素顔 1
はたけカカシ。
彼は齢6歳にして中忍となり、10代半ばで暗部に入った、知る人ぞ知る天才忍者だ。
しかも、若くして命を絶った、3忍の実力を凌ぐとも言われたはたけサクモの一子であり、容姿も極めて秀麗かつ、美声の持ち主でもあった。
非業の死を遂げたサクモの一件もあり、里の者たちは幼くして実力があり、不満一つ漏らさずに任務を遂行する、麗しき美少年のカカシに対して、ひどく好意的かつある種の信奉のような感情を向けていた。
彼こそ、木の葉に舞い降りた神の御使いだなどと、容姿も相まってカカシ信奉者なる輩も現れた頃、聡い子供であったカカシは周囲が自分に求めている要望を的確に受け止め、そして、根っから真面目であるが故にカカシは求められるカカシ像を完璧にこなし、これが己の役割なのだと理解した。
常に微笑みを湛え、仕草は流れるように美しく。
言葉は控えめに、人が眉を潜めるような言動は決してしてはならない。
回りの者のカカシを見つめる瞳がうっとりと潤めば潤むほど、カカシは己の役割が正しいことを確信する。
もっと、もっとと、努力を惜しまない性格でもあったカカシ少年はより高みを目指して日々研究した。
忍びとして完璧な自分、人格者であるべきにはどうしたらいいのか、人々が望む姿はどうやって作り上げればいいのか。
ありとあらゆる本を読み尽くし、あの人はと言われる人物を観察し、己に反映していく毎日。
それに面白いように食いついて行く人々。
いつしか人々が語られるカカシ像は、人を超えた美しく清らかなる存在へと膨らんでいった。
それから十数年後。
「は、はたけ上忍、本日もご機嫌麗しゅうぞんじ上げます。今日もお美しい!! あ、あなたがいるだけで世界は光に満ち溢れ、不浄なる世界は清、きよ……」
カカシが里在住となり、毎朝の恒例となった、カカシ信奉者の朝のご機嫌伺いに耳を傾けながら、カカシは口をつけていたカップを受皿にそっと置いた。
手甲に覆われた先にある白く長い指が何気なく動いている様だけを見ても、気品に満ち溢れ、周囲から思わず感嘆のため息がこぼれ出る。
カカシの前で跪いた男も、その動きに見惚れ、言葉を無くす。
呆然と見つめるだけとなった男に、カカシは唯一覗く右目を緩やかに細めると、口を開いた。
「ありがとう。今日という日があなたにとって幸いの一日となりますように」
口布があるにも関わらず、澄んだ声音を響かせるカカシの美声に、カカシを囲うように出来ていた人垣から、「はぅ」やら「あん」やら短い声を立てて、失神する者まで現れる。
声を掛けられた男も例外ではなく、カカシの眼差しに見つめられた時点で口から泡を吹いて倒れていた。
「ありがたや、ありがたや」とカカシに向かい手を合わせる者がいる中、「お時間となりました、撤収!」という声が一声響くなり、失神した者たちを抱え、上忍控室前で90度のお辞儀を見せるなり、足音もなく去って行った。
後に残されたのは、さきほどとは一転して背筋を曲げて愛読書である18禁のイチャイチャパラダイスを広げたカカシのみだ。
「……おめぇも良くやるなぁ」
恒例とはいえ、いつ見ても見慣れない朝の光景に、咥え煙草のアスマがぼやく。それに対しカカシは大して気にも留めず、本から目を離さずに気のない声をあげた。
「べっつにぃ〜。かれこれ十数年、慣れたもんよ。それに、平々凡々な民草に夢を与えてやるのが、実力も全て叶え揃えた男、はたけカカシとしての務めでしょーに」
今だ、そわそわとカカシに憧れの視線を向ける一角に、カカシは顔を上げてひらりと手を振る。
すると、ぎゃーという黄色い声にしては凄まじい声をあげる一角を目にし、アスマは大きく息を吐いた。
あの一角には、さきほどまでと同様に、優雅に紅茶を飲みながら、小難しい古典文学に目を通している、麗しのはたけカカシさまが見えているのだろう。
「あーら、カカシさま。今日も優雅にお過ごしで。アスマさまも麗しのご友人の勧めで茶道に目覚めたのかしら?」
任務を終えた直後なのか、少々くたびれた感のある黒髪の美女が近付き、顔を歪ませて発言してきた。
「はぁ!?」と素っ頓狂な声をあげるアスマに、美女――紅は大きく首を振るなり、アスマの隣へ腰を掛ける。
「さっき、そう見えたのよ。どんだけ出来がいいのよ、この幻術。待機所覗いた途端、吹き出しそうになったじゃない」
この髭熊がお茶を点てる姿なんてちゃんちゃらおかしいわと、どこか怒りを感じさせる声音で紅は文句を言う。
「勘弁しろよ。……カカシ、オメェ一人だけ小綺麗に見せときゃいいじゃねぇか。周辺にまで効果つけるなんざ、どういうことだ?」
