「……カカシさん」
顔色を白やら青やら赤に変えながら汗を吹き出し、体を震わせ百面相をしていたイルカが、不意に真顔になりカカシの名を呼んだ。
熱っぽい、掠れた声が色を感じさせる。
覚悟が決まったのか、イルカはカカシの肩に両手を置くと、ゆっくり寝台へ押し倒してきた。
口づけを頬に落とし、そのまま顔中を啄んでくるイルカに、腹の底から衝撃が突いて出る。
可愛い食べたい可愛い食べたい可愛い食べたい食べたい食べたい、身ぐるみ剥いで噛みついてしゃぶって泣かせたい!!
手は震え、目は血走り、欲望は果てしなく湧き出づる。
触れる唇は柔らかく、合間に押し殺せない吐息が聞こえ、カカシの劣情を容赦なく煽り立てた。
だが、ここで本能を解放してはすべてが無駄になると、カカシは後ろ手で敷布に爪を立て、あらん限りの力を込めて握りしめる。
辛抱、我慢、忍耐と心の中で念じていれば、懸命な抵抗をあざ笑うかのようにイルカの唇から甘い言葉が囁かれた。
「カカシさん、好きです。……愛しています」
ミジィと寝台のマットが異様な音を立てる。爪の間に異物を感じたが、それどころではなかった。
イルカのため、いや、全てはイルカに全てを委ねるために、必死に欲望と闘っているのに、なんて誘惑をするんだ、この小悪魔ちゃんめ!! しかも、こっちが散々ねだっても明確な言葉をくれないのに、女のカカシの時だけはくれるってどういうことだと、カカシは理不尽な怒りを覚える。
カカシの思いなど露知らず、イルカはカカシの耳に甘い言葉を囁き続けた。
「カカシさん、綺麗です。俺だけにあなたの全てを見せてください」
そんなに女のカカシがいいのかと、女である自分に嫉妬し始めた頃、少し冷静さを取り戻したカカシは微妙な違和感を覚えた。
イルカは閨の時は口数が少なくなるタイプだ。なのに、この過剰なまでの褒め言葉はどういうことだ?
一度気になってしまえばどうしようもなく、いっそ違和感を特定すれば事に集中できると己に言い聞かし、カカシはまじまじとイルカを観察した。
今まで自分の欲望を抑えることに必死で気付かなかったが、イルカをじっと見ても視線が合わないことに気が付く。おまけにどこか上の空で、必ず肌に触れる直前で手を止め、何かを思い出しては動かすという行動を繰り返していた。
緊張しているが故のことかと、厚意的な考えを持ったものの、カカシが見つめる先で、イルカの唇が微かに動いた。
瞬きをするほどの刹那の時間だったが、その間に動いた唇の動きをつい読んでしまう。
イルカはこう言った。
『キキョウはここで、ユリはあそこが良かったんだっけ……』と。
その言葉の意味を一瞬にして正しく理解してしまったカカシは、冷水を全身に叩きつけられた感覚に陥る。
放心したのは一瞬で、身の内を突き破らんほどの悲しみに襲われた。
火照っていた体は冷え、喉に重く固いものが詰まったように苦しくなる。視界はぼやけ、体が小刻みに揺れた。
あれほど甘く、心地よかった指先が、途端に痛みを伴うものに変わる。
イルカは過去の経験を元に、女のカカシに触れている。
つまり、イルカは、カカシ以外にも情を通わせた者がいたのだ。
そう思ったら、もう駄目だった。
声にならない叫び声をあげ、気付けば目の前の影を足蹴にしていた。
「っっ!」
襲った衝撃に、イルカは何が起きたか理解できなかった。
体を貫いたのはひどい苦しさで、そのせいで床をごろごろと転げまわっているらしい。
鳩尾を貫く鈍い痛みと引きつる呼吸音をようやく自覚し、カカシに鳩尾をしこたま蹴られ、床に落ちたことを知った。
うーうー意味のない声を上げながら、どうにかこうにか息を整え身を起こす。
あんた一体何すんだと突然の暴挙に食ってかかろうとすれば、見上げた寝台の上、いつもより華奢なカカシが蹲って泣いていた。
「……え。……え!? ど、どうしたんですか、カカシさん! お、俺、何か痛いことしましたか!? それとも何か嫌なことしました!?」
背を向け寝台に顔を伏せてひんひん泣くカカシに血の気が引く。
慌てて駆け寄り謝ったが、カカシに触れようとすれば容赦なく手を叩かれた。
そんなに下手だったかと静かな絶望感に打ちのめされていると、カカシは引きつる息の中、イルカを責め立ててきた。
「ひどい、ひどすぎる!! アンタの心のヴァージンはオレがもらったって思ってたのに! 他の女にあげてたなんてっ。これは裏切りだぁぁぁぁぁぁ」
ひどい、ひどいと拳を振り下ろす振動で寝台がガタガタと揺れる中、イルカの頭の中は疑問符で埋め尽くされていた。
正直言ってカカシが言っていることが理解できない。そもそも心のヴァージンって何だ?
