レッスン 2


「……またやったそうだね、カカシ」
怒りを通り越して怨念に近い声を放ちながら、こめかみを引きつらせている里長を眺めた。


「はあ」
里長の呼びかけで執務室に馳せ参じた途端、この剣幕だ。
つい昨日のことなのに耳が早いことと、これから先の小言を想像していれば、案の定怒鳴られた。
「気の抜けた声を出してんじゃないよっ! あれほど大切にしていた女を廃人同然にしちまって、よく平然としていられるねッ。おかげであの子は精神病棟行きだよっ」
立ち上がると同時に、執務机を叩く。ご自慢の怪力で、代々の火影が愛用していた執務机は大きな音を立ててひび割れた。
五代目の側近を勤める黒髪の女性が、顔を真っ青にしてその現状を憂いている。感情任せに破壊を繰り返す、五代目の悪癖は、里の財源を食いつぶしかねない。
ただでさえ、莫大な借金抱えてるのーにね。
ご愁傷様と心の内で唱えていれば、いつの間に近寄ったのか、強腕が襲いかかってきた。


「避けんじゃないよ、忌々しいッッ」
軽く頭を下げて攻撃をかわせば、舌打ちを打たれた。
「無茶言わないでくださいよ。五代目に叩かれたら、いくらオレでも死んじゃいますよ」
肩を竦めれば、五代目ー綱手姫から睨まれる。
「お前は一辺死んだ方がいいんだよッ。お前のせいでまた優秀なくノ一が一人抜けた。里の財政がまだまだ厳しいってのに、お前の稼ぎで今まで腑抜けにしたくノ一全員分の補填が出きると思いでないよッッ」
「……別に、オレが悪いわけじゃなーいでショ」
「何かお言いかい?」
目くじらを立てて起こる五代目に、いーえと嘯く。
結局のところ、忍びの本分を忘れて、我を忘れた自身の未熟さが原因だってのに。納得いかなーいね。
直立不動で立っているオレを見て、五代目は深く息を吐いた。そして、疲れた顔で椅子の背もたれへ寄りかかった。深い疲労を感じさせるその仕草に、少し申し訳なさがわき起こる。


「カカシ。お前は異常だ」
少し休憩をと、提案しようとした声は喉の奥で消える。執務机に肘をつき、両手を合わしたその奥でこちらを伺う瞳を見つめ、肩を竦めた。
「今更何を言ってるんですか? 暗部を長年勤めた上に、写輪眼なんて鳴り物を背負ってたら、普通は」
「違うよ、勘違いしないでおくれ」
言葉を遮り、五代目は笑う。
「お前が異常だってんなら、私はもちろん、木の葉のほぼ全ての忍びが異常だよ」
何が言いたいのか理解できず、黙っていれば、五代目は真剣な目を向けた。


「よくお聞き、カカシ。お前の女の愛し方に問題があるんだ。極端すぎるんだよ。自分の身を犠牲にしてまで女に尽くす反面、しばらく時が過ぎたら、手のひらを返したように捨てちまう。言い換えれば、依存させるだけさせといて、お前は捨てちまってるんだよ」
心外なと眉根を寄せれば、事実だと迷いのない目で言い切られた。
「お前が女に心を尽くせば尽くすほど、別れの衝撃は大きいんだ。未熟者だと言ってやるな。優秀だからこそ、見えないものに縋りたくなる。お前だって思い当たる節はあるだろう?」
ポーチに送られた視線に、頬を掻く。相変わらず、何でもお見通しなことで。
ばつが悪くて、視線をさまよわせていれば、五代目は側近から何かを受け取り、俺に投げてきた。おかしな物ではないことを確認し、手で掴む。
渋めの赤に染められている、小さな巾着。開けてみてもとお伺いすれば、五代目は頷いた。
巾着の中には、丸薬が入っていた。色々な匂いが混じり合い、一体何の薬草が入っているか判断に難しい。


