レッスン 5

「よお、カカシ。最近おめぇ宗旨替えしたんだって?」
全てを知っている癖にこちらをおちょくる気満々で声を掛けてきたアスマへ無言で睨みをきかせる。
だがアスマはちっとも堪えていない様子で「こえーこえー」と嘯きながら、オレの斜め前のソファへと腰を掛けた。
五代目からBランク任務を複数渡され、その後に待機任務が入っているため、周りからちょっかいかけられようとも待機しなければならない。面倒くさいことだよ。これならとっとと家に帰って、イルカ先生との任務に励んだ方がいい。


オレがイルカ先生と同居をしているという噂は任務一日目で里を駆け巡り、一週間経った今では里全土で知られるようになっていた。
アスマのようにおもしろおかしく言われることもあれば、今度は男までも不能にするつもりらしいとか、なかなかに悪意のこもった噂まで囁かれている。


人の噂も七十五日と聞き流し、手元で広げているイチャパラに視線を戻すが、アスマはよっぽど暇なのかオレへ絡んできた。
「で、よぉ。どうだ、真面目先生との同棲生活は?」
にやつきながら煙草に火を灯すアスマから距離を置き、周りで耳を側立てている奴らの反応にため息を吐きながら、言葉を訂正してやる。
「同居。同棲じゃなくて同居だからーね」
むっつりと言ってやれば、からからと笑い声が返ってきた。
「言ってろ。おめぇらが隣り合ってスーパーで仲良く買い物してる姿が多数目撃されてんだ。馬鹿みてぇに笑いながら買い物してるお前なんぞ初めて見たぞ。よっぽど楽しい任務らしいなぁ?」
運の悪いことに現場をアスマにも見られていたらしい。こいつだって紅と一緒に買い物にでも行った口だろうに、何故オレだけが口やかましく突っ込まれなくてはならないのだ。
周囲の野次馬たちが隠すこともなく注目してきたことにうんざりしつつ、オレは至極まっとうなことを言う。
「あのねぇ。同居するのも飯一緒に食うのも任務の一環だって知ってるんでショ。気を使わなくていい男、それも前から仲良かったイルカ先生と買い物したら楽しくて笑いの一つでも出るってもんよ。おまけにオレ達、食事の好みも酒の好みもばっちりなんだから」
イルカ先生が基本作ってくれる料理は和食中心で、とてもオレの口に合う。
野菜や肉とか男料理らしく大きめにカットされ、調味料も目分量で繊細さとはかけ離れているが、イルカ先生の大らかさが表れた料理は温かくてとても優しい味がする。
オレも料理は作る方だから手伝おうとするけど、これも任務の一環なのでと断られる。その代わり、何が食べたいかとよく聞かれるから、一緒にスーパーへ行って今日の晩飯を何にしようかと結構盛り上がるのだ。
そーいやー今日の晩飯は何にしようかなーと、この後迎えに来てくれるイルカ先生との買い物を考えていれば、アスマは呆れたようなため息を吐いてきた。
何よ、これみよがしに。言いたいことがあったら口で言えばいいのに、この髭熊。


眉をひそめて視線を向ければ、どこか疲れたような顔をこちらに向けている。だから、何だっつぅの?
察しろと理不尽なことを訴えてくる髭熊に一発強くかましてやるかとイチャパラを閉じれば、待機所の廊下から待ち人の足音が聞こえた。
「それじゃ、オレ、待機終了だかーら」
ソファから腰を上げ、出入り口に向かって足を進める。それと同時に待機所の戸がノックされ、イルカ先生の顔が覗いた。
「あ、カカシ先生。終わりましたので帰れますけど、何か用事でも?」
出てくるタイミングが良すぎて勘違いしたようだ。
「いーえ、そろそろイルカ先生が来る頃かと思って。それじゃ、帰ろうか?」
「はい」
オレの言葉にイルカ先生は嬉しそうに笑う。その笑顔を見てオレも知れず口端が上がった。
後ろから鬱陶しいほどに大きなため息が聞こえたが無視だ。
イルカ先生はそのため息で髭熊の存在に気付いたようで、挨拶しようと振り返ろうとしたが、そうはさせじと肩を抑え、さっさと帰ろうと腰を押す。
「はいはい、帰るよ。今日も任務するんだから、髭熊に挨拶する時間なんて勿体ないでショ」
「え? や、ちょっとカカシ先生、失礼ですから」
「失礼じゃないない。ささ、行くよ。今日は湯豆腐が食べたい気分なんで、薬味買って帰りましょうーね」
ぐいぐい押せば、イルカ先生はようやく諦めてくれた。イルカ先生は髭熊と何気に仲が良いため、長話になる可能性が高いので油断ならない。いや、ガイと紅、アンコやゲンマたちとも仲が良いから、上忍待機所は何気に鬼門か。
今度からオレがイルカ先生を迎えにいこうと決めたところで、オレの腕の中からイルカ先生が一歩抜け出た。
反射的に掴まえようと手を伸ばして、振り返ったイルカ先生の顔を見て手が止まる。


