ずっと今日も幸せ 6
「カカシよ。――あまりイルカをいじめてくれるな」
早朝任務が終わって早々火影室に呼ばれ、開口一番に言われた言葉がコレだ。
紅とイビキが三代目のイルカ過保護ぶりを口にしていたが、こればかりはあちらが正解だったのかと、ため息を吐きたくなった。
「こりゃ。あからさまにため息をつきおって、わしの言葉を聞くつもりがあるのか?」
口布で分からないと思ったが、さすがは三代目火影。部下の小さな言動も取り逃さぬ鋭い眼光をお持ちで。
肩を竦めるオレに、三代目は煙管を咥え、ぶつくさと小言を漏らし始めた。
「どうせ、お主も過保護すぎると思うておるのじゃろ。孫贔屓も大概にしろと胸の内で思うておるのじゃろ」
拗ねも入った小言に、散々周囲から言われたであろうことが予測された。なおも続く小言に、疲労が降り積もっていく様が手に取るように分かる。
「三代目。お話というのは、血の繋がらない孫の自慢話か何かですか?」
そういうことなら帰らせてもらいますよと踵を返そうとして、強い口調に阻まれた。
「こりゃ、話はまだ終わっておらぬぞ!」
煙管を投げつけんばかりの迫力に、両手を広げて降伏する。はいはいはい、聞けばいいんでショ。聞けば。
両手を後ろに組み、直立不動の姿勢を取る。三代目はようやく煙管から手を離し、口に咥えると満足そうに頷いた。
「そうじゃ。年寄りの言うことを聞いた方が、お主のためじゃぞ」
孫を心配する爺の戯言でもですか。
つい飛び出そうになる軽口を寸での所で止め、三代目に視線を向けた。
「すいませんが、手短にお願いしますよ。最近、疲れが取れなくて、ちょっとばっかり気が荒くなってるもんで」
気だるい重みが四肢を縛る。前よりも眠れなくなった体は、捌け口を見つけようと常に牙を剥き出している。
全てが疎ましく、癪に障る。
今朝見たあの男の青ざめた顔を思い出し、胃が焼きついた。
「カカシ」
呼ばれ、我に帰る。吹き出した殺気を押さえれば、三代目はこれみよがしに首を振った。
「何が、ちょっとばかりじゃ。物騒なもんを放ちおって。おまけに深夜任務を得んがために、受付職員を脅したそうじゃの。七班に夜盗殲滅の任務を与えるとは何事じゃ。お主がほぼ一人で処理したことは分かるが、明らかに不相応じゃ。私情を挟むでない、カカシよ」
三代目はそこで言葉を区切ると、厳しい眼差しを向けた。
「お主にあやつらを任せた意図、わしは十分伝わっておると思うていたが?」
厳格な里長の顔をして、確認の言葉を差し向けてきた。
眉根が引きついた。言われなくても分かっている。
写輪眼が埋め込まれたこの身には、あらゆる術と技が染みついている。
里がオレの所業に目を瞑る理由は、九尾やうちはに対処できる可能性がある、この目があるためだ。
九尾が封印された子供と、うちはの生き残りを一緒のチームにいれる時点で、その意図は知れた。残るサクラは二人の緩衝材。
ただ弱くても意味をなさず、優秀過ぎても手に余る。欲しいのはチーム全体を見渡せる視点を持ち、己の役割に徹することができる真に賢い人材。
体力、術共に、二人より劣るサクラではあったが、なるほどサクラはそれにふさわしい。まだ幼く、徹しきれないところはあるが、それは時間と共に解決するだろう。
「…分かっていますよ。あのチーム編成を見れば、答えは知れます」
愛着も情もあるが、ためらうことは万に一つないだろう。
有事の際は、この目を使え、でショ?