「……何の丸薬ですか?」
「惚れ薬だ」
赤黒いそれをつまみ上げて問えば、思わぬ言葉が返ってきた。
「はい?」
聞き間違いかと視線を走らせるが、五代目は淡々とした口調で同じ言葉を言った。
「惚れ薬と言っているだろう。ボケるのはまだ早すぎるだろうが、カカシん坊」
その愛称止めてくださいよ。
視線で告げれば、五代目は意に介さず、快活に笑う。
これだから、幼少時代を知る知り合いは扱い辛い。30前の男を捕まえて、よく言うよーね。
惚れ薬なるものに呆れ半分、興味半分のオレから視線を外し、五代目は執務室に佇む気配に向かって声をかけた。
「入っておいで、イルカ」
聞き知った名前に、少し驚いた。


うみのイルカ先生。
アカデミー教師で、七班の子供たちの恩師にあたる、とても気持ちのいい好人物。
木の葉崩しが起きて以降、疎遠になっていたが、イルカ先生とは二人でよく飲みに行く仲だった。
「失礼します」
通る声を放ち、五代目や俺たちに向かって、直角に腰を折る。
彼の人柄を表している、その真面目な態度が懐かしくも面はゆい。
酒を飲んでいるときも、どこか真面目で、礼儀を重んじるイルカ先生をからかっては笑っていたっけ。
「どーも、イルカ先生」
五代目の前だということは忘れてはいないが、温かくも懐かしい記憶に刺激され、つい声をかけてしまう。今、思えば、あの頃が一番充実していたかもしれない。
オレの挨拶に、一瞬笑顔を見せ、イルカ先生は五代目に向き直る。
その真面目な顔を崩したくなっちゃうんだーよね。困った顔とか、照れてる顔とかまた見たいなぁ。


久しぶりに見るイルカ先生は、記憶の中よりも少し痩せていた。
木の葉崩しから、アカデミーは一時期閉鎖され、アカデミー復興作業と同時に、教師たちも任務に駆り出されていたから、激務に次ぐ激務だったのだろう。
一ヶ月前からアカデミーを再開したと聞いたが、傷跡はまだ深いし、色々と大変なこともあるのかもしれない。
できれば、先生には子供たちを伸び伸び育ててもらってもらいたいもんだよーね。真面目な顔をした先生もいいけど、やっぱり先生には笑っていてもらわないと、調子狂っちゃう。


じっと見ていたせいか、イルカ先生が困ったような顔をこちらに向けてきた。
こちらを気にしてる様子が嬉しくて、にっこりと微笑み返せば、慌てたように視線を逸らす。
なーんか、先生って可愛いんだよーね。がっちりとした体格してんのに、ちょこまかしてて、仕草が小動物みたい。
もう一度こっち見ないかなと、にまにましながら見ていれば、横から何かが飛んできた。
体を傾けて避ければ、直後に真正面から耳をつんざく声が轟いた。遅れて、背後で硬質的な物が割れる音が続く。
「避けるなと言ってるだろう!! お前は、人の話を聞く気があるのかいッッ?!」
般若の顔で執務机を木っ端みじんにしてしまおうかという五代目の気迫に折れ、素直に謝る。
「すいません、ちょっと人生について考えごとを……」
「つまらない嘘つくんじゃないよ。まったく。まぁいい。お前たちに任務だ。イルカにはあらかじめ伝えてあるから、あとはお前だけだ」
え? イルカ先生と任務?


