「……あんた、やりすぎ…」
綺麗に整えられたベッドに突っ伏したイルカは、髪を撫でているカカシへ恨み言を吐いた。
ご多分に漏れず、喉は痛いし、体中がみしみしと痛む。女になった時よりも痛む体に、手加減一切なしに挑まれたことが分かった。
「だってぇ、イルカ先生、可愛いんだもーん」
ちっとも悪びれず口づけを落とすカカシにため息がこぼれでる。
毎度のことながら、よくもまぁあれほど濃密な閨ができるものだ。多様な体位はもちろんのこと、日用品を使ってのコアなプレイに、もう何も知らない頃には戻れないと心で泣く。
素人童貞のくせにとに歯噛みしていれば、カカシが隣に滑り込んできた。
イルカの頭を肩に運び、寝る体勢を取るカカシはご満悦の様子だった。
それもそのはず、イルカが過去の女たちとどのようなことをしたのか根堀り葉堀り聞き出し、その記憶を塗りつぶすようにその上のことをしてのけた。
過去の性行為を語りながら、その上イルカがされるという倒錯的な状況に興奮している己もいて、知られざる性癖を発見したイルカは憤死しそうだった。
何だかむかっ腹が立って、目の前の固い肌に歯を立ててやれば、カカシは驚いた顔でこちらを向いた。
「もう一回、する?」
笑みを噛み殺したような顔で期待を滲ませるカカシに、イルカは相手が悪かったと撃沈する。
精根尽きるほどヤッたと思う。そればかりか、動けないイルカを風呂に入れる重労働をこなしているのに、その体力はどこからやってくるのだ。
「……しません。八つ当たりです」
ぷいっとカカシの視線を避けて、体に鞭打って寝返りを打てば、すかさずカカシが密着してくる。腹に手を回し、ぐりぐりと頭をすり寄られて、イルカは小さく悲鳴をあげた。
「い、いたい、ちょっとカカシさん!」
「ふふー。イルカせんせ、かわいい〜」
オレに八つ当たりしちゃうんだ〜と、だらしない声をあげるカカシの腕を叩き、声を張る。
「もう! こっちはあんたの異様な頑張りで体痛いんですから、手加減してくださいよ! ったく、今日はもう寝ますよ。就寝です、就寝!」
窓の外はすでに日が昇っている。
また昼夜逆転かと、まっとうな一日を望んでいたイルカは悄げる。
ぶつぶつと口の中で文句を言いつつ、目を閉じようとすれば、カカシが小さく尋ねてきた。



「ねぇ、イルカ先生。オレ、女だった方が良かった?」
静かに問うカカシへ、ぽかんと口が開く。
一体何を言い出すのだと振り返ってみたが、カカシの体が邪魔をして振り返ることができなかった。
諦めて顔を戻せば、後頭部にこつんと堅いものが当たった。
「オレが女だったら、先生、オレのこと抱けるでショ。それに庇護欲だって満たされる。里の中を一緒に手を繋いで歩いても恥ずかしくないでショ?」
首筋にカカシの吐息が触れてくすぐったい。
思いの外、真剣な声音に一体何を悩んでいるんだとイルカは呆れた。
「カカシさん。あんた、バカでしょう」
思ったことをそのまま言えば、腹に回ったカカシの腕が瞬間狭まる。
また悪い方へ考えたんだなと窘めるように腕を叩いて、イルカは吐息と共に言葉を紡ぐ。
「男でも女でもあまり変わりませんよ。だって、俺はどうあっても俺で、あんたはあんたなんだから。それに、女のカカシさんを見て、思ったんですよね。やっぱりカカシさんはカカシさんなんだって」
首を傾げる気配がして、イルカは小さく笑った。



