「カカシ先生、本当に俺の家でいいんですか? 家賃が安いだけのボロアパートですよ」
そう言いながら、イルカ先生は部屋に入るようにドアを開けてくれた。
風変わりというか、嫌がらせに近い任務を受けたのは、昼だったけど、先生の受付任務が終わる頃を待っていたから、外に出ると、一面の夕焼けの茜色の空が広がっていた。
初耳に加え、衝撃的な発言の後、オレとイルカ先生はどちらの家に住むかを話し合った。オレはといえば、まさか私生活を土足で踏み込む任務だとは思っておらず、覚悟もないままに了承してしまったことを認めたくなくて、魂が半分抜けかけていた。
イルカ先生だって、任務とはいえ、男と恋のいろは、しかも同棲生活を送らなければならないというのに、気丈にもどんどん話を進めた。
結果、広いだけの何もないオレの部屋よりは、狭くても生活用品が充実しているイルカ先生の部屋で同居することと相成った。
「いえ、いーですよ。本当にオレの部屋は何もないですからね。任務が終わっちゃえば、二人分の生活用品なんて必要なくなりますし。押し掛けちゃう形になりますけど、よろしくお願いします」
玄関口をくぐり、振り返って改めて言えば、イルカ先生は少し悲しそうな顔をしていた。
「そう、ですね。使わなくなる物だって分かっているのに買うなんて、もったいないですし」
すぐに同意してくれたが、何となく悪いことをしたような気になる。
微妙に気まずくなる空気を払拭させたくて、先生の部屋に足を踏み入れた。
お邪魔しますと言い掛けて、「ただいま」と呟く。どういう反応が返ってくるか気になって振り返れば、先生は瞬間驚いた顔をしたけど、すぐさま嬉しそうに「おかえりなさい」と笑ってくれた。
その笑顔に安堵しながら、先生の後ろからの指示に従って、台所と風呂場が面している狭い廊下を渡り、ちゃぶ台の置かれている部屋へ踏み込んだ。
その部屋の右にある、もう一つの部屋から座布団を取ってきて、席を用意してくれた。隣の部屋は寝室らしい。
「ないよりマシなんで、これ使ってください。今、お茶を入れてきます」
どうもーと軽く言って、座布団の上に胡座を掻いて座る。うん、確かによくないな。ぺちゃんこだし、擦り切れまくってるーね。
さすがに男の部屋だなと、妙に納得しながら、先生を待つ間、することもなく、つい部屋を見回した。外にはよく飲みに行っていたけど、家に来たのは初めてだ。
六畳間の部屋に、ちゃぶ台とテレビ、後は本棚に収まりきらなかった本や巻物類が隅によせられ、高く積もっている。掃除はしているようだが、雑然とした印象を与えた。
壁には、生徒がくれたであろう先生の似顔絵らしきものが貼ってある。視線を横に移動させて、本棚の上に置かれた物を見て、眉根が寄った。
「?」
立ち上がって、近づいて見ても、変わらない。
不思議に思って、触ってみる。本棚の上に置かれた、紙の箱の中にはどんぐり、葉っぱ、蝉の抜け殻、変な形の消しゴムなんてものが多数置いてあった。
どう見てもゴミにしか見えない。何故、こんなものを? 先生の趣味なのだろうかと、首を傾げていれば、後ろから笑い声があがった。
「生徒たちからのプレゼントですよ。子供って、自分が見つけた宝物をくれたりするじゃないですか。『すごい宝物なんだ』って渡してくれる生徒を見ると、捨てようにも捨てられなくて」
鼻の傷を掻き、湯呑みにお茶を注ぐ先生が幸せそうで、少しモヤモヤした。
「もしかして、これ以外にもあるんですか?」
先生の話しぶりから慣れた雰囲気を感じ取り聞けば、くしゃりと顔を笑わせて、隣の部屋を指さした。
「あっちの押入にあるんですよ。置き場がなくなったらどうしようかって感じで、毎年増えてます。困り物ですよ」
困ったと言う割に、全然そうは見えない。先生のことだ。生徒たちがくれた物なら、道端に転がっている小石でも喜ぶに違いない。
小さな石ころを手にした子供が、先生に手渡す。すると、先生は顔をくしゃくしゃにして喜び、生徒の髪もくしゃくしゃになるまで撫でながら「ありがとう」と言う姿がまざまざと思い浮かぶ。
きっと子供たちが先生にプレゼントを贈るのは、先生が表情や態度で大げさなほど喜んでくれるからに違いない。
オレが贈り物したら、喜んでくれるのかな。
取り留めもなく考えながら、座布団へと座り直す。差し出された湯呑みに、「どうも」と軽く礼をして、口布を下げた。
先生とは飲みに行く仲だから、オレの素顔は知っている。初めて見せたときは、目をまん丸にして「男前ですねー」と何度も連呼されたっけ。
