ずっと今日も幸せ 7


「…ちょっと。このメンバー編成したの、誰よ」
髪を掻き上げ、不満そうな言葉を漏らした紅に、アスマは面倒くせぇと小さく呟いた。



巻物奪還のAランク任務。
霞隠れの忍びが護衛するそれを奪えとの達しに選ばれたのは、オレとアスマ、そして紅のスリーマンセルだ。
霞隠れの忍びは幻術のスペシャリストとして名高い。
「不本意ながら、こいつが入るのは分かるのよ。勿論、私もね」
紅の視線を感じ取ったのか、アスマは煙草の代わりの枝を噛みしめ、力なくぼやく。
「カカシの補助だとよ。ぶっ倒れることを想定した任務ってことだ」
なるほどと紅は頷き、オレを見た。相変わらず不躾な女だ。
答えることも馬鹿らしく、無言で先を目指せば、目的のご一行が見えた。
獣道を行く三人の忍び。
Aランク任務に指定されるだけのことはあるのか、ご一行さまはこちらにいち早く気付き、臨戦態勢を取っている。三人とも上忍。もしかすると、こちらと同様ビンゴブックに名を連ねる者もいるかもしれない。
無言でクナイを抜き放ち、後ろの二人に目配せをすれば、その意を汲み、左右に分かれた。
挟み打ちと見せかけ、巻物を守る相手を選別するための特攻。および、敵の情報収集。
幻術のスペシャリスト。それ以上の有力な情報を掴めない霞隠れの忍びは謎が多い。かくいうオレも刃を交えるのは初めてのことだ。
額当てを押し上げ、写輪眼を開眼する。正体不明の相手に、実力を出し惜しみするほど自惚れてはいない。



「写輪眼のカカシかッ」
迫るオレを前に、相手が浮き足立つ。避けられることを前提に、千本を放ち、同時に印を組む。
多重影分身の術。
三人を囲むように現れた多数のオレが続けて印を組む。その印に、相手から焦りの色が浮かんだ。
印を組み、水遁を使う男。土遁を駆使し、土の津波に影分身を飲み込ませる男。そして、もう一人。忍刀を携え、分身に切りかかる男を認め、オレは合図を送る。
巻物の所持者はアレだ。
手筈通り、影分身に混じって、俺に変化していた紅とアスマが二人がかりで、相手に当たる。
活路を見出そうとしていた二人が、男の劣勢を見てとり引き返すのを真正面から阻んだ。
アスマと紅は巻物保持者であろう男を巧みに誘導し、二人から引き離す。この距離ならば、飛び火することはないだろう。
にやりと笑い、最後の印を完成させる。二人の顔が驚愕に歪む。最期の悪あがきか、水遁の印を組み始める二人を笑い、無数のオレはそれを放った。
数に物を言わせて放った火遁は、一つでは小さくとも、千以上集まれば立派な業火となる。
影分身を解き、断末魔の悲鳴を上げ、燃え盛る敵を見据えた。
燃え尽きた後、黒焦げになった男たちに、用心のためクナイを貫く。
皮膚を貫く感触とはまた違った固い感触に、奇妙な愉悦が込み上げる。敵だ。そう、これは敵だ。敵。敵、敵、敵。敵、敵、敵。敵、敵、敵敵敵、敵。
 ――里に仇なす、敵。ならば、何をしても許される。
 背中が総毛立つ。興奮に任せて切り刻もうとクナイを振るう手に力を込めた。



「止めなさいッ」
甲高い声と同時に、風を切る音がした。体を傾げ、後ろにステップを踏めば、険しい顔をした紅がオレを睨んでいた。
「もう死んでる。それ以上やるなら、私はアンタを許さないわよ」
クナイを構え、低い声で恫喝してきた女に笑いが零れ出た。
黒焦げになったそれを、しかも敵だったものを守る理由が分からない。
ついと視線を横に向ければ、アスマが敵を捕縛していた。猿ぐつわをかけ、両手を後ろ手に戒めている。
捕虜の男は黒焦げの物体を目に収めた後、オレに視線を向けた。いい目だ。敵はこうでなくてはならない。
「アスマ、巻物は?」
怨念のこもった目を向ける敵から目を離さず尋ねれば、紅に顎をしゃくった。その一瞬を見逃さずに、オレは無抵抗な敵にクナイを走らせる。
砥ぎ澄まれたクナイは、速さと角度によって、面白いように望むものを断ち切ってくれる。首の頸動脈が刃に触れる手応えに、知らず笑みが浮かんだ。
「バカ野郎がッッ」
あと少し横に滑らせれば、綺麗に断ち切れたのに。怒りの声と飛んできた蹴りに邪魔されて、綺麗に首を切り落とせなかった。
吹き出る血飛沫にアスマは忌々しそうに舌打ちをつき、体を離した。前に押し出すように突き飛ばした瞬間、かろうじて体と繋がっている敵の頭が傾いだ。その瞬間、ぎょろりと目が動き、オレを見た。



