素顔 3
始めはうまくいっていたと思うのだ。
名高い老舗料亭に連れ込み、目一杯うまいものを食べさせた。
食材は言うに及ばず、皿や箸、爪楊枝まで、普通とは違う気を発する一流品のそれらに、薄給で貧乏人であろうイルカは圧倒されっぱなしだった。
普段はがさつで朴念仁のイルカも、席に着いたときは借りてきた猫のように身を縮こまらせていた。
好機とばかりに、カカシはイルカに優しく声を掛けた。ナルトたち部下の話を皮切りに緊張を解させ、こんなお高いところに行っちゃうけども、実は庶民的なカカシもいるのですよと親近感を与える話に終始した。
すると今まで強ばっていた顔を緩ませ、相づちを打つようになった頃、イルカはこう言った。
「はたけ上忍って気安くて面白い方なんですね。俺、ちょっと変わった人だなぁと思ってたんですが、今晩で印象が変わりました」
おい、待て。ちょっと変わったってなんだ。オレのことを今の今まで変人だと思っていたのかてめぇと、心の中で額から血を噴き出さんばかりに苛ついたのだが、カカシは頑張った。「イルカ先生、ひどいですよ〜」と、あくまで気の良い上忍を装い、余裕の笑顔で受け止めた振りをした。
そこからイルカはいつもの調子を取り戻して、よく喋るようになり、美味しいですと満面の笑みをカカシに向けた。
食事中、はたけ上忍と未だ堅苦しく呼ぶイルカに不満を覚え、カカシと呼ぶように告げれば、イルカは少し驚いた顔をした後、「カカシ先生」とはにかんだ笑みを浮かべて呼んでくれた。
その少し恥ずかしそうな、照れが入った顔は、カカシに好意を抱いていると思わせるには十分過ぎるほどだった。
食事を共にするということは、人の印象と密接な関わりを持つもので、美味しい食事はそのまま相手の好印象に繋がるものだ。
美味しい美味しいと全身で喜ぶイルカを眺めながら酒を舐め、少々予想とは違うが、カカシに対する認識を少しは改めさせることができたと、カカシは満足を覚えた。
この一夜を足がかりに、イルカをメロメロに骨抜きにしてやると、決意を新たにしたというのに。
「今日はごちそうさまでした」と、料亭の前でイルカが深々と頭を下げてきたので、「いえ、いいんですよ。私もご一緒できて楽しかったです」と、紳士的に振る舞った。
顔を上げたイルカは、お腹いっぱい嬉しい美味しかった楽しかったと、感情だだ漏れで笑っていた。
素直な感情を露わにするイルカが可愛く思えて、もう少し手懐ける意味でも一緒にいてやるかと、あまり酒を飲まなかったイルカを気遣い、酒を飲みに行こうと誘おうとしたとき、厄介な奴が現れたのだ。
「マイライバール、カカシィ! ここで会ったが勝負時っ。尋常に勝負しろ!」
騒々しい気配と一緒に、濃い顔が空から降ってきた。そして遅れ、肩で息をしながらその弟子は「トレーニング中にも勝負時を見逃さないなんて、さすがガイ先生です!」と黄色い声をあげた。
嫌な奴と遭遇したとカカシは思った。すでに気持ちはイルカと飲みに行くことになっている。
無理と笑顔で拒否する直前、カカシは目の前のイルカの変化に出そうと思った声を無くした。
今まで幸せそうに腐抜けていた顔が急に上に持ち上がるや、漆黒の夜のような瞳はきらきらと輝き、頬が見る間に赤くなった。しかも、
「ガイ先生っっ」
イルカの口から出た名は、熱い気持ちが込められていた。
そのときのカカシの心情は何だそれに尽きる。
いずれイルカがカカシに向ける予想顔と寸分違わぬ顔をさらけ出しているのに、その視線の先にいるのはよりにもよって濃い顔、暑苦しいの代名詞であるガイだなんて。
あまりの衝撃に前かがみに倒れそうになるのを上忍の意地で踏みとどまりながら、尻尾を振り回さんばかりにガイへと駆け寄り、隠すことない好意を向けるイルカを呆然と見つめた。
ガイ先生、ガイ先生と頬を染めて、輝かんばかりの笑顔を浮かべるイルカに、さっきまでのいい気分は地の底に落ちた。
おまけに衝撃から抜け出せずに立ち尽くすカカシに背を向け、イルカはガイとリーの三人で今からどこかに行こうと話をしているではないか。
何、オレのこと無視ちゃってんの!? 行っておくけど、オレ、写輪眼のカカシだよ? オレと飲みたい民草が掃いて捨てるほどいて、今のオレは何かちょっと飲みたい気分だっていう絶好の機会だってのに、オレを無視するなんてもったいないこと普通する? アンタたち馬鹿じゃないの!?