戸惑いが先立ち、何と声を掛けていいか分からずイルカは口ごもる。それがなお癪に障ったのか、カカシは甲高い声で非難してきた。
「イルカ先生のバカぁっぁ! どこぞの馬の骨とも分からぬ女狐なんかに優しく触れるばかりか、あんなに甘い言葉吐いてたの!?」
何よそれ信じられない、裏切りだ、すけこましだぁとわめくカカシの言葉の意味がようやく頭の中に入ってきた。
要は、イルカの過去の女性関係について文句を言っているらしい。
カカシの言わんとすることを理解し、イルカはムッと顔をしかめる。
確かに昔の彼女たちとの経験を思い出しながらカカシに触れていたが、それはカカシに気持ちよくなってもらいたいからだ。だいたい過去のことを言うならカカシだって人のことを言えた立場ではない。
あんたはどうなんだと、過去の女関係について詰ろうとイルカが口を開けば、空気を読みとったのか、カカシが先んじて口を開いた。
「オレのは処理だもん! 情なんて一切通わない、生理的排出だけだもんっ」
滂沱の涙を流しながら訴えるカカシの言に、イルカのこめかみがひきつる。
都合が悪い時に万能の力を発揮する、『処理』という言葉。
それを認めれば、浮気だってたやすく『処理』になってしまう。
体のいい言葉で誤魔化そうたってそうはいかねぇと、眦をつり上げたイルカに、カカシは叫ぶ。悲しみと憤りと、やるせなさを交えた声音で、イルカに向かって爆弾発言を投下した。
「だって、オレ、女の体にそういう意味で触ったことないもん! イルカ先生が女の子になった時、初めて触ったんだからっ」
束の間、イルカは固まった。
カカシから思ってもみない言葉を聞き、喉から出そうになった言葉すら忘れ、イルカはしばし頭と体を固まらせていた。
そして、ようやく出た言葉は一つだった。
「はい?」
何を言ったのですか、もう一度お願いします。ばーどん?
首を傾げ、耳を寄せたイルカに、カカシはだーかーらと声を荒げ言い切った。
「オレが触って口にして全身嘗め尽くして、抱きしめて睦言を囁いて精液も注いで、心身共に捧げて愛したのは、男も女もイルカ先生だけなの!!」
「他のは全部処理! 常にバックで突っ込んで出しただけ」と、あからさまな発言をしたカカシへ、イルカは目を見開き素っ頓狂に叫んだ。
「えぇっぇぇぇぇぇぇ!??」
まさに混乱。
頭を抱え、いやいやと自分でもよく分からない否定を呟き、イルカはこちらを睨んでいるカカシへ何度も視線を向ける。
カカシと付き合いだしてから、カカシの過去の女たちに言われた言葉と辻褄が合わないとか、それにしちゃカカシさん本気で泣いているしなどと、イルカはどう判断していいものか困ってしまう。
すると、カカシはイルカの迷いを断ち切るように、鼻をぐずつかせ言った。
「確かに、性処理はよくしてもらったよ。他の奴らより多いって自覚もある。だけどね、あくまで処理なの! 処理してくれる奴らがすぐ突っ込めるよう自分で解して尻向けたのを、オレは入れて出しただけ! 里でもそうだったの! 処理しかやんないって言ってるのに、里のくノ一どもがそれでいいって言うから、厚意に甘えて楽させてもらったのっ。イチャイチャパラダイスみたいな甘い愛の営みをしたのはイルカ先生だけなの!!」
何で分かんないの、もしかしてずっとオレのこと疑っていたのとカカシはキャンキャン叫び出す。
激高するカカシの顔を眺めながら、イルカはちょっと引いていた。
里の中だというのに、自由恋愛を楽しむこともなく、処理でしか発散できなかったカカシ。
カカシに処理でもいいとオッケーを出したくノ一たちとしては、そんな殺伐としたカカシを癒せる存在にいつかはなれるのではないかと期待していたのだろう。だが、カカシは全く気付かず、処理なもんだから来るもの拒まずの姿勢を貫いたため、結果、カカシの千人切りの呼称が生まれちゃったりしたのだろうか。
そんなことをつらつらと考え、イルカは非常にやるせなくなった。
今も稀にイルカへ絡んでくる、カカシの元彼女候補たちのお怒りはごもっともだ。
くのいちたちの本気にちっとも気づかなかったばかりか、その気持ちをくみ取ろうともしなかったカカシ。
警戒心が強すぎて、人の好意という感情を理解できなくなった鈍すぎる男。
イルカはため息を吐き出しながら、頭をかく。これは、なんというか。
