イルカが意識を取り戻したのは、傾いた日の光が畳に映る、夕暮れ時だった。
「………うそ、だろ」
あり得ない時間経過に、イルカは痛む喉を震わせて呻いた。出たものは、低い男の声だ。
頼りない華奢な女の体から解放されたことは素直に喜べたが、体中に走る痛みに顔をしかめる。
カカシと初体験をすませた後、影に後ろへ入れられてからの記憶がほとんどぬけ落ちている。
断片的に思い出せる記憶では、ものすごい体位で二人に好き勝手されたような気がする。
みしみしといつも以上に体が軋み、関節の節々に鈍痛が走る。おまけにあらぬところが腫れぼったい痛みを発していることから、男に戻ってからも散々やられた可能性が高い気がした。



「…誰だ? 女の扱い任せたら、天下一って虚言吐きやがったバカは…」
身動きするだけで、限界まで酷使された腰に痛みが走った。ぎっくり腰じゃねぇよなと、冷や汗を流しつつ、イルカは唸る。
はっきり言って、カカシの女の扱い方はイルカ的にあり得なかった。
熱っぽい瞳で甘い言葉を吐く様は、女に手慣れた印象をイルカに与えたが、その後がいけなかった。
突然局部をのぞき込むわ、痛いと言うのに気遣う気配もなく力任せにがんがん揺さぶってくるわ、少し慣れたらじらしてくるわ、嬉々として実況中継を始めるわで、高確率で女が嫌がるだろうことばかりをされた。
イルカがカカシのような行いを女性にしたら、翌日、イルカは社会的抹殺対象になっているだろう。
これも色男と凡人の差かと、おもしろくないものを感じていれば、寝室の襖が勢いよく開いた。



「イルカせんせ、おはよ〜。よく眠れたみたいね。軽食作ったから食べまショ」
お盆を片手に、上機嫌でイルカに話しかけてくる。
昨日の暴挙はなんだと怒鳴ってやろうと思っていたイルカだったが、鼻をくすぐるコーンスープの甘い香りと、焼きたてのピザの香ばしい香りに、腹の虫が盛大に鳴り響く。
間の悪い腹の音にイルカは顔を赤くし、カカシは嬉しそうに笑った。
「ナイスタイミングみたいだーね」
ベッドに座り、ナイトテーブルにお盆を置いたカカシに、ここで食事をするのかと驚く。
「だって、イルカ先生、動けないでショ?」
イルカの背にクッションを置き、上半身を起きあがらせるカカシを、イルカは睨んだ。
「……手加減くらいしろ」
掠れる声に、咳を払いつつ咎めれば、カカシは気の抜けた顔を晒す。
「だから、無理なーの。今日の朝で終わらせたオレを褒めてもらいたいもんだーよ。あ、そうそう。先生が気にしてた洗濯物はオレが代わりにやったから、安心してーね」
あと、お風呂もちゃーんと入れたからべたべたしてないでショと、やけに気の利くカカシにイルカは戸惑う。
「……もしかして、一睡もしてないんですか?」
清々しいほどに気力は満ち溢れているようだが、目の下が若干黒い気がする。
朝まで暴走を続け、その後に洗濯、風呂、食事の準備をしたことになると、カカシに寝る暇はなかったはずだ。
昨日まで任務を遂行していたのにと、無理をするカカシの頬に手を伸ばせば、カカシは自分からイルカの手に頬を擦り寄せ、手の平を重ねてくる。
「イルカ先生の生エキスさえ補充すれば、オレの体は疲れ知らずなーの」
生エキスって響きは、何か嫌だ。
手に懐くカカシに、ため息を吐いて、頭に手を置き撫でる。
「それでも、ちゃんと体は休ませてください。それ食べたら、アンタも寝てくださいよ」
「わお、イルカ先生ってば大胆っ。まだし足りなかった?」
両目をたわませるカカシに、そっちじゃねぇと軽く頭をはたき、食事を所望する。
カカシはそれに素直に従い、盆を膝の上に移して、器を持った。



「はい、あーん」
コーンスープを掬ったスプーンを突き出すカカシを怒鳴る気も失せて、イルカは口を開ける。
「おいしい?」
スプーンを引き抜き、小首を傾げ尋ねてくるカカシに、イルカは何となく気恥ずかしくなる。
満ち足りた笑みを浮かべ、イルカを見つめるカカシは非常に甘い存在だ。
「……うまいです」
目を伏せてぶっきらぼうに言えば、カカシはくふふと喉の奥で笑い、自分の口にも同じものを運ぶ。
イルカと同じスプーンでコーンスープを嬉しそうに飲むカカシを直視できない。
この人、いちいち可愛いんだよなぁ。
同じ箸やスプーンを使って同じ器の物を食べたがるカカシは子供みたいで可愛らしく、それと同時に今のカカシを誰にも見せたくないと強く思う。
自分の独占欲を目の当たりにして、イルカは密かに恥じ入る。何だかんだいって、イルカはこの男に夢中なのだ。
己のカカシへの傾倒ぶりを目の当たりにし、イルカの口数は極端に少なくなったが、カカシは特に気にせず、イルカと自分の口へ食事を運んだ。



