プレゼント2

「イルカー、ただいま!」
どこかで見たような一軒家。
庭付きの、縁側のある平屋の家。
カカシの自宅では到底あり得ない玄関口に立ち、カカシは躊躇うことなく声を張り上げた。途端に、こちらへ向かう二つの気配。


「にっにー!」
「そうだな、カカシ兄ちゃんが帰ってきたぞ〜」
きゃっきゃとはしゃぐ幼子の声の後に、聞き覚えのある声を耳にし、ミナトは驚く。まさかと思う間にも、二つの気配は廊下に姿を現した。
ひっつめ髪のちょび髭を生やした男性と、危ない足取りで廊下を歩く黒髪の子供。
顔見知りの出現に、ミナトは面食らった。
「う、うみのさん?! え、ここ、もしかしてうみのさんの家?!」
振り返って表札を確かめようとするミナトに、うみのと呼ばれた男性は朗らかに笑った。
「お、誰かと思えばミナトも一緒か。っと、今は四代目と呼ぶべきですかな?」
久しぶりと柔和な笑みを浮かべた男に、慌てて手を振る。
「茶化さないでくださいよ。まだ決まってませんし、うみのさんは今まで通りミナトって呼んでください」
水臭いと言えば、うみのは大きな口を開けて豪快に笑った。


「にっにー」
「イルカ!」
両手を突き出し、子供がカカシの元にたどり着く寸前、カカシは子供の体をさらい、胸に抱きしめた。
「にっに、おあえー」
「うん、ただいま」
「おかえりのちゅーは?」とマスクを下ろし頬を出すカカシに、イルカと呼ばれた子供は素直に唇を寄せた。
ここまでなら可愛い挨拶ですんだのに。
「じゃ、お返しのただいまのちゅー」
と、言うなり、カカシは音が立つほど吸いつくばかりか、さりげなくさわさわとイルカの体をまさぐり始めるではないか。
「カ、カカカ、カカシくん!!」
その破廉恥な手つきは何?! 親御さんの前だよッと動揺するミナトに、うみのは大して気にもしてない様子で穏やかに眺めていた。
「……うみのさん」
「ん? 何だ」
我が子が服の中に手を突っ込まれているのを見て、何も思わないのですか? 可愛い我が子が今、服の下でどんな目に遭っているか分からないのですか?!
口に出すことも憚れ、視線で問うてみたが、うみのは何も思っていないようだった。
カカシが遊んでくれていると思っているのか。きゃっきゃっと喜ぶイルカの笑顔に騙されているのか。
それにしてもカカシの笑顔が違った意味で恐い。はぁはぁと鼻息を荒くさせているような気がして、ミナトは直視することができずにいた。


自分の精神衛生上のために止めさせようかと迷うミナトに、うみのは「仲が良いだろう」と話を振ってきた。
「今、流行りの子供同士のスキンシップらしいぞ。一番仲のいい子の体をくすぐるのが流行りなんだそうだ。ここら辺、イルカしか子供いないからなー。カカシ君が今時の子供の遊びやら何やら教えてくれるから助かってんだ」
「俺のとこ、共働きだしなー。子供の遊びまで仕入れる時間なくて」と、まんまとカカシに騙されているうみのに涙がちょちょ切れそうになる。
実力はそれなりだが、人望と知識は目を見張るほどあるのに、人を疑うことを知らないうみのは、その一点で上忍への道を閉ざされていた。
色々なことを思い、こっそり影で涙を拭くミナトを尻目に、ひとしきり挨拶をし終わった二人にうみのが声をかけた。
「良かったな、イルカ。今日もいっぱいくすぐられたか?」
ミナトにはよく分からない言葉で話すイルカに、うみのはそうかと笑い、頭を撫でる。
嬉しそうにうみのへ抱きついたイルカを見た途端、カカシの眉根が一ミリ下がった。
付き合いが長いだけにカカシが今、超絶不機嫌なのが分かる。
うみのさんに暴力振るうようなら僕が守らなきゃと、気合を入れていると、うみのが振り返った。


