くぐもった笑いと共に流れ込んだ声が、目の前の映像と重なった瞬間ぶれ、カカシの意識を覚醒させた。
寝起きの頭が今、どういう状況なのかを把握していくうちに、カカシは込みあげる笑いに負けて吹き出してしまう。
「ぷ、あはははは!!」
腹が痛い。まさか、あの場面でこの言葉を聞くことになるとは思いもしなかった。全てぶち壊されたというか、実にイルカらしいというか。
「もぅ、そこは『アンタがいるならどこでもいい』とかでショ?」
まだ眠りこんでいるイルカへ、言葉と一緒に眉間に指を突っ込んでやる。
途端にうぅと唸り、わずらわしそうにカカシの指を跳ね除けたイルカを見て、カカシの抱く理想と現実の差に再び噴き出した。
笑って笑って、涙が滲むほど笑っていれば、抱き込んでいたイルカがもぞもぞと動き出す。
「……なんなんですかぁ…。あとちょっとで一楽スペシャル食えたのに…」
ひでぇと、寝ぼけ眼でぐずるように文句を言ってきたイルカに、収まっていた笑いのはツボをまた刺激させられ、大爆笑してしまった。
寝起きに大爆笑され、不機嫌なイルカが怒る頃、ようやくカカシは笑いを止め謝る。
「ごめん、ごめん。イルカ先生の寝言と、オレの夢がリンクしちゃって、おかっしくて…! あぁ、もう分かってる、笑わないってば」
目尻に出た涙を拭きとり息を吐くカカシに、イルカはおもしろくないと表情に表したものの他に気になることがあったのか、小言をぶつけるのではなく問いを投げかけてきた。
「カカシさんが夢で笑うなんて珍しいですね。よっぽどいい夢だったんですか?」
まぁ、俺が笑い者にされている時点で、俺にとっては悪い夢でしょうけどねと嫌味を言われたが、カカシはそれどころではなかった。
「……え?」
急に熱を持った顔が気になった。
突然顔を赤らめるカカシに、イルカは不思議そうな顔をしたが、すぐさま見当がついたのかにやりと笑ってくる。
「おやおや、カカシさん。それは俺を見くびり過ぎでしょう。あんたの寝言くらい何度も聞いたことありますよ」
イルカの一言に、言葉が詰まる。
滅多に夢を見ないカカシだが、稀に過去の夢を見ることがあった。その時の夢は、決まりきって過去のカカシが犯した失態や後悔に塗れたものばかりで、当然、惚れたイルカには知られたくない類のものだ。
「それは…えっと…」
一体どんな寝言を言ったのか聞きたい気持ちと聞きたくない気持ちが鬩ぎ合い口ごもるカカシに、イルカは苦笑いを浮かべる。
「そんな気にするようなものじゃないですよ。人なんだから、後悔して当たり前ですって」
幅広い表現で誤魔化してくれたが、後悔という二文字が入っていたことに、カカシは落ち込む。間違いなくイルカはカカシの具体的な後悔を知っている。
何となく顔が見れなくて視線を彷徨わせていると、イルカはあぁもうと呟くなり、カカシの前髪を大きく掬い撫でた。
「あんた、結構見栄っ張りですよね。そんなことで俺が幻滅すると思ってんですか? 俺と比べると皮肉なまでに完璧なあんたも後悔することあるんだって、逆に安心したんですよ、こっちは」
憮然と言い切るイルカに視線を向ければ、イルカは声と同様に不機嫌な表情をしていた。
「何ですか。平凡な凡人の俺の卑屈根性に幻滅しましたか?」
「いや、そんなことは…!!」
思ってもないことを言われ、慌てて否定すれば、イルカは満足そうに頷いた。
「なら、いいじゃないですか。俺も幻滅しない、あんたも幻滅しない。悩むようなことじゃないですよ」
小さく伸びをして、まだもう少し眠りましょうよと欠伸交じりに呟き、カカシの腕を退けようとイルカは動く。カカシはそうはさせじと背中に手を回し、抱き合うように引き寄せた。
