ずっと今日も幸せ 2
「カカシぃ、どうして、あんなもさい男なんかの後くっついて行くのよ。それより、アタシと今夜どう? 食事と、その後のデザートも」
上忍控え室にいると、大抵こんな誘いがかかってくる。名声と子種が目当てですと一目見れば分かるような、頭の悪い女が主だ。虫除けになる紅がいないのも、大きな原因だ。
オレの世話係こと、イルカ先生との生活はなかなかに快適だった。一緒に引っ付いて帰れば、出来立ての温かい飯にありつけるし、アカデミー教師と受付を兼任しているだけあって話がうまく、酒を飲む相手としては申し分ない。
つい酒が過ぎて、オレの中で決めていた0時以降は去るという決まりがぐらついてきているほどだ。
始めこそ、小汚い部屋が仮の居場所になるのかと落胆もしたが、通ううちに非常に居心地良く感じられたのも事実だ。
寝室と居間の二部屋に、小さな炊事場と風呂とトイレがついているなんとも冴えない部屋だったが、男にしては割合片付いており、人の良さが表れている部屋に、いつしかうたた寝するようになった。
ひょっとして自分の部屋よりも眠れているのではないかと笑いながら、食事ができるまでの時間、包丁の音を聞きながら目を閉じ、しばしの休息を得る。時折、聞こえる男の鼻歌を聞きながら眠るのは、癖になりそうなほど気持ちの良いことだった。
そして、意外だったのが、男はオレに対して色の含んだ眼差しを送ったことがないことだ。いかつい男に迫られるなんて御免こうむりたいと常々思っていたことだけに、迫る気配すらない男にいささか拍子抜けした。
と、まぁ、今日で二週間経つが、オレとイルカ先生の関係は非常に良い状態だった。
「ねぇ、カカシぃ」
甘ったるい声と息を吐きながら身を寄せてくる女の体をさりげなく避け、オレはもう何度目かもしれない言葉を告げる。
「いいでショ、オレの勝手じゃない。それに、もっさい男じゃなくて、イルカ先生。そういう悪態つく人間、オレ、タイプじゃないんだよねぇ」
そこで初めて女に視線を向ければ、女はおたつくように言い訳をし始める。その言葉もどうでもいいようなことを重ねているだけで、ホント意味のないものだ。けれど…。
長い黒髪に、白い肌。小ぶりだが、上につんと向いた形の良い胸と小さな尻は魅力的だった。
迫りもしないイルカ先生に義理立てして、廓で処理を済ませていたが、今日ぐらいはこういう女を相手にしてもいいかもしれない。
女の甘ったるい匂いが極力つかないように、まだ何かを言っている口に人差し指を縦に押し当て、曝け出した瞳をゆっくりと細ませて、そっと耳に囁く。
「遅くなっても良いなら、デザートは食べに行こうかな。イルカ先生の家じゃ、さすがにおいしいデザートは出ないからね」
目を合わせれば、女の目に欲望と野望の火がちらつき始める。それを腹の中であざ笑いながら、お伺いを立てれば、女は一、二もなく頷いた。
口早に自分の住所を告げ、上機嫌に去っていく女を見詰めながら、再びソファに座りなおして、愛読書に目を戻す。
すでに何度も読んだ内容を目で追いながら、ふとあの女の名前を聞くのを忘れていたことに気付いた。だが、それもすぐどうでもいいことかと打ち消す。やることをやったら、終わる関係だ。名前を覚えるまでもない。
「……あんた、本当に最低な野郎だわね。ようやく任務を終えて帰ってみれば、胸糞のわるい……」
目前に現れた派手な美女に、手だけ上げて、労を労う。
気のない挨拶に余計イラつきが増したのか、紅は女とは言えぬ態度で舌打ちをし、オレの隣に腰掛けた。気に入らないなら他所に行けばいいのにーね。
「な〜にかねぇ。そうツンケンしてると、ヒゲに恐がられるよ」
「何でここにアスマの名前が出てくんのよ。茶化さないでくれる? 私はあんたに聞きたいことがあんのよ」
