待機所で、猿飛アスマは、自分の斜め前に座る男を横目で見つつ、煙草をふかした。
木の葉では珍しい銀髪を持ち、顔の大部分を口布と額当てで隠した男。その手には、目にも鮮やかな蛍光色で18禁と書かれた本を持っている。
額当ての下にある、里の至宝とも呼ばれる写輪眼を持つ、忍びとして最高峰に立つ男は、他国でも名が知られるように、自里においても何かと注目されていた。
アスマは煙を吸い込み、胸の内にわだかまる疑問をどうするべきか思案する。
胸を占める疑問は、最近出回っている噂についてだ。
この男のみに関する噂ならば、今までで腐るほど出回っている。男自身についての過去を憶測する噂も多いが、特に抜きんでて多いのは、色男の部類に入る容姿をしている男の交友関係についての下世話な噂だ。
長くない付き合いで、男に関する下世話なものはほぼ作り上げられたものだとは知っている。
いつもならば気にもとめず、そうかと気のない相槌を打って終わるところだが、今回出回っている噂は、男ともう一人、アスマも良く知る人物に関する噂だった。
もう一人の方は、少し抜けたところはあるものの、気真面目で実直な性格をしており、決して下世話な噂話に名があがるような人物ではない。
ならば、事実か?
じわりと嫌な汗が滲んだことを感じつつ、ゆるりと息を吐きながら、立ち上る白い煙を見上げた。
さて、どうするか。ここに当事者がいるが、それを聞いていいものか。藪から蛇を出すことにはならないのか。
踏ん切りのつかない己の考えを前に、どうするべきかと半ば途方に暮れて煙を吐いていれば、男が小さくため息を吐いてきた。
「……さっきから何なのよ。聞きたいことがあるなら、言いなさいよーね」
本のページを捲りながら、男はアスマの疑問に答えてもいいという態度をみせる。
普段は必要最低限のことしか話さない男のくせに、どういう風の吹き回しだろう。あからさまに見られることが不気味だったのだろうか。いや、人の注目を常に浴び続けていた男が、アスマの視線の一つぐらい気にする訳がない。ならば、何か裏があるのか。
若干、現実逃避という色が強い、思考の迷路に陥ったアスマの様子に、男は「仕方ないな」と呟くと、広げていた本を閉じた。そして、アスマをまっすぐ見つめ、はっきりと言い切った。
「言っとくけど、あの噂は事実だから。イルカ先生の兄代わりだとしても、口は挟ませないよ?」
男の言葉に、アスマの全身が硬直する。
脳裏では、落雷の轟きが響き、洪水波浪土砂崩れ警報の大判振る舞いの有様だ。
アスマが意識を取り戻すまで、口にくわえていたたばこが燃え尽き、フィルターを残すまでの時間を要した。
「いや、待て。待て。ちょっと考えさせろ。オメェ、いつから宗旨変えしたって、いや、オメェ、男相手にするなんて冗談じゃねぇって、夜這いに来た男を半殺しにした前科持ちで、結婚なんざ頭の腐った輩がする飯事だとか、妥協でする傷の舐め合いだとか散々バカにするばかりか、自称恋人女に手切れ金投げつける最低男で」
咥えていたフィルターを落とし、両手で頭を抱え、現実という名の悪夢と必死に戦うアスマを前に、男は笑った。
「何言ってんの。イルカ先生と出会ってオレは変わったの。なんたって、オレの運命の人だもん」
過去の男の爛れた私生活を見てきたアスマには、男の言い分は軽薄を通り越して、愚弄に聞こえた。
「――ってめ!! イルカの人生壊すつもりかぁぁぁ!!!」
「お義兄様ってば、あまり怒ると親譲りにの頭になーるよ」
「テメェに兄呼ばわりされるつもりは毛頭ねぇっっ!!」
しばし、本気でクナイならびに拳をぶつけあっていたが、勝負が長引くことを両者共に悟ると、同時に得物を下ろした。
「イルカを遊び道具にするつもりなら、出るとこ出て制裁するぞ」
親の威光を借りるぐらいならば、腹を掻っ捌いて死んだ方がマシだと常々思っているアスマだが、事が事だけに利用できるものは利用するつもりでいた。幸い、アスマにとって弟のような存在であるイルカは、現火影の孫のような存在でもある。
アスマが密告したが最後、即、長期間の前線行きの身になるだろうことは、容易に想像できた。
男もその可能性は否定するつもりはないのだろう。少し眉根を寄せ、肩を竦めた。
「火影さまともあろう者が、一人を依怙贔屓すんのはどうかと思うけど。ま、でも、あくまで遊び道具だったらショ? オレ、イルカ先生のこと愛しちゃってるから、関係なーいし」
「それに、結婚の約束もしたもんね」と手を組み合わせ浮かれる男に、アスマは苦虫を噛んだような表情を浮かべた。
「それが、信用ならねーつってんだ!! テメェ、昔っから散々ぱら人を弄んでおいて、よくそんなことが言えたもんだなぁッ」
歯を剥き出して怒鳴るアスマに、男はやれやれと小さく首を振る。そして、ソファへ腰かけると、お前も座れと手招きしてきた。
話し合いで解決しようとする男の意志を受け、ソファにどっかりと腰を据える。
納得のいく説明ができるのかと射殺さんばかりに睨みつければ、男は肩の力を抜くように小さく笑った。
男の落ち着き振りに、アスマは違和感を覚える。何と言っていいか分からないが、男はこんな風に笑っていただろうか。
記憶にある男と目の前にある男の微妙な差異を訝しんでいれば、男は目を細めた。
「昔を知ってるアスマには信じられないだろうけどね。オレ、だいぶ変わったんだーよ。その切っ掛けをくれたのも、イルカ先生だったーんだ」
何かを思い出すように、懐かしむように、男は口を開いた。
くっ、間に合わんかった…!! 連休中には完結したい(希望…)