「……カカシさん、腕枕はもういいですって。血行不良になりますよ」
胸板を軽く叩くイルカの言葉を無視して、カカシは言う。イルカと夜を共にするようになってから心ひそかに待ち望んでいたのに、全く皆無だった事柄をイルカに詰るように告げた。
「じゃ、なんでオレは聞けないのよ。オレだって、アンタの弱音とか聞きたいのにっ!」
カカシの発言に、イルカは口をぽかんと開ける。
てっきり、いつものように腕枕がいかに恋人同士にとって重要であるかを説いてくるのだろうと思っていただけに、イルカには寝耳に水の状態だった。
「は?」
まだ眠気の去らない頭は考えることを放棄している。
言っている意味が分からず間の抜けた声をあげたイルカに、カカシは怒涛の如く喋りたてた。
「だって、一番無防備な状態で一緒にいるんだよ! しかも一緒に眠ったりするほど心許してる状況なのよ! だったら、無意識に昔のトラウマとか後悔が寝言で出ちゃったりしてもおかしくないでショ!? なのに、あんたときたら、寝言は今受け持っている生徒か一楽のラーメンか、固有名詞じゃナルトがトップで次点がサスケ。おまけに、いっつも笑っちゃって、楽しそうにしちゃって!! アンタの心の奥底の弱音をいつ吐いてくれるか、心待ちにしているオレが可哀想でショ!!」
オレのだけ聞いてるなんてずるいと肩を掴み、真っ赤な顔で訴えるカカシに、イルカは別の意味で羞恥が湧く。
なんだ、それは。まるでイルカが全く悩みのない、能天気な人間のようではないか。
もうバカバカバカ愛が足りないとわめくカカシに、眠いながらもカカシの言い分を考えて考えて、ふとあることに気付き、呻いた。
眠気がぶっ飛んでしまった。そして、とんでもない恥ずかしいことに気付いてしまった。
「……カカシさん。聞いてくださいますか?」
気乗りしないが切り出せば、カカシはわめいていた口を閉じるなり、ぎらつく瞳をこちらに向けてきた。
訳を聞くまでは絶対に解放しないと決意を漲らせるカカシに、イルカはそう必死こくことでもないのになぁと口を開く。
「あのですね。そもそも俺にはあんまりトラウマがないんです」
うっそだぁと端から信じる気のないカカシにため息を吐き、イルカは言葉を続ける。
「ないと言うと少し語弊があるかもしれませんが、俺の最大のトラウマは九尾の狐でしたからね。まぁ、あれが強烈だったんで、他と比べるとどうにもトラウマというトラウマにはならなくて……」
困ったように鼻傷を掻くイルカに、カカシは一瞬息を詰める。
柄にもなく気分が高揚していたせいで、イルカの傷を暴くような失態を犯してしまった。
これ以上言わなくていいと口を開いたカカシに、イルカは人差し指をカカシの唇に押し当て、「まぁ、黙って聞いてください」と笑った。
「でも、ナルトと出会って、葛藤して、足掻いて、後悔して、時にはあいつを傷つけちまったり、泣かしたり、……ぶつかったりしていくうちに、俺のトラウマは消えてたんですよね。ナルトが、俺の一番厄介で根っこの深かったどす黒いものを取ってくれた。だから、俺にはトラウマがないんですよ」
気負いのない笑みを浮かべるイルカに、カカシは安堵した気持ちと同時に、うす暗い感情を覚えた。
イルカの中でカカシは大きな存在になっていると分かるが、ナルトもカカシとは違った意味でイルカの大きな部分を占めている。
好きになる前から分かっていたことだが、ここまでカカシの中に引っ掛かりを覚えるものに変貌するとは思っていなかった。
カカシにとっても、ナルトは自分の大事な部下で、尊敬する師の忘れ形見だ。
