レッスン9
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元熊の国にある、湯煙に包まれた温泉街の一角。
憩いの場にと設置された小さな東屋で、俺は一人、行き交う観光客をぼんやりと眺めていた。
誰もかれも皆、連れ立って歩いており、俺のように一人でこの温泉街へ来ているのは稀なようだ。
五代目から、任務不履行による罰則として一時的な里外追放という名の、溜まりにたまった有給を消化するために旅行でもしてこいと里から追い出された。
俺にとって渡りに舟というよりは、あまりに俺にとって都合のいいお達しに戸惑ってしまったが、五代目から元熊の旅館割引チケットと、そこにある酒を土産で買ってこいという言葉ももらい、もしかしたら全て知っての采配かもしれないと、五代目の恩情に甘えることにした。
ただ、俺にとって失恋旅行に当たるこれに、各国から家族連れや恋人、友人たちで遊びに行くことで有名な元熊の温泉街は少しきついものがある。
お揃いの浴衣を着て、お互いの腕を組みながら下駄を鳴らすカップルはとても幸せそうで、未だ未練の残る俺には目に毒だ。
「もしかして、これも罰則のうちか……」
ついでに精神鍛錬してこいと、言外の指示を受けたような心地になって、つい乾いた笑い声が零れ落ちる。
はぁともう一度息を吐いて、椅子と机の下に流れている、源泉かけ流しの足湯の湯を戯れに弄んだ。
本来ならば心の底から満喫できそうな湯を前にしても、心は沈んだままだ。
堅苦しい忍び服は脱いで、純粋に一般客として湯を楽しめる状況なのに、なんとももったいないことだと思う。
油断すればため息ばかり出てしまう己が嫌になりながら、胸の中で未だ大部分を占める人物のことを思い返す。
名前は、はたけカカシ。
六歳には中忍となり、四代目に師事した天才忍者。元暗部で、うちはの家系以外で写輪眼を扱える唯一の者。
各国のビンゴブックには毎年名が載る、木の葉を代表する忍び。
木の葉の者なら誰もが知る有名人だったその人は、実際会ってみれば何とも気さくで穏やかな、普通の人だった。
初めて会ったのは、元生徒の上忍師になった時。
下忍に合格したことを伝えに来てくれた子供たちが紹介してくれた。
高名な上忍であるはずなのに、ちっとも偉ぶったことがなく、どこか茫洋としていて覇気もなく、日向で眠る猫のような印象を受けた。
「あー、あなたがイルカ先生? オレは、はたけカカシといいます。子供たちのことについて聞くこともあるし、里の先輩としても、これからよろしくネ」
本来なら俺から名乗るのが礼儀だったのに、カカシ先生は自ら名乗り、握手まで求めてくれた。
今思い返せば、売れた名とは裏腹な低姿勢な態度が、思わぬギャップとなって俺の心に刺さった。
この時期、受付任務を兼任するようになって、横暴な上忍に辟易していたこともあって余計に俺の胸の奥底に刻みついたんだと思う。
そこから、上忍にはありえないほどの人懐っこさで俺に接し続けてくれたおかげで、始めこそ腰が引けていた俺も、徐々にカカシ先生に慣れ始め、一時友情のようなものを感じるようになっていた。
暇があればお互いが酒に誘い、夕飯を共にし、自宅での飲み会や夕食会も何度も行った。
話題も、子供たちの話から自分たちの話をするようになり、俺とカカシ先生の距離感は現実的にも心の中でもこれ以上もないほど近付いていたと思う。
何をするにも楽しくて、無邪気に二人で笑い合えていた。
けれど、最悪なことが俺の身に起こる。
呑気にもカカシ先生のことを親友とも思い始めていた頃だった。
ある時、カカシ先生が飲みたがっていた酒が手に入り、意気揚々と今晩の夕飯を誘いに行った俺が見たものは、見知らぬ女性と腕を組み、親密そうに顔を近付けて話している姿だった。
雷に打たれたような衝撃の後、次の瞬間には煮えたぎるような怒りが腹の中に生まれていた。
俺の、カカシ先生なのに!!