「やだな、カカシ先生。今更、戻ったりしませんって。早く買い物して帰りましょうか。俺、腹減っちまいました」
ちょっと困ったように笑って、先に進むイルカ先生。
さっきまで腕の中にあった温もりがないことに寂しさを覚えて、触れていた手を何気なく見下ろした。
一週間女との接触が皆無だったから、人肌が恋しくなったのだろうか。
「……平和すぎて呆けたのかねぇ」
遊びのような任務とはいえ正規の任務だというのに、気が弛み過ぎている。
「カカシ先生、どうしました? 行きますよ」
足が止まっていたようで、ついてきていないオレに気づいたイルカ先生が足を止めて呼んでくれた。
当たり前にオレを呼ぶイルカ先生の存在が嬉しくて、沈みかけていた気持ちが浮き上がる。
それと同時に浮き沈みが激しくなった自分の感情に気付いて頭を掻いた。
「カカシ先生?」
不思議そうに呼ばれ、何でもないと嘯いて足を進める。
隣り合って今晩の飯の話をするイルカ先生に相槌を打ちながら、今、この瞬間、あの惚れ薬を飲んで「カカシ」と名を呼ばれたらどうなっていただろうと夢想する自分がいて、どこか滑稽だった。


家に帰って、お互い楽な格好に着替えた後、イルカ先生は夕飯作り、オレは風呂掃除ならびに湯を張る。
イルカ先生と暮らし始めてから、とにかく何もするなと言われてきたオレだが、何もするなというのも案外居心地が悪くて、風呂好きなイルカ先生へ、思い立ったらすぐに入れますよと囁き、どうにか風呂関連だけは手を出すお許しをいただけた。
その後は先に飲んでくださいと酒とつまみを用意してくれようとしたが、一人で飲むのはつまらなくて、それは断り、自由な時間を過ごさせてもらっている。
本当だったら一緒に料理作ったり、ベランダに下がっているオレとイルカ先生の服を畳みたいところだが、これも任務のため致し方あるまい。
「はい、お待たせしました。出来ましたよー」
湯気の出る小鍋と野菜の煮物、焼き魚、味噌汁とご飯に漬物。
オレのリクエストである湯豆腐もあって、思わず顔がにやける。
器やご飯を並べ、食べる準備が出来たところで、イルカ先生はにこりと笑って促してきた。
「では、食べる前にどうぞ」
うきうきとした気持ちが瞬間萎える。
イルカ先生は、決まった時間にオレに惚れ薬を飲ますのではなく、イルカ先生が思った時に飲ませる仕様だ。おまけにスイッチのオンオフも突然入ったり切ったりするので予想がつかないため、ぶっちゃけストレスが溜まる。
せめて湯豆腐を堪能した後にと交渉へ持っていこうとするが、イルカ先生の笑みは有無を言わさんばかりの強さを秘めていた。


「……はいはい。飲みます、飲みます」
ポーチから惚れ薬を取り出し飲み込む。イルカ先生はしっかりとそれを見届けて、オレに湯豆腐をよそってくれた。
「カカシ先生、薬味は葱としょうが、ポン酢でいきます?」
「んー、今回は醤油で」
「はーい」
手早く薬味と醤油を垂らしてくれ、その器を受け取ろうと手を伸ばしたところで、イルカ先生は何故か匙を持った。
「え? イルカ先生?」
受け取ろうとした手が行き場を失くす。どうしたんだと視線を向ければ、イルカ先生は湯豆腐を掬って1、2度息を吹きかけ、匙をオレに向かって突き出した。
「はい、あーん」
匙に乗った湯豆腐を向けられ、体が固まる。いや、これは、ちょっといくらなんでもやりす。
「カカシ先生、あーん」
笑顔ではなく真顔で突き出されたそれは、言外に任務だと告げていた。
男同士であーん。傍から見ればシュールな映像に違いない。
任務ならば仕方ないと己に言い聞かせ、恥ずかしさを押し隠して目を閉じて口を開ける。
「はい、カカシ先生、ここで目を閉じないで俺を見てください」
口に入ってきたそれを味わう間もなく飲み下せば、二投目がやってきた。おまけに指示つき。
「……イルカ先生」
せっかくの湯豆腐なのにと恨みがましい目を向けるも、イルカ先生は頑として譲らなかった。
「はい、あーん」
渋々目を開け口を開け、イルカ先生を見つめる。
三口、四口と入れられるとさすがに少しは慣れてきて、湯豆腐の味がしてくる。
言われる前に口を開けて、湯豆腐を堪能していれば、突然それは来た。