親の敵かというほどの剣幕で睨まれ、オレはやれやれと本から顔を上げる。紅が側にいてくれたら、うっとうしい尻軽女どもからは解放されるが、紅の尋問に捕まる。おまけに紅の尋問は決まって一つ。
「あんた、イルカのことをどうしようって気なの?」
オレがイルカ先生宅へ行くようになって以来、キーキーと甲高い声で詰問してくる紅の言葉はもう耳たこだ。そして、オレもあの日から変わらぬ言葉で応対し続けている。
「紅には関係ないでショ。オレの勝手だし〜」
平然と言えば、紅の眉が逆立つ。次に来る言葉に対し、オレは両耳を塞いだ。
「ふざけないでよッ?! あんた、イルカの前では猫どころか、羊の皮まで被っちゃって、気味が悪いのよッッ。あんたが普通じゃないのは、よく知ってるわ。どうせ、イルカを都合のいい飯炊きぐらいにしか思ってないんでしょ?! そんな気持ちなら、イルカから手を引きなさいッ。あんたにイルカは勿体ない!!」
いつものことながら、鋭いご推察だこと。
ダーンと、目前のテーブルに手を叩きつけ、その衝撃音が部屋にこだまする。さすがに上忍だけが集まる部屋だけあって、受付所みたいに静まり返るようなことはない。そればかりか反対に、野次が飛んでくるほどだ。
「またイルカ先生騒ぎかぁ?」「痴話喧嘩は他所でやれよ、他所で」などと、おもしろおかしく煽る言葉が投げつけられる。はいはいと、手でそれに応えていれば、紅は瞳に怒りの感情を乗せ、オレを睨みつけてくる。
「カカシ、あんたが諦めるまで、私は何度でも言うわよ。イルカは本気なの。応える気がないなら、さっさと手を切って」
今日はなかなか引こうとはしない紅に、おやと首を傾げる。いつもなら、どかんとでかい一発がきたら、胸糞悪いと吐き捨て、去っていくのに。
だから、何となしに聞いてみた。
「どーしたのよ、姐さん。今日はえらく突っかかるね。もしかして、生理?」
ぎっと喉元を食いちぎられるかのような視線を向けられ、大人しく両手を上げる。女のヒステリーには逆らわない方が身のためだ。
「見世物じゃないのよ! 殺されたくなかったら散りなさいッ」と、そのままの勢いで回りを牽制し、ギャラリーが散ったのを確認した後、紅はふんと鼻息荒くソファに身を沈ませると、足を組む。そして、オレを見ずに真っ直ぐ前を向いて話し出した。
「見ていて辛いのよ。イルカのあんたを見る目は本物だわ。悔しいけど、イルカはあんたに惚れ抜いてる…」
唇を噛み締め、呟く言葉に苦悶の色を見つけ、オレは目を丸くする。
「姐さんって、てっきりヒゲが本命かと思ってたけど、もしかしてイルカ先生が本命?」
でも悪い〜ね、イルカ先生、オレにメロメロで骨抜きなの。
そう腹で笑ってやれば、紅の容赦のない眼差しに射抜かれた。
「あんたの目は節穴ね。一体、何を見てんだか…」
どうとでも取れる意味合いの言葉に眉根を寄せていれば、紅はそんなことはどうでもいいのよと鼻で笑い飛ばした。
「私が言いたいのはね。イルカならもっと良い子が見つかるってことよ。最近、里に戻ってきたあんたには分からないだろうけどね。イルカの良さを分かってる子なんて、そこら辺うじゃうじゃいるんだから。あの子には可愛いお嫁さんもらって幸せになってもらいたいの。あんたみたいなのに、余計な茶々いれてもらいたくない」
紅の言葉が笑えて仕方なかった。
「イルカ先生、もてるの? 男のオレに惚れてるのに? でも、オレに言われたって仕様がないことでショ。先生、オレのこと好きなんだから」
愚直で、気の利いた事一つ言えないあの男に懸想する女がいるとは、なんとも驚きだ。今時、物好きな女がいたものだと笑っていれば、紅は呆れた目をこちらに向けてくる。
「本当にあんたの目は節穴ね。それでよく暗部で生き残れたもんだわ。イルカの側にいて全く気付いていなかったの? 確かにイルカに好意を持つ女は両手で数えるくらいいるわ。でもね、問題なのは、男にモテることよ」
笑っていた顔が引きつる。男?