一口含むと、緑茶の香りが口と鼻に広がる。仄かな甘みの中に苦みがあり、後味が非常に爽やかでおいしかった。
今は亡き三代目が先生にお茶を入れろと催促していたのが、今になってよく分かった。これに飲み慣れると、他の人が入れたお茶は飲みたくなくなる。
「うまいですねぇ。イルカ先生は、いい嫁さんになれますよ」
湯呑みを上げて賞賛すれば、イルカ先生の顔が引きつった。あれ、ここは「俺は嫁さんをもらう立場です」と突っ込みが入るはずなのに。
肩すかしを食らって、首を傾げていれば、先生は湯呑みを置き、真剣な顔で俺と向き合った。
「カカシ先生、昼に言いかけたお話を聞いてくださいますか」
「は、はぁ」
緊張の面もちで前置きしてきた先生に相づちを打つ。先生はごくりと喉を鳴らすと、きゅっと唇を噛みしめ、挑むように俺を見つめてきた。
様子のおかしい先生につられて、胡座を掻いていたオレは正座して、先生の言葉を待つ。
睨むようにこちらを見つめる先生。その顔は、だんだんと赤くなっていき、しまいには大粒の汗が流れ始めた。
明らかな異変に、どうしようかと頭の中で猛スピードで考えていれば、先生は唐突にオレの名を呼んだ。
「カカシ先生!!」
「は、はい!」
さすがに現役アカデミー教師だけあって、その声には有無を言わせずに返事をさせてしまう迫力がある。ついでに姿勢も良くなる。
イルカ先生は、くっと小さく呻いた瞬間、俺に向かって勢いよく頭を下げた。
「好きです!! 先生のこと、ずっと好きでしたッッッ」
ガゴンとものすごい音と同時に、耳を疑う発言が鼓膜を震わせた。
「……え?」
何かの冗談だろうと聞き返すオレに、先生はちゃぶ台に額を打ちつけたまま、再度、声を張り上げた。
「恋愛感情で、カカシ先生のことが好きなんですッッ」
よもや聞き逃れできぬほど、非常に素晴らしい滑舌と声量で告白してくれた。
しっかりと脳に刻みつけられた言葉に、思わず手のひらで目を覆ってしまう。
稀に見る好感度の高い人物なだけにその仕打ちが痛い。おまけに、任務で恋の指南してくれる相手だというのが、更に追い打ちをかける。
「……先生、そっちの人だったの?」
泣き面に蜂以上のダメージを食らい、何と言っていいか分からずに、関係ないことを口走る。
すると先生は顔を上げて、ものすごい早さで首を横に振った。
「ち、違います! 今更言っても白々しく聞こえるかもしれませんが、今までは普通に女性の方が好きでしたし、少ないですけど、ちゃんとおつき合いもしてきました! 男とどうこうなんて、その…カ、カカシ先生が初めて、です」
ぐわぁと一気に首まで赤くなり、口元を隠すように腕で覆いながら、視線を背けた。
額宛を外していた額は、ちゃぶ台で打った痕が、周辺とは違って濃い赤に染まっている。
ちくりと何かが掠めたが、目の前の先生の純情と言っていいほどの態度に笑いがこみ上げてきた。我慢するのもバカらしくて笑えば、イルカ先生は恨みがましい目でこちらを睨んでくる。
「わ、笑うことないじゃないですか!」
その瞳が潤んでる様を見てとり、慌てて笑いを引っ込めた。
「すいません。まさか、そう来るとは考えていなかったもので。先生、真面目だーねぇ」
オレの言葉に、目を見開く。その後、視線を下に逸らして、先生は言った。
「こういう任務が来て、カカシ先生だけに黙っているのは公平ではないと思ったんです。俺の自己満足ですけど」
唇を噛んでいたせいか、下唇が真っ赤になっていた。それを見つめながら、馬鹿だとは思うけど、やっぱり好ましいと思ってしまう。
任務とはいえ、好きな相手と一緒にいられるのだ。任務を口実にして大手を振って恋人紛いのことができるのに、先生がわざわざ不利になるようなことを言う必要なんて全くないのに。
余計な恥かいて、ばらさなくてもいいことばらして。人がいいというか、何というか。もっと小狡く生きれば、楽なのにねぇ。
じっと見つめていれば、先生は赤くなった頬をごしごしと擦り、顔を上げた。先生のまっすぐな瞳がオレを射る。
「話は本題に入ります。俺がカカシ先生のことを好きだと理解した上で、それでも俺と任務をすることはできますか?」
思ってもみない言葉に、目が見開く。もしかして……。
「もし、カカシ先生が辛いようなら、誰か別の方に代わっていただくよう、五代目に直訴しに行きます」
期待を裏切らない先生の言葉に、頭を抱えたくなる。そんな、どうしてアンタはいつもー。
真剣な顔を向ける先生に、ため息を一つ落とす。