言外に笑って告げれば、三代目は煙管を投げてきた。
無造作に放ったとはいえ、チャクラが込められているソレは刃物以上の凶器だ。
受け止めることはせず、黙ってかわせば、小言が飛んできた。
「そこは受け止めておけ、馬鹿ものが」
重々しいため息を吐きながら、執務机の引き出しからスペアの煙管を取り出し、刻み煙草を入れる。火遁で火を灯し、煙を深く吸い込み、細く吐き出した。
白煙が天井に上る様を無感動に眺めていれば、三代目はもう一度ため息を吐いた。
「あのチーム編成はわしがしたのではない。イルカが行った。故に、お主に任せることになったのは、チームが決定して以後のことじゃ」
表向きはわしがしたことになっとるがのと、三代目は爆弾発言を放った。
一介の中忍教師風情が、里の憂慮事に首を突っ込んでもいいものなのか。いや、それよりも、あの男はどうしてあの二人を組ませるような真似をした?
オレに任せるために作った編成ではなく、男は別の考えであの三人を組ませたことになる。
訳が分からず見上げた先には、三代目が至極満足げな表情を浮かべていた。
「イルカはの。わしですらおいそれと出来んことをいとも簡単にしよった。言葉は悪いが、曰くつきの二人じゃ。里の上層部もこのチーム編成に物言いをつけることは必至じゃった」
理由を聞いてみたと、三代目は言った。
「わしの一存で切ってしまえることもできたが、聞いてみたくなった」
三代目は語る。
アカデミーの卒業試験を終えた後の事、例の事件で体中に包帯を巻き付け、イルカは三代目の執務室を訪ねてきた。今年の卒業生のチーム編成を、今一度、自分に任してもらいたい、と。
通常、下忍のチーム編成はアカデミー教師が行うことが通例となっている。先の段階では、ナルトは試験に落ちてしまい、通例どおりイルカが行った。だが、急遽うずまきナルトが合格したことにより、今年の卒業生のチーム編成は、里の上層部、そして火影預かりとなっていた。
里の達しを無視し、三代目に直訴したイルカは、本来ならば懲罰ものだ。だが、三代目は罰を与えず、イルカにどういうチーム編成にするか尋ねた。
おおむね先に出したチーム編成に違いはなかったが、最後の七班に三代目は度肝を抜かれた。
うずまきナルトと、うちはサスケ、そして春野サクラの三名。
里が頭を痛める両名を一緒にするばかりか、春野サクラは両親を忍に持たない一般の家庭で育った子供だった。頭は優秀だったが、それ以外特筆することもなく、忍家系ではないサクラを曰くありつきの両名の中にいれるチーム編成に、さすがの三代目もそのときは戸惑ったと、語った。
戸惑いを隠さない三代目の前で、イルカははっきりと言ったそうだ。
『サクラは確かに忍家系の子供ではありません。体力、技共に人より劣りますが、それを上回る賢さがあります。そして、サクラは両親から深い愛情をもらっています。――三代目、確かにあの二人は不幸な境遇にいます。本人の預かり知らぬところで、周りに影響を与えてしまう。これから先も、負の感情を引き寄せてしまうでしょう。けれど、だからこそ、二人は分かち合える。そして、サクラの存在が二人を強くする。俺はそう、信じています』
黒い眼差しを向け、子供たちを心から信じる者として、断言した言葉は不思議と説得力に満ち溢れていた。
「……火影という身では、イルカの出したチームは到底考えつかんかった。保障も確証もない。ただイルカが信じる、その一点で編成されたチームじゃ」
煙管箱に打ちつけ灰を捨て、三代目は優しい手つきで煙管を撫でた。
「……三代目は、たったそれだけのことで七班のチーム編成を決めたと?」
里の根幹を揺るがす問題に、アカデミー教師が信じるからと、それを信用したのか。
ずいぶんと浅慮な行いだ。
胸に巣食うどす黒い感情が、痛みと共に焦れた憤りを齎す。
凶悪な感情が顔に出ていたのか、三代目は顔を顰めた。
「物騒じゃのぅ。ようやく何かをしたいと思えたことは前進じゃが、方向性を間違っておる。傍から見れば簡単なことなのに、どうしてそうも頑ななのじゃろうな」