浮かんだ罵声は、女性へ向けたもので。
その内容と、怒りの矛先に気付いて、愕然とした。
カカシ先生は立ち尽くす俺を見つけるなり嬉しそうな顔で、腕にくっついた女性を紹介してきた。
「あ、イルカ先生。紹介するよ、オレの彼女のヒマリ」
カカシ先生の紹介に合わせて、隣の女性は頭を下げる。
少し短めの黒髪をポニーテールにまとめ、くノ一には珍しく里支給の忍び服を着込んだ女性。
カカシ先生と同じ上忍だろうに、腰の低い、そして優しい笑みを浮かべるその人は、とても穏やかな空気を持つ可愛らしい人だった。
大部分の顔を隠していても分かるくらいにニコニコと笑みを浮かべているカカシ先生に何故か裏切られたような気分に陥った。
その後、俺は本来カカシ先生と飲むはずだった酒を交際祝いにと無理やり持たせ、その場を辞した。
その夜、訳も分からずに出る涙を流しながら、引き裂かれるような胸の痛みを自問し続けて、明け方になってようやく気付いた。
俺は、カカシ先生のことが好きなんだ。
恋愛的に、男女が思うようにカカシ先生のことを思っている。
恋に落ちた瞬間は自分でも分からない。でも、確かに俺はカカシ先生に恋をした。
驚くほど優秀な癖に驚くほど甘えたで、ほわほわと笑っていながらも残忍な牙を持つ、とても不安定で優しい男に。
そこから俺は必死にカカシ先生を忘れようと努力した。
なるべくカカシ先生とは会わないように、受付任務のシフトの時間を調整したり、暇が出来ても同僚たちと酒を飲むように行動した。
カカシ先生も彼女が出来たことだし、これでいいんだとじゅくじゅくと膿んだ痛みを持つ心を無視しして平静を装った。
けれど、カカシ先生は本当に友達思いの良い人で。
彼女が出来たからといって、毎晩のように飲み歩いていた俺を放っておくようなことはしなかった。
前と同じように、いや、それよりも足繁く俺の元へ、いないなら探してまで会いに来てくれた。
そのことが嬉しくてでも苦しくて、彼女を差し置いて飲みに行こうと言ってくれるカカシ先生の誘いを断ることも辛くて、逆にカカシ先生に理不尽な怒りを覚えた。その頃の俺の精神状態は、恥ずかしいほどにズタボロだった。
こういう日がこのまま続くのなら、どうにかなっちまいそうだと音を上げた頃、元生徒たちの中忍試験の件で仲たがいした。
そこから木の葉崩しが起きて、あっという間に俺とカカシ先生は疎遠になってしまった。
ようやく望んだ通りにカカシ先生から離れられて、ほっとしたと同時に心の中にぽっかりと穴が空いた。
望んだはずだったのに、カカシ先生が近くにいない現状を嘆いた俺は木の葉一の大馬鹿者だろう。
一時的にアカデミーは閉鎖され、大打撃を受けた木の葉を立て直す為にも忍び全員が里外任務へと旅立った。
がむしゃらに働いて、働いて。
任務中のときは余計なことは考えられないから、寝る暇も惜しんで任務へ行った。
時折風の噂で聞くカカシ先生の交際遍歴に胸を痛ませながら、忘れるように任務へ没頭して数ヶ月後、五代目が就任した。どうやら元生徒の頑張りもあったようで、会わないうちに大きく成長した事実に胸がいっぱいになった。
そのことが力になって、俺の気持ちも若干落ち着き始めると、周囲もどんどん上向き始めた。
アカデミーが再開され、木の葉の里にも活気が生まれ始める。
子供たちの弾けんばかりの笑顔に慰められ、このまま過ごせばきっと過去の懐かしい思い出に変わるとそう思った矢先だった。
五代目から直々に任務を請け負った。
それはカカシ先生の恋愛矯正の任務だった。
せっかく忘れるための第一歩を踏み出しかけたところだったのに、何とも皮肉めいたタイミング。
五代目からの話では、カカシ先生はくノ一クラッシャーという不名誉なあだ名をいただき、木の葉のくノ一を全滅させるのではないかと木の葉転覆説まで囁かれていた。
風の便りで耳にしたことのあれこれがほぼ事実だということに驚きながら、カカシ先生の立場の悪さが心配になった。なんだかんだ言っても俺はまだカカシ先生が好きで、力になれるものならばなりたかった。
そもそも火影さま直々の任務は断れない。
そんな言い訳をしながら、胸の内ではもう一度カカシ先生と親しくなれることを望む俺がいた。
ただ一つ、気がかりなのは、俺がカカシ先生を恋愛的に好きだということ。
