番外編1

どこか緊張した面もちで目を閉じた子に、自分の額宛を巻いた。
目を見開いて驚く顔を笑いながら、祝いの言葉を告げた瞬間、遠い記憶が甦った。
記憶の中の小さな愛し子が成長した姿に、再び同じ時を共有できたことに、胸が詰まった。
感極まって飛び込んできたナルトを抱きしめ、傷のせいにして泣いた。


なぁ、ナルト。
もし、お前と共にいることを選んでいたら、俺たちはどうなっていたんだろうな。
選んだことに悔いはない。やり直したいとは絶対思わない。
あのとき俺がお前にしてやれたことは、それが唯一のことだと思うから。


でも、それでも、小さなお前が独りぼっちの誕生日を毎年迎えていたと思うと、無性に泣けてくるんだ。


もうじきお前の誕生日だ。
今のお前は独りぼっちじゃないって分かってるのに、俺がお前を祝いたいと思うことは余計なことなのかな。
昔みたいに、俺が作ったいびつなケーキを囲んで、祝ってやりたいって思うことは、迷惑なのかな。


10月10日。
お前の誕生日は、もうすぐそこだ。




**********



聞くんじゃなかったと、思い切り舌打ちをした。


写輪眼の発動を止めれば、慈しみに満ちた、でもどこか陰りのある笑みを浮かべていたイルカは、その表情を消し、前のめりに倒れ込んだ。
その体を抱き止め、顔を伺えば、イルカは幸せそうな顔で小さな寝息を立てている。
寝顔が可愛い分、性質が悪いとカカシは胸の内で舌打ちを繰り返す。
心中は腸が煮えかえるほどの怒りと嫉妬で荒れ狂っているのに、こんな可愛いものを見せられたら、我慢するしかないではないか。


カカシが居座る形で、イルカのアパートに帰ってくるようになったのは、夏も終わろうかという頃だった。
カカシの誕生日を知ったイルカが、手料理と精一杯のもてなしで祝ってくれた時は、自分とイルカの関係は親密なものに思えた。
お互いを必要として、いつも一緒にいて、二人で笑い合って、カカシとしては不本意だが体の関係がなくても、二人はかなりいい感じだったのだ。
口の悪い同僚に「うざい」やら「脳味噌わいてるんじゃないの」「早く別れろ!」「神様、こいつに天罰をッ。そしてイルカの目を覚まさせてッ」とか「ノロケんな、面倒くせぇ」だとか言われたが、いくらでも言い賜えと鷹揚に構えていられていたのに。


毎日カカシへ「おはよう」と幸せそうに笑うイルカの笑顔に陰りが見え始めたのはいつの頃だっただろう。
目の前に、大好きなカカシがいるというのに、上の空でカレンダーを見詰めることが多くなったイルカ。
最近では、食事中もぼーっと思いにふけることが多くなった。
前までだったら、カカシが食事している姿をとても嬉しそうな顔をして見詰めていたのに。
カカシが「ご飯、冷めちゃうよ」と言うまで、飽きもせず幸せですオーラを垂れ流して、カカシのことだけを見詰めていたのに!!


イルカのおかしな行動に堪りかねての、写輪眼発動だった。
だが、結果はどうだ。


「ナルトの誕生日ねぇ…。いい加減、子離れしてよ」
胸ですよすよと眠るイルカに一人ごちる。


薄々は知っていた。
だが、深く、濃い思いを変わらず、ずっと注ぎこんでいるだなんて、考えてもいなかった。
何より悔しいのは、全て過去を起点としているからだ。
イルカと先に出会ったのはナルトで、カカシではない。
過ぎてしまったことに対して、カカシにはどうすることもできないではないか。


途方に暮れつつ、イルカを抱えて布団の中に入り込む。
イルカは全く気付いていないが、恒例となったお休みの口付けをし、高く結っている髪をとき、手で撫でつけた。
安らかな眠りの中にいるイルカの体に腕を巻き付け、胸にぴたりと耳を当てる。すると、無意識にイルカの手がカカシの頭を撫でてくれる。
イルカに近くにいるのは自分なのにと、イルカの匂いと温もりに包まれて、カカシはため息を吐く。


人を好きになるということは厄介だ。
自分と同等の思いを返して欲しいと思ってしまう。
カカシはイルカさえいてくれれば、あとはどうでもいいと思えるのに、イルカはカカシと同じ思いではいてくれない。