「『カカシさん』、あーん」
その声を耳に入れた瞬間、甘く体が痺れた。
向けられる匙を口に入れ、じっとイルカを見つめる。本当に食べたいのはあなたなのだと目に熱を込めた。
するりと口内に入る溶けるような柔らかさを舌で味わい、惜しむように飲み込む。
でも、きっとイルカのはこれとは似ても似つかないだろう。
今はその奥に隠れて見えない熱を想像して、体が熱くなる。
「イルカ、あーん」
匙に掬う豆腐が来る前におねだりして、イルカへと近付く。
挑発するように舌を覗かせ、イルカの顔を見つめる。口の中に入る前に匙を舌で巻き込み、その匙がイルカの舌だったらと愛撫してみせた。
少し鈍いところのあるイルカだけど、惜しむように口に含ませ、出る際に駄目押しに舌で舐め上げれば、イルカの顔が真っ赤に染まった。
「可愛い、イルカ」
今度はイルカを堪能したい。遠ざかる腕を掴んで、ぐっと身を寄せた。
少し開いた唇に舌を潜り込ませるように顔を近づけ、そして。


「『カカシ先生』!!」
叫ぶように呼ばれて体が固まる。
何が起きたか一瞬判断つかなくなったものの、自分以外の息を感じて、乗り出していた身をゆっくりと元に戻す。
「……あー」
まだ惚れ薬の効果が残っているのか、真っ赤になっているイルカ先生の顔を惜しむように見ながら頭を掻いた。何というか、今のは本気で危なかった。
イルカ先生も危険を覚えたのか、心臓の辺りを手で押さえている。
ばつが悪くなって視線をさ迷わせていれば、イルカ先生は真っ赤になった顔で目を輝かせてきた。
「カカシ先生、今の気付きました!?」
興奮気味に言われ、言葉に詰まる。いや、だから今のは本気でやばくて……。
「えー、その、今のは本当にごめ」
「カカシ先生、初めて自分からねだってきましたよ!!」
オレの謝罪を遮り、イルカ先生は声をあげた。は? そっち?
ぽかんとするオレを尻目に、手応えを覚えたイルカ先生はよっしよっしと何度も手を握り締め、自分のやり方に間違いがないことを喜んでいる。
「カカシ先生、これならきっと早い段階で甘えることができるようになれますよ!! そうしたら任務達成です!」
音が立ちそうなほどににこにこと笑顔を向けられ、眉根が寄りそうになる。
いい年をした大人の男が甘えるようになることが果たしていいことか? それになにより。
「……イルカ先生は早く終わらせたいの?」
せっかくこうして二人で楽しく過ごしているのに、惜しんでいるのはオレばかりなのか。


任務なのだからいずれ終わるものだが、それにしても少しは惜しんでもらいたいものだ。
「え? カカシ先生、何か言いました?」
上機嫌のイルカ先生の耳には届かなかったようで、それも何だか腹ただしい。だからか、つい憎まれ口を叩いてしまう。
「べーつに。でも、そう楽観視しない方がいいですーよ。何たってオレ、火影さまからも異常認定された恋愛下手ですしぃ」
つーんと横を向いてやれば、イルカ先生は小さく笑う。
「だからこそ、俺がいるんじゃないですか。まぁ、こうしてカカシ先生と毎日食事できなくなるのは寂しいですけどね」
喜びから一転して声も表情も暗くなる。オレが感じていたようにイルカ先生も惜しんでくれていたと知り、気分が浮上する。
オレも寂しいよと同じ気持ちだと伝えたくて口を開く寸前、イルカ先生は突然身動きを止め、顔を真っ赤にして唇を押さえた。
「え。どうしたの、吐くの!?」
何か悪いものでも食べたのかと慌てるオレに、イルカ先生は違うと小刻みに首を横に振り、あぁとうめきながら顔を覆った。
「え、どうしたのよ、イルカ先生。何? 何かあった?」
心配になって近付けば、イルカ先生の体が同じだけ離れる。
「いえ、何でもないです。すいません、今はちょっと近付かないで下さい」
それに加えて、拒絶するような言葉と、両手を突き出され、カチンときた。
「ちょっと。それひどいんじゃない? こっちは心配してんだーよ」
「いや、それはありがたいですけど今はそっとしておいて下さい」
一歩近付けば、二歩遠のく。座りながらの攻防だが、意外に素早いイルカ先生は頑としてオレとの距離を開けようとしてきた。
「……ふぅん、そうやって理由も言わずに避けるような真似をするわけーだ」
そっぽを向くイルカ先生の目を合わせるために動くが、それも避けられる。ほほぅ、そっちがその気なら。


