妙な頼み事をされたのは、里に帰ってすぐのことだった。
二十代の中忍らしき男を引きつれて、腐れ縁であるアスマがオレの家を訪ねてきた。オレの生家に、しかも事前にアポを取りつけて。
口癖が面倒臭いの男が何を良からぬことを企んでいるのかと思っていたが、どうやらこの男のために一肌脱いだというのが真相らしい。


アスマはオレが出てきたところで役目は終わったとばかりに「いじめんなよ」と、人聞きの悪い言葉を吐いて去って行った。
残されたオレと中忍君はしばし顔を合わせ、緊張で冷や汗を垂れ流している中忍君を落ち着かせるためにも、家に上げることにした。


「はい、ドーゾ。あんまり淹れ慣れていないから味の保証はできないけど」
居間に通して、茶を出す。
オレが茶を淹れて戻ってくる間も直立不動の姿勢を保っていた中忍君を何とか座布団の上に座らせ、改めて顔を合わせる。
顔のど真ん中、鼻の中央辺りに、横に大きく跨る傷がある、実直そうな青年だ。
黒い目に黒い髪。髪は天辺で縛り、まるで犬の尻尾のように揺れていた。
中忍君改め、尻尾君かなと勝手に命名していれば、尻尾君はオレに向かって勢いよく頭を下げた。それに追従して、尻尾も飛び跳ねる。
「お忙しいところ、お時間を取っていただきありがとうございます! お、わ、私、うみのイルカと申します。階級は中忍、臨時の受付とアカデミー教師の見習いをしております」
最初こそ詰まったものの、尻尾君こと、うみの君は滑舌よく話し出す。頭を上げた後、こちらを真っ直ぐ見つめる瞳は澄んでいて、とても綺麗だった。


アスマの奴、どこにこんな可愛い子を隠していたんだかね。
どう見ても真っ当な、お日様の匂いがしてきそうな男に軽く吐息をつく。
オレと同類であるアスマがこんなに輝かしいものによく近付けたものだ。オレは近付きたくても近付けないってのに。
懐かしさと憧憬を思い起こさせる存在が眩しくて目を細めれば、うみの君は不快の表情と取ったのか、焦りを滲ませ一気に捲し立ててきた。


「ぶ、不躾なのは重々承知しております! ですが、どうしてもはたけ上忍の畑を使わせていただきたいんですっ。ご迷惑はおかけ……しないとは言い切れませんが、あの、俺が出来ることは何でもします。いえ、させてください! 家の掃除でも、庭の草むしりでも、あ、パシリでも下僕でも構いません、こき使って下さい!! も、もちろん、畑を使わせていただいている間の賃貸料も」
そこまで言って、懐から大きながまぶち財布を取り出そうとしたところで、オレは口を挟んだ。
「はい、ストーップ。財布は直して。落ち着いてちょーだいよ。悪いけど、アスマから何にも聞いてないのーよね」
うみの君はオレの言葉に目を見開き、驚きの表情を曝け出した。やっぱりねぇ、あの髭、説明省きやがったな。
地味なところで手をぬきやがってとアスマに悪態をつきつつ、表面上は脅かさないように笑顔を保って言った。
「いーヨ。うちの畑借りたいんでショ? 全く手入れしてない上に草伸び放題だけど、それでもいいなら好きに使って」
オレの言葉に、うみの君の真っ青だった顔が瞬時に赤みを取り戻し目が輝き出す。
何か言おうとするより早く、オレはまたもや先に言う。
「で、パシリも下僕もいらなーいよ。あと、賃貸料もね。お礼は、そうねぇ。……オレがここに帰ってきた時、もしうみの君がいるなら話相手になってーよ」
ずっと一人だから寂しいのよねと、続ければ、うみの君はまさに絶句という表情でオレを見ていた。
あー、この子やっぱりいいねぇ。忍びとしてはどうかと思うけど、周りには絶対いないタイプの子だ。
感情をダダ漏れにさせて、ころころと表情を変えるうみの君が面白くて、にこにこと笑っていれば、うみの君は急におどおどし始めた。
様子が不思議で尋ねてみれば、うみの君は少し考えた後、至極真面目な顔で言った。


「あの、はたけ上忍はもう少し人を疑うということをした方がいいですよ?」
俺は助かりましたが、仮にも初対面の相手をあっけなく居間に通したり、俺の要望を全部飲むばかりかお礼にもならないことを言うなんてと、ひどくこちらを心配してきたうみの君に、オレは堪らず大笑いをしてしまった。
親切めいた押し売りじゃなくて、本気で心配してくれるなんて。よりにもよって、このオレを!!