「女のカカシさん、ものすごい肉体だったじゃないですか。下手したら俺より体格いいし、女性にはあり得ない筋肉量で。特にあの凛々しい三角筋、ならびに大胸筋から腹直筋へと連なる筋肉の綺麗な着き方! 直接触れたら、俺興奮しすぎて鼻血噴くんじゃないかと、冷や冷やしましたよっ」
突如力説するイルカに、カカシは呻く。カカシとしては触れて欲しくない部分だ。
なおも女カカシの筋肉賛美を口にしようとするイルカへ、カカシはやめてやめてとストップをかける。
「もう、やめてってば! イルカ先生は女性の筋肉フェチかもしれないけど、オレはショックだったの! ……紅を上回るダイナマイトボディになるって信じて疑ってなかったのに、アレだなんて」
思えば、最初から負け戦だったとぼやくカカシに、イルカは違う違うと声をあげる。
何が違うんだと訝しげな視線を向けると、イルカは言った。
「カカシさん、勘違いしてますよ。俺だって、女性は柔らかくて華奢で豊満なむっちりボディの方が好みです」
当たり前だと言い切るイルカに、カカシは言葉を失う。
「……は? アンタ、今はっきりと女のオレの肉体を褒め讃えていたよね? あのときだって、しっかり反応してたじゃない!」
もしかして傷つけないために演技してたの!? と衝撃を受けるカカシに、イルカはからからと笑う。
否定しないイルカに、演技説が現実味を帯びてきた。
女のカカシはやはり女としては最低だったのかと、ただただ落ち込んでいれば、イルカが気合いの声をあげ無理矢理体を返してきた。
密着していたため、イルカの額とカカシの顎がぶつかり、二人で呻くこととなる。
どうしたんだとイルカに視線を向ければ、イルカは額をさすりながら軽く睨んでくる。少し強い調子のそれに何となく怯めば、イルカは人差し指を突き差してきた。
「忘れたとは言わせませんよ? 俺はあんたの体しか反応できなくなってるんです。それは女のあんただって当てはまるんですよ。俺は筋肉フェチというより、カカシフェチです」
真顔で言い切るイルカに、顔へ熱が集まる。
自分で仕組んだことだが、こうも本人に認められ、面と向かって言われると反応に困る。
うろうろと視線をさまよわせるカカシに、イルカは一つ笑い、腕を伸ばしてカカシの頭を引き寄せた。されるがまま、イルカの髪に顔を埋めるような体勢を享受していると、イルカは言葉を続けた。



「俺、女のカカシさん見て、思ったんですよ。違和感ないなぁって。普通は女性にあれだけ筋肉ついていたら引くところですけど、カカシさんの場合、納得しちゃったんですよね」
どこか自嘲気味に漏らした言葉が不思議だった。
どういう表情をしているのか気になったが、イルカは顔を見せたくないのか、カカシの頭から手を離してくれない。
「あんたはきっと女だったとしても、限界を超える修練を自分に課すんだって。仲間のために、里のために、今と同じようにその身を捧げて戦うんだって、納得しちまったんです」
イルカの腕の力が抜ける。少し顔を離してイルカの顔を見下ろせば、こちらを見つめて苦笑するイルカがいた。
「納得しちまったら、不本意ですけどあんたの気持ちが分かりましたよ」
思い当たることが多すぎて分からず、問おうとしたカカシに、イルカは先に答えた。
「ほら。俺が女だったら、孕ませて家に縛り付けてやろうってやつですよ」
思わぬ答えにカカシは驚いた。イルカでもカカシのような歪んだ思いを抱くのか。
言葉を返さないカカシに、イルカは自嘲気味な笑いを浮かべて、カカシの髪の毛に触れる。少し荒く髪を梳くのは、イルカの照れ隠しだろうか。
「でもねぇ。俺はあんたと違って給金安いですし、残念ながら大家族を養えそうにないんですよね」
残念だと、イルカは呟く。
「俺もカカシさんを閉じ込めてみたいのになぁ」
残念だなぁと、イルカは何度も呟き続けた。
そのうち、声がだんだんと小さくなり、イルカの瞬きの回数も多くなっていく。
体力の限界が近づいてきたのだろう。
カカシの髪を撫でる手もただ添えるようになって、カカシはイルカの手を取って顔の前に置いてやる。代わりに、カカシがイルカの髪を撫でれば、気持ちよさそうに目を細めた。



夢と現の合間をさまよいながら、イルカは途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
けど、何よりカカシの本質がそれを許さないと。
家に閉じ込めようとするイルカに喜んでくれるだろうけど、いざとなればカカシは身重の体でも戦場に立つと。
そうなることが分かるから、イルカはどんなに心の中で思っても、結局は実行できないと、語った。
「そう考えたら、丈夫な分、今の方がいい…かな…」
言い終えた後、イルカは吸い込まれるように眠りに落ちた。
完全に寝てしまったイルカの顔を見た後、視線を天井に転じる。少し湿り気の残る髪を梳きながら、小さく笑った。
イルカが今のカカシがいいと言ったのは、消去法で選んだに過ぎない。
イルカはカカシならば、男女の差異は丈夫かそうでないかぐらいにしか考えていないようだ。
「なんだかんだいって、オレのこと愛しちゃってくれてるよーね」
素直に言葉に出して言ってくれないのは残念だけど。
軽く鼻を抓めば、イルカの眉が寄った。
笑って指を退け、イルカの体を抱きしめる。