特殊な任務が故に、寝食を共にし、あまつさえ惚れ薬を飲むというそれに、優しくされたから惚れたのだとカカシ先生に勘違いされたくなかった。
俺の到底叶わない恋に対する、みっともない意地だったのかもしれない。
愚かしいほど真っ直ぐにカカシ先生へ告白した。
カカシ先生が男相手に恋愛をすることはないと十分承知していた通り、俺の思いは当然受け入れてもらえなかった。
分かっていたとはいえひりつくように胸は痛んだが、こちらに蔑みや嫌悪の視線を向けなかっただけでも幸せなことだった。
任務だからと俺が側にいることを許してくれたカカシ先生に報いるためにも、俺は極力自分の思いを出さないように接した。時々思いが溢れ出て、カカシ先生を困らせたりもしたけど、それでも俺たちの生活は順調だった。
まるであのときのように。
俺がカカシ先生に対する思いは友情なのだと思っていたときのように穏やかな日々だった。
でも、やっぱり俺は肝心なところでしくじってしまう。
あれほど言い聞かせ、心の中で封じていた欲が出てしまった。
たった一度でいいから、カカシ先生と深く繋がりたい。
惚れ薬を飲んでいるというカカシ先生の弱みに付け込んで、踏み出してはいけない一歩を出した。
「イルカ」
そう、カカシ先生が本当に俺に恋したように見つめるから。
何かとても大切なものに触れるように、微かに震える指先で辿るから。
もう我慢できなかった。
一度箍が外れたら、貪るように求めた。
お互い男は初心者だったからか、全然うまくいかずに時間だけがかかった。
ひどい格好で、俺は痛みと苦しさでずっと泣いていて、それでも馬鹿みたいにカカシ先生だけ見つめて、一度きりの行為に没頭した。
冷や汗やら脂汗やら涙やら、色んな液体に塗れながら、ようやく一つになったとき、カカシ先生は泣いていた。
自分の意志ではないところで俺みたいな男を抱いているせいで、ぼろぼろと大粒の涙を流すカカシ先生があまりに可愛そうで不憫で、俺も泣きながら背中を撫で摩った。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
苦い思いを覚えながらも、嬉しき泣きをする俺を許してください。
無抵抗なカカシ先生に漬け込んだ俺を許してください。
もう、二度と触れないと誓うから。
もう、二度とあなたに近付かないと約束するから。
今だけは、あなたの思い人でいさせてください。夢を見せてください。
心と体に刻み付けて、気付けば一人、気を失うように眠っていた。
翌日、ふと目を覚ました時、俺の体は綺麗に清められていて、カカシ先生は俺を抱きこむように眠っていた。
甘い、甘い夢に続きのおまけがあったみたいで、嬉しさのあまり泣いてしまった。
でも、これは惚れ薬の効果があったことは明白だった。
カカシ先生と付き合っていた彼女たちは、こんなにも満たされていたのだと嫉妬すると同時に、突然それを失ってしまった辛さを思い、絶望した。
もう、任務は続けられない。
こんなに幸せな一夜を味わった後、平然とした顔でカカシ先生と向き合える自信がなかった。
熟睡しているカカシ先生の穏やかな寝顔を見つめ、この任務を下りることを決めた。
その足で五代目に嘘偽りなく報告して、そして俺は元熊の国へ来ている。
自分で思ったより有給は溜まりに溜まっていたようで、連続で休むとなると二ヶ月近くはここに滞在することができる。
五代目は自分の好きなタイミングで戻ってきなとお声を掛けてもらっているので、めいいっぱい休んでもいいのだが、三日前に到着してから早くも飽きてきた。
三日間連続で温泉めぐりをしているのだが、どんなに優れた景観であろうと、どんなに湯の質が良くても、全く心に響かない。
思うことは、カカシ先生が大部分で、後は里に残した子供たちと仕事のことだ。
自由な時間を過ごすことがこれほどまでへたくそだったとは、自分でも驚きだった。
失恋したならしたらしく、自棄酒するとか、自棄食いするとか、失恋曲を山ほど歌うとか、はたまた新しい恋を見つけにいってもいいのに。
「……俺、何してんだろうな」
思うだけで何もしない自分を笑う。
ちゃぷちゃぷと湯を足で揺らめかせながら、後ろ手に体重をかける。そこで顎を突き出すように仰いで、目を閉じた。
行き交う観光客の軽やかな笑い声や雑談が聞こえる。石畳を踏む複数の足音。それに混じって川の流れる音。