仮にも上忍、うみの君は知らないだろうが暗部を務めあげ、一度任務に着けば、赤子だろうが女子供だろうが無慈悲に殺し尽くすオレに向かって、よくも言い切ってくれたものだ。
仲間内からでも、火影からも、警戒心強すぎると時折哀れじみた眼差しを受けるのに、まさか実力が下の子から言われるとは思いもしなかった。
けれどちっとも嫌な気分にはならず、ただただ心配してくれる気配がひどく心地よかった。
だから「ありがとう」と笑って感謝すれば、うみの君は何故か浮かない顔をした。でもその後に、何か決心したように頷いていた。一体、何を思ったんだろうね。


「それじゃ、よろしくね、うみの君」
ここに帰れば、うみの君がいるかもしれない。
それだけのことがひどく嬉しくて、手を差し出せば、うみの君は慌てて自分の手を服の裾で拭うと、オレの手をしっかりと握りしめてくれた。
「はい、こちらこそ、どうぞよろしくお願いします!!」
歯を見せ、屈託なく笑ったうみの君はお日様のように輝いて見えた。




「うっみのく〜ん!」
生家にある畑はそこそこ広い。
姓がはたけというせいか知らないが、オレが生まれる前からそれはあった。
ただ、オレも親父も畑に手を入れたことはなく、うみの君が来るまで荒れ果てたままだった。
それが今となってはどうだろう。
うみの君が通い出して、畑は本来の姿を取り戻した。
土を耕し、肥料を撒き、畝を作る。作る作物によっては撒くもの違うらしく、全く何も知らないオレはうみの君が言う通りに手伝うしかできなかった。
うみの君も初の試みだそうで、うんうん言いながらも二人で協力してできた畑は何だかとても愛らしいものに見えた。
その畑には今は小さいながらも緑色の植物が生え、天高く伸びようと頑張っている。
今日もいい感じだと、畑の様子に目を細めていれば、オレに気付いたうみの君がひょこりと頭を出し、手を振ってきた。


「はたけ上忍〜!!」
満面の笑みでこちらに駆け寄ってくる姿に胸がぽっと温かくなる。土をいじった後に顔を触ったのか、うみの君の頬は汚れていた。本当に、この子は可愛いねェ。
にこにこと笑いながらこちらに向かううみの君を待ちながら、己の不穏な考えに一瞬どきりとした。
いやいや、この場合の可愛いは愛犬が飼い主に駆け寄ってくるような愛らしさを覚えただけであって、うみの君個人を表す可愛いではない。
そうだ、きっとそういうことだと頷いていれば、うみの君はオレの側で足を止め、「おかえりなさい」と声を掛けてくれた。
「うん、ただーいま」
お怪我はないですかと、オレの周囲をぐるぐる回り始めるうみの君。
まるで恋人や妻のように案じてくれて照れてしまう。
大丈夫と笑って言えば、うみの君はほっと安堵の吐息をついた。かわ…っ!!
思わず叫びそうになった言葉を咳払いでいなし、改めて畑を見回す。


「すごいねぇ、うみの君。始めはどうなるかと思ったけど、これならばっちり収穫できそうだーね」
差し入れとラムネを差し出せば、蕩けるような笑顔を見せてくれた。うみの君はかなりの甘党で、お菓子などをあげるとこちらまで嬉しくなるような笑みを見せてくれる。
「いつもありがとうございます! 早速いただきます」
頭を下げて、中のビー玉をおしこめるなり、うみの君は一気に煽る。
よほど喉が渇いていたのか、半分まで一気に飲み干すと、ぷっはーと息を吐いた。
おじさん臭いその仕草がおかしくて笑いが出そうになる。
将来、絶対呑兵衛になるなと思いつつ、そのときは酒飲みに誘ってみようと思う。
自分用に買ったお茶のプルタブを開けていれば、うみの君はしみじみと語り出した。
「本当に、ここまでうまくいくとは思いませんでした。これも、はたけ上忍のおかげです。本当なら俺一人でやらないといけないのに手伝ってくださって……。本当、何てお礼を言っていいか……」
オレを見つめた後、「ありがとうございます」と深くお辞儀してきたうみの君になんだか照れた。
そんなのどってことなーいよと返し、照れ隠しにお茶を飲む。
でも、どちらかと言えば、オレの方が感謝しているくらいだ。
暗部という古巣から出て里在住になったものの、時間を持て余し、若い頃に羽目を外したせいか郭も酒も興味がわかず、専ら家に引きこもってイチャパラを呼んでいたオレが、外に出て実に人間らしくいい汗を流している。それに、何と言ってもうみの君の笑顔は可愛いし、癒されるし、話しても楽しいし、とにかく毎日が楽しいと思うようになった。
この出会いをくれたアスマに「友よ」と熱烈に抱きしめてやって感謝を示したいくらいだ。