ごつごつとした男の体。骨太でたくましくて、カカシなんかに頼らなくても、一人で立っていける立派な成人男性の体。
庇護欲は感じず、どちらかといえば征服欲や独占欲を刺激される。
甘い感情よりは荒々しい欲求を覚えるそれは、飢餓感にも似ていて、ひどく苦しいと同時に切ない。けれど、パズルの中心に空いた、たった一つのピースが嵌りこんだ時のような満たされた感覚がする。
イルカを思うと相反する感情が浮き出て、カカシは度々困惑してしまう。
女のイルカを抱いた後もそうだった。
女のイルカに感じたのは庇護欲と情愛だった。守りたいと、ずっと抱きしめていたいという優しい感情が強く芽生えたが、どこか物足りなかった。何かが足りなくて、軽い失望感すら覚えた。
その空白を埋めたくて、男に戻ったイルカを倍以上に抱いた。
すでにイルカは意識がなかったから止める役もいなくて、歯止めが利かず、翌々日までイルカをベッドの住人にしてしまったっけ。
そのことで怒り狂ったイルカを思い出し、カカシは笑う。
一週間そういう行為は禁止とお預けをくらったことは手痛かったが、イルカが怒ること自体は好ましいと思っている。
幼い頃から忍びだった自分を叱る相手はいても、怒る相手はいなかったから、真っ向から全力でぶつかってくれるイルカが面映ゆくて嬉しいのだ。
カカシが笑うと振動を感じるのか、イルカが少し不機嫌そうに眉根を寄せる。
それに小さく謝って、カカシも寝ることにする。
「……ほんと、なーんでだろうね。オレは、イルカ先生に何を求めているんだろう?」
問いかけてもイルカは寝息を返すだけだ。
抱き込むように腕を回せば、イルカの手がカカシの腕に乗せられて、ひどく満たされた気持ちになった。






******






夢を見た。


夢の中の世界では、皆、背中に翼を生やしていた。
白い翼、黒い翼、大きい翼、小さい翼。
色や形はさまざまで、誰も同じ翼を持つ者はおらず、人の数だけ翼があった。
カカシの背にも翼はあった。
カカシのものは、誰よりも大きく、純白の美しい翼だった。
一度羽ばたけば何千里の距離も一瞬で着き、日に照り白い光を発する翼は誰の目をも魅了した。
偉大な先人達が到達した太陽へ行けるのはカカシだろうと、回りは口々に言い、カカシ自身もそう思っていた。
ただ、カカシの翼は片翼だった。
どれだけの距離を飛べることができても、カカシは自分が望む場所へ行くことができなかった。
強靭すぎる翼のために、片翼であるために、カカシは真っすぐ飛べなかった。
それでもカカシは、父親が、師が、名のある者たちが目指した太陽へ行くことを諦めなかった。
何度も挑戦しては墜落し、それでも羽ばたくことを止めなかったカカシの翼は、ぼろぼろになっていった。
純白の翼は汚れ、毛羽立ち、人々を魅了した翼は見る影もない。
一人、一人とカカシに期待をかけていた者たちが見切りをつけ、美しさに目を奪われた者たちはカカシの変わり果てた姿に目を背けるようになっていった。
けれど、カカシは飛ぶことを止めなかった。いつかは太陽に行けると信じ、翼をはばたかせ続けた。