意味不明な言葉に、イラつきが増す。
奥歯を噛みしめるオレを一瞥し、三代目は「まぁ良い」と小さく呟いた。
「わしがお主を七班につけたのは、お主なら自ずとイルカの意図を導き出せると思ったからじゃ」
唐突に出た男の名に、ざわめきが消えた。その変化に戸惑うオレを尻目に、三代目は首を振りながら芝居がかった口調でオレを詰る。
「だというのに、お主は目先のことばかりに囚われおって。上層部向けに吹聴した話ばかりを鵜呑みにして、全く自分で考えようとはせぬ。これではわしとイルカの思いが無駄になるばかりじゃ」
やれやれと深く瞠目する三代目に、返す言葉が出てこない。忍びは裏の裏を読めというが、読む前に考え付きもしなかった。
「……まぁ、お主はわしらの考えに気付かぬとも、地で子供たちを導いておる。イルカなんぞ、わしと二人きりになる度にお主のことを褒め称えておったぞ」
無言のオレに、三代目は忍び笑いを漏らす。
感情を押さえ切れず、顔を真っ赤にして必死に喋る男の姿が浮かんだ。そして最後には笑うのだ。鼻に大きく跨いだ傷を掻き、感情を露わに出してしまったことを恥ずかしそうにしながら、それでも嬉しそうに笑う。
最近は聞かなくなったがなと、小さく漏れた言葉に痛みが走った。
鳩尾を細く引き絞られる、不安定で曖昧な痛み。こんな痛みは知らない。
俯くオレに視線もくれず、三代目は椅子から立ち上がると、背後の窓から空を見上げる。
雲ひとつない、青く晴れた空。その下にはアカデミーと演習場が見下ろせる。
演習場で体術の基礎訓練を行う小さな子供たちを眺め、三代目は独り言のように呟いた。
「…イルカは昔、わしの屋敷で暮らしていたことがあった」
唐突に語り出した三代目に視線を向けた。窓に映る三代目の目は演習場に注がれている。
聞いても聞かなくても構わない。そう言外に告げる三代目にどう反応していいか分からなかった。
視線を動かさず、三代目は男の過去を語る。
「あの九尾の事件で両親はおろか、親類縁者に至るまで、何の身寄りもない子供はイルカだけじゃったからな…。普通の子供じゃったよ。両親を殺した九尾を憎み、荒んだ心を持ちながらも懸命に生きようと前を向いておった」
九尾の襲撃後の里は最悪だった。
九尾の瘴気が色濃く残り、疲弊した里を襲う他国はひっきりなしで、人々は疲れ果て、言いようのない不穏な空気が始終渦巻いていた。それでも、人々はこの三代目の元、前を向いて里を立て直そうと必死だった。
任務に次ぐ、任務。血を被り、血をまき散らし、己と敵の両方の血に塗れていたあの頃。
あの時のオレも例に漏れず、どこか感覚が麻痺していた。
忘れられない、苦い記憶を束の間思い出した。だが、それも三代目の言葉で掻き消える。
「…イルカは、ナルトを殺そうとしたことがある」
苦い響きを持った言葉だった。窓に映る三代目の顔に変化はない。ただその目は遠く、どこか茫洋としている。
「当時、赤子のナルトもわしの屋敷におった。里の者たちの憎悪は全て赤子のナルトに向いておったから、暗部の者を護衛に立て、ナルトを匿っていた。…じゃが、九尾はあまりに多くのものを奪いすぎた」
身内から裏切りが出た。
皺が刻まれた口元から、するりとこぼれ出た。静かな殺気が込められたそれに、ぞくりと背筋が震える。
三代目はしばし虚空を睨んでいたが、吐息と共に剣呑な空気を霧散させ、無理もないと続けた。
「恨むしかなかった。憎むしか生きる術がなかった、それも分かる。じゃが、己の手を汚さず、年端もいかぬイルカを利用しての所業は到底許されることではない」
イルカは火影邸で働く周りの者たちに、それとなく唆され、誘導され、赤子のナルトの場所までやって来た。クナイを握りしめ、赤子の命を、いや九尾の命を奪おうとその眼前まで来た。
「だが、殺さなかった。…殺せなかったと言った方が正しいか」
少年時代の男の姿を思い浮かべた。両親の庇護を失った、天涯孤独の身となった少年。痩せぎすで、それでも黒い瞳には、今と同じような強固な意志の宿った光を灯していたのだろうか。
「のぅ、カカシや」