うみの君はオレのすぐ隣に立ち、指を差しながら植えた作物の状態を教えてくれる。オレが植えたほうれん草はすこし虫にやられたけど元気だ。いちごはこれから大変だけど、うまくいけば大振りの実がなる。キャベツは様子見中、などなど。
五月に入ったらどれも収穫できそうだと心底嬉しそうに笑うから、オレも嬉しくなって一緒に笑った。
と、そのとき。うみの君が説明していな箇所があることに気付いた。おまけに、その箇所はオレが一度も手を入れてない場所でもある。そして、どう見ても、五月の収穫には間に合いそうにない程、苗は育っていなかった。
不思議に思って聞いてみれば、見る間にうみの君の顔が真っ赤に染まった。
「え!? どうしたの?」
突然の変わり具合に驚けば、うみの君は手元の指を弾き、助けを求めるように周辺を見回し始めた。オレがいるのにいもしない誰かに助けを求めるようで面白くなくて、うみの君の肩に両手を置いて真正面に対した。ついでに、視線も逃さないように顔を近づければ、うみの君は降参と言わんばかりにその場にしゃがみ込んでしまった。
それを追って、再びうみの君の肩を握りしめる。
「で、どーしたの?」
しつこいと言われるかもしれないが、どうにも気になって聞けば、うみの君は膝に顔を伏せたまま、何かを言った。
「……ナ…、です」
「え?」
蚊の鳴くような声に何だってと耳を寄せれば、うみの君はもう一度言った。
「……ナスの苗、です」
その言葉に、ドキンと鼓動が跳ねた。
まさかと顔を離してうみの君に目を合わせれば、うみの君はゆっくりと顔を上げ、少し拗ねた声音を出す。
「……アスマ兄ちゃ、いえ、猿飛上忍からはたけ上忍はナスが好きだって聞いて……。それで、その……」
企みがバレてがっかりしているような、オレの反応を気にしている素振りで、うみの君は上目遣いでこちらを探ってくる。
そんなうみの君を前に、胸がいっぱいになるのと同時に顔が熱くなった。
この激情をどう処理していいか分からず、オレは気付いた時にはうみの君を思い切り抱きしめていた。


「……嬉しい、イルカ!!」
勢いに任せて名を呼べば、イルカの体が震えた。
オレの肩口でもごもごとうろたえるような声をあげるイルカの身を離して、顔が見える距離を取る。
「あのね、イルカのことイルカって呼んでいい? あとね、オレのこともカカシって呼んで!」
ずっと思ってた。たまにアスマの名が出る時、アスマ兄ちゃんと呼ぶイルカに、オレも名前で欲しいと思っていた。
ダメ? と首を傾げれば、イルカは顔を真っ赤にさせたまますごい勢いで首を振ってきた。
それが嬉しくて、実際に聞きたくてねだってみる。
「じゃ、呼んで?」
首を傾げてお願いすれば、イルカは生唾を飲み込んだ。
そして何度か口を開閉させた後、耳まで真っ赤に染めて顔を俯けてしまう。
そんなと泣き言を言いかけてオレの耳に、小さなイルカの声が聞こえてきた。
「……カ、カカシさん」
イルカのことだから上忍とつくかもしれないと覚悟していたのに、イルカは階級抜きの名前を呼んでくれた! そのときの全身を貫く歓喜といったら!
「うわ、嬉しいっ! 本当に嬉しい!! 大好き、イルカ!!」
あまりに嬉しくて、イルカを抱きしめるばかりじゃ足りなくて、地面に押し倒してしまった。
さすがに遣り過ぎたと一瞬体がびくついたけど、下にあるイルカの体からふっと力が抜けて、次の瞬間笑い声が弾けた。