「……先生、お忘れですか? これは里長命令の任務ですよ。私情を挟む余地なんて」
「分かっています」
続けようとした言葉を遮り、意志の強い黒い瞳がひたりと見据えてくる。その黒さに飲み込まれそうになる前に、先生はなおも言った。
「それでも、です。俺はカカシ先生の意志を尊重したい」
打算も駆け引きもなく、するりと心の中に入り込んだ言葉に、一瞬言葉を失う。それと同時にこみ上げてきた感情に、打ちのめされた気持ちにされた。
忍びとして、してはならない発言。咎めて然るべきはずなのに、諫める言葉は出ないばかりか、先生を正視できずにちゃぶ台へと沈んでしまった。
「……あー。先生には負けますよ。あーもー、完敗です」
顔に熱が集まる。かっかと燃えるような自分の顔を自覚しながら、呻くしかなかった。
「? カカシ先生?」
名を呼ばれ、のろのろと顔を上げる。先生は無邪気なもので、どうしてオレがこんなに顔を赤くしているのか分かっていないようだ。
忍びにとって里長に背くことは、里を裏切ることだ。里を大切に思う先生を理解しているだけに、その先生が言い切れてしまう訳はーー。
先生は、オレのことを里より愛している。大事に思ってくれている。
不安そうにこちらを見つめる黒い瞳に晒され、更に熱は上がる。
これほどまで真っ直ぐに愛の言葉を捧げてくれた人は過去いなかった。
慣れない情熱的な言葉と、嘘偽りのない真っ直ぐな思いをぶつけられ、オレは柄にもなく照れてしまった。
ふわふわと尻が定まらない、酩酊感を感じながら、熱くなっている頬を擦る。
好ましい人から真っ直ぐな愛情を注がれて、嬉しくない訳がない。例えその愛情が自分が持っているものとは違っても。
だから、それだからこそ、オレは言わなければならない。
「――それで、いいんですか?」
「え?」
突然の言葉は先生には通じなかったようで、オレはもう一度口を開く。
「オレは、忍びとして里長の命を断る立場にはいません。けれど、先生と同じ感情で先生を思うことはできません。それでも、いいですか?」
オレはあなたと任務をすることはできても、気持ちは受け取れない。
傷つけると分かっていて口に出した。歪む顔を見たくなくて、視線を逸らしたままのオレの耳に聞こえたのは、息を飲む声でもなく、落ち込んだ声でもなかった。
「はい、全て承知の上です。俺はー私は、はたけ上忍のサポート役として任務を拝命している身です。公私混同するつもりはありません」
はっきりと響いた、感情のブレすらも見せない任務時の声に、訳もなく動揺した。
視線を走らせば、先生は、忍びの顔でオレに対面していた。
感情がすぐに出ていた顔は、能面のように表情を無くし、大きく開き、よく笑っていた口は、今は活動を止めていた。ただ輝くように強い意志が点る黒曜石の瞳は変わらず。
「はたけ上忍に異論がないのであれば、この任、私にサポート役を務めさせてください」
先生の静かな声に、我に返った。
瞬きをして、視線を向ければ、頭を垂れ、上忍に従う忍びがそこにいる。
何故か、胸が痛かった。上忍にかしずく先生は見たくない。
「俺は元より異論はありません。これから、よろしくお願いしますね」
一つ息を吸い、努めて明るい調子で声をかけた。いつも通りの声が出ていることを確かめ、笑みの形を作る。そして、手を差し出した。
「はい! こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」
先生は微かに息を吐き、花がほころぶように笑った。嬉しいと、良かったと、語る先生の顔を見ながら、伸ばしてきた先生の手をこちらからさらうように手を握った。
肉厚で掴み心地の良い手。固く握りしめられた拳は星が出るほど痛いけど、大きな手のひらは温かくて優しいのだと黄色い頭の部下が語っていたっけ。
オレも撫でてくれないかな。
「カカシ先生?」
いつまでも握っているオレを訝しげに思ったのか、先生が名を呼んだ。それを契機に手を離す。ちょっと残念だと思えて、触れ合っていた指を絡めるように離したことに、先生は気づいていない。
己の利き手が解放されて、先生が軽く安堵の息を吐いた。あからさまに安堵しちゃって、本当に忍びらしくないね、せんせーい。
「それでは、話がまとまったところで、具体的な内容を話しましょうか」
じっと見ていたオレに、はにかんだ笑みを見せ、先生は綱出姫ーもとい五代目が投げて寄越した丸薬についての説明を始めた。
