後に無気力になる割合は、圧倒的に男の方が多い。
前に、そのことを紅先生に話したが、「ただ単に男が弱いだけよ」と一刀の元に切り捨てられたため、それ以降、俺の持論は日の目を見ることはなかった。



任務帰還者たちを出迎えている内に、はや夕暮れ時になった。
受付の交代時間を迎え、申し送りをした後、帰途に着く俺に、受付の同僚が呼び止めた。
「なぁ、イルカ…」
気難しい顔をして俺の名を呼ぶイロリに、顔を向ける。
「ん、なんだ?」
「その…、オレが首を突っ込むことじゃないってことは分かってんだが、はたけ上忍と何かあったのか? ……振られたとはいえ、ちょっと前まであんなに仲良かったのに…」
言いにくそうに、それでも俺の目を見て真剣に尋ねてきたイロリの人の良さに、破顔してしまう。
くつくつと笑って、イロリの首に腕を巻きつかせ引き寄せた。
「俺って本当に幸せ者だなァ。ダチには相当恵まれたよッ」
照れもあって、子供たちにするように引き寄せた頭をわしゃわしゃと掻き混ぜる。すると、イロリは茶化すなと憤ってきた。そんな反応にますます顔が緩む。
「イルカ! オレは本当に心配してッッ」
「…イロリ、ありがとうな。でも、もういいんだ」
じたばたと暴れるイロリの耳に、ぽそりと言葉を呟けば、イロリから力が抜けた。そして、呆然とした態でこちらを見上げてくる。
イロリから腕を離し、俺はもう一度告げる。
「いいんだ。俺とカカシ先…はたけ上忍は単なる顔見知りでしかない。俺がそうお願いしたんだ」
「イルカ…」
眉根が寄るイロリに、俺は笑う。
心配するなと、思い切り背を叩いた。
「大丈夫だって! 俺が振られ上手なのは、長い付き合いなんだし、知ってるだろ。まだ痛むけどな、時間が解決してくれることだよ」
イロリは一瞬何か言いたそうに口を開いたが、結局何も言い出さなかった。その代わり、イロリは俺の背にきつい一発をかますと、逆に首へ腕を絡みつけ、大声で叫んだ。
「よっし、分かった! 今夜はイルカの奢りで、飲んで飲んで飲みまくるぞッッ」
背に入った痛みに眉を顰め、そのまま首締めてくるイロリの腕を掴む。
「ギブギブギブ! ったく、藪から棒になんだよッ。しかも、俺の奢りって何でだ?! 傷心の俺を気遣って、奢って優しく慰めるのが通例だろうが」
「傷心〜? お前がそんなタマかよ。こういうときはな、新しい恋の再出発を祝して、お前が奢るもんなの。めでたいじゃねぇか、これでお前のホモという汚名が消えるんだからよ」
さぁ、行くぞと、強引に歩き出したイロリに引きづられ、俺も足を踏み出す。
給料前だから安酒のみだからなと、きつく言い渡し、妙な成り行きになったと少々悔やむ。



赤提灯がぶら下がる、小汚い居酒屋で、宣言どおり安酒をたらふく飲んで、何やかんやと話をして、終いには何故かイロリの失恋を慰めて、ぐすぐすと涙に暮れるイロリの背を見送り別れた。
しゃくり上げながら、千鳥足で自宅へと帰る背を見送る。居酒屋でイロリが呟いた言葉が頭から離れなかった。
『オレな、実はお前とはたけ上忍が、うまくいくかと思ったんだ。はたけ上忍さ、お前を見つけた時、雰囲気が優しくなるんだ。いつも張りつめて近寄りがたい空気まとってたのに、お前見ると力が抜けるっていうか…。オレな、それ見て、イルカははたけ上忍にとって特別な存在なんだなって思ってた…。だから、さ。本音言うと、ちょっと残念だ。あんな柔らかなはたけ上忍をもう見ることないのかなと思ったらさ……』
はぁと真っ暗な空を仰いで、息を吐く。
春先の冷たい夜風が火照った顔に気持ちいい。
近い夜空に星が瞬くのを、何となしに視界に入れながら、ここにはもういないイロリに向けて言葉を紡ぐ。
「そんなことないさ。あの人にとって、俺は都合のいい奴でしかなかったよ…」
ぐにゃりと瞬く星が歪むのを嫌って、首を振る。
さっさと家に帰って、風呂に浸かって寝よう。明日もアカデミーの授業がある。
すんと鼻を鳴らし、一つ伸びをした。
失恋ってのは後からくるんだよなとぼやく。じくじくと痛む胸を抱きながら、この夜空の下で任務をしているカカシさんを思った。





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