あるとき、一人の男が声を掛けてきた。
黒い髪と同じ翼を持った、鼻に傷のある男。
男はその瞳に憧れを宿し、カカシの傷だらけの翼を無邪気に褒めた。
「あなたの翼はとても立派ですね。羨ましい。私の翼は小さくて、目に見える範囲しか飛べないんです」
はにかみながら言う男は、恥ずかしそうに自身の翼を見せた。
確かに普通より小ぶりな翼だった。けれど、寸分の狂いも無く、左右対称に生え揃えられたとても綺麗な翼だった。
男の翼ならば、自分の思い通りに空を飛べるだろう。カカシのようにどこへ行くか分からない不安定さは皆無に違いない。
だから、カカシはつい言ってしまった。
「私はあなたが羨ましい。あなたの翼ならば、目的地へときちんとその身を運んでくれる。力強いだけの私の翼では、あの太陽に近付くことさえできない」
目を見開いて驚く男に、カカシはしゃべり過ぎたと後悔した。
太陽を目指すことを諦めるつもりはないが、ちっとも近づけない現実に、心が弱っていたのだと知る。
初めて会った者に吐いた愚痴を恥ずかしく思い、気にするなと言いかけたカカシの目に、とんでもない光景が飛び込んできた。
男はカカシが褒めた左右対称にそろった翼に手を掛けると、躊躇いもなく翼を引きちぎった。
動揺するカカシの目の前で、男は翼がまだついている背中に引きちぎった翼をくっつけると、一、二度羽ばたき、カカシの目の前に手を差し出した。



「私と一緒に、太陽の元へ行きましょう」



戸惑うカカシの手を掴み、男は誘うように体を宙に浮かせる。
行こうと、きっと行けると笑顔を向ける男に、カカシは信じられずに叫んだ。
「あなたは一体何を考えているんだ。あんなに整った綺麗な翼を捨てて、自ら片翼になるなんて! あなたとオレは今日初めて会いました、あなたにそんなことをしてもらう理由はありません!」
男の手を振りほどこうと身をよじったが、男はそれでもカカシの手を離さなかった。そして、男は小さく微笑んだ。
「私はあなたのことを前から知っていましたよ。あなたが何度も何度も地上に叩きつけられながら太陽を目指したことを、あなたの血のにじむ努力を、あなたの強い意志を、私はずっと見てきました。そんなあなたが太陽に辿り着く瞬間を、私は見たい。あなたが報われる瞬間を、私は見たいのです。それが理由にはなりませんか?」
男の真摯な言葉に胸を衝かれた。
今までカカシを褒めそやし、近づいてきた者は、カカシの見てくれだけを見ていたから。カカシがぼろぼろになっていく姿を眉を顰めて眺め、そして去って行った者たちばかりだったから。
黙り込むカカシを男は首を傾げて見つめた後、もう一度声を掛けてきた。
「行きましょう! あなたが目指していた太陽へ!」
断る理由は、なかった。



男と共に飛んだ空は、初めてのことばかりだった。
速く飛べるために一瞬で通り過ぎていっていた景色は、今、カカシの眼下に大きく広がり、鋭すぎて翼を傷つけていた風は翼の足掛かりとなって優しく包み込み、凍てつく寒さを与えた空気は柔らかな温度と匂いを運ぶ。
地に降り立っている時以外は見えなかった仲間たちが、空を自由に行き来する姿や、並びあって談笑する姿が見えた。
カカシの世界には、地と空と太陽しかなかった。けれど、今、目の前の世界はいろいろな物を内包している。
世界はカカシが思うよりもずっと広大だった。
隣にいる男の翼が軽やかに風をつかみ、羽ばたいている。カカシの速度に合わせて、目指す方向を逸れないように、真っ直ぐ太陽を目指している。
カカシの視線に気づいた男が笑みを浮かべた。気持ちいいですねと、男は気負いもなくカカシに話しかけてくる。
胸に満ちたのは歓喜だった。
飛ぶことがこれほどまでに気持ちよく、楽しいものだとは思いもしなかった。もっと飛びたいと、胸が熱く焦がれる。
「順調ですよ、このまま行きましょう」
男の翼が力強く空を蹴る。
正確に進路を取る男に勇気づけられ、カカシも翼を動かした。
太陽へ、ずっと目指していた憧れの地へ、男と共に目指した。



いくつもの雲を抜け、初めての高みにきた時、男が感嘆の声をあげた。
「すごい。これが、あなたが見ていた景色なんですね。まるで別世界だ」
眼下には、広大な青と緑が広がり、その上を白い雲が駆け抜ける。
日の光を照り返し、きらきらと光る青い海は、美しいという言葉しか思い浮かばない。
男の素直な声に、カカシは堪らなく嬉しくなった。
ここまで来れたのはあなたのおかげだと、もうひと踏ん張り頑張りましょうと振り向き、言葉が途切れる。
男の顔色はひどく悪く、男の翼の羽根は羽ばたくごとに飛び散り、風に流れていた。
言葉を出せずにいるカカシに、男は少し悲しそうな目で言った。
「ごめんなさい。俺の力ではここまでが精いっぱいです。本当はあなたと一緒に太陽に行きたかったのに残念だ。――俺のことは気にしないで、行ってください。ここからなら、あなた一人でも行けるはずです。さぁ!」
男の言葉に、カカシはその通りだと思った。この距離ならば一人でも行けるだろう。
男の手を離し、今から全力で飛び立てば、カカシは焦がれた太陽の地へと行くことが出来る。だが。