この丸薬は五代目が、上忍の捕虜の口を割らせるための自白剤を作ろうとして、偶然に出来た副産物らしい。使い方は簡単で、この丸薬を飲んで最初に見た相手に惚れてしまう。効果は一日一粒は飲まないと薄れる品物だそうで、要は効き目が薄い失敗品だ。
「ただこの惚れ薬が他と違うことは、キーワードを二つ決めることで、惚れた状態とふつうの状態を入れ替えることができることです」
先生の説明に思わず口笛を吹く。キーワードに反応して、惚れた状態がオン、オフになるなんて、結構すごいことかもしれない。
「便利というか、都合がいいというか、また変なもんが出来たもんですね」
赤い丸薬をしげしげと見つめていれば、イルカ先生は思い出したように笑った。
「まさか自里の者に使うことになるとは思わなかったと、五代目もぼやいてましたよ」
自分の節操のなさを笑われた気がして、ばつが悪い。こういうときは話を先に進めるに限る。
「で、キーワードは何にしましょうかね? この場合、もちろん先生の発言がスイッチの切り替えになるんでしょ。そうしたら、先生が決めた方がよくないですか」
「俺が決めていいんですか?」
ちょっとびっくりした顔で自分を指さす先生に苦笑がこぼれた。
「オレが決めちゃってもいいんですか?」
にやりと悪い笑みを浮かべれば、ぶんぶん首を振って勘弁してくださいと早々に降参してきた。変な言葉にして、先生の恥ずかしがる顔見るのも乙なんだけーどね。あくまで任務だからーね。
何にしようかと顎に手を置き、真剣に考え始めた先生の顔を眺める。眉間に皺寄せちゃって、いっつも真面目だーね、先生は。
くすくすと笑えば、ずっと見ていたことにようやく気づいたのか、少々顔を赤らめた先生が口を開いた。
「決めました。呼び名がいいです」
「呼び名?」
「はい。効果発動の時は『カカシさん』、解除の時は『カカシ先生』と」
オレの名を呼んだだけで、にっこりと嬉しそうに笑う先生に何だか照れてしまう。
それを隠す意味もあり、「いいんじゃない」と気のない返事を返せば、先生は再び満面の笑みを浮かべた。
何だか調子が狂う。
ばりばりと頭を掻き、そういえばと疑問に思ったことを口にする。
「ところで、イルカ先生。オレ、惚れた時でも通常通りのまともな思考でいられるの? 惚れに惚れた状態だったら、どーしようもできないよ?」
オレのもっともな言い分に、イルカ先生は眉根を寄せた。
「五代目からは実験データが少ないからと、詳細は聞けませんでした。強い感情や意志を持てば、なるようになるとだけ…」
鼻を走る傷を掻きながら、困ったと笑うイルカ先生。五代目、ちょっと杜撰すぎない? この任務。
「どうせ綱手姫のことだから、オレで実験データでも取ろうという腹でしょうね。…ま、様子見しながら、やるしかないですね」
迷うように、オレの手に握られた丸薬に視線を移したイルカ先生の機先を制して、待ったと声をかける。
「ちょっと、イルカ先生。『やっぱり止めましょう』は、もうなしよ。これは任務なんだからーね」
あかさまに言葉に詰まるイルカ先生にため息吐いてやる。
「えっと、顔に、出てましたか……?」
視線をさまよわせて、鼻頭を掻くイルカ先生に深く頷いてやる。本心を隠さないのは、持ち味でもあるけど、誰にでもそんな顔見せているとしたら、心配だーよね。
顔を赤らめ恐縮するイルカ先生に、まぁいいからと話を先に進める。
「それで、スイッチ方法は決まったことですし、そろそろ本腰入れてやりたいわけですが、もう飲んでもいいもんなの?」
「あ、待ってください。下準備があります」
人差し指と親指に摘まれた丸薬を前後に動かしていれば、イルカ先生は懐から札を出した。
わずかなチャクラの気配を感じる。この荒々しいのは綱出姫のものだなと見当をつけ、動向を見守る。
チャクラを人差し指に集めると、その札の裏表に先ほど決めたスイッチの言葉を書き付けた。丸薬を一つ所にまとめるなり、印を組み、札を置く。瞬間、ぽんと小さな音を立て、札が消える。
「これでスイッチのオンオフ設定がすんだと思っていいの?」
「はい。これで準備は終わりです。本格的に始めるのは飯食ってからにしましょうか」
「え、いいですよ。今から飲みます。どうせ俺と先生しかいないんだし、それに飲んでどれくらいで効き始めるのか、知りたいですしね」
立ち上がりかけたイルカ先生にそう言って、オレは丸薬を一つ摘むなり飲み込んだ。「あ」と驚く声がする。どうして驚くのだと、顔を見るなり、キンと耳鳴りがした。もしかして、もしかする?