そっぽを向きつつ、全身でオレに注意を払っているイルカ先生へにっこりと笑ってやる。
「分かった、分かった。無理強いはしなーいよ。それより早く夕飯食べまショ。冷めちゃうよ」
元の位置へと戻り、すでにぬるくなっているだろう湯豆腐を掬い食べる。
じぃっと不信感丸出しの目でこちらを観察していたイルカ先生だったが、オレがそ知らぬ顔で食べているとそろそろと席に座りなおした。
そして、その手が箸を取った瞬間。
「と、言うとでも思ったか!!」
言葉と同時に、イルカ先生の手を引っつかみ、ちゃぶ台から遠ざけるように体を押し倒す。
逃げられないように腰の上に乗りあげ、万歳させるように両手で畳へと縫いつける。
信じられないと目を丸く見開くイルカ先生のどこか怯えた顔に満足しつつ、余裕の笑みを浮かべて尋問する。
「さぁて、イルカ先生。なーに、考えてたーの? あの反応、何でもなくないですよね?」
ぐっと言葉に詰まりながら、顔を真っ赤にさせるイルカ先生。
任務とはいえ、弄ばれた感が抜けないオレは楽しくて仕方ない。よほど言いたくないのか、ちょっと涙目になっている様も本当にいい。
わくわくとしながらもどこか興奮めいた感情を覚えながら、無抵抗な子ウサギちゃんへ笑いかければ、イルカ先生の体がぷるぷると震え始め、そしてやけくそ気味に罵られた。


「カ、カカシ先生のせいですからね! 俺は言いたくなかったのに! 無理やりカカシ先生が言わせたんですよ! 聞いて後悔するのカカシ先生ですからね!!」
最後の悪あがきかとにやにやとイルカ先生を見下ろす。
しばらくイルカ先生はオレを睨みつけていたが、やがて観念したのか、ぷいっとオレから視線を逸らして横を向くと、小さな声でぼそぼそと言った。
「……さっきのカカシ先生、エロいを通り越して卑猥すぎたな……って」
「ふんふん、……へ」
何を言われたのか理解できず固まるオレに、イルカ先生はやけくそ気味に声を張った。
「だから! アンタ、何、卑猥すぎる真似してくれるんですか!! 俺はアンタに惚れてるって言ってるだろうが! あんなもん見せられて、平常心でいられるかってのっっ!!」
うぅっと涙目で睨まれ、同じ男として察するものがあった。
まさかと自分が下ろした腰の下辺りに視線を向けようとすれば、渾身の力で暴れられた。
「馬鹿ぁぁぁ、アンタ、本当、そういうところデリカシーなさすぎなんだ!! 武士の情けはないのかぁぁ!!!」
オレの拘束から抜け出そうと足掻くイルカ先生は生きが良すぎた。
思わぬことを言われ放心するオレをあっさりと跳ね飛ばすはおろか、その場で一メートルくらい飛び跳ね、そして脱兎の如く風呂場に駆け込んでいった。
跳ね除けられたまま呆然として座っていると、やがて湯を使っている音が聞こえてくる。
ジャバージャバーっとかなり荒々しく使っている様子はイルカ先生の心情を表しているようで、思わず吹き出してしまった。
「ふふふ、くく、あはははははは!!!」
一度吹き出せばそれが呼び水になってしまったのか、腹から笑いがこみ上げてきて止まらなくなった。


男と恋愛なんてとんでもないし、考えたこともない。
でも、イルカ先生がオレに色を感じて反応してしまっていることに優越を覚えている自分がいる。
「……気持ち悪いって思わなかったーね?」
そればかりか、ちょっと嬉しいとも思っている?
きっとイルカ先生は気まずい思いを抱えてしまうのだろうけど、オレとしては距離が縮まったような、もっと親密になれた気がして嬉しい。
「……ま、それはともかく、機嫌を直してもらうためにも温め直そうかーね」
一連の騒ぎですっかり夕飯は冷めていた。
何となく心弾ませながら、きっとむっつりした顔で出てくるイルカ先生のご機嫌取りのために行動を開始した。


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展開が分かる展開だなぁ……。へへ……orz 盆に終わらせることができなかった。