声を掛けられ、小さく返事を返す。声が掠れる。
「…はい」
「子供というものは、時に大人を凌ぐ聡明さを発揮させる。そして、塗りつぶされた闇の中に一筋の光を見せる。……そうは思わんか?」
窓から視線を外し、振り返った三代目の顔は笑っていた。
「今じゃから言うが、わしはな。あのとき救われた思いじゃった。ナルトの命を奪うためのクナイで、ナルトに群がる蠅を泣きながら追い払っていたイルカの姿に、目の覚める思いがした」
わしもどこかに、ナルトの腹に巣食う九尾を憎む気持ちがあったのじゃと、懺悔めいた言葉を吐く。それに返す言葉は持っていない。
「…あのときからお主も、数少ないナルトの理解者であったの」
柔和な顔を向けられ、居心地が悪い。
確かに里の者のようにあからさまに憎んだ覚えはない。だが、それは側にいなかったからだ。
先生の形身という情報と、里にほとんどいなかった身の上が作り上げた感情だ。
三代目が思っているようなことではないと告げれば、笑われた。
「お主の噂は聞いておる。忌み嫌われた狐面を自ら望んで被り、鬼神の如く成果をあげる銀髪の暗部がおると。お主だから任せられると、わしはあの頃から確信しておったぞ」
買い被り過ぎだ。
視線を逸らすオレを、三代目は「謙遜するな」とからからと笑った。
重厚な椅子に腰かけ、手に持った煙管に再び刻み煙草を詰める。一つ息を吐き、詰めた穴を見詰めながら口を開いた。
「イルカの一件で、ナルトの世話を誰も見ていないことが判明した。普通の赤子じゃったなら死んでおった。じゃが、九尾の力がナルトをかろうじて生かしておった…。気付かなかったのは、わしの落ち度じゃ」
ナルトにはすまんことをしたと、暗い影をまとわせ言葉を漏らす。
無理もないことだと、思った。
あのときの三代目は、他国の牽制と、里復興の援助資金を工面するために、昼夜を問わず国内外を行き来していた。
「じゃがのぅ。嬉しい誤算もあった。その一件が切っ掛けで、ナルトに本物の家族ができた」
詰めた煙草に火をつけることさえ忘れ、三代目は目尻を下げた。
そこで、合点した。忌み嫌われたナルトの世話を見たのが、
「イルカじゃ」
三代目は我が事のように嬉しそうに笑いながら、話を進める。
「最初は反対した。憐みだけで赤子を育てることはできん。イルカ、ナルト、相方にとって悪影響じゃと、ナルトの部屋に忍びこむイルカを叱り、諌め、近づくなと何度も言い聞かせた。じゃが、」
指先に小さな炎を灯し、煙草に移した。赤く燃え広がる煙草をふかし、一、二度大きく吸い、吐き出す。口から鼻から白煙が立ち上る。その白い筋を見上げながら、懐かしそうに目を細めた。
「イルカは諦めんかった。誰一人として面倒を見ない者に代わり、イルカは慣れない手つきでナルトの世話をした。…結局、わしが根負けした」
小さく笑う三代目の瞳は慈愛に満ちている。
ナルトの面倒をみることを表向きには反対していたが、本心は望んでいたのではないかと思う。それでも余計な気をあの男に使わせたくなくて反対した。
男が自らの意志でナルトの面倒を見ているのか、それとも憐みの対象として面倒を見ているのか、それを見極めたかったのかもしれない。
「わしは、イルカが言った言葉が忘れられんよ。ナルトを胸に抱え、血相を変えてわしの部屋に飛び込んできた時に言った言葉が」
三代目は男の言葉を、そっと囁いた。
『三代目、見てください。可愛いでしょう? ナルトが、ナルトが初めて笑ったんです』
イルカが血相を変えて走っている間に、ナルトは笑みを引っ込め、不機嫌な顔を見せていたのだけれど、イルカは可愛いと泣きながらナルトに頬ずりをしたそうだ。
「それからイルカが下忍となり、屋敷を出た後、ナルトを引き取り一緒に暮らし始めたんじゃ」
予想外の言葉に面食らった。上忍師となり手渡された資料には、ナルトは孤児院で暮らした後、今に至るまで一人暮らしをしていると明記してあった。
三代目が嘘を言うはずもなく、となれば。
「記録の改ざんですか?」
三代目は応えなかったが、その沈黙を肯定ととらえた。
