ずっと今日も幸せ 4
「くそっ」
自宅のベッドの上で寝返りをうった。途端に視界に入る、床に置かれた風呂敷に、背を向けるように寝返りをうつ。これで何度目だ。
自分の意味のない行動に、イライラが増す。
広いだけが取り柄の部屋は、寝台と本棚以外の家具は置かれていない。その本棚の中でさえ、今は空きがある歯抜けの状態だ。
本棚を埋めていたものは風呂敷の中にある。イルカ先生の家に置かれていた本は、今日、その手で風呂敷に詰められた。
不意に思い浮かんだ、一連の出来事を思い出したくなくて目を閉じる。けれど返って鮮明になる映像に、唇を噛みしめた。
アスマたちと別れて、居酒屋で女と酒を飲んだ。だが、気づけば女はおらず、酔っぱらいたちの中、オレは一人そこにいた。
閉店間際の時刻に気づき、妙に気が焦ったことを覚えている。あれから、すでに二時間以上は経っていた。
会計をすませるなり走った。行く先は一つで、馬鹿みたいに必死にそこを目指した。
アパートの階段を駆け上がり、先生の部屋の扉を体当たりするように開けた。その直後、飛び込んできた映像に、視界が赤く染まった。
アスマと、何故か女体化したイルカ先生が抱き合っていた。
とろりと瞳を潤ませ、悪びれもせずに、こちらへ笑顔を向けた先生に衝撃を受け、それは全てアスマへと向かった。
何も考えられず、攻撃を加えた。先生に触れていた腕を潰す勢いで放った拳は防がれ、軽い痺れが残った。
先生から離れたアスマに少し冷静を取り戻し、それでも心臓を掴まれたような衝撃が忘れられなかった。出てきた紅と一緒に、八つ当たり気味に追い出した。
去っていく二人を、アスマを引き留めようとする先生が嫌で、腰に抱きついた。女体化しているせいで、ぐっと細くなった腰が嫌で、どうして女体化なんてしているか考えることも嫌で、変化を解いてくれとねだった。
オレが望みを言えば、いつも先生は「仕方ないですね」と笑って、叶えてくれる。
あのときだって変化を、すぐ解いてくれた。
先生はオレの望みを全て叶えてくれるのに、何一つオレにねだることはなかった。
オレがいること自体が先生の願いを叶えているのだと知っていたから、側にいればそれでいいと思っていた。
けど、先生がオレに欲情した。他の奴らのように、真っ直ぐなあけすけの感情を初めて向けてきた。なのに、先生は隠そうとした。何でもないと強がって、なかったことにしようとしていた。
そのとき初めて、先生の口からねだってもらいたいと思った。オレが欲しいと、その口から聞きたくて、それに応えてもいいと思ったのに――。
先生が初めてオレに願ったことは、オレという存在ではなかった。
『さようなら』
痛々しい笑顔で放たれた言葉に、思考回路は凍り付いてしまった。
『風呂敷は返さなくていいですから』と、玄関先で手渡された荷物は、思っていた以上に重く、どれだけ先生宅へ入り浸っていたのかを思い知らされた。
言葉が出てこなかった。言いたいことはあったはずなのに、見送る形で、その実、戸を閉めるために出てきた先生の姿に、掛ける言葉はなかった。
どうやって帰ってきたのか、実は覚えていない。
気づけば、寝台に寝転がっていた。そして、飽きもせずに寝返りを繰り返している。
何度目になるのかも知れないため息を吐き、仰向けに寝転がった。
朝にはほど遠い時間帯。暗がりの中に見える、見慣れた大理石の天井に紛れて、染みのついた木目の天井が映った。続いて、あるはずのない時を刻む時計の針の音を聞き、視界を腕で隠す。
今、思うことはただ一つ。
「どこで、間違えた?」
応える者はおらず、オレの問いは夜の静寂に溶けた。
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『先生、遅すぎっ』
「だってば」「です」と言葉尻は違うものの、息のあった調子でこちらを詰ってくるお子さまたちに、手をあげた。クールを気取っているお子さまは、苛つきを隠しもせず、そっぽを向く。
「いや〜、今日は人間関係という奥深さに立ち往生してしまってだな」
『はい、うっそー!!』
恒例となったやり取りだが、うちはの坊主だけ参加しないのが気に掛かるところだ。こまっしゃくれたところが昔のオレにそっくりで、見てて気恥ずかしいねぇ。
じっと見つめていたオレに気づいたのか、威嚇するように睨んできた。本当、この気の強さといい、小生意気なところも、また。
「よーし、それじゃ、任務もらいに行くぞー。早くしないと、修行する時間無くなるなぁ」
『だから、先生がッ』と、元気なお子様に笑い声をあげ、受付所まで全速力でダッシュと発破をかける。もちろん、オレに抜かされたらペナルティ付きとやる気を出させた。
五分待っていてやるよと言えば、三人とも猛然と駆けだす。オレに向かって暴言吐きながら、駆け抜ける姿に笑いがこぼれ出る。若いってのはいいねぇ。
消えていく背中を見送り、カウントし始めた。
山から吹く冷たい風が、眠れなかった頭に心地良い。深く息を吸った。己に意識を向けても、感情のブレはなく凪いだ状態だ。
昨日の己の状態を思い出し、笑いが込み上げてきた。一夜明ければどうということはない。どうしてあんなに感情的になったのか、今では不思議なくらいだ。
単なる仮宿。暇つぶしのおもちゃ。
居心地の良い存在だったことは確かだが、ただそれだけ。いずれは出ていくつもりだった。それが少し早まっただけ。
認めてしまえば、あっけないものだ。固執するほどのものではない。
「もう、そろそろいいかね」
呟いていたカウントを切り、首を左右に振る。今日はどこまで行けているか。そろそろ受付所まで逃げきれる頃合いなのだが。
ふと、受付所にいるだろう男を思い浮かべた。昨日はああ言っていたが、オレに惚れ抜いていたあの男のことだ。過去に捨てた女同様、オレに未練たっぷりの眼差しを送ってくるに違いない。
その視線を冷たくあしらい、他人然として振る舞ったらどんな顔をするのだろう。いまにも泣き出しそうな、情けない面を晒すのだとしたら面白い。
姦しい部下たちの成長と、顔見知りに成り下がった男を見るため、一歩を踏み出した。
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ここのカカシ先生は捻くれてます…。