紅の言葉を受けて、アスマはげんなりとした表情でカカシを見やる。勝手に人で遊んでんじゃねーよと非難交じりに言えば、カカシは仕方ないでショと悪びれもなく言葉を返した。
「聖人君子なオレの周りにいる人間が、がさつであっちゃ困るからーね。せめてオレといる時くらいは気遣ってますっていう態度を見せる必要があーるの。でも、言っとくけど、これ幻術とは言えない暗示の類だからーね。上品とは言えない仕草をすると、問答無用で見た相手の中でその人が一番合っているという所作に置き換わって見えるーの。だから紅は、アスマに茶道をしてもらいたいなーとか思ってるってわけ」
紅以外は別の事に見えてんじゃないのと、本から視線を上げないカカシの言葉に、紅の顔が珍しく赤くなる。
「……オメェ」
にやりとアスマから含みのある笑みを差し向けられ、紅はそんなわけないと立ち上がった。
「そんなことより、今日の任務書もらってきたの? 今日から上忍師として下忍を指導していくんだから、今までみたいなふざけた態度はできないわよ」
意外にも教育者としての自負を持っているらしい紅の一言に、アスマは小さく驚きの声を漏らすと同時に、カカシは当然とそこで初めて本から視線を上げた。
「ま、オレみたいな男へ師事できる喜びを、たーっぷりと堪能してもおうじゃなーい。なにせ、はたけカカシが上忍師になるんだーからね。それなりのことは要求させてもらうよ」
にやりと新たなるはたけカカシ像を打ち立てようとするカカシの考えに気付き、アスマと紅はため息を吐く。
この男、実力もあるし、仲間は大事にするし、信頼できる人物であるのは確かなのだが、外面を異様なまでに綺麗に見せようとすることが非常にネックであった。
小さい頃から、猫を被ると表現するには甘すぎるほどの虚構を被り、またそれを完璧に纏ったために、世間一般のカカシ像はトイレに行かない者として、実しやかに語られていた。また、トイレに行かないなら当然性欲なんてある訳がないということで、カカシは今まで懇意になった女性は皆無であり、恋人も持ったことがない。
普通の人間である以上、食べたら出すし、健常な男なら性欲だってある。普段節制しているために頻度は多くないが、催した時は必ず誰かに変化して処理をしているという徹底ぶりに、二人は呆れるばかりだった。
何もそこまでと、素のカカシを知っている数少ない友人であるアスマと紅は幾度も言ったことがあるのだが、本人はそれを望んでやっていると言い張り、聞く耳を持たない。
そして、周りもその虚構のカカシに熱を入れあげているものだから、心配しつつも二人は口を閉ざすしかなかった。
ふふふと、上忍師はたけカカシの完璧なる脚本を頭の中で書きあげているだろうカカシを見つめ、二人は何とも言えない脱力感に襲われた。
「大概、歪んでるよなぁ」
ぼやくアスマに、紅はため息で同意を返す。
ふふふと不気味な笑みを漏らすカカシを見て、カカシに憧れの念を抱いている者たちは甘いため息を吐くのだった。
******
「おいおい、そうブーブー怒るんじゃねぇよ。きっとはたけ上忍のことだ。止むに止むを得ない。……そうだな、急に腹が下ってトイレに籠城せざるを得なかったとか、やっとこさ終わった任務後に急に気が抜けて肥溜めに落ちちまったとか、そんな切羽詰まった理由で遅れているんだよ、うん」
聞こえてきた有り得ない説得内容に、隠れていた木へカカシは思わず突っ伏した。
7班と初めて顔合わせをした日は、黒板消しを落とすという、まさかこのはたけカカシに対してそんな品のないことをする訳がないというか、してはならないことを仕掛けていることは考えが及ばず、モロに頭で受け止めてしまい、それがまた掃除をさぼりまくっている、チョークの粉がふんだんにまぶされた物だったために、カカシご自慢の銀髪が白髪の有様になるばかりか、糸くずはおろか埃の一欠片もついていない自分の手で綺麗にアイロンを掛けたかつ、新品の忍び服を汚された鬱憤で、つい素で「嫌いだ」と子供たちに言ってしまった手前、セカンドインプレッションで好感を上げるために、子供たちが信頼している者からの、はたけカカシの噂をそれとなく伝えてもらおう作戦を敢行するべく、それとなく子供たちを人通りの多いアカデミーの渡り廊下を集合場所に選びかつ、子供たちの全幅の信頼を寄せているアカデミー教師を第三者を使ってそれとなく廊下へ誘導して接触させ、さぁ、思う存分、君が思うはたけカカシ像を語り給えと鷹揚な気持ちで見守っていた矢先の回答に、カカシは崩れ落ちる膝を止める術を知らなかった。
