きっと明日は幸せ 8

だが、俺の夜はこれで終わらなかった。


帰ってみれば、俺の部屋の前で鬼の形相をした紅先生と、吸殻で小山を作ったアスマ先生が出迎えた。たくさんの野菜が入った袋を携えて。




「で、あんたはな〜んにも言い返さなかった訳?」
コップを片手に下からねめつけてくる紅先生に、俺は首を傾げながら、野菜スティックをちゃぶ台に置く。
野菜料理といえば、これだろう。簡単かつ、野菜本来の味が楽しめて、一石二鳥!!
イロリとはもっぱら酒とつまみだったので、野菜を食えるのは有難かった。一人だったらまず食わない。
それを考えたら、紅先生たちが何か食わせろと言ってきたのは、渡りに船だったなと己を納得させる。午前0時を過ぎた時計をちらりと目にいれ、明日の朝が辛いことは、もうこの際目を瞑る。
何を言われたか分からない俺に、ぽりぽりときゅうりをかじりつつ、アスマ先生が助け船を出してくれた。
「今日の昼間の受付所のことだ。カカシの野郎が殺気放ってきやがったんだろう? 今日はその話で持ちきりだぜ。とうとうカカシが目を覚ましたってな」
あのときのことかと、苦笑した。にんじんを一本つまみ、噛み砕きながら、あのときの男に思いを馳せた。



俺に向けられた殺気。
見下ろした冷たい眼。
ぞっとするほど恐ろしく、触れれば身が切れるほどの研ぎ澄まされた、上質な濃い気に、俺は……



「鼻血が出るかと思うほど、かっこよかった……」
ほうぅと吐息をつき、高鳴る胸に手を当てる。
ぶはっと同時に吐き出す音に構わず、俺は頬に手を当て恥らった。
「もうあんまりかっこよかったんで、カカシ先生が同僚に殺気向けようとするのが惜しくて、邪魔しちゃいましたよッッ!! だって、そんなかっこいい殺気向けられたら、同僚の奴が骨抜きになっちまうでしょ?! 俺、同じ職場で思い人が一緒なんての嫌なんですよッ。仕事に集中できなくなりますからね…。って、聞いてます?」
ちゃぶ台に仲良く突っ伏す二人に、俺は仕方ないなぁとため息を吐き出す。
こんなに息が揃うくらいなんだから、二人とも相思相愛に決まってるのに、俺を出汁にして飲み会開くだなんて…。いい加減、どっちかが告白すりゃいいのに、焦れったいなぁ。
「ちょっと、イルカ!! あんた何てこと言うのよッッ。この熊とどうこうなりたいなんて、私は一辺たりとも思ってないからねッ」
「そ、それはこっちの台詞だ! 誰が、オメーみてぇなウワバ――!」
「それ以上、言うと刺すわよ…」
紅先生がクナイを放ち、アスマ先生の服を壁に縫い付ける。さすが上忍という鮮やかな手際を見せ付けられ、俺は手を叩いた。



「まったく。イルカ、いい? 私たちのことはどうでもいいのよ。問題は、あんたよ、あんた。今、すっごく危ない状況になっているの、自覚してないの?! 上忍、しかもあのはたけカカシの恨みを買ったって話だけで、どんな影響があるか! それに乗じる奴らとかだっているかもしれないのにッ」
怒りに任せて、紅先生がちゃぶ台を叩くものだから、俺が一人で頭を悩ませ作った野菜料理が宙を踊った。
俺が考えた野菜スープが大惨事になる手前で、難なく空中で受け止め、一滴もこぼさずにちゃぶ台へ置き、空を踊る天ぷらやら、焼き物もまたキャッチしては置く、アスマ先生の手腕に感謝しながら、俺は首をひねった。
そうは言っても、俺から上忍と中忍という仲に戻してくださいと言った手前、あの態度は普通だと思うのだが。
俺の考えを読み取ったのか、紅先生は大きなため息と共に、額に手の平を当てた。
「うっそ…。何、その反応。もしかして、イルカにとって上忍ってのは、ああいう態度を取る生き物だったわけ……?!」
顔色が悪くなる紅先生に、俺は笑う。
「やだなぁ、大げさですってば、紅先生はー」
そうよねと、頷いた紅先生に向けて、俺は朗らかに言葉を続けた。
「殺気くらい、それこそ挨拶みたいなものですって。ガキの頃はそりゃ洒落にならないと思ってましたけど、実際に切りかかってくる訳じゃないし、無害ですよ、無害」
足もげそうになったこと考えたら、大したことじゃないでしょと、一笑に付してもらいたくて言った言葉は、余計なことだったことに後になって気付いた。