素直に嬉しいと思える五代目のお達しに耳をそばだてる。
先生はあらかじめ知っていたのか。それなら、オレに何か一言言ってもいいのにーね。
知らぬ仲でもあるまいにと、少々恨みがましい視線を向ければ、先生は緊張した面もちで床を見つめていた。
あれ? 先生は俺との任務、嬉しくないわけ?
喜んでいたのが自分一人のようで何だか面白くない。
ちぇっと小さく舌打ちをつき、先生の様子を伺っていれば、地を這う声で忠告された。
「カカシ、三度目は容赦なく鳩尾に入れるよ?」
「任務内容とは何でしょう」
きりりと顔を引き締め、聞いたオレに、五代目は重いため息を吐く。
がりがりと頭を掻きながら、五代目はどこか投げやりに言った。


「任務の内容は、女との一般的な付き合い方を学ぶことだ」
五代目の言葉に、一瞬身動きが止まる。
先生の視線を感じて、顔を横に向ければ、何故だか申し訳なさそうな先生の顔がある。
「……イルカ先生が、ですか?」
「うぇ?!」
つい人差し指を向ければ、先生は素っ頓狂な声をあげた。
迷いもなく滑り出たオレの結論に、五代目がバカバカしいと大きく手を振る。
「アホ言ってんじゃないよ。イルカは経験こそ少なそうだが、お前より遙かに上手だよ。付き合い方を学ぶのはお前だ、カカシ」
「はい?」
本気で理解に苦しんだ。
どうして、オレが。それに、何故それが任務になるのだ。


首を傾げるオレに、五代目はこめかみを引きつらせ、変な顔で笑った。
「今の今までの話を総合して考えてごらん。お前に潰されたクノイチは、10を越えてんだよ。ただでさえ少ないクノイチを、それも優秀所を狙っての所業。人として最低に加えて、お前は木の葉を転覆させるつもりかと、言ってんだーーーーーーーッッ」
「つ、綱手さま、落ち、落ち着いてくだっさいぃぃ」
凶凶しいチャクラが渦巻く中、側近が腰に張り付き、押しとどめている。
わぁ、本当にぶち切れてんのね。心労かけちゃうほど辛かったのかー。
ふと横に視線を向ければ、ぽかんと口を開けて見入っているイルカ先生の姿がある。
あんな大口開けちゃって。指つっこみたくなるなぁ。突っ込んだら、どんな反応するかな。
「わ、わかった。冷静に話す。お離しっ。……で、だ。どうあっても、任務を受けてもらうよ」
オレの視線に気づいたイルカ先生がぎょっとした顔で、こちらを見た。
気づくの遅いーよ。本当に忍びなのかね、あんたって。
忍びらしくない、それでも忍びなイルカ先生を見て、心和むオレに、イルカ先生が視線で何かを訴えてくる。
んー、何言いたいのかーね。それより、今日暇だったら、久しぶりに食事誘ってみようか。先生のあの豪快な食べっぷり、見ていて気持ちいいし。
「惚れ薬を飲んで、イルカに恋して、恋のいろはを学べ」
「はい、はい、了解です」
どこに誘おうか考えるのに手いっぱいで、上の空で返事をしてしまい、はたと気づく。今、何と言った?


五代目に声をかけようとして、五代目はどこかやさぐれた気配をまき散らしながら、顎をしゃくった。
「確かに了承したな。じゃ、出ろ。さっさと行け」
「五代目……、何ですか、それ。突拍子なさすぎでしょ。第一、オレは男で、イルカ先生も男なんですよ? 男同士で恋のいろはって何の冗談を」
「――うるさいね」
執務机に置いてある書類に目を通し始めた五代目に、なおも声をかければ、ぴしゃりと言葉を叩きつけられた。
「見て分かんないのかい? あたしゃ忙しいんだよ。とっとイルカに恋愛指南してもらって、まともになりな。私からは以上だよ」
聞く耳持たない五代目に、思わず隣のイルカ先生を見た。
イルカ先生は、緊張した面もちでひきつった笑みを見せてくる。
ほら、みたことか。イルカ先生、どん引きじゃない。


これは何とせねばと、口を開けば、覆い被さるように言われた。
「言っておくが、これは里長命令だ。拒否権はなし。ちなみに、通常任務も普通に入るからね」
伝家の宝刀を出されては、為す術もない。悲しき忍びの宿命か。
息を吐き、おざなりに頭を下げて辞去の言葉を告げる。
「イルカ先生、行きましょーか」
「あ、はい!」
声をかけられ、一瞬びくつき、背を向けたオレの後についてくる。……本当に小動物だーよね。
後ろからついてくる、ちょこまかとした気配に頬をゆるませていれば、後ろから声がかかった。