「……まじで在りえねぇ。引くわー」
気づけば本心を吐露していた。
失言したことに気づき、口を覆ったがすでに遅く、カカシは涙を目一杯溜めた瞳でイルカを見た後、不抜けた声をあげてベッドに突っ伏してしまった。
「ひ、ひどいー! 言うに事欠いて、引くって!! オレは先生しか本当の体のお付き合いしたことないだけなのにぃぃぃ」
うあぁぁぁと今まで以上に声を張り、泣き始めたカカシに、イルカは慌てふためく。
ベッドに懐くカカシを正面から抱き上げ、背中に腕を回し、謝った。
「すいません! いくらなんでも引くは、ありませんでした! カカシさんの女の扱い方がド最低だと思ったことも、里で処理相手募集してあとからあとから雨後の筍のごとく出てくるくノ一の多さに正直羨みつつ、いわゆる一種の素人童貞かよと見下してしまったことも、本当にすいません!!」
「……イルカ先生、オレに止めをさしたいの?」
カカシが掴んだイルカの腕がみしりと鳴り、違う違うと首を振れば、不満げではあるもののカカシは力を抜いてくれた。
泣き止んだものの、まだ鼻をぐずつかせるカカシを抱きしめ、背中を柔らかく叩く。いつもはこちらを包む体がイルカの腕でも包むことができることが、どこかくすぐったい。
イルカの肩口に顔を埋めているため、時折強く鼻をすすり、息を吐く度に、カカシの呼気を感じられた。
手に触れるのは少し薄くなった筋肉と、華奢な骨。奔放な銀色の髪はどことなく艶やかな輝きが加味されている。
目の前にある形のいい頭頂部に口づけを落とし、イルカはどうしたものかと天井を仰いだ。
正直、男としては、とても辛い体勢である。
好いた女の体を真正面から抱きしめ、その熱と匂いと肌に触れたら当然体は反応するわけで。
どうにか別のことを考えて収めようとした矢先、そういったことには人一番敏感なカカシに気付かれてしまった。
「……先生、する?」
立ち上がりかけたものへわざと膝を押し当て、そのまま擦ろうとしたカカシにイルカは慌てて腰を離した。
「………そういう気分じゃないでしょ、あんたは」
いまだ目を赤くし、鼻をぐずつかせるカカシを見て、イルカはため息を吐く。
イルカの肉体は続行を望んでいるが、泣いているカカシに手が出せるほど、度胸も据わってなければ、楽しむ余裕もない。それに。
カカシの肩を持って反対向きにさせるなりベッドへと沈める。何か言われる前に布団を被せて、後ろから抱きつき、カカシの頭を肩口に近い腕に乗せた。
悪さできないようにカカシの両手を捕まえて、ぐっと深く抱きしめれば、気の抜けた声を出してきた。
「……先生、どうしたの? もしかしてこのまま寝るつもり?」
今更な言葉に少し笑って、イルカはそうですよと頷いていやる。
「もう寝ます。これだって、女のあんたを抱いていることにかわりはないでしょう?」
情事後はへろへろで為す術もなく抱き込まれていたが、イルカだってカカシを抱いて眠りたかったのだ。
これはこれで夢が叶ったなとカカシの髪に口づけを落とせば、カカシは無粋なことを言ってくる。
「……いや、でも、先生、立ってるでショ? これは辛いものがあるでしょうに」
イルカに手を捕まえられているせいか、カカシは腰を突き出して上下に振ってきた。
ダイレクトに伝わるカカシの動きに、「こらこらこら」と抱きしめることで動きを押さえる。
「人がせっかく我慢してんのに、煽らないでくださいよ。言っておきますけど、ここまでいきり立ってるのに、我慢するのはあんたが初めてですからねっ。いくら根性なしの俺でも、この状態で何も手を出さないことなんてあり得ないことなんですよ!」
ぶっきらぼうに告げれば、カカシの息を飲む音が聞こえた。
聡いカカシのことだ。イルカの伝えたかったことがきちんとわかったのだろう。
徐々に熱くなる顔を感じつつ、カカシの後頭部を見つめた。
要は、イルカだって嬉しかったのだ。それこそ、思わぬ誕生日プレゼントをもらったみたいに。
引いたのも本当だが、カカシの脱素人童貞をもらったのがイルカだったことに、誇らしいような、くすぐったいような気持ちを覚え、カカシのことをもっと大事にしなくちゃなと思った。だから、今、無理に体を重ねなくてもいいと思えることができた。