徐々に力を失くしていく男の翼を見る。
男の翼は限界以上に動かしたせいか、ひどく痛み、二度とこの高みまで飛べそうになかった。
男と共に行けるのは、この機会のみ。次はない。
すでに男はカカシの手を離している。
カカシが掴んでいる手を離せば、羽ばたく力のない男はあっという間に眼下に消え、カカシの視界からいなくなるだろう。
男の体重がぐっとカカシの腕に掛かった。
「行け」と怒鳴るように告げる男の声を聞きながら、カカシは太陽を仰いだ。



不思議なことに、あれほど望み、焦がれていた太陽を間近で見ても、カカシの心は浮かれる調子を見せない。そればかりか、別の感情が湧いて出た。
恐怖。
間近で臨む太陽は、身をじりじりと焼き、眩しすぎる光は痛みを生んだ。
太陽の地へと進んだ父親と師の最期を思い出す。
父と師は太陽に到達した直後、その身を燃え上がらせ、強烈な光を発しながら尽きた。
今まで、カカシはそれが正しい道だと思っていた。その最期こそが美しく尊い、模範すべき姿だと思っていた。
けれど、今、カカシの胸に浮かぶのは、恐ろしさと空しさしかなかった。



太陽から目を逸らし、男を見た。
男はカカシの手を外そうともがいているが、吊り上げられたようにその場に止まっている男には無理だろう。
離せとわめく男の声を聞きながら、カカシは小さく笑った。
男と出会って、世界は広いことを知った。カカシの知らない世界が山ほどあることを知った。
そのとき、カカシは確かに思ったのだ。
切望していた太陽を目指している途中だというのに、太陽の存在を忘れ、カカシは望んでいた。
カカシにはすでに新しい目標ができていたのだと悟った。



全体重が腕にかかって苦しそうな男を引き上げ、両手を繋ぎ、カカシは翼を広げて下降する。
驚きに目を見開いている男にも翼を広げるよう指示を出して、風の動きを読みながら減速し、ゆっくり回りながら降りていった。
一度降りてしまえば、あっという間に太陽から遠ざかる。
男は我が事のように悲しみ、カカシへどうしてと問う。それを受け、カカシはどこか清々しい気持ちになって笑った。
太陽を目指すよりも叶えたい目標が出来たんだと、男に向けて言う。それは何だと問われる前に、カカシは言った。
「見たいんだ。アンタと一緒に色んな世界を見に行きたい、いや、行くんだ」
高らかに宣言するカカシに、男は素っ頓狂な声をあげる。
「俺と?!」
驚く男に決定事項だと、カカシに新しい世界を見せた責任を取ってもらうと主張すれば、男は一瞬泣きそうな顔をした次の瞬間、怒鳴ってきた。
それはこっちの台詞だと、男も涙目で主張してきた。
「あんな世界見せつけられて元に戻れねぇよ! ただし、条件がある」
男は告げる。
あんたのスピードは速過ぎるから、飛ぶスピードは俺に合わせてもらう。その代わり進路調整は任せろと胸を張って言う男に、カカシも破顔した。



よろしくと改めて告げ、そう言えばお互いの名をまだ知らないと、笑って名乗り合った。
右の背には大きな片翼、左の背には小さな両翼。
深く手を繋いで、飛び立った。
一人で行けない所も二人でなら行けると笑い合って、一枚と二枚の翼で風を掴みながら、新しい世界へと降りて行く。
夢見た太陽はカカシたちを見下ろし、いつまでも遠くで輝いている。
仰ぎ見る太陽をたまに懐かしむことはあるだろうけれど、隣で一緒に羽ばたく男と飛んでいれば、それは些細な感傷だと笑えると、カカシは確信していた。



カカシは男に問う。

どこへ行きたいと。

男はまだ見ぬ景色を追う瞳を一度閉じ、カカシだけを映した瞳を向けて、はにかんだ笑みを残した口元を開いた。






『一楽の、ラーメン』















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抽象的です…。うん、まぁ、夢ですから…。ははは。





比翼 8