忍びの里では、同性愛に関して一般の国より寛容だが、それでもまだ常識的に認められるには至っていない。
何の冗談だと視線を向ければ、紅は呆れたようにため息を吐く。
「言ったと思うけど、イルカと私の付き合い長いの。長期、短期任務でよく顔を合わせていた仲だからね」
そう切り出して、紅が話したのは、長期任務中ではよくある話だった。
戦地ではどうしても女が少なくなるために、戦いで昂ぶった気を治めるため男同士で処理を行うことがある。表向きは双方の同意を歌っているが、上からの命令、まれに力づくということもある。
その中で、イルカは男たちの欲の対象として見られていたと、紅は話した。それも、力づくという形で。
紅は、茂みに連れ込まれたり、人気のない場所で襲われていたりするイルカを何度も目撃したそうだ。中には、複数の人数で囲まれていたこともあったらしい。
そういう現場を何度も目撃し、放っておけないと事ある如く加勢した紅は、ある日イルカに言ったそうだ。
『あんた、妙に男好きされてんだから、もうちょっと危機感持ちなさいッ』と。
女が男に言う台詞にしてはおかしいが、それに対し、イルカはきょとんと何を言われたのか分からないという顔をした後に、思いっきり笑った。
『そんなわけないじゃないですか。俺が巻き込まれるのは私怨ですよ。まぁ、いわゆる制裁ってやつじゃないですかね』
目を覆いたくなるほど衣類をずたずたに切り裂かれ、その隙間から赤いキスマークを残した体で快活に笑うイルカに、紅はそのとき初めて、この子は私が守ってあげないと駄目な子だと、本気で思ったそうだ。
おまけにイルカは、相手が自分に対して邪な思いを抱いていることに全く気付いておらず、襲われた相手へ呑気に話しかけるほどの兵だったのだ。
これでは駄目だと、本当に私がどうにかしなければと、決意した紅が、イルカの護衛もどきなことをしている内に気付いたのが、イルカが伽に指名されないのは、相手が本気でイルカに懸想しているから、という事実だった。
伽で確実に結ばれるが、任務としての忍びのイルカを抱くのと、強引でもいいから素のイルカを抱けるという二択になったとき、淡い恋心を抱く者たちは、ほとんど後者を選んだようだ。
中には、思いあまって伽を命令したが、どっからでもかかって来いと、今から修行か、組合いでもするのかと、勘違いした感のあるイルカの対応に萎え、幸い、イルカは男としての矜持を傷つけられたことがないらしい。
「と、いうわけで、イルカは昔も今も男にモテるのよ。しかも、あんたと違って本気でね」
長々と聞かされた割には、中身のない話だ。だから、それがどうして自分に関係があるのだと、イラついた気持ちで問えば、紅は本当に分からないのかと眉根を寄せてきた。
「だから、今までイルカに男の趣味がなくて、二の足踏んでいた輩が、男もいけるのかと分かって、今、虎視眈々と狙われている最中なのよ」
紅の言葉に、自分の知らない感情が鎌首をもたげた。
「へぇ、そうなの」
思いのほか、冷たく出た自分の声音に、妙に苛ついた。
「そうよ。だから、私は――」
紅の言葉が途切れる。どうしたのかと視線を向ければ、顔を真っ青にさせ、こちらに驚きの目を向けてきた。
「どうしたのよ。『私は』の次は何? つまんないこと言うようなら、切れちゃうよ?」
笑って軽口を叩くが、唇をわななかせるばかりで、紅は一向に喋ろうとしない。一体どうしたんだとため息を吐いた瞬間、空気が揺れた。
クナイを頭上に閃かせれば、金属音がぶつかった。上段から振り下ろされた、殺気はないが殺傷力のあるそれに眉根を寄せ、突然の暴挙を仕出かした大男を睨む。
「ヒゲ。あんた、オレに恨みでもあんの?」
咥えタバコを燻らせながら、クナイを仕舞うヒゲが、冗談とばかりに鼻で笑った。
「バカ言え。その台詞は紅のもんだ。上忍一人拘束できるようなドギツイもん放ちやがって、一体、何考えてんだ、オメェはよ」
ヒゲの言葉に驚く。そんなもん出した覚えはなかったのだが。
考える暇もなく隣にいる紅が拳を振り上げた。
「アンタ、私を殺す気ッッ?! 戦場ならばまだしも、里内で、しかも同胞に殺気向けるなんて、頭おかしいんじゃないッ」
力の乗せたそれを、頭を下げて避ける。キーキーわめく紅に、そんなつもりはなかったと話すが、全くもって聞く耳は持ってくれない。
これは逃げるに限ると思い立ち、時計を見れば、イルカ先生の受付任務終了時間となっていた。
渡りに船とばかりに、千本とクナイの攻撃を避け、後ろ手に手を振った。
「出してる自覚はなかったんだけど、悪かった〜ね。んじゃ、イルカ先生のとこ行くから、オレ、帰るね〜」
「待ちなさいよ、カカシッッ」と、わめく声から逃げるように背を向け、オレは受付所へと足を向ける。紅のことはアスマがどうとでもしてくれるだろう。
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カカシ先生の性格を悪めでいこうと四苦八苦した記憶があります。