「カカシ君は今日泊まっていけるかい?」
すわ、膝蹴りか、脳天を貫く踵落としかと身構えるミナトの前で、仏頂面の顔が途端に笑顔に変わった。
「残念ですけど、明日は朝が早いので今日は無理です」
すいませんと、礼義正しく頭を下げるカカシに、戦慄が走り抜ける。
いつも斜に構え、自分より能力的に下であれば、年上であれ階級が上であれ、誰であろうと見下しきった態度を崩さなかったカカシが頭を下げるなんて……!!
そればかりか、「オルカさん」と親しげの中に敬意を込めて、うみのの名を呼んでいる。
うみのオルカは中忍だが、能力的にはカカシとあまり大差がない。
ある一部の大人を除き、ほとんどの者に高慢的な態度を取るカカシを常日頃から見ているせいか、目の前で起きたことがミナトには信じられなかった。
「そうか。まぁ、でも晩飯は食べて帰るだろ? シャチの奴がはりきってカカシ君の分まで作ってるんだ。カカシ君がいたら、イルカの奴も食が進むみたいで、本当助かるよ」
なーそうだろと、オルカがイルカに声を掛ければ、イルカは両手を振り回してはしゃいだ。
「ミナトも良かったら、晩飯一緒にどうだ? 久しぶりにお前と話したいし、シャチも喜ぶぞ」
さっさと靴を脱ぎ、オルカの後ろについて奥へと進むカカシを見ながら、ミナトは何とか頷いた。
さきほどの会話から察するに、どうやらカカシとうみの家は頻繁に交流を持っているらしい。
最近、カカシが家に帰らないんだ。どこかいい家でも見つけたかなと、寂しげに零していたサクモの顔を思い出す。そのときはまさかと笑い飛ばしていたのだが、当たらずとも遠からずな現状に冷や汗が吹き出た。


「シャチさん、こんばんは」
「お久しぶりです、シャチさん。お邪魔しています」
「あー、カカシ君! それにミナトさんまで。二人ともよく来てくれたわ。ミナトさんはオルカさんと先に一杯やってて」
二人で挨拶をした後、カカシは自然な成り行きでイルカと一緒にシャチの手伝いをし始める。
シャチと笑みを浮かべて喋るカカシにうすら寒さを覚えながら、先に一杯やっていたオルカへと話しかけた。
「…うみのさん、カカシくんはいつからここに?」
知らなかったのかと目を見開くオルカを曖昧な笑みでかわせば、オルカは苦笑しつつミナトのコップへビールを注いだ。
「新米師匠は色々と大変だな。そうだな。始めはサクモと一緒に来ていたんだがな、イルカが生まれてからは一人でも来てくれるようになったな」
サクモと友人関係にあるオルカは、時折はたけ親子と一緒にご飯を食べたりしていたようだ。だが、どうしても酒が入れば大人同士の席となり、カカシは先に家に帰っていたのだが、イルカが生まれてからは飲みが終わるまでこの家で待つようになったという。大抵カカシがいるのはイルカがいる場所で、イルカの世話をするシャチの様子を見ていたカカシはいつの間にやら、シャチが席を立っている時に代わりに面倒を見るようになっていた。それがきっかけでカカシはイルカの世話を見るようになってくれ、一人でも遊びに来るようになったとオルカは語った。
「いやー、正直カカシ君には助かってるんだ。どうも俺とシャチは繊細さに欠けてな。カカシ君の指導のおかげでイルカの生傷が随分減ったよ」
赤子に一体何をしたと聞きたい思いに駆られるが、それよりも心に引っかかっていることを優先させた。
「……うみのさん。確認したいんですけど、イルカちゃんは女の子ですか?」
「何、言ってんだ、ミナト。イルカは立派な男の子だよ。お前もお祝いに来てくれたじゃないか」
変な奴だなと笑うオルカに、ミナトは顔で笑って心で泣いた。
やっぱり、そういうことになるの?


