けものびと 5



ほうっとうっとりとしたため息を吐きながら、カカシは自分の仕事机で物思いに耽っていた。



脳裏にあるのは、カカシの天使の姿だ。
黒い艶々とした髪に、意志の強さを感じる雄々しい瞳。一見、鋭いとも評されそうな瞳だが、いろんな感情を宿してきらきらと輝き、大きく目を見開いたり、呆れたように半目になったりと表情を変える様は、愛らしくて堪らない部分でもある。
顔立ちは顎ががっしりとしていて、いかにも元気よさげだ。
その元気さを表すように、少し低めの鼻の真ん中を横切るように一文字の傷が入っているが、他の皮膚とは少し色の違うそれは、感情が高ぶるとうっすらと色づき、カカシを堪らなくさせる。
初めてカカシの家に招いた時はピンクの愛らしい衣装に身を包んでいたのに、家に来た途端、カカシの服を所望し、それ以来、カカシがこれぞと選んだ服は頑として着てくれなかったが、カカシの匂いがついたものを望む天使のいじらしい要求に、カカシはキュン死するかと思った。



天使が来てから、早一か月経とうとしているが、天使と過ごせば過ごすほど、天使のことが好きになっていく自分が分かる。
今も一人ぼっちでカカシの帰りを待つ天使がいると思うと泣けてくる。叶うなら今すぐ仕事を放って帰りたいのだが、そうもいかない理由があった。



「……テメェ。まーた天使のこと考えてやがんのか。鬱陶しいから泣くんじゃねぇよ」
煙草をくわえ、こちらにやってきた熊に、カカシは染み出る涙を押さえながらほっといてよと八つ当たり気味に返す。
「オ、オレの天使が、一人寂しくオレを待っていると思うと、胸が痛くて仕方ないんだーよ! こんな繊細な心、髭熊なアスマには分からないのよ!!」
オレの天使とべそべそと本格的に鳴き始めたカカシに、熊のアスマは鼻を鳴らして追加の書類を机に投げる。
「その天使がお前に言ったんだろうが。『仕事はきっちりやれ』ってな」
言ったというのは少々語弊があるが、カカシのところにいる天使とやらは大層出来たヒトのようで、仕事着に着替え、マンションから出たカカシが天使恋しさでものの数分で帰ってきたことから何かを察し、身振り手振りでカカシの行動の訳を聞き、あらかた理解するなり激怒したらしい。
そのヒトは、今日会社休むと駄々をこねるカカシに一発食らわし、マンションから叩き出して、仕事へ送り出したという。



顔を微かに腫らし、べそべそと泣きながら会社にきたカカシの姿を目にした時には、社員一同驚いたものだ。
虚飾ではなく会社に激震が走った。
あの、クールで誰にも弱みを見せず、周りの者たちとも慣れ合わず、それだというのに圧倒的なカリスマを発揮して部下を指揮し、数々の仕事を成功に導いた出来る男のカカシが、小さな子供のようにべそべそと人目を憚らず泣いている。
終いには、カカシと同僚で腐れ縁な悪友でもあるアスマに、上司が訳を聞いて来いとせっつかれ、要領を得ないカカシの言葉を?み砕き、ようやく真相にたどり着いた時には思わず頭を抱えてしまった。
出てくる言葉は全て天使の事柄のみ。
うっとりと目を潤ませ、乞うるように切ないため息を吐き、いかに天使が素晴らしいかを熱弁するカカシの姿はまさに恋する男だった。
そして、アスマは知る。
その熱弁の裏側に隠された、確かな肉欲と独占欲。そして執着心を。
これはもう決まりだ。



曰く、カカシに番が出来た、と。
しかも、相手は食肉用か又はペットとして扱われるヒト。おまけにオス。



カカシの番候補に名乗りを挙げていた、会社の女たちがまた騒ぐな面倒くせぇとため息を吐きながら、アスマは一波乱呼びそうな事実を隠すことに決め、上司にはこう告げた。
『最近になって飼い始めたペットが可愛くてならないらしく、一人にさせることがつらく、心配で泣いているのだ』と。
幸か不幸か、カカシはそのヒトが自分の番だということに気付いていないので、アスマの発言は問題になるまい。
自分ことなのに全く無頓着なカカシをらしいとは思うが、狼族としてそれは如何なものかとアスマは首を捻る。
狼族の番に対する執着と独占欲は他に類を見ないほどに凄まじいものだ。
専門家や狼族自身が言うには、番は見れば分かるというのが定説だ。言葉には出来ない何かが走り、それを求めずにはいられなくなるそうだ。
そして、自覚する。
これが自分の番だと。



アスマの言葉に、ひんひん泣きながら真面目に仕事をし始めたカカシを眺め、小さく吐息をついた。
こいつならばそれも仕方ないのかもしれねぇ。
公には隠された事実だが、カカシの生い立ちには秘密がある。その秘密が、カカシの狼族としての不完全さの表れなのかもしれない。



