けものびと 6






「ふぅ、何とかこの生活にも慣れたな」


何故か毎朝、仕事に行きたくないと駄々をこねる狼人に朝飯を食わせ、スーツに着替えさせ、歯を磨かせてからカバンと一緒に玄関から追い出すルーチンワークをイルカはこなしている。
今日とて、駄々をこねてきゅんきゅん情けなく狼を容赦なく蹴りだして追い出した。
何故なら、彼はイルカの生活費を稼ぐ唯一の相手なのだから。



「……まぁ、仕事やってんのに行かないっていうふざけた考えは滅殺されるべきだしな」
両親を亡くして以降、一人で生きてきたイルカにとって、働く=生きることに他ならない。
もしかしたら忍びという生き方が特殊なのかもしれないが、それでも働くことは必要だと思う。
ちなみに狼人に買われ、ペット?として暮らすようになったイルカは、イルカが知るペットの扱いに甘んじることは到底できず、進んで家事をこなしている。



住み始めて二、三日目は大変だったとイルカは思い返す。
二日目は狼人は休みだったらしく、スーツではなくラフな服装でくつろいでいた。そして何故かイルカを片時も離そうとはしなかった。
始めこそ様子見もかねて大人しくしていたイルカだったが、それが昼時分になり、夕方の頃になるともう限界だった。
曰く、何もしねぇで一日が終わっちまうじゃねぇか!! と。
せっかく外はいい天気だったのに、洗濯をするわけでもなく、冷蔵庫が空(それとなく前日確認した)なのにも関わらず買い物に行く訳でもなく、朝、昼も食べず、夜までも飯抜きにするとは一体どんな生活を送っているのだ。
イルカは鬱憤をぶつけた。
身振り手振りで、後夕飯の食材を買ってきてもらいたくてメモ用紙に絵を描いて渡した。
忍びの心得の一つとして、そこそこ絵は描ける。それで何とか意思疎通をして、狼人を部屋から追い出し、イルカは掃除をすることにした。
二足歩行して服をきているとはいえ、さすが狼。抜け毛の量が半端ない。
お高い絨毯にも、ソファにも、幅広い床や廊下に毛玉や、いつ抜けたと驚くほど筆先になりそうな毛が落ちていた。
一日放っとくだけでこの有様なら、掃除は必須だ。イルカには動物に対してアレルギーはないが、毛だらけの中にいればいずれ発症するやもしれぬ。
引き出しという引き出しを開け、掃除道具を確保し、手早く掃除した。ついでに風呂掃除もして、湯も溜める。そのときになって、入浴剤を買ってきてもらえれば良かったと、二日目にして図々しくなっていたが、イルカはそのことに気付いていなかった。
イルカも掃除のプロではないので、己の判断基準でそこそこだと思える程度で掃除をし終えた頃、狼人が買い物から帰ってきた。
しかもそこで、頼んだ物とは別に、再び女性が着る衣装を買ってきたことでイルカは狼人を怒ってしまうのだがその内容は割愛する。
そこから食事を作るイルカと、その周辺をうろうろして邪魔するなとイルカに怒られ、狼人は落ち込んだりもしたが、共にご飯と風呂に入り、やたらとでかい寝台に二人で寝た。



その翌日、三日目。
基本、早寝早起きのイルカが目を覚ませば、狼人はすでに起きていて、何やらそわそわとしている。
その目はイルカとスーツがずらりと掛かている大きな衣装クローゼットを行き交っており、そんな狼人の様子にイルカはピンと来た。
イルカが買われた日、狼人はスーツを着ていた。しかもお高いカバンと時計も身に着けていた。つまり、これは火の国で言うところのどこかの会社に半永久的に雇われ働いている、サラリーマンという職種の者だと。
理解してからイルカの行動は早かった。
昨日買ってきてもらった食材で朝食を作り、ご飯食べるぞーっと共に食べて、食べ終えると同時に身だしなみを整えさせ、スーツを着ろと強要した。
狼人は何やらひどく葛藤していたが、イルカはまさか仕事の時間が迫っているのかと不安に駆られ、追い立てるように部屋から外へと追い出した。
追い出し、我ながら善行を働いたと満足していのだが、その数分後、追い出したはずの狼人がなぜか部屋に戻って来てしまった。
もしかして、イルカの早とちりだったかと一瞬顔を赤らめてしまったものの、狼人を窺えばどうも様子がおかしい。
耳をぺたりと下に向け、イルカの腰にしがみついて何やら必死に訴えている。
雲行きがおかしいと思いつつも、狼人の言い分を手振り身振りから察し、理解したところで頭に拳骨を落とした。
こともあろうか、この狼人。イルカを一人にするのが不安だから仕事休むと訴えてきたのだ。
頭を殴られきゅんきゅんと鳴く狼人に向かって、イルカは仕事をしてこいと鬼の形相で拳を見せた。イルカの本気を察し、狼人はきゅんきゅん言いながら肩を落として廊下に出ると、一歩進むと振り返り、二歩進むと振り返りと大層哀れな様子を見せてきたがイルカはさっさと行けと威嚇した。
その騒動で早二時間近くは経過しており、イルカはとんだ疲労を覚えたのだった。