イルカの肩を掴み、そんな言葉を口走ったような、口走らなかったような気がしないでもない。いなかったように振る舞われる経験は初めてだったこともあり、なぜか記憶が曖昧だ。
イルカはカカシの言葉に、お忙しいかと思ったんですけどカカシ先生もいいなら一緒に行きましょうと声を掛け、四人で居酒屋に行くこととなった。
未成年であるリーを考慮して、九時にはお開きになるその飲みへついて行ったまでは良かったのだが。
「……ここで、飲むんですか」
イルカを先導にして行き着いた居酒屋は、いわゆる大衆居酒屋で、カカシが敬遠している店の一つだった。
安さと早さが自慢の、騒がしいだけの店。食事の味は落ちるし、酔っぱらいがそこら中にいて酒臭い息を吐き、大声で喋り立てる。
店内に踏み込んだ瞬間、掃き溜めに鶴のごとき品格であるカカシの存在に静かになったものの、喧噪の残り香は消えそうにない。
口布の下で唇を曲げながら、客が見えている顔に笑みを浮かべ、小さく頭を下げる。
酔いの喧噪とは違う、浮かれるようなさざめくような空気を認め、カカシはようやく足を進める。
席に案内する店員がカカシにすまなそうな顔をして用意した席は、マナーのなっていない客がたばこの火を落とし、ところどころ焼かれているテーブル席だった。
店員とリーは、カカシに対するまっとうな感覚を有しているのか、大丈夫ですかと気遣ってくれたものの、肝心のイルカはカカシに目も向けず、ひたすらガイと話をしていた。
いっそ帰ってしまおうかと思ったが、せっかく好印象を植え付けたのに、ここで先に帰って印象が悪くなるのも癪で、カカシは気遣う二人に「気遣い無用ですよ。こういうところは初めてですが、活気があっていいですね」と優しく微笑んだ。
店員はカカシの笑みに声を漏らすなり失神し、リーも心臓を押さえて顔を赤くした。ついでに、周辺にいた客もばったばったと倒れる気配を感じ、やはりオレのカリスマは所知らずだとカカシは思う。
なのに。
なぜ、このくそ教師には通じないのか。
ガイとイルカが仲良く肩を組み、ビールをあおる姿を、カカシは呪い殺さんばかりに睨むのだった。
「二人とも仲がいいみたいだけれど、どういう関係なんですか?」
一直線にガイを慕うイルカと、慕う者にはとんでもなく面倒見の良くなるガイの二人の空気に割って入るべく、カカシは声を掛ける。
その頃には、周囲の貢ぎ物のせいで、テーブルは注文もしていない飲み物と食べ物で溢れかえっていた。食事がまだであるリーとガイがもっぱら食べているがそれでもまだまだ余りそうだ。
良ければこれもと差し出すつまみを、それはあなたが食べてくださいと笑みを浮かべてやんわりと断り、周囲に対しての振る舞いもそこそこにイルカへと視線を向ける。
イルカの真正面にはカカシが、真横にはガイが並ぶ席順は、顔はよく見えるが落とそうと思っているイルカとの距離が遠いため、面白くない配置だった。
「イルカ先生とは『ガイ先生を盛り上げる会』の同志であり、弟子仲間でありますっ」
隣のリーが食べる手を止め、額に手を当てカカシへ敬礼しつつ報告してきた。
「うむ、そうだな。あと、イルカとは熱い教師仲間でもある。イルカは見たとおり、熱くて骨があるいい男だ! カカシも縁を結ぶといい」
黄色い電灯の光を受けても、白く輝く歯をこちらに見せ、親指を立てるガイにカカシは食傷気味に陥る。いつ見ても濃い男だと思わずにはいられない。
「もちろん、イルカ先生とは親しくなりたいと思っていますよ。子供を教える立場としては未熟で経験も不足していますし、ぜひご教授をと願ってます」
カカシの言葉に、周囲からため息とそれと同時に嫉妬の視線がイルカへと向かう。平凡な中忍を名指しで呼び、好意をほのめかせばどうなるか予想はつく。
自分へ嫉妬の眼差しが向けられていることに気付かないイルカは、目を見開いて驚いていた顔をしている。
作戦変更だ。ここまで鈍いとなれば周囲をかつぎ上げ、カカシの格の違いとやらを認識してもらおう。
お前ごときが声を掛けられるには恐れ多い人なんだと、面と向かって周囲から非難にあえば、いくら鈍感なイルカとて気付かない訳にはいかない。