「里の中で、ナルトと共に暮らすことは楽ではない。じゃが、イルカは言いおった」
『嫌な目に遭うことは分かってる。みんな傷ついて、憎む気持ちも分かるよ。でも、ナルトに里を見せたい。お前も木の葉の一員なんだって教えてあげたいんだ』
あの人らしいと、漠然と思う。
三代目は眉間に皺を寄せ、じっと天井を見詰めている。
「安全な囲いの中で暮らすよりも、ありのままを見せた方がいいと言ったイルカの言葉は正しいじゃろう。それでも、辛い目に遭うのはお主じゃと言い含めた。じゃが、言うことを聞かん。護衛を回すと言ったわしに、イルカはこうも言いおった。『僕はいらないから、ナルトにつけて。僕じゃ守りきれない分だけでいいから、ナルトを守って』とな」
天井からオレに視線が移る。どう思うと口端をあげた三代目に、眉根を寄せた。
答えぬオレの言葉なぞ、端から期待していないというように、三代目は言葉を紡ぐ。
「――そのときのイルカは十三じゃ。それでもあやつは心に大きな炎の意志を持っておった。これほど心強いものはない。わしですら勇気づけられたくらいじゃ、徐々にイルカに感銘を受ける者も現れた。進んで護衛任務を買ってくれる者も出始めるようになった。それと同時に、ようやく里も復興の兆しが見えてきた。全てがうまくいく、そう信じたかった」
オレを見詰める瞳に悲しみが浮かび上がる。
「…それでも、傷は深い。イルカはいつもどこかに怪我を負っておった」
胸が痛みを発すのは、三代目の苦悩を見たからだろうか。その場にオレがいればと脈絡もなく思う。現実的に考えれば、無理な話にも関わらず。
意味のないことを考えるオレに、三代目はどこか寂しそうに語った。
二人の仲の良さを、睦まじさを、本当の兄弟のように一緒に生活していた日々を、静かに語った。
「その二人を引き離すことになったのは、ナルトの夢じゃった」
今だ九尾を憎む者たちが大半だった里の中、それでもたくましく、寄り添って生きていた二人は離れることになると三代目は呟く。
ナルトが望んだから。
イルカ兄ちゃんがおれのことでいじめられないように、おれは里のみんなに認めてもらうんだと、火影になって認めさせてやるんだと、ナルトが望んだから。
ナルトの夢をイルカの口から聞き、そのときは深く考えもせず立派なことじゃと褒めた。
里の者たちの心ない仕打ちを受けた身で、恨むのではなく、己を鍛え、誰もが認める存在になると言えることは、なかなか出来ない。
わしに出来ることがあるならば協力は惜しまないと、口に出した。
逆境にありながら、それでも前を向いて歩こうとする二人を応援したくて、越権行為も辞さない考えでイルカに言った言葉は、二人を離す決定打となった。
『俺とナルトの記憶を消して下さい』
イルカが望んだことは、二人で生きていた日々を消し去ることだった。
何故だと訳を聞く三代目に、イルカは『ナルトが火影になりたいと望んだから』と答えた。
イルカの真意を図りかねていれば、イルカは言った。
今のままではナルトは忍にすらなれない。厳選に厳選をかけ、選ばれたアカデミーの教師とはいえ、九尾を憎む者たちも数多い。その中で、ナルトが忍としての技術を学べるのか疑問だと、ひょっとしたら演習中の事故に見せかけ、心身に危険が及ぶかもしれない、と。
イルカの言葉を一笑に付すことはできなかった。それはナルトの側にいたイルカに起きた出来事ともいえたのだから。
『ナルトを立派な忍にするため、俺がアカデミー教師になります。それには、一緒に暮らしていた記憶は邪魔なんです』
はっきりと言い切った言葉に、声を失った。
イルカはすでに覚悟を決めた瞳でそれを望んでいた。
それでも二人の絆を知っているだけに、三代目は記憶を消すことを考え直すように説得した。
二人の大事な記憶だ。強みにはなるとも、弱みになりはしない。そのまま教師になって、ナルトを助けてやれと。だが、イルカは頑なだった。
『アカデミー教師にはなります。死に物狂いで、俺はアカデミー教師になってみせる。だからこそ、ナルトとの記憶は持っていけません。――三代目、火影になるということは、誰かが庇護して叶うような簡単なものなのですか?』