それも本日で一か月目。
この部屋にも慣れ、狼人以上にこの部屋に何がどこに置いてあるか把握しているイルカである。
狼人に面倒をみられるはずのペット待遇が、いまではイルカが狼人の面倒をみている。だが、衣食住の金を全て出してもらっているので、立場として対等な感じだ。
……狼人が一般のペットらしくないイルカのことをどう思っているのか、本音のところは分からない。
今では昼に弁当を持って行かせ、節約という面ではかなりイルカは役に立っている働きをしているはずだ。何故か、始めこそ苦手だったはずの、イルカお手製納豆を入れてくれという(昼、しかも弁当に納豆入れるって訳分かんねぇ。納豆は朝食べてこそだろ。イルカ談)謎なリクエストをもらうが。



「……さて、生活環境も整えたし、そろそろ情報収集に行くか」
一か月間狼人と暮らして、その性格と生活パターンを掴んだ。
どうやらこの狼人は温厚な性質であるらしく、イルカを無体に扱うこともなければ、狼の本性を見せることもない。しかも、イルカのことを本気で信じており、懐深くに入れている。
忍びとは違う、ましてや人種も違う。おまけに火の国の一般人じみたその生活態度は、これからのことを考えると気が進まない。だが、イルカは忍びだ。
木の葉の里に命を捧げた身ならばこそ、こうして五体満足で生きているならば里に帰らなければならない。
「……よくしてくれて有り難いんだけどな。そんなに信じてくれるなよ」
必ず来る別れを思い、少し胸が痛む。



「まぁ、でもそれはまだまだ先だ。さーて、どうやって安全かつ情報を仕入れるか」
狼人を送り出した後、朝のうちに掃除洗濯をすませばイルカは自由な時間を手に入れられる。
部屋には情報が仕入れられる本やテレビなどあるのだが、いかんせん、言葉が全く分からない。地図もあるにはあるのだが、起点となるここの場所が分からないため、ほとんど役に立たなかった。
「やっぱり外に出るしかねぇよなー」
テレビの電源を入れて、ぱちぱちとチャンネルを切り替えてみるが、ニュースらしきものはほとんどなくドラマが多かった。
やたらと毛並みの良い獣人が、イルカ耳では吠え声にしか聞こえない言葉を吐き、抱き合ったりいがみ合ったり、落ち込んだりしている。
華奢な体の猫人と、がっしりとした体格を持った犬人が抱き合っているので、これは恋愛ドラマなのだろうと見当づける。
こうして見ると色々な獣人がいて面白くはあるが、言葉が分からないことにストレスを感じてしまう。
「……外に出たら絵本とか買ってくれねぇかな」
あの吠え声を真似できるとは到底思えず、せめて文字はどうにかならないだろうかと考える。
テレビをつけたまま日課である鍛錬をしつつ、昼飯は何を食べようかなぁとつらつら考えていれば、かちゃりと玄関で音がした。



「おかえりなさーい」
一応ペットとしての務めとイルカが己で課している、『帰ってきたらお出迎え』を決行する。鍛錬で汗をかいたそのままの姿で玄関へ急げば、見慣れた狼人の後ろに熊がいた。
ぶわりと産毛が立つ。
反射的に狼人を守ろうと手を引っ張り背で後ろに追いやり、距離を開けたイルカに、熊は目を見開く。
その人間じみた仕草に一瞬困惑して、よくよく熊を見て、己の早とちりに気付いた。
熊は狼人と同じくスーツを着ていた。ここは獣人が住まう国だ。熊人だっていてもおかしくない。
木の葉の里では、熊は危険な獣として認識している。
野生の熊は二本足で立ち上がり、その太い腕を振るうこともあるので、完全に見間違ってしまった。