だからこそ、これ以上考えないように蓋をした。
あってはならぬ考えを明確な形にしないよう、カカシは目を背ける。
「カカシさん?」
呼びかけられて、何と笑う。
気取られぬよう、自然な態度で話の続きをねだった。
カカシの思いをイルカに知られる訳にはいかない。
イルカが関係することならば、カカシにとってトラウマになることは容易い。イルカとの関係性が深ければ深いほど、カカシはいつだって傷ついてしまう。
我ながら面倒くさい男だと胸の内で自嘲し、今はイルカの言葉に耳を傾ける。
カカシですら見えない果てのない独占欲は、いつかイルカを悲しませることになるのだろうか。形ばかりの危惧を胸で嘯き、カカシは壊れている自分を実感した。
「で、ここからは、あんたに言われて気付いたんですけど……」
口ごもり、視線を落としたイルカの変化にカカシは首を傾げる。
イルカはカカシの視線に耐えられないというように、胸元に額を押し付けると、くぐもった声で言い切った。
「俺がお気楽な夢しか見ないのは、あんたがいると安心しちまうからですよ」
思わぬ言葉に、目が見開いた。
イルカの顔が見たくて覗きこむが、イルカは頑として顔を上げようとはしない。そればかりか、カカシの背中に手を回し、より深く胸へ密着してきた。
「……イルカ先生は、安心すると楽しい夢しか見なくなるの?」
安心すると気が緩み、普段口に出していないことが出るカカシとはだいぶ趣が違うようだ。
素朴な疑問を口にしたのに、イルカはそう受け取らなかった。
「…悪かったですね。自分でもどうかと思いますけど、あんたといると気が抜けるんです! あんたがいない時、夢見が悪いって今気付きました!!」
緊張感ない忍びで悪かったですねーと拗ねた調子で言葉を紡ぐイルカに、カカシは目の覚める思いを味わった。
カカシはイルカといると普段言えないことが言えて、イルカはカカシといると素のイルカを見せられるのだ。
お互いに見せる部分は違うけれど、確かに作用し合って互いの根っこのところを見ることができているのだと気付き、満面の笑みがこぼれ出た。
「じゃ、オレといるイルカはオレだけのイルカなんだーね。ナルトたちの知らないオレだけのイルカなんだ」
イルカの頭と背中に腕を回し、思い切り抱きしめる。
「いててて」と色気のない声があがり、実にイルカらしいとカカシは上機嫌になった。
女のイルカを手に入れたら、自分だけのイルカが増えると思っていたけれど、何のことはない。始めからイルカは、カカシだけに本来の素の姿を見せてくれていたのだ。
「いっ! こら、痛いって言ってんだろ!! あんたが容赦なくヤりやがるから、こっちは満身創痍なんだってっ」
力を緩めろと結構な力で背中に爪を立ててくるが、止めろとは言わないイルカが嬉しくて、調子に乗ってしまう。
これはオレのだと改めて主張するべく、目の前の頭に口づけを落としていれば、イルカは根負けしたのか力を抜いた。
「あー、もう。……で、カカシさん、どんな夢見たんです? いい夢だったんでしょ?」
口づけを落とすのを止めて、そうだったと吐息を吐く。
夢の中のカカシが味わった、あの充足感と幸福感をイルカにも分かってもらいたくて、カカシは夢の話を聞かせた。
途中、相槌を打ってくる以外は黙って聞いてくれるイルカに、カカシは話した。
いい夢だったと、二人で飛んだ世界は広くてとても綺麗だったとイルカに告げた。
二人で飛んだ空はきっと忘れないと思う。
太陽の輝きも、透き通る青い空も、眼下に広がった風景も、笑い合って風を切った爽快感も、全てがきらめいて、まぶしかった。
