ずっと今日も幸せ 8


長い間、暗闇の中にいた。
何もかも失い、一人でずっと闇の中にいた。
もっと落ちろと囁く声は絶えず聞こえた。



闇の声。
オレは咎人だから、闇は好んでオレにつきまとい、より深い奥底へと引きずり込みたがっていた。
諦めてしまえば楽だった。力を抜いてしまえば、もがくことを止めて沈んでしまえば、陳腐な感情を代償に、闇はオレの手足となり、苦痛を感じることもなかったのに。
胸の奥底に、残滓のように残る光の欠片が、恋しくて、愛おしくて、もう一度掴みたくて、オレは足掻いた。
任務という名のもとに数えきれない命を奪っても、過去に犯した罪を思い出しても、守れなかった人を悔やんでも、徐々に黒く穢れていくそれを手放せず、縋りついていた。
けれど時間と共に、陰惨な任務を繰り返すうちに、欠片はオレの闇に蝕まれ、その光を失いただの残骸となり果てた。
闇の声が急に大きくなった。耳元で常に囁き、飲み込もうと足底を蠢いた。
日増しに広がる闇の領域に、囁き続ける声が大きくなっていく毎日に、オレはいつしか抵抗を止めた。
這う闇は冷たく、体はおろか感情さえ凍らす。
仲間と呼ばれる者たちから恐れ疎ましがられ、オレの側を離れなかった数少ない友からは怒りを、悲しみを、そして嘆きを訴えられた。
もう疲れたんだ。もうオレに光は見えないから、あの輝きをオレは忘れてしまったから。
言葉は口から出ることはなく、気を遣ってくれた友たちに忍び寄る闇を、この身に引き受けることでしか礼を示せなかった。
このまま朽ちるのだろうと思っていた。
完全に闇に飲まれ、ただの殺人鬼となって、いずれオレが殺した者たちのように死んでいくのだと思っていた。



それなのに、光が差した。
強烈な光がオレを照らし、忘れていたあの輝きを目の前に突き付けられた。
望んでいたものだったはずなのに。
この手にもう一度掴みたいと思っていたのに。
それはわずかでもオレにはまぶしくて、例えようもなく美しくて。汚いオレが手に触れたら穢してしまいそうで、壊してしまいそうで。まばゆい故にそれを殺してしまいそうで、オレはただただ恐怖した。
光を守りたくて、自身の闇を押し隠し、絶えず聞こえる闇の声を聞こえない振りをした。そこら中にわだかまる闇を見えない振りをした。
やせ我慢はやせ我慢でしかなく。神経はすり減り、体を蝕み、いつしか眠れなくなっていった。
遅すぎた。
光を乞う時は過ぎ、後戻りできないところまでやって来ていた。
いっそのこと闇だけだった、あの中に戻りたいと小さくなって震えていたオレに、手を差し伸べてくれたのが先生だった。



『好きです。結婚してください』
あっけないほど簡単に、オレに手を伸ばしてくれた。
何も知らない癖に、オレがどれだけ汚れているか分かってない癖に、濃い暗闇はもはやオレの一部となって切り離せなくなっているというのに。
でも、先生の黒い瞳には、オレを包む冷たいだけの闇とは違う温かい闇が存在して、その闇はオレの闇を追い払ってくれた。
どうしてこんな人がいるのだろう。どうして、この闇は温かいのだろう。
先生に近づく度、触れる度、オレの闇が鎮まった。
先生の黒い瞳がオレを見つめる度に、オレの名を柔らかく呼んでくれる度に、懐かしい感情が溢れ出した。



『カカシ先生、任務お疲れ様でした。ご無事のご帰還で何よりです』
お世辞にも良い行いとは言えない、陰惨な任務の直後、苛立ちを隠せず、血が滴り落ちるまま訪れた、深夜の受付所。
受付任務をしていた先生はオレを見詰め、まぶしいものを見るように目を細め、柔らかく微笑んでくれた。
ありきたりの決まり文句。
そこにそれ以上の言葉も意志もなく、先生だって何かの意図を持って言ったわけではないと分かったのに。
――オレは、確かに救われた。
知らず殺していた感情を思い出し、噎せ返るほどの血の匂いを思い出し、鼻を覆った。
『帰る前に、流した方がいいですよ。大丈夫、すぐ綺麗になります』
屈託なく笑う顔に安堵した。急激に戻って来た感情の揺れを押さえ切れず、言葉もなく頷いて立ち去った。
上忍用のシャワー室に閉じこもり、冷たい水を被って、血を流した。排水溝に渦を巻く、徐々に薄くなる赤い水を眺め、唐突に理解した。
先生はオレを受け入れている。穢れた闇に蝕まれたオレを全て受け入れていた。異質なオレを受け止めていた。



それから用がない時は、先生の気配を常に探し求めた。先回りをし、偶然を装って出会い、その後をつき従い、一緒にいられるよう何でもした。手回しできるものは全てし、先生の周辺をうろつく影を追い払った。
先生も笑ってくれた。オレがいると先生は嬉しそうに笑って駆け寄って来てくれた。
だから、このままでいいと。
先生がずっと側にいてくれるなら、それでいいと。オレはこの位置に止まった。時折、寂しそうな顔を見せる先生の顔を見ない振りをして、オレは永久にこの関係が続くよう願っていた。
けれど、均衡は破られた。
欲情した先生を見た瞬間に感じた衝動は、何と言えばいいのか、分からない。
無我夢中で、オレに落ちてこいと願ったのは確かだった。
望みすぎた思いは罪となるのか。
それが切っ掛けとなり、先生はオレから去って行った。
何が悪かったのか分からなくて、どこを間違えたのか理解できなくて、ずっと悩んでいた。
どうしたら戻れるのか、どうしたら先生にオレの名を呼んでもらえるのか、分からなくてずっとずっと苦しかった。
それでも、先生がいてくれたから。
オレに微笑んでくれた顔を、柔らかく呼んでくれたその声を思い出し、いつかまた、あのときのようにオレの側にいてくれると信じていたから、なけなしの力で踏ん張って、冷たい闇を追い払っていたのに。



――先生はいない。
オレの目の前で、消えてしまった。










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カカシ先生、語り。