青く発光する瞳に、職業病が出た。
霞隠れが幻術のスペシャリストと言われる所以。そして、謎とされた忍び集団の実態。
それは、死の間際にして発動する、幻術に全て終結するようだ。
写輪眼を見開き、向き合うオレに、敵は笑った。
『殺し合え』
頭に響く簡素なメッセージに、術の効果を知る。
世界が明滅し、五感が消滅した。じわじわと蝕む悪寒と、暗がりに現れた歪な影に、この程度かとため息を吐いた直後。



左頬に強烈な一撃が入った。
思わぬ攻撃に避ける術を知らず、地面を転がり、木に追突してようやくその勢いを止めた。
「……何すんのよ、髭」
不機嫌を隠さずに唸れば、アスマは珍しく怒気を顔に表し、砂を払っているオレの胸倉を掴んだ。
「それはこっちの台詞だ。テメェ、何、考えてやがる。オレたちの任務は巻物奪還。皆殺しにしろと命は受けてねぇッ」
胸倉を引き上げられ、首が締まる。息苦しさに嫌気が差して、変わり身の術を使えば、アスマはなおのこと激昂した。
「カカシ!! 上忍師になってちったぁマシになるかと思ったが、テメェ何も変わってないなッ」
噛みつくアスマを鼻で笑う。
「生ぬるくなることが変わるってことなら、オレは一生変わらないし、変わるつもりもないね」
髭のバカ力のせいで口端が切れたようだ。口布の上から擦れば、ひりひりと痛んだ。せっかく無傷で終わらせることができたのに、味方にやられちゃ意味ないね。
くつくつと笑えば、紅が心底侮蔑した眼差しでこちらを見据えた。それはどこか、あの敵の眼差しに似ている。
「放っておきましょ、アスマ。こいつに何言ったって無駄よ」
オレから視線を離す紅に、賢明な判断だと笑う。オレの笑い声が不快だったのか、背けた顔をわざわざ戻し、紅はオレを睨んだ。



「だからイルカは死んだのよ。全て、アンタのせいだわ」
唐突に放たれた言葉に、笑みが凍る。
何を?
悪い冗談にも程があると息を吸ったオレに、アスマが忌々しく吐き出す。
「本当になッ。ケチな幻術に捕まりやがって、イルカを敵と間違って殺るなんてよ。……こいつも浮かばれねぇ…」
殺した? 誰が? オレが?
アスマの視線は、先ほどオレが殺した敵に注がれている。まさか、いや、そんな馬鹿な。
ぐらつく視界を手で支え、見下ろした。
草が生い茂る中、後ろ手に縛られ、倒れた体。
血だまりの中、ぐらぐらと不安定に揺れる頭には、ぴょんぴょんと動き回っていた黒い尻尾と、猿ぐつわが噛まされた顔には、鼻を横切る大きな傷が走っていた。
意志の強い黒い瞳は今では光を潜め、茫洋と草の先を眺めている。
「……せんせ?」
呟いて、バカなと打ち消した。
倒れた体の側に膝をつき、もっと顔を間近に見ようとして、体が止まる。顔に触れようと手を伸ばして、がたがたと震える腕が、言うことを利いてくれなかった。



「嘘だ」
見ることも、触れることもできず、中途半端に固まったオレはぽつりと呟く。
嫌な汗が染み出る。荒くなる呼吸を止められない。
「――れは幻術だ。先生が死ぬはずがない。オレが先生を殺すはずがないんだ」
解と小さく唱えるオレに、背後の紅とアスマがわめきたてる。
「バカ言うんじゃねぇッッ。なら、オメェの目の前にいるのは何なんだ。現実逃避も大概にしろよ、カカシッ」
「アンタのせいで、イルカが死んだ! 認めなさいよ、人殺しッッ。イルカは何も悪くないのに、悪いのはアンタなのにッ」
男が罵る。女が泣き叫ぶ。
解と何度も唱えても、目の前の顔は変わらない。印を組み、高等幻術の解術を何度試しても、目前にあるのは先生の顔だった。
「うあぁぁぁああああああああああああああああああ!!」
吠える。
体が、頭が強く否定した。拒絶した。
信じられない。認められない。――認めて、たまるか。