楽園というものがあるならば、あの夢の世界がそうだとカカシは思う。
でも、何よりカカシが嬉しかったのは。
「オレの隣に、イルカがいることが分かったから」
腕の力を緩めて、イルカの顔を覗き込む。
今度は嫌がらずに顔を上げたイルカを見て、カカシはびくりと身を跳ねさせてしまった。
顔を上げたイルカはいつから泣いていたのか、大粒の涙を流していた。
「え、え!? ちょ、どうしたの、イルカ先生!?」
もしかしてナチュラルに呼び捨てで呼んだのが気に食わなかったのかと動転しているカカシに、イルカは「すんません」と小さく呟き、乱雑に手の甲で涙を拭う。
男らしい涙の拭い方だが、強く擦るやり方に肌を傷めるとカカシはやきもきしてしまう。イルカは鼻を啜りながら涙を全て拭いとると、笑顔を見せた。
「あんた、いつも不意打ちばっかりで、ずるいですよ。俺の誕生日は昨日で終わっちまったのに、また、嬉しいプレゼントもらっちまったじゃないですか」
涙が滲む瞳で軽く睨まれて、困惑した。
正直言って、誕生日プレゼントをあげた覚えはなく、どちらかと言えば総取りでカカシがもらった感が否めない。
「オレ、イルカ先生に何かあげた?」
正直に心の中の疑問をぶつけてみれば、イルカはもらいましたよと歯を見せて笑う。
「カカシさんの初めての愛のある性行為の相手が俺だっていう事実」
どこか誇らしげに言ったイルカに、言葉が詰まる。
また可愛い顔で可愛いこと言っちゃってと、無意識にカカシを煽ってくるイルカを恨めしく思いつつ、これ以上の無体はいかんと気を引き締め、会話を続ける。
「じゃ、今日は?」
尋ねれば、イルカはカカシの左手を引き寄せた。カカシの左手指の間に右手の指を滑り込ませ、イルカは一瞬泣きそうな表情を浮かべた後、怒鳴るように言う。
「あんたの隣に立つことを、俺に望んでくれていること、です!」
イルカの表情に既見感を覚えて目を見張り、そしてすぐさま思い当たるものに気付く。
夢の中で見た。
カカシが宣言した言葉をイルカが了承してくれた時に見た、あのときの表情と同じだ。
あの夢の続きのように思えて、絡むイルカの指を握った。
イルカは語る。
遠い昔の異国で語り継がれた詩があり、皇帝とその愛人の悲恋の物語を歌ったそれに、こういう句がある、と。
「『天に在りては願わくば比翼の鳥となり、地に在りては願わくば連理の枝とならん』って。比翼の鳥っていうのが、雌雄のつがいが一体となって飛ぶ、想像上の鳥なんです」
イルカが何を言いたいか分かって、カカシは半分頷き、半分首を振る。
「オレとイルカ先生は雌雄じゃないよ。……男女の関係にはなれないし、なりたくない」
イルカの表情が凍る。
絡めた指が抜けそうになり、カカシはイルカの指をきつく握りこむ。
意味を取り間違えないでと震える声で告げる。
「でもね。だから、分かった。イルカ先生が男で良かったって思った理由が、今、ようやく分かった」
カカシは思い出す。
夢の中で飛んだ空を、イルカと二人で目指した果てのない景色を。
二人で行った太陽の下の苛烈さを――。
「オレは、イルカと飛びたいんだ。守り譲らなくちゃならない女のアンタじゃなくて、強情で、方向性を間違えない強い意志を持ってるアンタと羽ばたき続けたい。優しくて甘いだけじゃ嫌だ。辛くても苦しくてもそれでも前に進める、共に修羅の道を歩めるアンタと生きていきたい」
だめだろうかと、視線に願いを込めて見つめた。
共に地獄へ踏み込みたいと、正気の沙汰ではない願いを口に出すカカシは、やはりどこか狂っているのだろう。
イルカが全てと思っている癖に、死ぬ時は里のためだと心に決めた己がいる。