けれど、それよりも厄介なのは、


「悲しい顔、見たくないって思っちゃうことだーよね」


写輪眼で吐かせた、最近イルカが気になっていること。
ナルトとその名を呼ぶ時、イルカは泣きそうな顔をしていた。


仮にも部下で、先生の忘れ形見だが、はっきり言って今のカカシには目の上のたんこぶでしかない。
それなのに、何とかしてイルカにナルトの誕生日を祝らせてやろうと考えている自分がいる。
自分以外の者が誰であろうとイルカに近づくことは良しと思っていない癖に、イルカが悲しそうな顔をするからと自分以外の男を自らの手で近付けてしまうなんて。


「……なんだかなぁ」
裏腹の行動に出る己がアホみたいだ。
でも、それでイルカが喜んでくれるなら、それでもいいかと思う自分がいる。


「先生といると、知らない自分がいっぱい出てくるみたい。…オレってずいぶん変わったよ」
頭を撫でる手を捕まえて、その手に口付けを落としながら忍び笑いを漏らす。
気付かない内に変わっていた。
カカシの周りには欲望と死と闇ばかり覆っていたのに、気付けば人に囲まれていた。
うるさくてお節介で、面倒臭いと思うこともしょっちゅうだけど、悪くない。
そう、悪くないのだ。
そういう風に思える自分が意外で、再び他人と関わり合えた自分が信じられなくて、少し泣けた。


イルカが持つ力は本当にすごい。
カカシをどこまで甘やかすつもりなんだろう。


カカシにはイルカみたいな力はない。
自分のためだけに笑って欲しいと思っていることも事実だけど、イルカの悲しい顔はできるだけ見たくない。
だから。


口を開けて涎を垂らす勢いで眠り込んでいるイルカの頬をつつき、カカシは笑う。

「今回だけ、だからね」

そっとイルカに囁いた。



**********



朝、イルカが目を覚ましたら、カカシが満面の笑顔でねだってきた。


「イルカ先生、オレもナルトが食ったっていう誕生日ケーキを食べてみたーい」


きらめく陽光の下、寝ぐせのついた銀色の髪を輝かせ、美貌の顔に笑みを浮かべ、こてんと首を傾げた姿を見て、落ちない奴はいないと鼻血を迸らせながらイルカは真剣に思った。


いそいそと愛用の紺のエプロンを支給服の上につけ、イルカはカカシの言うままにケーキの材料を取り出す。
今日は日曜日。
運よく受付任務も休みで、イルカは全休の日だった。
「どうしたんですか? いきなりケーキだなんて」
血まみれになった寝巻を率先して脱がせてくれ、甲斐甲斐しく世話と処理ををしてくれたカカシに感謝しつつ、イルカはちょっとした騒動の原因となったカカシのおねだりの理由を尋ねてみた。
「ん〜。イルカ先生、気付いてないけど、最近寝言言うんだーよ。『ケーキ』『ナルト』って。ちょっと気になって三代目に聞いたら、先生はナルトの誕生日にケーキ作って二人でお祝いしてたって言うからね」
「食べてみたくなったの」と無邪気に答えるカカシに、イルカはきゅんきゅん胸を高鳴らせる。


再び血まみれの惨劇を引き起こしたくなくて、イルカはそっと目を伏せ、この幸せな朝の一時を神に感謝した。
――幸せです。俺、最高に今、幸せです!!
今度は目から液体を流しそうな、イルカだった。


カカシはイルカとナルトの関係を三代目から詳しく聞いているらしい。
直接、ナルトと自分の関係をイルカの口から喋ったことはないが、今回のようにナルトを引き合いに出してねだることが時々あった。
そのねだり方はものすごく可愛くて、日中ならばまだ受け止め切れるのだが、今朝のように朝一番となると、粘膜が弱いイルカは簡単に鼻血を噴いてしまう威力を持つ。


もっと精神修業しないといけないなと、心中で呟き、流し台の隣にある小さなスペースにボールとヘラ。フライパンを準備した。
牛乳と小麦粉、砂糖。
用意するのはありきたりな材料だ。そして、作り方もとても簡単。
目分量で量って混ぜたものを焼くだけ。
ポイントがあると言えば、牛乳を少なめに入れ、少し固めの生地にすることぐらいだ。

それだけの工程だというのに、邪魔にならないところでじっと真剣な顔で見詰めているカカシに、イルカは忍び笑いを漏らした。
「カカシ先生、期待しないでくださいね。そんなにおいしいというものじゃないですから」
「え?」
きょとんと瞬きを繰り返すカカシに、イルカは笑う。
カカシはイルカが作る料理は全ておいしいと思っている節がある。それなりに勉強もしたし、失敗も繰り返して、確かに今では自分でもそこそこうまいとは思うが、実際は中の上くらいだろう。