「カカシ! どうした、オメェッ」
「しっかりしなさい、落ち着いて」
背後から肩を掴む人影に、無言でクナイを走らせた。
息を飲む人影に、オレは笑う。
「認めない。先生は死んでいない。オレは先生を殺しちゃいない」
クナイを構え、写輪眼を晒す。これが現実でないなら、ここは幻術が作り上げたまやかしの世界だ。それを作り上げているだろう、二人のどちらかを倒せば、この悪夢から抜け出せる。
「おい、どういうことだ?!」
「あんのバカ。最後の最後に幻術にかかったってことよッ。解術唱えても解けないとすれば、媒体があるはず。たぶん、あれ。あれを燃やしたら解ける」
女が指さす先には先生がいた。
瞬間、臓腑が焼き爛れるほどの怒気が突いて出た。先生を傷つける奴は容赦しない。
両手をだらりと下げ揺れるオレに、女と男はクナイを構えた。まずはふざけたことを抜かす女を血祭りにあげてやろう。
音もなく体を走らせ、女の首を狙った。
瞬時に詰め寄ったオレに、女はまだ気付いていない。クナイを滑らせようと横に薙いだ瞬間、女の目が見開いた。首を守ろうとクナイを走らせるが、もう遅い。
首に潜り込む寸前、火花を散らせ、横から阻まれた。
無粋な奴だーね。
視線を横に向け、オレの攻撃を阻んだ男を捕えた。でも、あんたの本命はソレじゃないのよね。
女の首を狙った瞬間、放ったクナイが左手の甲を貫いている。女を守るために、左手を犠牲にしたか。



「アスマ!!」
悲鳴を上げ、女がクナイを閃かせる。仕方なしに距離を取り、二人を眺めた。
突き立ったクナイを無造作に引き抜く男に、顔を青くして寄り添う女。
美しき愛情かな。
小さく笑いが零れ出た。だが、戦場でそれは無用なものだ。
「反吐が出るーね。麗しき愛情ごっこなら、余所でやってくれない? ここは戦場。弱い奴は死ぬのが道理なの」
歌うように告げれば、女は目に怒りを燃やせ、オレを見据えた。あぁ、そう。その目だ。敵ならば、その目でオレを見てくれ。それでこそ手加減せずに叩き潰せる。
次はどうやって料理してやろうと頭で算段していれば、女は甲高い声を放ってきた。
「じゃぁ、アンタの先生とやらはどうなのよ。死んだんでしょ?! 答えなさいよッ」
「止せ、煽るな」
小さな叱責の声に、女は舌打ちをした。
答える必要はない。でも、最期の望みになるのだから、付き合ってやってもいい。
「いいよ。最期のお願いだし、聞いてあげるーよ。先生はね、本当にお人よしで、涙もろくてさ、あんたらみたいに戦場で愛情ごっこを地でしちゃうような人なの」
女に張り付いていた険が、何故か取れた。男も呆気に取られたような顔を晒してオレを見ている。
バカ面を見詰め、オレは続ける。
「一度決めた事は何が何でも貫いてさ。一度守ろうと思った人は、自分の体を犠牲にしても守るようなおバカさんなの。だからね、オレは先生を守るの。死なないように守――」
言いかけて、あぁと吐息を吐く。
「違うか。先生はオレの里だから。オレの帰る場所だから。だから、死なないのか。死ぬはずがないんだよーね。だって、先生は全てだもの。オレの全てだから、死ぬ時はオレが死ぬ時だ」
己の過ちに気付き、それを訂正できたことにほっとすれば、女はばたばたと滴を落とした。男の咎める声に女は「ごめん」と呟くと、目を擦った。
「…ほんと、バカ。救いようもないバカに初めて会ったわ」
「バカはいっぺん死なねーと直んねぇんだ。しゃーねぇーな」
「そうね」と女が短く呟いた。男と女の最期の会話もさせてやった。これで憂いはない。