お前も大変だなぁと珍しくカカシをねぎらう気持ちが生まれた時、会社のチャイムが鳴った。
昼休憩を告げるそれを受け、今まで机に噛り付いていた面々が腰を上げ、それぞれ好き勝手に移動し始める。
カカシも例外ではないようで、パソコンに打ち込んでいた手を止めると、いそいそとカバンの中から何かを取り出した。
「ん? 珍しいな。弁当か、お前」
ストライプ柄の包みを取り出したそれに、アスマが驚く。
カカシは偏食で有名であり、もっぱら缶詰とそれでは補えない栄養をカプセルで摂取していた。
飲み会でも一口二口料理に口をつけるだけで、それ以降は酒か水ばかり飲む。しかも、傍から見て食欲が減退しそうなほどつまらなそうに飲み食いする姿から、アスマは故意に飲み会ではカカシを避けていた。
「ん。そーなのー。天使が作ってくれたお弁当だーよぉ。しかもお味噌汁とお茶までつけてくれるんだよ。なんで天使はこんなにも気が利いてて可愛くて優しくて愛に溢れてるんだろうねー」
あ、オレの天使だから当然か、きゃっと、自分で言ったことに照れて顔を隠すカカシに生ぬるい目を向ける。
「ふーん。そんじゃ、一緒に食うか? おめぇが一体何が食べてるのか気になるんでな」
密封してあるとはいえ匂いのきついそれが気になり誘えば、カカシは顔を輝かせた。
「いーよぉ! じゃ、アスマちゃん、屋上行こうか」
るんとスキップしそうなカカシと、とんでもない呼称付のそれに毛を逆立てながら、自分も席に寄り愛妻弁当を取ると屋上へ向かう。
まさかカカシと一緒に弁当を食う日がやってくるとは思いもしなかった。



毛が乱れると身だしなみに気を遣う女性や、もっぱら外食が主な独身男性には用向きのない屋上は、今日も乾いた風が吹きすさび閑散としていた。
コンクリートがむき出しになっているそれに気にも留めず、カカシは己の指定場所と定めている場所へさっさと足を向けている。
何の気なしについて行ってみれば、屋上の端。そこに何かが建ってあった。
あんなものがあったかと疑問に思いながらも近付けば、小さな簡易プレハブ小屋だった。そして、カカシは大して疑問もないように、そのプレハブ小屋の戸に鍵を差し込み、中へと入る。



「な! おま!」
何だこれはとあらかた予想はついているが、非難を込めて叫べば、カカシはおっとりと言った。
「ん~。作ったんだーよ。前にさ、A会社のプラン成功させたじゃない。その褒賞をまだもらってなかったから、これにしたの」
ボーナスより現物がいいと豪語し、その現物も欲しいものが出来たら言うという無茶ぶりをかましていたカカシの記憶がある。
それがこれかと、プレハブながら、きっちりとガラス戸や、扉、簡易炊事場やトイレがついているそれに呆れるやら感心するやらしていると、カカシは備え付けてある机に弁当を置いた。そして、真正面に座ろうとしたアスマに気付き、くいっと顎を横に振る。



「アスマ、そこは駄目。席移動させてよーね。オレの天使が見えないでショ」
ぎょっとして後ろを振り向けば、カカシの言葉が辛うじて理解できた。
アスマの背中側の方向には、カカシが住む億マンションである阿保らしいほどに高い建物がある。
まさか見えるのかと、鷲族にも見るのが難しい距離のそれに慄いていれば、カカシはうっとりとした顔で微笑んだ。
「オレの天使。今から食べるからね。いつもありがとう」
ちゅっとマンションがある方角へ投げキッスを送るカカシに、本日何度目かの薄ら寒さを覚えつつ、アスマは言われた通りカカシの正面を避けて座った。



「#%&……#$?」
弁当の包みを開け、蓋が締まっている弁当を前に、カカシは両手を合わせて、呪文のような何かを呟く。
後半疑問符がついてそうなそれが気味が悪くて視線を向ければ、カカシは尻尾を振り回しながら照れて見せる。
「オレの天使が食事前にいっつもこう言うの!! ちゃんとまだ言えないんだけど、いずれ言えるようにするつもりだーよ!!」
きっと言ったら驚くだろうなぁ、つか、素敵って褒めてくれるかもと、でれでれとし始めたカカシに、はいはいと軽くあしらいつつ、アスマも自分の妻、狐族の紅が作ってくれた弁当を開ける。
熊族であるアスマの大好物の紅鮭を丸まる一匹入れてある豪快な昼飯だ。
弁当の大きさからして到底入りきらないそれを、無理に詰め込んだところに紅の愛情が窺えて、アスマは一人嬉しさを噛みしめる。
ありがとうな、紅と自分の愛する妻に礼を言いつつ、食べようとしたところで、鼻に異臭が突き刺さった。