イルカはアカデミー教師の内勤者だ。里内にいる限り、周りもそう無体なことはしないだろうし、複数に絡まれるようならカカシが自ら助けに行ってやってもいい。
イルカの窮地に駆けつけるカカシに、胸を高鳴らせるであろうイルカを思い浮かべ、口布の下の唇が勝手に笑みを作る。来る未来を想像し内心で笑っていれば、瞬きを繰り返していたイルカが口を開いた。
「俺もカカシ先生と色々話したいと思っていたので嬉しいです。でも、カカシ先生に教えることなんて俺には何もないですよ」
「……はい?」
面と向かって辞退してきたイルカに思わず素で問い返した。
何て不遜なと囁き声が聞こえる中、イルカは言い切った。
「カカシ先生の教育方針はもう決まっていらっしゃいますし、そのための道筋もきちんと立っていますから。戦忍としての経験が古くなった俺が意見したところで、カカシ先生の生きた意見の邪魔になるだけです」
見透かされている。
イルカの言葉に思わず鼓動を乱す。
確かに、その通りだ。カカシは上忍師になるに当たって、教育についてのありったけの資料と自分が四代目から教えてもらった事、自らが経験してきたことを踏まえ、子供たちにどうやって教えるかの道筋を立てている。
それに何より、里外任務をあまり請け負わないであろう、内勤者であるイルカの意見を軽んじていたことは否めない事実だ。
「そんな、イルカ先生の意見もお聞きしたいのに」
口からは勝手にフォローする言葉が出たが、イルカは分かっているような顔で小さく苦笑した。
眉を寄せ、少し寂しそうに、それでもそれは仕方ないことだと認める風に笑うイルカを見つめていると、何故か鼓動が早くなる。
カカシの動揺を悟ったのか、ガイは面白そうに「青春だな」とイルカの肩を叩き始める。それを受け止め、困惑しながらもガイに応えるイルカに面白くない感情が浮かんだ。
余計なことは言うなよとガイに釘を差すように睨めば、ガイは分かっていると何度も頷いた。
気を取り直してイルカを見る。冴えないもさい、ぼんくら中忍風情だと思っていたが、見るべきところは見ているらしい。目は確かだと思っていいだろう。
ふと、教育者としてのイルカが見た、上忍師としてのカカシの評価がどのくらいのものなのか気になって口を開く。
「では、元担任として、子供たちを見ていた先輩としてお聞きしたいのですが、私は上忍師としていかがですか? 及第点はいただけますか?」
ガイに向いていた視線が再びこちらへ向いたことに安堵しながら、答えを求めて首を傾げる。
俺ごときが評価することじゃないと断っていたイルカを説き伏せ、教えてほしいと再度頼めば、重い口がようやく上がる。
「残念ですが、お答えできません」
きっぱりと拒絶された言葉に目が見開く。感じたのは苛立ち。一度ならず二度までもカカシを蔑ろにしようとするイルカの言葉に一瞬怒気が浮き上がる。
だがそれもすぐに治まった。カカシを小馬鹿にした態度は一切なく、イルカは真摯な態度で、真っ直ぐカカシを見つめ、恐ろしいほど静かに答えた。
「カカシ先生は勘違いされているようですから言いますけど、子供を送り出す立場の者の評価は、ずっと後になってから下されるんですよ。育ててきた子供たちの生き様が答えであり、子供たちの教師に対する思いが評価なんです。だから、俺には答えられない。その答えはカカシ先生自身が、成長したあの子たちを見て知ってください」
噛んで含めるように言い聞かせるイルカの言葉に、何故か泣きたくなった。
胸を掠めるものがある。
遠い昔、言い聞かされた言葉。必死にこちらへ伝えようとしてくれた気持ち。自分をいつも見守ってくれた瞳。
あのときはまったく気付けなかった。どれだけ自分を気にかけてくれていたか。どれだけ自分の行く末を心配してくれたのか。
自分の中にあった核を見た気がした。
だから、なのか。だからこうも固執したのか。
己のいきすぎた行動の理由を言い当てられた気がして、カカシは唇を噛みしめた。
いまだ真っ直ぐに見つめるイルカの瞳を見ていられなくなって、カカシは目を伏せた。
ムカつく。
心の中でつぶやく。
平和呆けした顔して、大ざっぱでとことん鈍くて、明後日の方向のことばかりしてくる癖に、人の核心を容赦なく突いてくる。