イルカの欲望を押し殺してもいいと、腕の中にいる人がイルカにとっての初めてを嬉しいと思ってくれたら、それでいいと思ったのだ。
「……イルカ先生、かっこつけすぎ」
憎まれ口を叩かれてしまい、イルカは苦笑する。でも、後ろから見える肌が真っ赤になっていることを見つけて、自分の選択は間違っていないことを知る。
「そりゃ、かっこつけたいですよ。腕の中にいるのが他ならぬ、カカシさん、あんたなんですから」
「そういうところが、かっこつけすぎって言うんですぅ」
拗ねた口調で、イルカの手を握ってきたカカシにイルカは笑う。
どうやら機嫌も直ったみたいで、ほっと息を吐く。ぶつぶつとイルカには聞こえない声で文句を言っているが、カカシなりの照れ隠しだろう。
珍しく温かいカカシの手を握り、イルカは明日のことを考える。
明日は二人とも休みだから、弁当を作ってどこかへ行くのもいいかもしれない。
見晴らしのいい火影岩の天辺でもいいし、カカシが前に言っていた綺麗な湖のある森でもいい。
二人で行くならどこでもいいやと、小さく笑みを漏らした時、ビジィィという異音が耳を突き抜けた。
何だと思うと同時に、腕に乗っていた重みが増す。おまけに抱きしめていた体が急に逞しくなったように感じられた。
目の前の唐突な変化を理解してはいるが認めたくなくて、そっと目を反らし、じわじわと体を離す。握られていた手もゆっくりと外そうと後退すれば、突如、力強く握られた。
逃がさないといった力の入れ具合に、背中に嫌な汗がにじみ出る。
「あの丸薬の効果の持続時間って、チャクラ量が関係しているらしいーね」
腕の中で振り返った見慣れた顔に、イルカはひきつった笑みを浮かべる。頭の中では警鐘が鳴り響き、この場からの脱却をしきりに訴えかけてくる。
瞳をたわませて薄く笑う顔は、女であったときにはなかった妖艶さが染み出ていて、背筋が震えた。
「や、えっと、あの、その」
すでに引け腰のイルカに、カカシは鼻に掛かった笑い声を漏らすと、イルカの手を引き、あるところへと誘導する。
当然というか、やっぱりというか、誘導された場所にはカカシのたぎったものがあり、十分過ぎるほど育っているそれに逃げられないことを思い知る。
あわあわと意味のない声をあげ続けるイルカを尻目に、素早い動作で体を返し、ベッドに両手を押しつけるようにして、カカシが覆い被さる。
男の体格に耐えきれなくなったミニスカナース服は、びりびりに破けて、カカシの鍛え上げられた体にまとわりつき、野生味を際だたせていた。
女の時もきつそうだったが、そのときのピチピチ感はぐっとくるものがあったのに、男になるとこうも印象が違うのかとイルカは現実逃避よろしく考える。
カカシはイルカへ口づけを落とし、泣いた名残の残る赤い目を細めた。
「イルカ先生、誕生日おめでとう。変な嫉妬しちゃってごめーんね。オレの女の子の初めてをあげられなかった分もこめて、今からいっぱい気持ちよくしてあげーる」
カカシとしては用意していた誕生日プレゼントの代わりなのだろうが、イルカにとっては少し、いや、かなり迷惑だ。
カカシとの行為は気持ちいいのが前提だが、気持ち良すぎて逆に拷問を受けている気分になることがままあった。
普通仕様で十分ですと訴えてみたが、カカシはいつも通りだと割に合わないじゃないと取り合ってくれない。
「いや、カカシさん、俺、本当にいつも通りでいいですから、それに明日はどこか」
「イルカ先生」
出かけましょうと口に出す前に、名を呼ばれた。
いつになく真面目な顔を見せるカカシに思わず言葉を止めてしまう。
カカシは宥めるように肩を叩くと、非常に挑戦的な笑みを浮かべて言った。
「ダメだーよ。今までで、一番最高の誕生日の夜にしてみせるかーら」
ざっと血の気が引いた。
口では殊勝なことを言っていたが、カカシは十分根に持っている。
「や、あの、だから!!」
実はイルカの夜の技術が未熟なせいか、肉体関係を持った翌日には何故かよそよそしくなって、そのまま自然消滅していったんだとか、イルカの誕生日まで付き合ってくれる彼女が現れなくて、祝ったことがないんだとか、イルカが弁解する前に、カカシの唇に言葉を奪われてしまい、その夜は散々な目に遭ってしまった。
エロは無理でした…orz
あと少しで終わります。