時折、風に乗って運ばれる硫黄の匂い。蒸した饅頭の甘い香り。湯気の香り。人の匂い。
今日はこうして目を閉じて、耳と匂いで温泉街を楽しもうかと、消極的な暇つぶしを見つけたときだった。
気配は感じなかった。匂いだって、物音だってしなかった。
でも、何となく俺にとって大事な誰かが来たような気がして目を開けて、首を巡らせて固まった。
俺のすぐ側に、木の葉の忍び服を着た、覆面男が佇んでいる。
無意識か故意かは分からないが、しれっと他の者には見えないように気配を隠し、存在自体を薄めている手腕はさすが木の葉の業師と言えよう。
目を見開いて名を呼ぶ前に呼ばれた。
「……イルカせんせい」
この男ときたら、ばつが悪かったり、自分が何か悪いことをしたと自覚している時に限って、舌足らずな口調で俺の名を呼ぶ。
そして、俺はといえば惚れた弱みというやつで、その声を聞くなり何だって許したくなるから困ったものだ。
けれど、この場合はそれに合致しない。
なぜなら、カカシ先生は何一つ悪いことはしておらず、全ての非は俺にあるのだから。
「……奇遇、ですね。お仕事ですか?」
もういいですよ、気にしないでくださいとは、到底言えず、俺は無難な言葉を返す。
よくよく見れば、カカシ先生の服は随分くたびれている。
背負っているリュックからして二泊三日程度の短期の任務か。きっと任務は終了して、木の葉に帰る途中だろう。
俺の問いにカカシ先生は黙り込んだままだ。
まぁ、その気持ちは何となく分かる。何たって俺はカカシ先生の弱みに付け込んだ卑怯者だからな。どう罵ってやろうかとか、蔑んでやろうかとか、まぁ、色々と煮えたぎった思いがこみ上げてきて言葉にならないのだろう。まずい、自分で思って凹んできた。
何だか泣きそうになってきて、カカシ先生から目を逸らす。
しかし、まぁ、なんだ。俺が悪いのは確定なのだから、けじめはつけねばなるまい。
ぐっと奥歯を噛み締めて、目の奥へと涙を引っ込ませると、足湯から足を出すなり、椅子へと正座し、カカシ先生へ体ごと向き直る。そして、深々と頭を下げた。
「この度は申し訳ありませんでした」
ひっと小さく息を飲む音がしたが、俺は構わず続ける。
「俺はあなたの信頼を裏切りました。任務にかこつけて、己の欲を優先しました。謝って許されるものではないと重々承知しています。もう二度とあなたの前には姿を見せません。もうあなたに二度と不快な思いは」
させないと続けようとした言葉は、突然体を起こされたことで途切れた。
両肩を痛いほど握り、カカシ先生は至近距離で俺を見つめていた。
唯一覗く灰青の右目が膜を張り、頼りなさげに揺らめく。
あ、落ちると思わず右手で掬おうとすれば、肩から離れ、伸ばした右手を両手で握られた。
「……そんなこと、言わないで……! オレが、オレの方が、何倍も身勝手で、欲深くて、最低で浅ましくて!! でも、それでもオレはもうアンタを、イルカを放してあげられない」
泣きそうに見開いている瞳は弱弱しいものかと思いきや、真逆の印象を与えた。
じっと押し殺していた激情が溢れだしたような、何かを思い詰めているような剣呑な光がある。
それは、俺にとっては見慣れていた光で、胸の内でそうかと納得する。
「……カカシ先生」
一つ小さく息を吸って、出す名を躊躇した自分を笑いながら、結局手放すための名を呼んだ。
もう間違えない。間違えられない。
瞳に浮かぶ惚れ薬特有の熱っぽい光が消えるのを見たくなくて、視線を外す。
これから罵倒されるのかな、もしかして一発殴られる? 俺の体耐えられるかな、などとこれから起こる胸に痛いことをあらかじめ予想しながら、ショックを和らげようと足掻いてみる。
ぐっと奥歯を噛み、そっと身構えた俺に落ちてきたのは拳ではなくて、小さな震える声だった。
「……ダメ。許さない。カカシって、呼んで」
思ったことと全く違うこと、それに付け加えて、話の方向性がかみ合っていないことに気付いて、頭が混乱してくる。
あれ、惚れ薬の効果は? え、一体どんな顔で言っているんだ。いや、もしかして任務で頭でも打った可能性がと胸に沸き起こる不安に後押され、顔を上げれば、カカシ先生は熱っぽい光を宿したまま、悲壮な空気をまとっていた。
……え? いや、なんで?