「やっぱりイルカ先生との食事はおいしーいね」
甲斐甲斐しくイルカの口元をお絞りで拭いた後、イルカを寝かせるとその横に滑り込んでくる。
有無を言わさず、肩口に頭を乗せられ抱きしめてくるカカシに、イルカは眉根を寄せる。
「カカシさん。寝にくいんで、腕退けてください」
カカシだってそうだろうと暗に含ませて、目の前のシャツに身を包んだ胸板を数度軽く叩いた。
「そういうこと言わないの。わがまま言うなら、もう一回襲うよ?」
にやりと笑ったカカシの、いまだ衰えぬ精力に、イルカは慌てて口を閉じて、おとなしく力を抜く。
忍び笑いを漏らすカカシにやりこめられた感を覚え、憮然としていれば、カカシは一つ息を吐いて、イルカの髪を何度もくしけずってきた。
頭皮をくすぐる、カカシの指先が気持ちいい。
意識がない間に、カカシがご丁寧にケアしたであろう髪は、カカシの指先を引っかけることもなく滑った。
硬質な髪が指先に触れる感触は気持ちいいのか、飽きることなく往復する指先に、イルカは安堵感を覚えた。
体は正直で、腹が満たされた後は、体力を回復しようとばかりにイルカを眠りに誘い込む。



「……イルカ先生が女じゃなくて良かったなって、思うーよ」
意識が夢現にさまよっている時、頭上で微かな声が聞こえた。返事を返さなくてはと思うものの、睡魔に毒されたイルカには音を出す気力さえなかった。
イルカの反応は期待していないのか、カカシは独り言のように呟く。
「女のイルカ先生は可愛いし、体も気持ちよかったけど、簡単に思い通りにできるのが恐かったんだーよね。先生が女だったら、オレ、監禁しちゃう。先生が他の男に襲われるの嫌だから、絶対監禁してオレだけのものにする」
真剣な声に、イルカはまたこの人はとため息を吐く。襲われる前提で考えるから、おかしい結論になるのだと嘆いていれば、カカシはでもと寂しそうに続けた。
「そんなことしたら、先生泣いちゃうのが分かるんだーよね。だから、オレは結局できなーいの。先生の悲しい顔は見たくないから、結局、心配しすぎて胃に穴空けるしかなくなーるの」
毎日のように高ランク任務をこなすカカシが、里にいるイルカの安否を気に病むあまり胃に穴を空ける。想像すると、おかしくて笑ってしまった。
「あ、先生、そんなバカなとか思ってるんでショ? 穴くらいすぐ空いちゃうよ。イルカ先生は年代性別問わずに悪い虫を引き寄せる天才なんだから。きっと任務中は胃薬持参で、合間合間に飲むことになーるね」
写輪眼のカカシ改め、胃痛持ちのカカシだと真面目な声で言うもんだから、イルカはおかしくていけなかった。
小さく笑うイルカのおでこを撫で、カカシは続ける。
「けど、オレ、悪知恵は回る男だからーね。こうも考えるの」
先生を産休に追いやって、病院と家以外、外に出さないようにしようって。
内緒の話を打ち明けるように、小声で言ってきた言葉に、イルカはうわーと思う。
だが、続いた言葉に、イルカは心底どん引いた。
「んで、年一くらいで先生を妊娠させて、永久に任務につけないようにするーの。先生子供大好きだから、実の子供なら絶対に可愛がると思うし、外の世界に惑わされることなくなると思うのーよね。オレは家に帰れば、愛しの妻と年々増え続ける可愛い我が子に囲まれて大満足」
ふっふーんと、自慢げに鼻から息を吐くカカシを、大馬鹿者と罵りたかった。
経済面では悔しいことに心配はないだろうが、産むイルカの体を考えろと説教してやりたい。
しかも、子供好きのイルカを分かった上での縛り付けに、高確率でカカシの言うとおりになってしまうだろう自分を見つけて冷や汗が出る。
あくどいというより隙がない。イルカの性格をよく分かった上で策を弄するカカシを、本気で厄介な男だと思う。



「……だーけどね。オレ、女のイルカ先生なら、大抵のことは思い通りにするし出来るって分かるのに、やっぱり男のアンタがいいって思うーの」
戸惑うようなカカシの声に、イルカはおやっと思う。
どんな表情をしているのか気になったが、イルカの瞼は開いてくれなかった。
カカシはイルカの頭を胸深くに引き寄せると、しがみつくように抱きしめてくる。
「オレの思い通りにはいかないし、なってくれないし、いつも心配ばっかりさせられるのに、なんでそう思うんだろーね」
オレって隠れマゾなのかなと茶化す言葉を残して、カカシはそれきり口を開くことはなかった。



眠りに吸い込まれるカカシの気配と、規則正しく波打つカカシの心音に包まれて、イルカは思う。
とぼけた言動をスタンスにしているカカシ。その反面、内面では恐ろしいほどの冷静さで物事を量り、己を常に厳しく管理している。そのカカシでさえ、自分の気持ちを把握できないこともあるのか。
明確に白黒をつける傾向のあるカカシが見せた迷いに、少し安堵した。
なけなしの力を使って、カカシの胸元にすり寄れば、小さくカカシが笑った。







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今回短かった…。このままずっと甘い話が続く予感多々です。
次回は、来る日に向けて、周りを巻き込んでイルカ先生とカカシ先生が騒ぎます。






比翼 3