紅先生は死にかけの金魚のように口をぱくぱくしながら、顔面を蒼白にさせていた。
「普段から怪我をよくする子だとは思っていたけど、おっちょこちょい属性じゃなかったの……!!」などと、ぶつぶつと独り言を呟いていた。
あぁ、まずったと、内心、呻いていれば、アスマ先生がこちらを興味深そうに見詰めている。
「どうかしました?」
「…いや。お前みたいな温厚そうな奴がどうしてそんなに人の恨みを買うんだ? そんな奴には見えんがな……」
本気で分からないと唸るアスマ先生に苦笑した。
そういえば、紅先生と同様に、アスマ先生も外回りの戦忍で、ここ数年でようやく里在住になったのだと思い出した。
「昔の話ですから、深く考えないで下さいね」
話せと言外に告げる視線に、前置きをして、俺は口を開く。



「あの九尾事件で、俺、両親を失くして、本当に一人ぼっちになっちゃったんですよ。両親を失くした子どもはそんなに少なくはなかったんですが、俺みたいに親戚も頼る人もいない子どもってのは俺だけで…。だから、火影さまの屋敷に一時期厄介になっていたんです」
初耳だと、紅先生の目が見開く。そりゃ、そうだ。話してないもの。
昼間にカカシ先生が言った言葉と同じことを思っている状況が、少し嬉しく思いながら、話を続けた。
「そのときに、俺、ナルトの面倒を見ていたんです」
アスマ先生の口からタバコがぽろりと落ちる。紅先生の口も大きく開いて、固まった。
どうしたのかなと、様子を窺っていれば、二人は同時にちゃぶ台に身を乗りだし、俺に詰め寄った。
「なによ、それ?!」
「なんだ、そりゃ?!」
ほぼ同時に口から飛び出た言葉に、驚くより先に笑えてしまう。
「笑い事じゃねぇ」と、自分のことのように憤るアスマ先生に俺は感謝した。
「何かくすぐったいですけど、嬉しいもんですね」
「呑気に嬉しがってんじゃねーよ! お前、両親を殺されたって言ってたじゃねぇか!! あのエロじじい。年端もいかねーガキに何つぅことさせやがんだ」
ぐぅぅと唸って、頭を掻き毟るアスマ先生に続けて、紅先生までもが顔を真っ赤にして怒った。
「そうよ!! もしかして、イルカ。面倒見てもらう代わりに、赤子の面倒見ろって脅されたんじゃないでしょうね!! 時効もクソもないわ! もしそうなら、今からだって直談判してやるわッッ」
「そうでしょう、アスマ!」とそれに勿論だと頷く二人に、俺は慌てて止めに入った。
「ちょ、ちょっと待って下さいよ!! 無理やりじゃありませんし、脅されたわけでもないんですって!! あぁ、もう、言うつもりはなかったんですけど、火影さまの名誉のためにも言わせてもらいます。俺が望んで、面倒見ていたんです。ナルトは覚えてはいませんが、俺が教師になるまでずっと二人で暮らしていました」
俺の爆弾発言に、二人の息が止まった。固まる二人に、問い詰められることを察して、俺は鼻の傷跡を掻き、説明する。
「えっとですね。そりゃ、俺も初めの頃はナルトが憎くて仕方ありませんでしたよ。それに、その…火影邸に住んでたから、ナルトが何処にいるのかも薄々分かってて…。俺は一度、ナルトを殺そうとしました」
二人の息を飲む音が聞こえた。それはそうだろう。今からじゃ、到底考えられないことだ。
「両親を殺した化け物を俺がやっつけるんだって、火影邸に住んでいた誼もあって、見逃してくれる人たちも大勢いたんです。…今じゃ、見逃してくれた訳ではなく、望んでいたんだと分かりましたが……」









あの日のことは、今でも思い出せる。


夏の、暑い季節だった。



俺は母ちゃんが縫ってくれた古ぼけた服に袖を通し、父ちゃんの形見の真新しいクナイを懐に忍ばせて、長い廊下を走っていた。


ずっと機会を窺っていた。それを実行する日がやってきたのだ。


化け物狐を匿うナルトの身を守るために、巡回している警備の者達の視線を潜り抜け、俺は前から目をつけていた人の行き来が少ない廊下を走っていた。
窓からは夏の日差しが廊下を照りつけて、ぎらぎらと輝いていた。閉じた窓から蝉の鳴き声が遠く聞こえていた。
蒸し暑くて、喉が渇いていたのを覚えている。
たどり着いた大きな扉の前。いつもならば、暗部が二名で見張りに立っていたのに、そのときばかりは誰もいなくて、幼い頃の俺はそれに疑問も持たずに、逆にチャンスだと扉を押し開いた。
途端に身を襲ったうだるような暑さと、鼻を刺す異臭に眩暈がした。
外が天国だと思えるほどの、中の蒸し暑さに汗が吹き出す。
大きな部屋。
豪勢な家具。
窓はカーテンで締め切られ、真昼なのに夜のような暗さだった。
外観のきらびやかさとは裏腹に、暗くどこか不気味なその部屋は、化け狐が住むにはふさわしく思えた。
開かれたドアから刺す光の先に、小さな天蓋つきの寝台が見えた。
口と鼻を覆い、扉を閉め、俺は目的の物に近づいた。



