「カカシさーん、すっげぇいっぱいいますよー!」
だだっ広い水面を覗き込んだ後、後ろにいるカカシさんに向かって大きく手を振った。カカシさんは穏やかな顔に笑みを浮かべ、落っこちないでよと子供に言うようなことを言ってくる。
落ちる訳ないと些か仏頂面で言おうとした直前、一際大きな波が押し寄せ、俺が立っていた岩肌にぶつかり頭から水しぶきを被ってしまった。海独特の磯の匂いと肌にまとわりつく海水とその味に、うぇっと舌を出せば、カカシさんが大笑いした。
俺とカカシさんは今、海にやって来ている。
うみの家の伝統に、二十歳の誕生日に、日頃お世話になった方々を集めて、己で作った作物と捕った獲物で料理を作り振る舞い、感謝をする会がある。その準備のために、今日は獲物であるところの海産物を捕りに来たのだ。
木の葉の里は内陸に位置しているため、珍しい海の物で料理を作ったら喜ばれるかなと一瞬は思ったものの、忍びの足でも往復六日はかかる旅程に端から諦め、山に住む猪や野兎を狩ろうと思っていた俺に、カカシさんが思わぬお誘いをしてくれた。
「今、時空間転移の術の練習しててね。せっかくだから海に行こうかと思ってんの。イルカも一緒にどう?」
などと、願ったり叶ったなりのことを言ってくれたのだ。
誕生日を二日前に控えた本日、俺はいっぱい取るぞとやる気満々で海に挑んでいた。
濡れたならもういいやとばかりに、俺はその場で身に着けていた服を脱ぎ捨てる。後ろから慌てる声が聞こえたが、俺は親指を立てて振り返った。
「海パン着用済ですっ。大物ゲットしてきますね!」
カカシさん、どんな魚が好きですか?と、魚の種類を知らない癖に俺は無責任にも尋ねる。
カカシさんは慌てていたのに何故かがっかり感を漂わせながら、そうねぇと腕を組んで考え始めた。
「秋刀魚が好きなんだけど、次期外れだし、十五mは潜らないと取れないかーらね」
ほう。カカシさんは秋刀魚が好きなのか。木の葉では冷凍秋刀魚しかほぼ手に入らないが、うまいと思う。七輪で焼いて、かぼすと大根おろしの薬味を用意し、しょう油で食べる秋刀魚は絶品だ。
少し焦げた皮目にしょう油を垂らす瞬間を思い出しよだれが出そうになる。カカシさんは俺が何を考えているのか気付いたのか、腹を抱えていた。
カカシさんは、アスマ兄ちゃんの紹介とはいえ、初対面の俺に畑を貸してくれるばかりか、無償で手伝ってもくれる。おまけに差し入れもくれる、忍びとは到底思えないほどいい人だ。そして容貌も素晴らしく整っている。
初対面時、玄関先で会った時は、顔半分を口布で隠していたけど、俺を居間に案内した時には口布を下ろし、その美しい顔立ちを曝け出していた。
整った鼻筋に、薄い唇。肌は透き通るように白くて、髪で隠れていない右目は灰青色だった。全体的に薄い色素をまとうカカシさんは、ひどく儚げに見えて、心臓がきゅっと締め付けられた。
話をしてみると、気さくなばかりか大変素直な人で、まるで子供のような無邪気さを持っていた。
アスマ兄ちゃんの知り合いだからきっと化け物並みに強い人だろうけど、この性格ではすぐ騙されて良いように使われてしまうに違いない。でも、騙されたことを知っても、いいよ、オレだけ馬鹿を見ただけならいいとすぐに許しちゃうんだ。それで気を付ければいいのに、再び自分だけ痛い目に遭って、それでもいいと笑っちゃって、何度も何度も痛い目を見て、それでも儚げな笑みを浮かべているに違いない。
今までのカカシさんの生き方が手に取るように想像できてしまって、俺はつい心配になって口を出してみた。すると、カカシさんは俺の言葉に嬉しそうに大笑いするばかりで、ちっとも自分自身を省みてはくれなかった。
ここにきて、俺はカカシさんのことを放っておけない人だと認識した。カカシさんは自分を大切にしない人なのだ。
こんなに優しくて、可愛い人が傷つくなんて絶対おかしい。そんな道理は通ってはいけないと、義憤に駆られ、カカシさんが悲しむことがないように、何かあったらすぐに駆けつけて何かをしてあげたいと痛烈に思った。
アスマ兄ちゃんの前情報では、のらりくらりした訳分からん野良犬みたいな奴と聞いていただけあって、実際のカカシさんと会って、その情報のひどさにむかっ腹が立って仕方なかった。
無論、紹介してくれたことは有難いがアスマ兄ちゃんの考えはひどすぎると文句を言ったところ、アスマ兄ちゃんは何故か非常にまずいものを食ったような顔を見せた。早まったかと深刻な顔でぶつぶつ言っていたが、カカシさんに対しての認識を改めるように必死でお願いすれば、一応首を縦に振ったのでいいとする。そのときのアスマ兄ちゃんの目は淀んでいたのが気がかりだったが。