カカシ先生の思わぬ根を詰めた表情に、ますます混乱してくる。
あからさまに動揺する俺に、カカシ先生は包んだ俺の手を締め付けるように握り、熱に浮かされたように語り始める。
「ダメなの。もう無理なの。オレはもうアンタを放せない。いくらアンタが嫌だっていってもオレはそれを許すことはない。だって、ねぇ、もう分かっちゃったんだもの。オレはオレの心にもう嘘はつけない。今まで紛い物で我慢してた。けど、本物を知っちゃったんだもの。我慢できるわけもないでショ? ねぇ、イルカ。オレね、アンタが手に入らないならひどいことをするよ。アンタが泣き叫んでも懇願しても、オレのものにならないなら全部、全て壊してやる。今までの紛い物のくノ一じゃ収まりきれない。ねぇ、イルカ、オレのものになるって」
咄嗟にカカシ先生の口を、空いている手のひらで覆った。
勢いつきすぎて肌を打ってしまったが、口布がきっと緩和してくれたに違いない。
覆った手のひらの下でもそもそと唇が動く。
ちらりと目線を上げれば、カカシ先生の瞳がますます剣呑さを帯びてくるから、俺は思わず顔を赤くする。
もしかして、もしかするのだろうか。
鼓動が荒れ狂う予感を覚えながら、カカシ先生が動く気配を見せる前に口を開いた。
「お、俺の自己中心的な独りよがりな勝手な妄想的解釈だったら申し訳ないのですが!! か、カカシ先生は、ほ、惚れ薬関係なく、お、おおおお俺のこと、好きなんですか!?」
緊張のあまりどもりまくってしまう。
言い切った直後、ぽかんとこちらを見つめるカカシ先生の視線とかち合って、羞恥と後悔と、見当違いな解釈だったのかと顔が熱くなった後、血の気が引いた。
「……あ、そうですか。やっぱり俺の」
ちらっと見えた光明はどうやら見間違いだったらしい。
旅行に来る前よりも地深くに潜り込む勢いで落ち込む。
もうカカシ先生の顔を見ていたくなくて、背を向けようとすれば、横合いから体当たりするように抱き着かれた。え?
いや、三度も地獄に落ちたくはないと、力の入らない手で押しやろうとすれば耳元で叫ばれた。
「好きです! 惚れ薬なんて関係ない! アンタしか目に入らないくらい好き!! イルカがいれば他にはなにもいらないくらい、好き!!」
好き、好き、ずっと好きだった、ずっとずっと焦がれていた。
煮え切った思いを吐く様に、あまりに熱っぽい声でそう叫ぶから、ことりと胸の奥深くまで素直に飲み込んでしまった。
飲み込んだ言葉は熱くて、遅れて全身まで真っ赤に染めてしまう。
「……へ、っ、ふぁ!!」
素っ頓狂な声をあげたせいか、気管に何かが入って途端にむせてしまう。げほごほがはっと咳きこんでいれば、カカシ先生が背中を撫でるようにさすってくれた。
早く落ち着かせたいのに気管に入った何かは嫌がらせのように長く居続け、ようやく収まった頃には俺の息はあがっていた。全くもって全然締まらない。
「……、い、いつの間に、俺のことを?」
ぜぇぜぇ言いつつも、話を続けるべく口を開けば、カカシ先生は少し体を離すと、俺の眦に人差し指を差し入れ、涙を拭ってくれた。……くそ、イケメンか!
かーっと体中が熱くなるような火照りを感じつつも、カカシ先生の言葉を待っていれば、カカシ先生はじっと俺を見つめていた。
「……分からない。気付いたらイルカがいた。初めて会った時好ましくて、二度三度会って話したら嬉しくて、偶然装って会いに行って、どんどん引き込まれて、……気付いたら後戻りできなくなってた」
じっとこちらを見つめたまま、俺の頬を何度も指先で触れている。
強すぎる視線と執着したような指の動きに、俺は照れまくってしまい、つい視線が左右に揺れる。
カカシ先生の言葉がすべて事実だとするなら、カカシ先生は俺と会った瞬間からそういう風に俺を見てくれていたということであり、だいぶ早い時点で俺たちは両想いだったことになる。……両想い、両想いだったということになる!!