近づくにつれ、異臭がひどくなっていった。
真っ暗闇の中、俺の足音と子猫の鳴き声のような弱々しい声が耳に届く。
脈が打つ度、頭の血管が波打ち、視界がぶれる。
自然と荒くなる息に、落ち着けと頭で言い聞かせながら、懐に入っていたクナイを両手で握った。
化け狐めと、何度罵ったか知れない。
闇に浮かぶ白い天蓋つきの寝台に近づくたびに、手が汗でぬかるんだ。汗が滴り落ちて目に入る。それを拭い、ゆっくりと着実に足を進めた。
重いそれを落とさないように、片手で握り締めなおし、空いた片手で天蓋をなぎ払った。これで両親の仇を討てるのだと、歓喜に近い感情が押し寄せたのに、瞬間、頭が真っ白になった。



白い寝台。


誰の目にもすぐつくような、外観は真っ白い天蓋。
その中で眠る、両親を食い殺した化け物は、ハエにたかられ「みゃー」と小さく鳴いていた。
ぶんと、一匹では小さい羽音、それでも集まった尋常ではない数の羽音は不気味に大きく轟いた。



「うあ、うあぁあああああああああああああああああああああ!!!!!!」
訳が分からなくなって、一斉に飛んだハエに向かってクナイを振り回した。
闇雲に振り回すクナイには、ハエはかすりもせず、クナイを止めればすぐさま寝台へと集まっていった。
それが嫌で、嫌で堪らず、俺は泣きながら、クナイを振り回し続けた。
死に物狂いで何度も何度も、手や足がふらついていようと、奥歯を噛み締め、振り回し続けた。


見たのは、干物かと思えるほどの萎びた塊。
汚泥の中、微かに痙攣するように手足を動かしていた。
微かに動いた仕草に、黒い無数の虫が行き交い、塊の周辺を舞う。そして、戻り、たかる。


何が正しいのか、分からなくなってしまった。
歪んだ視界に映るのは、ただただやせ細きれた、かろうじて生きている小さな生き物だった。



気付いた時は、顔色を変えた火影さまに抱かれていた。
回りに激しい叱責を投げつけながら、俺にはすまなかったと泣きそうな顔を歪ませて、何度も何度も謝ってくれた。




その日から、だろうか。
俺はナルトが気になって仕方なくなっていた。
隙を見て、何度も何度も会いにいった。初めは見詰めるだけ、次はちょっと触ってみた。そして、歌を歌ってみた。
何人もナルトを世話をするために、女の人がやってきた。
でも、誰もナルトに触ろうとはしなかった。その度に変わる女の人を尻目に、俺は少しずつナルトの世話をした。


無表情なナルト。泣きもしなければ、笑いもしない。
時折、微かに泣く以外は、まるで人形のようなナルト。
話しかけて、歌を歌って、食事を与えて、普通の赤ん坊のように初めて笑みを見せたときの感動は忘れることはないと思う。



全てが浄化されたと思った。
自分に蟠っていたものがナルトの笑顔で綺麗さっぱりなくなっていた。
それからだ。俺がナルトの面倒を見たいと買って出たのは、初めこそ火影さまは頑なに認めてくれなかったが、実質、俺がナルトの世話をしていることを知り、認めてくれた。


あのときのじいちゃ…いや、火影さまは俺がどうかと思うほど、俺に対して過保護になっていたっけ。暗部の一個小隊をつけてやるといわれたときは、あまりの越権行為にこっちが慌てふためいた。









今となってはいい思い出だ。





「って、こういう訳なんですよ…。だから、無理やりって訳じゃ―」
語り終えて、顔を上げれば、アスマ先生と紅先生が潤んだ目でこちらを見詰めていた。
思わぬ反応にびびって仰け反れば、それより早くアスマ先生のぶっとい腕に掴まれた。
「…オ…オメェって奴は……」
ぐいっと腕を引かれたかと思ったら、アスマ先生の胸の中にいた。
その横では、紅先生までもがアスマ先生ごと腕を回して、俺の肩に顔を埋めている。
「い、イルカぁぁあ」
ぐずぐずいって、名前を呼ぶ紅先生に、俺はどうしようと慌てふためく。
一方のアスマ先生も男泣きに泣いている様子で、泣き上戸であるらしい酔っ払い二人の肩に手を回し、ぽんぽんと叩いた。



「えっと、あの、どう反応して言いか困るんですけど。えぇっと、その……あまり酒が過ぎると体に良くないですよ?」
そう言ってやれば、二人は堰を切ったように号泣し始めるばかりか、俺の体を締め付けてきた。苦しいと唸る俺に構いもせずに、イルカイルカと名を呼ぶ二人に、俺は仕方なくひたすらに背中を叩きあやし続けた。


おかげで、翌朝はひどい筋肉痛に加え、寝不足になった。




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捏造だらけ……。