「イルカ先生、すいませんけど、キーワード言ってもらえます?」
気持ち的に早くなる鼓動と、ざわめく肌の感触を確かめつつ、頼む。イルカ先生は一つ頷くなり、正座になってオレの名を呼んだ。
「カ、『カカシさん』?」
声が耳に入るなり、体が甘く痺れた。こちらを窺うように見つめる黒い瞳に魅入られ、目が離せなくなってしまう。
鼓動が痛いほど波打つ。
出会えた奇跡に、手が伸ばせるほどの間近にいる境遇に目眩が起きるほどの幸せを感じる。
こんなところにいたのだと、歓喜に満ちた震えがわき起こり、感極まって、手を伸ばした。
「カカカ、カカシさん?!」
さらうように腕の中に抱きしめれば、愛しい人が身じろいだ。照れているその態度がかわいくて仕方ない。
「恥ずかしがらないで、可愛い人」
拒絶する訳ではなく、わたわたと動揺する仕草に笑みがこぼれ出る。
節くれ立っているけれど、よく動く働き者の手を取り、乾燥している指先に口づけた。
途端に顔を真っ赤にさせ、目を見開いて俺を見つめる。黒耀石のような艶やかな瞳に、オレだけが映るその至福に身が震える。
もっと目の前の存在を感じたくて、ゆっくりと畳へ押し倒す。
「イルカ先生……、イルカ、好きだよ。大好き。あなたが本当に大事。俺に、あなたの全てを愛させて」
顔の横に腕をつき、閉じこめるようにして、距離を縮めさせていく。ふっくらとしたその唇を味わおうとする寸前、その唇が動いた。
「カ、『カカシ先生』ッッ!!」
その言葉に、不意に我に返る。
オレが押し倒しているのは、任務のパートナーであるイルカ先生で。
「わ、す、すいません!!」
慌てて体を引けば、イルカ先生は顔を覆いながら、小さく呻いた。
「カカシ先生、あなた、手が早すぎますよ!?」
まさかこれほどとはと、半ば感心したように言われ、動揺してしまう。
「え、そんなに早いですか?」
早いです。むちゃくちゃ早過ぎますと力説され、頬をかいた。
自分では普通だと思っていただけに、案外ショックだ。イチャパラではこれが常時運転というか、もっと早い。
「……カカシ先生、今、イチャパラと比べました?」
心を読んだような問いに思わずびくつく。
「あははは、ま、まさかー。イチャパラはあくまでフィクション、ファンタジーの世界ですよ?」
笑いながら誤魔化せば、イルカ先生は何かを察したような目を向けた後、おもむろにため息を吐いた。
「これは案外根が深い問題ですね……。とにかく、カカシ先生はそっち方面いかないように踏ん張って下さい。あなたも男と寝たなんて事は御免でしょう? しっかり気を張ってください」
頼みますよと念押しされた言葉に、何故かもやっとしたものを感じた。
オレが浮かない顔をしているのに気付いたのか、イルカ先生は安心させるように笑いかける。
「さきほどは突然だったので俺も油断してました。今度からは俺も警戒しますので、そう心配されなくてもまぁ大丈夫ですよ。それじゃ、ぼちぼち頑張っていきましょうか。始めは頻度を多めに、時間は短くして指導していくつもりです。不安なことがあれば遠慮なくおっしゃってくださいね」
今後の予定をつらつらと述べるイルカ先生はやる気に満ちている。
自分のために頑張ろうとしてくれるイルカ先生は心強くもあったが、それと同時に訳の分からないもやもやとした気持ちが膨らむのも確かだった。
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ここから勝負だ! ひゃっはー!!
レッスン 3