「イルカ先生、ちょっと待って下さい」
呼び止められて、イルカ先生の足が止まる。
「シズネさん、どうしたんです?」
迷わず下の名を呼んだイルカ先生に、少し驚く。
火影の側近と、いつの間に名前を呼ぶ仲になったのだろうか。
軽く振り返れば、二人が寄り添い耳打ちする姿が見えた。親密といえるその姿が何だか面白くない。


自分がいない間に築き上げた、イルカ先生の交友関係の一端をかいま見た気がして、少し寂しくなった。
あれほど食事にいった仲なのに。オレを差し置いて、違う人と食事に行っていたのだろうか。
二言三言話し、お互いがはにかむように微笑みを交わしたのを機に、イルカ先生を呼んだ。
「先生、行くーよ。先生から詳しく聞きたいことあるんだーよね」
「あ、はい。今、行きます! それじゃ、シズネさん、また」
「はい、また」
二人が仲良く手を振る様を視界の端に流し、執務室を出た。
ずんずん目的地もなく歩いていれば、慌てて駆けてくる気配が近づいてきた。それに心慰められ、歩みを緩める。
「カカシ先生」
イルカ先生が隣に並ぶ。先生はいつもオレの右側につく。オレの死角へ入らないようにする気遣いが見えて、微笑ましい。


「お久しぶりです」
顔を向けたオレに、先生ははにかみながら笑った。鼻に渡る一文字傷を掻くのは、先生が照れた時に見せる癖だ。久しぶりの再会に照れてるのかねぇ。


「本当に久しぶりですね。久しぶりに会ったのに、任務でなんて味気ないですけどー」
素直に向けてくれる感情が心地よくて、本音を漏らせば、一瞬イルカ先生の表情が曇る。どうしたのかと声を掛けようとして、イルカ先生の何か決意した瞳がこちらを見つめてきた。
「カカシ先生、任務を始める前に言っておきたいことがあるんです」
出し抜けに言われた言葉に、少し驚く。もしかして、自分には彼女いるから、やっぱり出来ないとか、そういうこと? …里長命令だから、オレに言われてもねぇ。
頭をがりがりと掻いて、ため息を一つ吐く。びくりと体を震わせ反応したイルカ先生に、少し苛ついた。


「……任務放棄は、忍びとしてどうかと思いますけど…?」
「……え」
剣呑な気配を隠さず放った言葉に、イルカ先生の口がぽかんと開いた。
思ってもいないと雄弁に顔が語る。今度はこっちが口を開く番だ。
「イルカ先生、彼女いるんじゃないの?」
「い、いませんよっ。どこからそんな出任せ聞いたんですか?!」
顔を真っ赤にするばかりか、口を腕で覆うようにして、一歩後退したイルカ先生に、ほっとした。なんだ、オレの早とちりね。
「すいません。真面目な顔で話があるって言われたものだから、決めた人でもいるのかと思っちゃいまして」
「いませんってば! …しばらく会えませんでしたけど、カカシ先生、変わってませんね」
心持ち口を尖らせて、恨みがましそうにこちらを見てくる。色恋沙汰に不得手な先生を大いにからかった前科があるだけに、何も言えない。
「で、言っておきたいこととは?」
形勢不利と見て、話を変える。途端に先生は、任務用の顔に切り替えた。まじめだーね。
「ちょっとここでは言いにくいことですので、家に帰ってからでもよろしいですか?」
「家?」
今日は先生の家に行っていいのかなと考えていれば、「言い忘れていた」と先生が困ったように頬を掻いた。
「本日から、任務終了になるまで、一緒に寝起きするようにとのことです。しばらくの間、よろしくお願いします」
え、えええええええ?!


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3まで書いております。ファィファィ!!