「うっそだぁ」やら「やだぁ、先生ってばー」などと、子供たちはその言葉を笑い飛ばしていたが、若い男の教師はいやいやと首を振り、非常に沈鬱な面持ちで語り始めた。
「あのなぁ、お前らはまだ上忍っていうものをよく知らないから笑っていられるんだろうがな。分刻みで行動せにゃならんでトイレ行く暇がないわ。腹ごしらえする時間が無くて、目についた物を食って腹壊したりなんてしょっちゅうだって聞くぞ」
何、その、とんでも情報。
だらだらと冷や汗とも違う汗を背中に掻くカカシを尻目に、若い教師は再び口を開く。
「それにだなぁ。上忍ともなれば、高ランク任務が故に、チャクラ切れ寸前の体で里で帰ってくるんだ。しかも、帰り道が両脇ともに畑が広がっていてな。お前ら、見たことないか? 里の門のすぐ横の肥溜め。大門が見えて、あと数歩で入れるっていう位置の真横の道の両脇にあるんだよ、それが。俺たち中忍の間ではな、上忍ホイホイっていうあだ名がついている、そりゃー、恐ろしいもんでな」
何その、とんでもトラップ。
次々と語られる若い教師の初耳な情報にカカシはくらくらと目眩を覚えた。
教師の語り口が妙に説得力のあるもののせいか、笑っていた子供たちはいつしか口を閉ざし、非常に真剣な表情で教師の言葉に耳を傾けていた。
まずい。このままでは、教師の言葉をカカシの意図していることとは別方向に信じてしまうと思い至り、カカシは慌てて気配を現し、子供たちの元へ駆けた。
「すまない、君たち。遅れたのには止むに止むを得ない理由があってな」
これが上忍、はたけカカシだと、颯爽と歩く姿はまるで獲物を追うチーターと称された身のこなしで近付けば、子供たちは一瞬息を飲み、ひっと小さく悲鳴を上げるなり若い教師の背後に回った。
え、何その反応とカカシが思わず言葉を止めると同時に、若い教師は子供たちを守るように背に庇いつつ、カカシから一定の距離を保った。
一歩踏み込めば、教師と子供たちは二歩下がる。二歩踏み込めば、四歩下がるという具合に、近付こうとすればするほど距離は広がっていった。
「……あの?」
こんな仕打ち今までされたことがないと内心衝撃の嵐で打ちのめされているカカシへ、遠くに見える教師は大声で声を張ってきた。
「本日の7班の任務は、アカデミーの窓拭き掃除でしたねー! その任務は俺たち教員が任務に出したので、こちらから子供たちに説明させていただきます。はたけ上忍はグラウンドから子供たちの監督をお願いできますかー?」
勝手に話が進む現状にカカシが戸惑っていると、教師は続けて言い放った。
「あ、それと任務追加でお願いがあるんですが、はたけ上忍は校舎には絶対に入らないで下さい。報告書も今日は子供たちが書いて、提出するようお願いしまーす!!」
「え、あの、ちょ……」
面食らうカカシに向かい、遠くから深々と頭を下げた教師は子供たちを引き連れてその場を去ってしまった。
後に残されたのは、引き止めようとした手を下ろせずに立ち尽くすカカシのみ。
折しも横からは、春にはまだ遠い冷たい風がカカシの体に吹き付ける。
く、屈辱的だ……!!
ぐらりと傾いだ体は、意図せず、本日二度目の膝と手の平を地を付け格好を取っていた。
美の化身と言われ、『はたけカカシはトイレに行かないの、ううん、はたけカカシの体から出るものはバラと山奥にある清らかな清水なの』と海千山千のくのいちに語られたカカシが、肥溜めに落ちて、未だ悪臭をさせていると思われているなど、侮辱以外の何物でもない。
ふるふると震える手を握りしめ、カカシは生まれて初めて味わう屈辱に身を焦がした。
脳裏に鮮明に焼きつくのは、あの教師の顔。
黒髪を頭頂部で一本に縛り、中肉中背の中忍らしき男。顔は凡庸で、鼻の中心に一本横切る大きな傷がある――。
イルカ、先生。
子供たちが呼んだ名を胸で呟き、カカシはぎりぎりと歯を食い締める。
このはたけカカシに恥をかかせて罪は重い…!
カカシが這いつくばった廊下がみしりと音を立ててひび割れる。
「ふふふふふふ、ははははは、あーははははは! 上等だ、糞教師!!」
ゆらりと立ち上がり、カカシはほの暗い感情を瞳に宿し、グラウンドへと歩き出す。
カカシの尋常ではない気に気付いた者たちが、そこかしこの窓から視線を向けていたが、カカシはそれにすら気付かず、不気味な笑い声を響かせた。
胸にある思いはただ一つ。
イルカ先生とやらを骨抜きにしてくれるわ!!
戻る/
2へ
------------------------------------------
外面命カカシと体育会系イルカです。
……ギャグです。深く考えずにお読みくださいませ…!!