準備体操をして、俺は海に入る準備をする。カカシさんは準備体操をする俺を眩しそうに見つめていた。
そこで、あ、と思い出す。
海が見えた瞬間、思わず荷物を放って駆け付けたため、波飛沫に濡れずに済んだ。
俺の荷物なんて置いておけばいいのに、律儀に荷物を担いできてくれたカカシさんに礼を言いつつ、俺はリュックの中に入れていた帽子を取り出し、カカシさんの頭に被せる。
「? 何?」
きょとんと何をされたのか分からず、不思議な顔をするカカシさんが可愛い。
俺はにしゃりと笑って、日差しが当たらないように帽子を調節する。
「カカシさん、肌白いからきっと日に焼けると思って。職場の人に聞いて、お勧めの日焼け止めも持ってきたので使って下さい」
リュックからビニル袋に入れていた日焼け止めを取り出し、ハイと押し付ける。
カカシさんは驚いたような顔をして、その後に泣きそうな顔になる。嫌だったのかと一瞬顔が青ざめかけたが、カカシさんはビニル袋を受け取って顔を俯けた。
「……ありがと」
小さな小さな声が聞こえてきて、俺は嬉しくなって鼻の下を擦る。良かった、喜んでくれたみたいだ。
「じゃ、カカシさん、俺、いっちょやってきます! カカシさんはゆっくり過ごしててくださいね」
帽子の両端をつまんで笑ったカカシさんに手を振る。
リュックから組み立て式の銛を取り出し、腰には仕留めた獲物を入れる袋をつけた。初の素潜り漁だがいっぱい取るぞ!
まだ海で泳ぐには寒い季節だが、気合を入れて俺は海の中へと飛び込んだ。
初めての海は今まで経験したことがないことでいっぱいだった。
プールでは絶対味わえない生きた流れに、肌と目を刺激する海水、海底に岩場や藻があって、そこに住む生き物の顔ぶれが違うこと、海中は比較的穏やかなのに、海から顔を出すと波が押し寄せてきて、結構辛いこと。でも、すごく楽しい。
時間を忘れて取ること数時間。腰につけた袋が少々重くなったのを機に、海から顔を出す。するとそこは、島影さえも見えない海のど真ん中に出た。
「……あれ?」
ざわりと嫌な予感が背筋を襲う。そういえば、大物を求めてどんどん進んでいったが、陸地を確認していなかった。
首を巡らし、全て、海しかない現状に血の気が引いていく。
ドキドキと鼓動が忙しくなく動くが、焦る気持ちに引きずられないように己を戒める。
ごくりと生唾を飲み込んで、己の状態を確認。少々体力的に疲れているが、まだまだ元気。チャクラだってほとんど使っていないからまだ余裕はある。だが、一番心配なのは体が冷えていることだ。チャクラを体温維持に努めるとして、他に何をするべきか。
目を凝らしても陸は見えない。
忍びの目で見えないとなると、かなり遠くに流されてしまったことだけは分かる。闇雲に泳げばその分危険も増すと、どうにかしたいと動き出そうとする体を押しとどめ、この場で待つことを選択する。
幸い俺は一人でここに来ているのではない。岸にはカカシさんがいる。
帽子を被った、はにかんだカカシさんを思い出して、心が温かくなるのと同時に寂しさが襲う。
「……カカシさん」
寂しさを紛らわせるために小さく名を呼べば、真後ろから返事が返ってきた。
「はーい」
驚いて振り返れば、海面に座り込んで俺を見ているカカシさんがいる。思わぬことに絶句していれば、カカシさんは首を傾げて尋ねてきた。
「そろそろお昼にしない?」
穏やかな口調で誘うカカシさんに、ひどく安堵した。
一日や二日は待つ覚悟だったからその反動はひどくて思わず顔が歪んでしまう。
「……え?」
動揺した声が降ってきたが、俺はちょっと我慢できずに少し泣いてしまった。
「す、すいません。カカシさんの顔見たらホッとしちゃって。気が緩みました」
初めての海は、思ったより俺を不安にさせていたらしい。
情けねぇと鼻を啜り、顔を上げれば、カカシさんが手を差し伸べてきた。
「オレも一言言えば良かったーね。海って知らないうちに流されちゃうもんなの。イルカが泳ぐ姿がとっても綺麗でね。沖に向かっていくの分かったんだけど、欲が出ちゃって言いそびれた」
ごめんねと何故かカカシさんが謝ってきて、俺は焦る。
「そ、そんな! 俺が陸の確認をし忘れただけですよ。危うく遭難しかけたんです。カカシさんがいてくれて本当に良かったです。ありがとうございます」
カカシさんの手を借りて、チャクラを使って海面に立つ。
本当に感謝していると笑えば、カカシさんは何故かひどく辛そうな顔をして、俺の体を抱きしめてきた。
カカシさんを濡らすのが忍びなくて体を引こうとすれば、それよりも早く腕の中に囲われてしまう。
べちゃりとカカシさんの服を濡らす感触を覚えて、申し訳なくなった。
「カカシさんも濡れちまいましたよ」
気持ち悪いでしょうにと苦笑気味に言えば、カカシさんは首を振る。