「っっっ!??!?!?」
嗅いだことのない強烈な臭いに溜まらず窓を開け放つ。
「もぅ、何なのよー。寒いでショー?」
この臭いが分からないのか、元凶であろうカカシはしれっとアスマに文句を言ってきた。
一体何をしやがったと涙目で振り返れば、異臭の元が目に飛び込んできた。
白い飯と、やたらと調味料が使われているおかず。
その中でひときわ異臭を放つ糸の引いた豆を目撃した。



「っ、な、なんだその不気味な物体は」
鼻を抓み、頬を引きつらせて尋ねれば、瞬時にカカシの気配が尖った。
「……たとえアスマであろうと、オレの天使が丹精込めて作った物を貶すなら容赦しないよ」
ぎらりとこちらを睨み付けた瞳は理性のネジが一、二本はとれていた。
刺激するのはまずいと、アスマは素直に謝り言い訳を口にする。
「す、すまんな。初めて見るもんだから、驚いちまったんだよ。……つぅか、なんだそれ。糸引いてるのが普通なのか?」
腐ってるんじゃと言いたかったが、カカシの逆鱗に触れることを避けるために言葉を変える。
アスマの謝罪を受ける気になったのか、カカシは尖っていた気配を再びだらしなく緩ませると、にまにまと笑いだす。
「んー。だよねぇ。見たことないよねー。これもね、天使が作ってくれたのぉー、オレの天使がぁ」
うねうねと体を揺らすカカシが言ったことをまとめればこうなる。



ある時、課長が会社の取引先で大豆業者から大豆を大量にもらった。それが部署内で配られ、カカシも受け取った。対処に困りつつ、家に持ち帰り、天使にいるかと渡せば、天使はそれはそれは可愛い笑顔を見せて喜び、数週間後に出てきたのがコレだという。



「ま、始めは、さ。糸引いているし、臭いもひどいし、オレ、天使に嫌われちゃったのかってすごく落ち込んだんだけど、天使が毎朝毎朝すごくいい顔してこれ食べてるんだよ。それ見て、あ、違う。むしろ天使はオレにこれを食べさせてあげようと思って作ってくれたんだって気付いてから生大豆を積極的に買って帰って、作ってもらって食べるようにしてるのっ! そしたら、なんか癖になっちゃって!!」
始めは垂れていた尻尾が後半部分に向けて立ち上がり、高速で回転するように振り回されている。
小さな専用器を入れてもらい、その中でぐるぐるとかき混ぜ、白い糸が引くほどに混ぜるカカシを見て、鼻が慣れたこともありアスマも食事を再開する。
糸が引くそれとご飯を一緒に食べたり、箸に糸が引いたままおかずを食べるため、何というか、カカシの食事は見た目には非常に汚く見えた。
けれど、きらきらと光り輝く目は大好物を目の前にしたような有様で、食事時のあのくそまずそうな顔をしていたカカシと重ならない。
気を抜けばどこかへ行ってしまいそうな、そのまま消えてしまいそうな影を背負っていたカカシにしては上出来だ。
食は生きることそのものに直結している。ましてやアスマたち獣人は獣として性が強い分、食に興味を無くすことはすなわち生きられないということでもある。



初めて会った時の暗く陰った瞳を思い出す。
何も覚えていない癖に、絶望の淵を覗いてきたと語る色違い双眸と、過酷な環境下にいたであろうことが窺える痩せているくせに鍛えられた体。
時折、何か鬱憤を晴らすように暴れていた野生の狼は、時が経つにつれ大人しくなり、それと同時に無気力になっていった。
食も、酒も、女も、仕事も。
全て思い通りになる癖に、手に入れるごとに感情が乏しくなっていったカカシは、見ていて怖かった。
養い親であるミナト一家でさえ、カカシのそれを救うことはできなかったのに、カカシが自ら買ったペットであるヒトが苦も無くやってのけるとは、人生何が起きるか分からない。



「……お前の天使、大事にしてやれよ」
アスマの呟きに対して、カカシは晴れやかな笑顔を向けて頷いてくる。
「当たり前でショ! 何たってオレの天使なんだからぁ」
そのあまりに腑抜けた笑みは、今まで心配していた身として少し腹ただしくなって、本気で頭を叩いてしまったことは仕方ないことだろう。何せ、ミナト一家はもちろん、悪友のアスマもそれなりに迷惑を掛けられたのだから。
突然叩かれたカカシは、何すんの、ひどい、悪魔、熊! ときゃんきゃん吠えてきたが、アスマは気を取り直して紅の弁当を食べる。
出会ってから随分と長い付き合いになるアスマとしては、ようやく肩の荷が下りた気分だった。









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木の葉の里の住人と獣人が住む世界はパラレルワールド的なものです。
ミナト先生も、クシナさんも、ナルトもいるよ!! ご存命だよ!!