「先生の作るもの、全部おいしいですよ。オレ、まずいと思ったこと一度もないですもん」
不思議そうな表情を浮かべるカカシをもみくちゃに撫で回したいと心中で叫びながら、イルカは鼻の傷を掻く。
「そう言ってくれるのは嬉しいんですけどね。これはちょっと違うというか…」
出来上がったら運びますよと声をかけたのだが、カカシはイルカの側を離れようとはしなかった。
本当にかわいいなーと、顔をにやけさせ、熱したフライパンに油を引いた上に、粘り気のある生地を流し込む。
生地の表面に無数の穴が空いてきたら、フライ返しでひっくり返し、裏の生地が焼けるの待つ。


「はい、出来上がりましたよ」
こんがりきつね色に焼けたそれをまな板に置き、カカシに見せる。
「へー、これが」
目を輝かせるカカシを横目で見ながら、切り分けようと包丁を入れかければ、カカシがストップをかけた。
「あー、待ってください。これはお昼に持って行きます」
「……え」
思わぬ言葉に、イルカはぽかんと口を開ける。それを尻目にカカシは懐から布を取り出し、出来たてのそれを包んだ。
「い、いや、ちょっとカカシ先生。それ、お昼になるようなものじゃないですって! 昼飯は別に作りますから」
懐に大事そうに入れるのを見届けたところで、イルカは泡食って止める。だが、カカシはにこーと笑みを浮かべると、「いいんです」と懐を軽く叩いた。
「お昼はお昼で欲しいので、お弁当持ってきてくれませんか? 今日はあいつらに修業つけてやるって約束だったんですよ。場所は第6修練場ですんで」
一方的にカカシは話を進め、寝室へと踵を返す。
火を消し、慌ててカカシの後を追いかければ、寝室で支給服を着込んだカカシが、腰にポーチを巻いているところに出くわした。
「え、や、カカシさん?!」
今日はイルカと一緒にいると昨日言っていたのに、これはどういことだと、尋ねかけて、カカシがにこりと目を細ませた。
唯一覗いた目が優しげに撓み、イルカを見詰める。たったそれだけのことなのに、目眩が起きたように頭が痺れ、かーっと顔に血が上った。
「お昼はイルカ先生も一緒に食べましょーね。それでは、ドロン」
きゅんきゅんと胸を高鳴らせている間に、カカシは印を組んだ。
ぼふんと白煙が巻き起こる音でようやく我に帰っても、カカシの姿はもういない。


「え、えぇーー?!」
カカシのよく分からない言動で、今から弁当作り決定だ。
時計を確認すれば、9時を示している。
12時に間に合うように作りたいから、時間はあまり残されていない。冷蔵庫にはカカシとイルカの二人分の食料しかないから、買い物にも行かなければ。
ざんばらな髪を手早く括って、財布を片手に外へと飛び出す。
アパートのドアを開けた途端、日差しが目を打った。
今日もいい天気だ。
青い空に、太陽がかかっている様を目に収め、商店街に向かって走る。


「……い、いいのかな?」
ふと不安を覚え、誰に聞かせるでもなく呟いた。
忍の修業は厳しく、危険を伴うものだ。そして、技の極意を伝える大事な場でもある。
だから、修業する時は部外者を寄せ付けないのが通常だった。
その上、里の牽引役として名を知られるはたけカカシの修業なのだから、押して知るべしというところだ。
元担任とはいえ、そんな大事な所へ介入していいのか正直迷う。三人の元教え子と、カカシの邪魔になっては申し訳ない。
だが。


「…10月10日、か」
最近ずっと睨めっこをしていたカレンダーの日付を口にした。
今日が10月10日。
イルカがずっと待っていた日。でも、何もできずに見送ることになっていた日。
そんな日に、妙な成り行きとなった。
「いや、でも…」
カカシの今朝の言動に疑問が過ぎる。
もしかしたらカカシはイルカのことを思って、お弁当作ってだなんて言ってきたのかもしれない。
いや、きっとそうだ。あの人はとっても繊細で優しい人だから。


カカシの優しさを感じ、笑みが零れ出る。
頬がかっかと熱くなる。けど、さっきとは違って胸が無性に温かくて、じんわりとした幸せがイルカの体を包み込んだ。
「よっし!! いっちょ張り切るかーッッ」
商店街のど真ん中、右手を高く突き上げて叫んだイルカに、通行人が目を見開いて注目した。






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