「いらない話はこの辺で、おわーり。それじゃ、サヨウナラ」
別れの言葉を告げる。瞬間、誰かに言われたことを思い出し、胸が痛んだ。その痛みを振り切るように駆ける。
「行け、紅! 何が何でも、オレがアイツを止める」
「分かった! これが終わったら、アイツに死ぬほどおごってもらうわよッッ!!」
「乗った」と口端で笑い、突進してくる男を無視し、女を狙う。ワイヤーを操り、女の行く手を阻めば、男のクナイがそれを切り裂く。やっぱり邪魔だーね。
予定変更と男にクナイを走らせれば、上段で防ぎ、力任せに押し切られた。力を逃し、続いて腹を狙った蹴りを、真下に逃げてやり過ごす。男の懐に入った場所から伸びあがるように、クナイを振るえば、男のご自慢の髭にかすめた。
小さな舌打ちに、笑おうとして止まる。やられたと内心臍を噛んだ。
目前に迫る拳はチャクラを纏わせ、唸りを上げて向かっている。でかい図体の癖して、接近戦の方が得意なのか。
舌を打ち、顔面に打ち込まれる拳を防御すべく、チャクラを腕に集めた。
ジッと耳に聞こえたのは一瞬で、渦巻く暴風に体が浮かぶ。
よりによって風の性質か。どこぞの髭とそっくりだとぼやき、続けて放たれた左拳は、もろに鳩尾に入り胃液が逆流した。
警戒は解かず、口端に勝利の笑みを浮かべる男を目におさめ、口から胃液を吐き出しながらオレも笑ってやる。
「ざーんねん、でした」
煙を撒き散らし、オレが消える。男のうろたえる様が心地いい。
「紅ッッ」
声を上げ、駆けてくる男。でもね、もう遅いんだよね。
印を組み、先生に危害を加えようとする女の背後に降り立つ。初志貫徹。自分の志を反故にしちゃダメだーよね。
さきほどよりも早くオレの気配に気づいた女は優秀な部類だろう。でも、やっぱり遅い。
手向けの言葉なんて風流なものを掛ける趣味はなく、無言で女へと刃を向ける。切っ先が女の肌を切り裂いた瞬間、女の体はブレ、一瞬にして無数の黒い影の蝶となった。



「…幻術…ね」
ひらひらと飛び交う蝶を一瞥し、その一つを手の平で握りしめる。髭面男の姿はない。無数に飛び交う影の蝶と、オレと先生だけの世界。
蝶を握りつぶした手に痺れが走る。そうでしょうね、そういう仕組みだものね。いい度胸だが、オレを甘く見過ぎ。
印を組み、倒れ伏す先生へと火遁を放った。途端に崩れる世界。五感を刺激する無数の気配と、髭男の切羽詰まった気配。
オレの目の前には白煙をくすぶらせ、横ざまに倒れる女の姿がある。その奥には本当の先生がいる。オレの先生が。
「紅、逃げろッッ」
束の間、先生の無事な姿を確認していたオレに、男の声が飛んだ。
そういうことを簡単に言えちゃうなんて、同じ忍びとは到底思えない。
男の声に女の目が光る。オレを見上げ、自棄になったかクナイを振るって襲いかかってきた。
真正面から打つクナイを受け止める。左手に隠し持っていた暗器を繰り出せば、予想外のことに弾かれた。
やるねぇ。
女はオレの殺気にいち早く勘付いたか、距離を空けると、続け様に千本を放って牽制する。読みもいい。
だけど、おしまいにしよう。左手に集めたチャクラがチリチリと鳴る。
気丈に睨みつけていた女の顔が青ざめる。背後から迫る気配に千本を投げつけ、オレは女に向かって突っ込む。朱をばらまき、苦悶の顔を曝け出せ。
女の絶命の表情を思い浮かべ、にぃと笑う。



「アスマ、やって!!」
女の体に触れる間際、背後でチャクラが膨れ上がった。ハメられた?!
女に突っ込む勢いを殺し、その奥に向かって飛んだ。左手のチャクラが弾け飛ぶ。ダメだ、それだけはさせられない。
「カカシッッ」
飛んだ瞬間、女が足首を掴んだ。体が落ちる。振りむき、蹴り解こうとした刹那、風に乗って火薬と火の匂いを嗅いだ。



「やめろッ」
目の前に火が走る。阻もうと掴んだ手は空を切る。
オレの手の先に向かって、火は燃え上がった。
血の気が引く。眠る先生が飲み込まれる。
おぉん。空気が唸り、火柱が立った。地面に叩きつけられ、顔を上げれば、紅蓮色の熱波が襲った。
炎を見詰めた。橙色に燃える炎は巨大な火力を見せつけるだけで、懐に隠した影を一瞬たりとも見せてはくれない。
やがて、炎は前触れもなく消えた。
周囲に闇が戻る。視界がちかちかと明滅する。
錆ついた間接を動かし、膝をついた。地に両手をつけ、先生がいた場所を見下ろす。
ぼたん雪によく似た火の粉が舞う。巨大な火柱が燃え尽きた後も、ちらちらとその炎の名残を残し、舞っては散った。
焼け跡には、地面に黒い楕円の焦げ跡を残すのみだった。
先生?



「イルカ、せんせ、い?」
名を呼んだ。
あの日を境に呼べなくなった名を、初めて口にした。
途端に広がる喪失感は、何だろう。今まで立っていた場所から転げ落ちるような。――いや、落ちている。今、オレは底のない闇の穴へ落ちた。
 再び闇の声が戻ってくる。落ちたオレを飲み込み、沈めていく。蝕んでいく。
光が見えない。
掴んだはずの手は消え、光はオレの手をすり抜けてしまった。すり抜けたものはもう二度と掴むことはできない。











戻る/ 8


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残り三話!