揺れる眼差しに、言葉が出なかった。
『俺は、ナルトの夢を応援してやりたい。あいつはすごい奴なんです。俺は、あいつが作る里を見てみたいんです』
震える声で必死に言い募るイルカに、反対することはできず、三代目は結局二人に術をかけた。ただし、記憶を消すのではなく封印する術を。
「……長いこと生きておったが、これほど躊躇ったことは過去にも現在にもありゃせんかった」
記憶を封じる前に、イルカとナルトは長いこと話したと言った。それを間近で聞き、身に抓まされたと力なく笑った。
泣きながら嫌がるナルトの両肩を掴み、イルカは険しい顔を見せた。
『火影になりたいと言ったのは嘘なのか』と。
『嘘じゃない。本当だけど、イルカ兄ちゃんを忘れたら、イルカ兄ちゃんがおれのこと忘れちゃったら、もう二度と一緒にご飯食べられない』と、ナルトは泣いた。
そんなナルトをイルカは笑ったそうだ。バカだなと言って、屈託なく笑った。
驚きで涙を止めるナルトに、イルカは断言した。
『記憶がなくったって、俺はお前とだったらもう一度会って、もう一度同じ関係を作れるよ。俺はナルトを、俺自身を信じてる。ナルトは信じてくれないのか?』
完全に涙を止め、嘘がないか、じっとイルカの顔を見詰めるナルトに、イルカは笑う。
『俺を信じろ。今まで嘘言ったことないだろ?』
イルカの言葉に、ナルトは小さく頷いた。
そうして、二人は別れた。
また会おうと約束さえせず、二人はお互いを忘れた。
イルカは言に違わず、何かに取りつかれたようにアカデミー教師を目指し、ナルトは火影になるという夢を胸に抱き、アカデミーへ入学した。
「再会したのは、イルカがアカデミー教師になって二年後のことじゃ。わしの不安を余所に、見事あいつらは昔の関係を取り戻した」
煙管を噛みしめ、感慨深く鼻から息を吐く。
編み傘の下、今では隠れてしまった瞳は濡れているのかもしれないと、ぼんやりと思った。
「記憶は……」
「ん?」
無意識に出た言葉に、臍を噛む。言うつもりはなかったが、先を促す三代目に負け、口を開いた。
「……うみの中忍と、ナルトの記憶は…戻らないのですか?」
手甲下の手の平が湿り気を帯びる。唇が渇く錯覚を覚え、舌で湿らせていれば、三代目は小さく口端を上げた。
「……イルカはの、ナルトに自分の額当てを巻いた時点で、自力で思い出しよった。…じゃが、ナルトは忘れたままじゃ」
不意に込み上げてきたのは、怒りか、それとも焦りか。
「封印は解かないのですか?」
どっちつかずの感情に翻弄されながら、聞いた言葉に、三代目は首を振った。
「イルカが解かなくても良いと望んだ。ナルトに必要なのは過去じゃない、今だと。これから大きく広がっていく未来だと、笑って言いおった」
「……そう、ですか…」
途端に襲うのは、奇妙な脱力感。ほっとしたような、切ないような、複雑な感情。
口布の上から口元を押さえた。訳も分からず叫びたい、そんな衝動が生まれた。
「……里在住が決まった頃と比べ、見違えたの」
衝動を押さえることで必死だったオレには、三代目の言葉が理解できなかった。
疑問の声を上げる前に、三代目は煙管箱に煙管を打ちつけた。カンと小気味よい音が鼓膜を揺らす。
「ようやくお主にも大事なものが見つかったか」
からりと笑う。
再び煙管に刻み煙草を詰めつつ、しみじみと呟いた。
「イルカを見習って、少しは己を信じてみるがよい。案外、それだけのことで、道は開けるものじゃ」
年寄りの言うことは黙って聞いておけと、清々しく笑う声に、オレはただ立ち尽くしていた。
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7へ
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アップする量が長かったり短かったりして、すいません。
区切りがいいところで切ると、一定しない…。