それから、シャチと一緒にカカシが料理を運び、食事となった。食事の最中、自分の食事はそっちのけで、カカシはイルカを膝に乗せ、甲斐甲斐しくご飯を食べさせている。
「イルカ、熱いからフーフーしようね」
「ふー?」
「うん、いいのいいの。僕が全部やってあげるからね、イルカは何もしなくていいんだよ」
にっこり笑うカカシに、イルカは「あい」と頷く。
熱い物には息を吹きかけ、冷たい物にも息を吹きかけ、魚の骨を取り除き、硬い肉も小さく噛み千切り、小さいイルカの口に合うように全て細かく噛み砕いてやっている。
 果ては口移しと、やりすぎだよ、カカシくんと青くなるミナトを他所に、オルカとシャチはその姿を微笑ましく見つめていた。あまつさえ「イルカ、カカシ君にも食べさせてあげなさいよ」とシャチが言うものだから、今度はイルカがカカシにご飯を食べさせていた。
「あい」と小さな手で串を持ち、カカシの口に持っていく。「ありがとう」と嬉しそうに食べるカカシは本当に幸せそうだった。
カカシのご飯だけ串に突き刺さっているのは、こういう意味があったのかとミナトは一人暗くなる。
この異様な食事風景の理由を聞いてみれば、子供との食事は口移しが基本だと真顔で言われ、けれども過去に虫歯があった人は子供に菌が移るからできないのだとオルカが残念そうな顔をした。しかし、「カカシ君は虫歯ゼロだって言うから、その役を買って出てくれて」とシャチはことのほか喜び、話を結んだ。
カカシの食事はというと、イルカの食事の手伝いをすると、カカシは全く食べなくなるから苦肉の策だと言われた。オルカかシャチが食べさせればと、ちょっと食い下がれば、カカシが遠慮して食べないとのお言葉をもらい、カカシからは余計なこと言うんじゃねーぞと思い切り睨まれた。
「カカシ君のようなお兄さんがいて良かったなぁ、イルカ」
「本当。イルカは寂しがり屋だから、カカシ君がいてくれると安心だわ。これからも仲良くしてあげてね、カカシ君」
二人がカカシを見つめる目は感謝と喜びに溢れている。当のイルカも無邪気にカカシに懐いている。
「いえ、僕の方こそ、こんな可愛い弟ができて嬉しいです。イルカー、僕が一生側にいるからね〜」
「あいー」
満面の笑みでカカシに答えるイルカ。そのイルカの腹に手を回しているカカシの指先が、一瞬力が入ったのをミナトは見逃さなかった。
逃がさないよと如実に語るカカシの仕草に、ミナトは一人、思う。
一体どこで育て方を間違えたのだろうかと。


******


ミナト的、胃の痛くなる夕食会を無事に終え、うみの一家と笑顔で別れた帰り道、ミナトはカカシに話しかけた。
「……カカシくんがプレゼントをあげたい相手って、イルカちゃんで合ってる?」
夕食会の時とは別人のように無表情になったカカシが、胡散臭いものを見る眼差しでミナトを見上げた。
そんなことも分からないのかと暗に蔑まされた気がして、ミナトは口を閉じ、そっと目の端に浮かぶ涙を拭った。
少しでもいいから、オルカさんやシャチさんと対するように接してくれないかな。これでも先生、傷ついているんだよ。
ふふふと小さく笑えば、カカシがぽつりと声を出す。
「……で、教えてよ」
何がと素で聞き返したミナトに、カカシは顔を真っ赤に染めた。
「絶対、喜ぶ贈り物! その年でもうボケたの?!」
あぁとミナトは気の抜けた声をあげる。それにますます顔を赤くさせたカカシにミナトは苦笑しながら聞いた。