自分ですら分からなかったことをこうも簡単に暴くなんて、何て嫌みな奴だ、と。
俯いて唇を噛みしめていれば、ふわりと空気が動いた。
弾かれたように顔を上げれば、前にいるイルカが身を乗り出して、カカシの頭上で左右に手を動かしていた。
何しているんだと眉を潜めれば、イルカは気が済んだのか鼻から息を吐いて体を引く。そして鼻にまたがる傷を掻きながら笑った。
「いえ、何かカカシ先生の頭を撫でたいなぁと思いまして。さすがに不敬罪に問われそうなんで、一応真似事だけでも」
カカシ先生見ていると一生懸命頑張ってる生徒みたく見えるんですよねぇと腐抜けた顔で言うイルカは、きっと酔っているのだろう。そして、カカシもそうに違いない。
「……止めてくださいよ、みっともない」
顔を背け出た言葉とは裏腹に、撫でてもらいたかったと思っていた。
手元にあったグラスを掴み、一気にあおる。氷と水で薄められた酒は、水の味が強くて安っぽい味がした。はたけカカシの口にはまったく合わない飲み物だ。
だけど、今はこの安っぽい味をとことん飲んでみたいと、気を利かせて横から差し出される酒を無言で受け取り、煽った。
「そうか。そうか、青春だなぁ。お、そうだ、イルカ。頭が撫でたいなら、オレの頭も貸してやるぞ」
音が出そうなほどの勢いで片目を瞑ったガイの言葉に、思わず口に含んだ酒を噴き出しそうになった。一体何を言い出すんだと目を向けるカカシの前で、イルカはさきほどの真面目な態度は一転し、えぇと嬉しそうに体をくねり始めた。
「ガ、ガイ先生の頭を撫でるなんて、そんな恐れ多い! あ、あのでも、もし叶うなら俺の頭を撫でてもらいたいなぁ、なんて」
うわ言っちゃったっと顔を両手で覆うイルカに、カカシは目を剥いた。手にあるグラスがみしりと嫌な音を立てる。
「あー、いいな、僕も次お願いします、ガイ先生!」とリーが手を挙げる気配を感じながら、ガイに頭を撫でられ相好を崩しているイルカの顔を注視した。
むかむかと胸が焼き付いた。
カカシの頭は撫でたくて、ガイには撫でられたいとはどういうことだ。それに、あの暑苦しいおかっぱ眉毛の、ごつい手で撫でられて、ああも良い顔をするなんておかしいんじゃないの。オレのゴールドフィンガーにかかればアンタなんてイチコロだよ、イチコロ! とろっとろに溶かしてメロメロにすることなんて朝飯前だっていうのに、なんでアンタはガイを選ぶのかな!
もう勘弁ならぬと、オレが直々に撫でてやるからこっちに来いと口を開くより前に、外から甲高い音が聞こえた。
居酒屋にいる上忍たちがこぞって外を気にし始める。ガイも例外無く気付き、それに呼ばれているカカシへ目を向けた。
ちっと小さく舌打ちをして、分かっていると席を立つ。
「あ、お帰りですか?」と、未だ頭に乗せられたガイの手に懐く様子を見せるイルカに、思わずかっと頭に血が上った。
「イルカ先生。もしかしてガイのことが好きなんですか? 男同士の恋なんて不毛なだけですよ」
建設的じゃないですから止めればと、ことさら冷たい声を出した。
驚いたように目を見開くイルカの顔に少し溜飲を下げ、緊急呼び出しをしたであろう式の元へ進む。
途中、後ろから横から前から、これから任務に着くカカシへの声援が投げかけられたが、いつものように応える気にもなれなくて、無視して足早に外へ出た。
外に出たところで、ここ全員分の会計をし忘れたことに気付いたが、今更戻るのも格好悪くてそのまま放っておいた。
カカシが今までしてきたことが、今日の一件だけで覆らないことは確信していたし、完璧すぎるカカシ像には、たまには人間臭いところも必要だと言い訳をしたのだが、カカシにとっての誤算はまったく違うところで働くこととなった。
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4へ
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先が分かるラストですね。しかし、その設定が好きなんです!
好きなんです! 今度は男イルカで書きたかったんですっっ。(言い訳だらけ)