自分の生き方を変えられない。イルカが願っても変えられない。
それでも、アンタはオレと一緒に飛んでくれるかと、イルカの指先を握りこむ。
本当はイルカの答えを聞く必要はない。カカシはもう決めているから。
イルカが嫌だと拒んでも、後になって恨まれようとも、イルカを逃すつもりは毛頭もない。
それなのに、イルカに選択のない答えをねだるのは。
イルカの気持ちを聞かせてくれと、意味のないことを尋ねるのは。
――カカシの、甘えだ。
「イルカ」
名を呼んで、答えをねだった。
イルカの気持ちを聞かせてくれと踏み込む。
何かに追われるように答えを望むカカシに返ってきたのは、イルカのため息だった。
「あんた、本当にバカですね」
呆れる口調でしみじみと言われてしまい、カカシは自失してしまう。
カカシとしては稀に見ないほどの本音と真剣さだったのだが、イルカには伝わっていなかったのだろうか。
困惑するカカシに、イルカは視線を向ける。
「あのですねぇ…、カカシさん」
イルカはどこか怒った様子で、絡めていた指先をカカシの手の甲に向かって握りこむ。本来曲がらない方へ力を入れられ、カカシは思わず叫んだ。
「先生、痛い! 折れる、折れちゃうからっっ」
うっすらと涙がにじみ出るカカシを無視して力を加え続けるイルカに、イルカの怒り具合が分かる。
それほどまで怒る訳が分からず慌てていれば、イルカが力強く言い切った。
「はっきり言って、今更過ぎて返答に困ります。そんなもん、あんたと付き合った時点で、とっくに覚悟決めてるに決まってるだろ」
下からねめつけるように視線を送られ、カカシは固まる。
「……え?」
信じられないと目を見開くカカシに、イルカは思い切り息を吐き出し、肩を落とした。
カカシは己という存在が、人にどう見られているか全く分かっていないらしい。
イルカの言葉がまだ信じられず、変なものでも見るような視線を送ってくるカカシの額をぱちんと軽く叩き、イルカは話し出した。
「まったく。あんたと付き合うことを決めた時の俺が哀れになってきましたよ。あんたどう見ても、根っからの忍びでしょう? そんな奴と付き合うなら地獄行く覚悟決めなきゃあかんでしょうが」
何、当たり前のことを言ってんだと、イルカはカカシを見つめる。
カカシは「す、すいません?」と疑問符を交えて謝ってきた。
まぁ、忍び一辺倒だったカカシが、イルカの意見や気持ちを聞きたいと思えたことは飛躍的な進歩なので、イルカはここらで許してやるかと、へし折るつもりで握っていた手から力を抜く。
どこか気落ちしているカカシの頭を撫でてやり、イルカは口を開く。
「あんたもいい加減、分かってくれてもいいんじゃないですか? 呪印だってきっちり受け止めたし、今更、何が来ようとも、あんたを離さないし逃しませんよ?」
こっちだってあんたの意見は必要ないんだと言い切ったイルカに、カカシはようやく口元に笑みを浮かべ、小さくうんと頷いた。
「イルカ」
カカシが名を呼びながら、体を返す。横向きから仰向けに寝転がり、その勢いを利用してイルカの体を引っ張り上げた。
「わ、っ」
危うく顔をぶつけそうになり、何するんだと身じろげば、繋いだ手とは逆の手で腰を押さえつけられてしまった。
全力で抵抗すれば抜け出せるかもしれないが、疲労と痛みでなるべくなら動きたくないイルカは、もうどうにでもなれと全身の力を抜く。
可愛い小動物やら彼女ならばこの体勢はありかもしれないが、ほぼ同じ体格のイルカが乗り上げれば、カカシだってそれなりに苦しいだろうに。