「イルカちゃんが喜ぶ贈り物って、カカシくんが一番分かっているんじゃないの?」
気まずそうに目を反らすカカシにミナトは笑う。
「本当は、もう贈り物決めてるよね」
目に入れても痛くないような溺愛ぶりからして、カカシが準備をしていない方がおかしい。
どうなのと尋ねれば、カカシはしばらく押し黙った後、ぽつりぽつりと話し出した。
「用意したし、イルカが喜ぶのも分かってるけど、それだけじゃ足りない」
あんなんじゃ全然足りないと悔しそうな顔をするカカシに、ミナトはあーぁと内心で息を吐く。
「……カカシくんは、イルカちゃんのこと、好き?」
自分の首を締めている気がしたが、思い切って聞けば、カカシはミナトを仰ぎ、真剣な目を向けた。
「好き。イルカがいれば、オレ、強くなれる。イルカのことを思うだけで、辛いことも辛くなくなる。イルカが笑ってくれたら、それだけで――」
くしゃりと顔を歪ませ、俯くカカシ。
溢れる感情で言葉に詰まっているのかとしんみりしたのも束の間、カカシはやけに血走った目で強く言い切った。
「一発抜ける」
「……先生、そういう生々しい言葉は聞きたくなかったなぁ」
早熟というよりは、何かをぶっ飛ばした子供の行く末が恐ろしい。
これも情操教育を受けさせていないツケなのかと、胸の内で嘆きながら、くれぐれもそういうことはサクモさんの前では言わないようにと口止めをし、ミナトは大きく息を吐いた。


完璧にお手上げだ。
うーんと頭を掻きながら、ミナトは眉根を寄せる。
その年でショタコン(?)ってどうなのよとか、結構重い気持ちだよねとか、色々と早過ぎるとか、突っ込むところも、頭の痛くなる問題も満載だ。
先々苦労するだろうなと思いつつ、隣を歩くカカシに視線を落とす。
華奢な肩に細い手足。ひ弱そうな外見とは裏腹に、計り知れない可能性と忍の才に恵まれた、危うい位置にいる少年。
ミナトはカカシほど忍の才に恵まれ、その力をうまく使いこなしている子供を知らない。それ故、上層部がカカシを子供ではなく忍として扱っていることに危惧を覚えていた。
早熟な忍ほど道を踏み誤る。
過去、何度も優秀な忍が自ら狂っていく様を見たミナトは、カカシもいずれそうなるのではないかと恐ろしかった。でも。


「……イルカちゃんは、カカシくんを守ってくれているんだね」
カカシの視線が向く。その瞳には言っている意味が分からないと告げていたが、ミナトはそれには答えず、夜空を仰ぐ。
先には満天の星空が広がっている。
青白く輝いているスピカを見つめながら、ミナトは仕方ないかと胸中で呟いた。
この忍の世界において、気の許せる他者を見つけることは貴重だ。その上、その相手を心の中に深く刻み付けることなどなかなかできるものではない。
カカシのように、生まれながら忍としての本能を持っているような者は特に。
「なーんか、カカシ君って、色々と早熟すぎて、先生としてはちょっと寂しいなぁ。いや、羨ましい? ラッキーボーイ?」
僕がクシナと出会ったのは、ほんのちょっと前なのにと、愚痴を零せば、カカシは呆れた顔をしていた。どうせ、何言ってんだ、こいつと思っているんだろうな。
忍び笑いを漏らし、腰の辺りにあるカカシの頭を掻き混ぜる。むーと、不機嫌な顔になるが、カカシはミナトの手を跳ね除けたことはない。
そのことを嬉しく思いながら、ミナトは心から言う。
「ま、僕はカカシ君の先生だからね。ぶっちゃけて言うと、君が幸せになれるならそれでいいんだ」
首を傾げるカカシを笑う。
心の中でうみのさん、ごめんねと謝りつつ、ミナトは最終確認をした。


「カカシ君、今から僕が言う贈り物はね、生涯にたった一度しか贈れないものだ。それだけにイルカちゃんを思う君の気持ちが一番篭っている最高のプレゼントになる」
ミナトの言葉にカカシの目が光り輝いてくる。頬も紅潮し、喜色に溢れるカカシへ、ミナトは「ただし」と付け加えた。
「それはたった一度きりのものだから、他の人にあげたら意味のないものになる。そして、他の人にあげると同時に、カカシ君はイルカちゃんを諦めなくちゃいけなくなる。それでも知りたい?」
一瞬、カカシの目が彷徨ったが、ミナトの視線と向き合うなり、力強く頷いた。
これは、もしかするともしかするかなと、一途と言うよりは粘着的なカカシの気質を苦笑しながら、ミナトはカカシへ言葉を紡いだ。
「その贈り物はね……」










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