夢(前編)
同僚たちが気を利かせてくれた誕生日の贈り物。
おれにとって最悪な贈り物だった。
「どうしろってんだ……」
ガラゴロと口を濯ぎ、見上げた鏡の先で、情けない顔と対面する。
目の下に隈ができた、どうにも冴えない顔の男。
深夜を回るため、顎や頬にぽつぽつと生え始めた無精髭を撫で、おもむろにため息を吐いた。
思い出すのは、今日の受付でのことだ。
受付任務者特権で、おれの勤務表を見た同僚が、まともに休みを取ってないおれの勤怠に苦言を呈してきたことが発端。
そこにちょうどアカデミーの同僚もいたことが、おれの運のなさに拍車をかけた。
木の葉崩し以降、休んでいないおれに、同僚たちは口を揃えてこう言った。
「おまえ、明日休め」
「は?」
「そうそう。明日、休めよ。ちょうどお前の誕生日だし、俺たちからのプレゼントだと思ってくれりゃいいからさ」
したり顔で頷くアカデミーの同僚に、おれは首を振った。
「ま、待てよ。明日、お前の組と合同で水遁の忍術演習だろうが、いきなり休める訳な」
「いやいや、無理を可能にしてこその、アカデミー教師だろう」
い、いやいや! なんかかっこいいこと言ったって顔してるけど全然意味がわからねーから!!
「いや、どう考えても無理だろう?! しかも、明日は深夜の受付業務が入ってんだぞ!!」
「はっはっは、水くさいこと言うなよ、イルカ。そんなの俺とこいつが代わりに入ってやるから」
「そうそう。イルカちゃんは、ゆっくりお休みなさい」
受付仲間が肩を組み、任せろと胸を叩く。普段は残業したくねー休み欲しいって散々っぱら言ってんのに、どうしてこういうときに限って、頼もしくなるんだ?!
もう何も言うなと、二人から両手を突き出され、おれは撤回不可能だということを知る。
受付任務が潰され、せめてアカデミーは死守しようと口を開けば、アカデミー仲間はにやりと口元に笑みを浮かべ、「実は」と切り出した。
「くのいちクラスとも合同演習になったから、イルカいらねーの。つか、邪魔。俺は明日、うはうはハーレム授業なんだ」
ぽんと飛び出た、初耳な情報に口が開いた。
「は、はっぁぁ??! ちょっと待て。今日の朝の会議じゃ、そんなこと一言も出てなかっただろ?!」
おれの驚きの声に、同僚は悪びれるそぶりもなく、肩を竦めた。
「まぁなー。だって、決まったの昼過ぎぐらいだったからな。そのときイルカは受付任務だったから、伝えようにも伝えられなくて、今、伝えた」
え、なに、それって、つまり事後承諾ってことか?!
まさかと視線を向ければ、同僚は腕を組み笑った。
「そうそう、察しのいい子は好感が持てるなっ。というわけで、イルカは明日、休みってことで」
『決定ーー!!!!』
満場一致で、おれの休みは決定された。
いやーいいことをしたと、朗らかに笑う同僚たちを前に、おれは泣き崩れたくなった。
何のために、明日という日を一日中任務漬けにしていたのか、意味が無くなってしまった。
回想を終え、鏡に向かってため息を吐く。
白く曇った鏡の隙間から見えた黒い瞳は、いびつに歪んでいた。
おれは自分の誕生日が嫌いだった。
両親が祝ってくれた誕生日が楽しくて嬉しくて、幸せだった分、素直に人からの祝いの言葉を受け取ることが難しくなってしまった。
「大好きだよ、イルカ」「生まれてきてくれてありがとう」と抱きしめてくれた両親。
その両親の温もりと人の温もりをどうしても比べてしまう。
頭では分かっているつもりだった。
両親の思いと人の思いは比べるものではなく、二つとも喜ぶべきものなのだと。
けれど、ふとした瞬間、胸が冷える。
おれが欲しいものは、これじゃない。欲しいものはこんなものじゃないのだと、胸の内で拒絶する自分がいた。
人からの好意を素直に受け止められない自分が嫌いで、それでも両親との繋がりを人に求めてしまう自分も嫌いで、おれは逃げた。
誕生日には任務を入れ、家にいないようにした。
一人でいることを避け、大多数の中に埋没し、息を潜めた。
毎年毎年、神経質なほど尖ってその日をやり過ごしていたのに。
明日は、誕生日。
ひとりぼっちの誕生日。
歯を磨いてすることもなくなり居間へと戻る。
ふと視線をあげて時計を見れば、後、5分でおれの忌まわしい日が始まろうとしていた。
なんだかとってもやるせなくなって、おれは急いで寝室に駆け込み、引きっぱなしの布団の中へ潜り込んだ。
明日なんてくそ食らえだ。
決めた、明日はずっと寝ていよう。
おなかが空いても、何が起きても、ずっとずっとこの布団の中にこもっていよう。
明日は、ずっと夢を見て過ごすんだ。
目を覚ませば、翌々日で、一日無駄にしちまったって笑って起きてやるのだ。
目を閉じた瞬間、胸にうずくまっている幼い自分が、「夢の中、とうちゃんとかあちゃんに会わせて」と小さく泣く声が聞こえた気がして、おれは頭まで布団をかぶった。
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