カカシの奇行振りは今に始まったことではないかと、今の現状を受け入れて、イルカはこのまま寝ることに決めた。
何せ、明日は通常通り、アカデミーと受付任務がある。少しでも体力の回復に努めねばなるまい。
全身鍛え上げられているカカシの体は固く、寝心地がいいとは言えないが、ほどよい体温とちょっとやそっとのことで壊れない逞しい体は、なかなかに良いベッドと言える。
枕があれば言うことないんだがと、頭の位置が定まらずにぐりぐりとカカシの胸に額を擦りつけていれば、カカシが小さく笑った。
イルカの不満を和らげるように、髪を梳いてきた手が気持ちいい。
このまま寝ればまたいい夢が見れると目を閉じた直後、イルカの背に余計な感触が生まれた。
イルカの背中の左側。
肩甲骨あたりを徘徊する手は、安眠妨害以外の何物にでもない。
「……カカシさん」
動き回る手が不快だと唸れば、カカシはふふとイルカの髪を揺らして笑った。
「比翼、か」
何かをなぞるように背を触れるカカシの手つきに、イルカは顔を上げる。イルカの視線に気づいて、カカシは穏やかな笑みを浮かべた。
「雌雄じゃないけど、オレたちみたいな比翼がいてもいいと思わない?」
自分で否定したことなのに、ちゃっかり肯定してくるカカシに、眉根が寄る。
イルカの不満が分かったのか、機嫌を取るようにカカシは背中を撫で続けた。
「だって、男女で絶対にくっつかなきゃいけない理由なんてないでショ。稀だけどきっといるんだよ。雄同士の比翼が。で、その比翼は誰よりも速く正確に、世界中を飛ぶことができるの。夢の中のオレとイルカ先生みたいに」
どこか恍惚とした表情で語るカカシに、よほどいい夢だったのだなとイルカは思う。
時々、夜にうなされては飛び起きるカカシを知っているせいか、そういう夢も見れることが分かって気持ち的に楽になった。しかも、それがイルカも一緒にいる夢ならば、喜ばしいことだ。
「夢の中の先生の翼、すごく綺麗で可愛かったんだーよ。オレの片翼に合わせて一生懸命羽ばたく姿なんて、拡大写真にして残しておきたかったもん」
飛ぶ姿の愛らしさや、翼のキュートさやらを語り始めたカカシに苦笑しながら、イルカは夢の中の自分にほんの少しの羨ましさを覚えた。
夢の中のイルカはどこへ行くのもカカシと一緒で、共に空を飛び、同じ景色を共有していた。
夢の中のイルカは、本当に。
「カカシさんの半身だったんですね」
イルカの一言に、カカシは目を見開く。
どこか驚く気配を見せるカカシが不思議で見つめていれば、カカシはにしゃりと顔を崩して笑った。そして、今にも歌いだしそうな気配を放出してイルカの額に口づけを何度も落としてくる。
「カカシさん?」
しつこく口づけを降らせるカカシに困惑した。
「……なるほど。そういうこと、ね」
一人で納得の言葉を吐くカカシの考えは分からない。
突っ込んで聞きたい気持ちもあったが、カカシの浮かれ具合に水を差すのも気が引けて、代わりにイルカはカカシの頭を撫でた。
「俺、もう少し、寝ますね…」
カカシが小刻みに笑う度に振動が伝わる。
どこか安心を呼ぶ振動に身を任せるように目を閉じれば、囁き声が聞こえてきた。
「おやすみさい、オレの片割れ。あなたと無事会えたことが、今生での奇跡だーよ」
また訳のわからないことをと口の中で呟いて、イルカは今度こそ夢の中へと落ちる。
出来るならば、同じだなんて無理なことは言わないから、カカシが見た夢と似たものを見たいと願いながら、イルカは眠りについた。
******
その日、イルカは夢を見た。