「全然そんなの思わない。……それより、もう少しこのままでいさせて」
カカシさんの言葉に疑問符が過ぎる。
どうしたんですかと尋ねれば、カカシさんは隙間ができないほど抱きしめてきた。
縋りつくようなそれが不思議で、でも放っておけなくて背中を擦る。
しばらくそうしているうちに落ち着いたのか、カカシさんは小さく息を吐くと腕を解いた。
見えたカカシさんの顔はひどく痛々しげで、それを隠すように無理に笑っていて胸が詰まった。思わず大丈夫ですかと聞こうとした俺に、カカシさんは信じられないことを言ってきた。
「あのね…。イルカが泳いでる姿が綺麗って言ったのは本当。もっといっぱい泳いでもらいたくてもっと広い場所で泳ぐ姿も見たくて、注意しないでついて行ってたのも事実。でもね、でも、このままイルカがどこかへ行っちゃうんじゃないかって、このまま戻ってこないんじゃないかと思っちゃったんだ」
灰青色の瞳が揺れる。
カカシさんはひどく悲しそうで、でもどこか達観した様子で、俺の頬に手を当てた。
冷えた体にはカカシさんの体温は気持ちよくて、思わず目を細めて擦り付けてしまう。
カカシさんはそんな俺を見て目を細め、続けた。
「だから…。オレ、このまま上がらなかったら、無理やりイルカを海から引きずり出していたと思う。イルカの意志なんて聞かないで、無理やり陸に帰そうとした。ねぇ、イルカ。そんなオレは恐いと思う? アンタにとってオレは恐い存在?」
突拍子のない問いに思わず目が見開く。
カカシさんは俺の反応に傷ついた顔を見せた。そのまま手を離そうとするカカシさんの手をひっつかみ、無理やり頬に押し当て、逃がさないように両手で閉じ込めてやった。カカシさんは少し驚いたように目を丸くしている。
「恐くないです。それより、俺はカカシさんの方が心配です。あんた、自分がどれだけ儚い空気持ってるか知らないでしょう? 今だって、俺、消えちまわないかドキドキしてるんですからねっ」
手の中にあるカカシさんの手を握りしめれば、小さく震えを返してきた。
カカシさんの顔が泣きそうに心細くなるから、俺は一度濡れたならいいかとばかりにカカシさんの首に手を当て引き寄せると、額を当てた。
「それに何を心配してるのか分からないですけど、俺は海に住む生き物じゃなくて、木の葉に生きる生き物です。姓はうみのだけど、陸の生き物ですよ。カカシさんが俺を連れて帰ってくれるなら願ったり叶ったりですって」
ね、とぐりぐり額を押し当てれば、カカシさんは小さく頷き返してくる。
「カカシさん。俺、カカシさんの顔見てホッとしたんですよ。それに嬉しかった。だから引きずり出さなくても、カカシさんが呼びかけてくれたら、俺、顔出してましたよ。声一つで、俺は陸に帰ってました」
今回は遭難というシビアな面に立たされていたが、遊びに来ててもカカシさんが呼んでくれれば、真っ先に反応しただろう。
そう言えば、カカシさんは小さく笑い出した。
訳を聞けば、昔任務で行った島で、とある老人が海に向かって口笛を鳴らすと顔を出す一頭の生き物がいたという。その生物が俺と同じイルカという名前だということを思い出して笑ったらしい。
イルカという生き物がどういうものか知らないが、少し面白くなくてぶーたれていたら、カカシさんは俺の首筋に顔を擦り付けてきた。
「……その老人が海に漁に出て帰らなくって、数日後に浜へ遺体があがったの」
突然の話に息を飲む。
カカシさんは構わずに話を続けた。
海に晒され続けたせいか、老人は生前の面影がないほどに崩れていた。だが、その島の住民が老人だと確信したのはその傍らで、息絶えているイルカを見たからだ。
サメにやられたのだろう。痛々しいほど傷つけられていたイルカだったが、その口には老人の手がしっかりと咥えられていた。
たぶん、海に落ちた老人がサメに襲われているのを見たイルカが、助けるために老人を咥えてここまでやって来て力尽きたのだろうと村の人は語った。老人の体にはサメに噛まれただろう傷が残っていたから。
「……あれを見た時、羨ましいと思ったんだ。老人に寄せた強い気持ちを持つイルカに、イルカにそう思わせた老人のことが羨ましくて……」
声を詰まらせるカカシさんに、俺は寄り添うように身を寄せた。
カカシさんは言う。
悲しそうに、それでもどこか夢を見るように。
「そんな風にイルカといたいと思うオレは、身の程知らずなのかな?」
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イルカ先生誕生日、前振り小説第二段。
……26日に間に合うかしら…。(遠い目)
そして、画像が明らかに川。……海として見ていただきたい…!!
うみ