「あははは、カカシさん、本当に可愛い!」 けたけたと笑い始めて、イルカの手が伸びて、オレの頭に乗った。
手の平が厚くて、指の一つ一つが大きいイルカの手が、手荒に頭を揺さぶる。ひどく懐かしい感触に一瞬切なくなったけど、イルカの笑い声を聞いていると何だか楽しくなって、オレも一緒になって笑った。
ぐりぐりと頭を撫でてくれる手を受け入れながら、イルカの体を抱きしめて力を抜く。
重いと文句を言われたけど、その声は弾んでいて、許されていると確信できた。


イルカのお日様と土の匂いを含んだ香りを胸いっぱいに吸い込んで、イルカの胸に頬を押し付ける。
あぁ、このまま二人で一緒に眠りたいな。
今日はとてもいい天気で、畑の土は温かくて、風は少し冷たいけど、この陽気ならばちょうどいいくらいだ。イルカの体温も温かいし、とっても心安らぐ。


オレの反応が鈍くなったことに気付いたのか、イルカの手の動きが優しいものに変わる。オレが猫だったらゴロゴロいっちゃいそうだ。
あまりの気持ちよさに目を閉じて、イルカの心音を聞く。
始めは早鐘のように早かったのに、今では落ち着いた音をしている。
イルカを抱きしめていたいのに、腕や指に力が入らなくて、地面へと落ちてしまう。このままだ落ちるかもと思っていれば、イルカが小さく笑って、オレの背中に腕を回してくれた。そして、独り言のように話し出した。


「カカシさん、お疲れ様です。俺、カカシさんが高ランク任務を急いで終わらせているの知ってるんですよ。任務直後なのに俺の手伝いしてくれるのも、知ってるんです」
夢現でイルカの声を聞きながら、内心しまったなぁと肝を冷やした。これではイルカが気を遣ってしまう。負担がかかるからもう来なくていいと言われたらどうしよう。自分の意志で手伝いたいだけだから、来るななんて言って欲しくない。
半ば眠りに落ちた体では音さえ出ず、ましてや指一本も動かない。
嫌だと一心に思っていれば、イルカの体がわずかに動いて、オレの顔に影が差す。すると、イルカの苦笑じみた笑い声が響いた。
「そんなに悲しそうな顔しないで下さい。俺、カカシさんを追い払うような真似しないというか、できませんよ。随分助かってますし、俺はカカシさんと一緒に過ごせて楽しいですから」
イルカの言葉にホッとした。イルカはなおも小さく笑いながら、言葉を続ける。
「今まで言う機会を逃してたんですが、俺が野菜を作るのには理由があるんです」


そうしてイルカは語る。
うみの家の男子の伝統なのだと。二十歳になる年を節目に、今までお世話になった者たちを呼んで、自分が作った野菜と捕ってきた獲物で料理を作り、それをふるまうのだと。
サプライズも兼ねているから、このことは誰にも言っていない。カカシだから話したと、イルカは締めくくった。


「カカシだから」だなんて、何て良い響きなのだろう。イルカの懐に入れたような、一番近くにいることを許してくれたような。
今すぐ起き上がって言いたい。
イルカだから、畑を貸したんだ。イルカだから手伝いたくなった、イルカだから時間が許す限り側にいたいと思った、と。
だが、生憎声は出てくれない。それが少し悔しくて、つまらなくていじけていると、イルカは囁くように言った。


「カカシさん来てくれますか? 任務が入ったら無理ですけど、もし、可能だったら」
ナスが実っていたら特別にカカシだけの料理を作るからと、どれだけイルカは喜ばせることを言ってくれるのだろう。
絶対行くよ、絶対行く。イルカの招待だもの、何があっても行ってみせる。
なけなしの根性を振り絞って、抱き着いた腕に力を込めれば、イルカは察してくれたらしい。
「ありがとうございます」と小さく笑ってくれた。







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イルカ先生誕生日、前振り小説。
……またの名をペーパーボツ作品。……ペーパーは文字数制限があって辛い…orz








はたけ