寝る直前に願った夢とは違ったが、夢の中のイルカは小さな小鳥で、目が見えないけれど誰よりも速く飛べる翼を持つ猛禽類の背に乗り、イルカは彼の目となり、一緒に飛んだ。
イルカの目に映る世界を彼に語ると、彼は喜んでくれた。
もっともっととせがむ彼に、イルカは彼が望むように世界を語った。
美しい世界。
残酷な世界。
綺麗な世界。
悲しい世界。
楽しい世界。
たくさん。
万華鏡のように変わる世界を、イルカは語る。
それに対して彼は何度も言う。
「もっと、もっと」と楽しそうに、子供のように無邪気に。
だから、イルカも色んなところへ行こうと彼を誘う。
彼が見たことのない世界を探しながら、どこまでも行こうと声を掛ける。
その言葉に、彼は振り返り、見えない瞳を輝かせて言った。
『もちろん。だから、もっと腰振って、一緒に昇天しよう』
******
「ん、あ?」
夢の声に違和感を覚えて目が覚めた。
目を開ければ、垂直に立つ壁が見えた。
カカシを下敷きにして眠っていたのに、どうして壁が見えるのかとぼんやりと考えていれば、それはきた。
「っっ! ん!!」
強く上に貫く衝撃に、顎が上がり、息が干上がる。
もはや馴染みとすらいっていい感触に、イルカは眩暈を覚え、自分の体を抱き込んでいる物体に拳を叩きいれた。
「あ、あんたなぁっ! っ、や、やめろ!! 何考え、ぁっ!」
容赦なく揺さぶられ、まだ感覚が追いつかないイルカの目から生理的な涙が零れる。
諸悪の根源はイルカが目を覚ましたことを知ると、腰の動きはそのまま嬉しそうに笑い出した。
「だって、世界の真理とやらを知ったからには、抱き合う他ないでショ? イルカ先生は、オレの半翼で半身で、一つになるべき相手なんだかーら」
どうりで離れていると情緒不安定になるはずだーよと、カカシの口からカカシしか分からない道理が語られる。
一人で納得してんじゃねぇとイルカは叫びたかったが、カカシに慣れ親しんだ体は早くも快楽を捉え始めている。
体はすでに悲鳴を通り越して絶叫をあげており、蜜壺の中に落ちるような、ねっとりとしたまとわりつく快楽に取り込まれたら、今度こそイルカは正気を保てなくなるだろう。
そうなればストッパー役はいないにも等しく、再び欠勤という憂き目に合ってしまうことは明白だった。
まだ意識があるうちにとばかりに、これ以上は止めろとしがみついたカカシの肩に噛みつけば、カカシの動きが止まった。
イルカから体を離し、イルカを残してカカシが寝台へと寝そべる。
痛みのおかげで正気を取り戻したのかと安堵したのも束の間、カカシはイルカの腰を両手で固定するなり、恥かしそうに言った。
「ごめんね〜。オレばっかり気持ちよくなっちゃって。イルカ先生も動きたかったんでショ? 寝言で『そこじゃない』とか言ってたもんね。これなら、イルカ先生、好きに動けるから大丈夫だーよ」
せっかく上に乗ってくれてることだし、そういえばこの体位初めてですねと、きゃぴきゃぴとした声をあげたカカシに、血の気が引いた。
「これも、一種の飛ぶですよね。さぁ、二人で一緒に昇天しましょうか!!」
目を輝かせ告げた言葉に、イルカは既視感を覚える。
まさか、これは。
「はい、イルカ先生、腰振って! もっと、もっと! そんなんじゃ気持ちよくないでしょ? はい、もっと!」
もっともっとと言いながら、揺さぶってくるカカシの声を聞きながら、イルカは痛恨の叫びを胸の内であげた。
あれは、予知夢かぁぁあぁぁぁぁ!!!!
結局、二人は一緒に昇天することはできたが、その直後イルカの意識は転落し、三日三晩眠り続けるという、不名誉な事態に陥った。
……カカシ先生。うん。えっと。うん……。(言葉がない…orz)