失恋旅行から打って変わって成就旅行となってしまった。
思い切り高笑いしたいような、大声を上げて今から全力疾走したいような衝動に駆られる。あぁ、もう、いっそのことカカシ先生と走る? 走っちゃう? 走って木の葉まで帰っちゃう?
二人の初めての共同作業は木の葉までの二人三脚です。
嬉しさのあまり訳の分からないことを考えている俺を他所に、カカシ先生は淡々と話し続ける。
「イルカしか目に入らなくて、でもこれだとイルカが不幸になるから、だから身代わりになれるようなのを見繕った。ちょっと誘導すれば、紛い物はそこら中に出来上がって苦労しなかったし、イルカは相も変わらずオレの側にいてくれたから、これでいいと思い込もうとした。でも、あっけなく疎遠になった。イルカに会いたいのに、オレの側にいるのは紛い物ばかり。イルカを求めたら求めただけ、紛い物の粗が目について、我慢できなくなった。紛い物も徹底してなりきればいいのに、時が経てばボロを出す。一度出せばボロボロと崩れて本性が出て、オレは絶望する。分かってて近付いてきた癖に、本当役立たず。ねぇ、イルカ。分かってる?」
浮かれていた気持ちがほんの少し揺らぐ。カカシ先生が語る内容は、今までのくノ一クラッシャーとして名を馳せた女性遍歴だろうか。
いや、でも待って。俺に似たくノ一なんていなかったよ。こんなごついくノ一いたら一発で目立つよ? けど、それだけカカシ先生が俺を思ってくれていた、ということだろうか。
油断すればにやけそうになる顔を引き締め、カカシ先生の問いを聞く。
カカシ先生は少々強引に俺の両頬に手を置き、顔を固定すると、身を乗り出して視線を合わせてきた。
「アンタが逃げたら、オレは何をするか分からないよ? 木の葉の里だって壊しちゃうかもしれない。ねぇ、分かってる?」
カカシ先生は唯一覗く右目で俺をじっと見つめていた。
俺の心を覗くように、俺の気持ちを見落とさないように、真剣に、それこそ超難易度の任務に挑む時のような気迫が滲んだ眼差しで、俺を見つめ続けていた。
カカシ先生が言うなら、本当に何をするか分からないのだろう。勢い余って、木の葉の里を壊すこともできるのだろう。俺にはそんな力も権力も頭脳もないから、現実離れした絵空事のようにしか聞こえないけど、カカシ先生が言うならきっとやるんだろう。
生死が絡むような緊迫感がカカシ先生を包んでいるのはよく分からないけれど、俺は俺でただ一つ言えることがある。
両頬を包まれていた両手を一瞬の隙をついて弾き飛ばし、カカシ先生が何か行動する前にその胸に諸手を上げて飛び込む。
突然のことでカカシ先生も対処できなかったのか、さすが上忍、きっちり俺を抱き止めてくれた。
「イ、イイイルカ?」
動揺しているのか、音を詰まらせるカカシ先生を笑いながら俺はぎゅうっと胸に頭を抱いた後、体を離す。
うろうろと小刻みに左右に揺れる瞳が可愛くて、笑みがこぼれ出る。さきほどとは反対に、カカシ先生の両頬を俺だけ見るように捕まえて、言ってやった。
「何回言わせたら気が済むんですか? 俺はアンタに惚れてんですよ。分かってます? カカシさん」
俺の言葉に、カカシさんの眉間がきゅっと狭まった。
途端に泣きそうに顔を崩れさせるから、仕方ないなぁと当然のようにカカシさんの頭を抱く。すぐさま背中に回った腕の強さに心地よさを覚えていれば、胸の中で小さな声が聞こえた。
「……ずっとオレの側にいてくれる?」
あまりにいじらしい願いことに胸が詰まった。そんなもん当然だ、何たって俺は。
「アンタのレッスン指導者兼、彼氏なんだから、当たり前でしょうが」
俺の言葉に、カカシさんは本当に小さな声で「レッスンはもういらない。彼氏だけでいい」とどこか不貞腐れている声音で言うもんだから、俺は笑ってしまった。
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思っていたより、カカシ先生が悪だった……。こんなはずじゃ…。