「す、すいません。この人のお客さんですね。本当にすいません」
狼人の客であろう熊人になんてことをしてしまったと、イルカは頭を下げる。
「%&$%‘|¥:@*+」
頭を下げるイルカに熊人は何か言っているのだが、ちっとも分からなかった。何を伝えたいのか知るためにじっと熊人の身振りを見ていれば、後ろから引っ張られた。
「ぬお」
背から落ちるように傾いたところで、胸に手が回り、肩口から狼人の顔がにゅっと出てくる。そのままぺろぺろと首筋やうなじを舐め始めるものだからイルカは悲鳴をあげた。
「わ、馬鹿! くすぐってぇ! やめ、止めろ、お前!! ぎゃぁ!!」
ふがふがと耳元で荒い息を吐き、イルカの静止の声を無視して長い舌を這わせてくる。興に乗ったのか、イルカの着ている服の下まで舐めようと喉元から頭を突っ込んできたところで、熊人の太い腕が狼人の頭に落ちた。



「っっっ!!!」
相当痛いだろうに、それでも狼人はイルカを抱きしめる手を離さない。
熊人はそれをどこか呆れた様子で見ながら、ため息交じりに何か言った。
「+*$%&&&%?」
「‘@#$%!! #$%? #$%&~」
熊人の言葉に狼人は突然機嫌が良くなると、イルカの体を持ち上げ居間へと進んでいく。
「え、ちょ、下ろしてくださいって。おい、ちょっと」
ぬいぐるみのように抱えられ運ばれるそれは、成人男性としてかなり恥ずかしい。
じたばたと暴れてみたが、狼人は何やら嬉しそうな鼻歌を口ずさむだけで、一向に腹に回した手は離してくれなかった。
イルカより力のある狼人と勝負する気になれず、仕方なしに力を抜けば、狼人はイルカの首筋を嬉しそうに舐めてきた。
それがくすぐったくて止めろと手で振り払うが、狼人は意に介さずイルカの首筋に鼻を埋めている。



「@*+#$%&¥#$%%&?」
後ろからついてきた熊人は狼人に何かを言う。狼人はしばらく悩んでいたが、しぶしぶといった態で、イルカをソファの上に下すと、同時にソファへ腰を下ろした熊人に何かきつく言って席を外した。
二人のやり取りを呆然と見ていると、熊人はイルカに向かって小さく息を吐くと、何か言いながら自分の首筋を叩いた。
首に何かついているのだろうかと手を這わせて、顔が歪む。
狼人が舐めた辺り、いや、狼人が懐いた辺り全体に粘っこい何かが付着していた。そこで気付く。
今朝、狼人に持たせた納豆であると。



そういえば、納豆食べた後、必ずと言っていいほど口周の毛並みに納豆の糸をくっ付けていた。
家で食べる時はイルカが拭いてやっていたが、昼飯の時は誰が拭いていたのだろう。
もしかして今日は食べるのに失敗して納豆の糸をつけまくったことで帰ってきたのだろうか。
こんなことでという思いが半分、もう半分はこれから納豆は昼飯に入れないでおこうという思いだ。
熊人はイルカが何か悟ったことに気付いたのか、言葉は少なめに身振り手振りで何やら説明してくる。



分からないなりに理解したところによると、獣人は鼻がいいため、狼人が食べていた納豆の匂いがきつく、仕事にならなかったため帰らされた、ということらしい。そして、熊人は、狼人が早く帰ったことに対する理由を告げるために共に早退した、ということだ。
そこまで知って、イルカは再度頭を抱える。
どうしようもないことで仕事を邪魔するばかりか、同僚であろう熊人にまで迷惑をかけてしまうとは。
ご迷惑をおかけしましたと熊人に対して真っ直角に頭を下げるイルカに、熊人は気にすんなと言わんばかりに手を振っている。



そのとき、胸元から煙草を取り出し咥え、鷹揚に笑う姿に既視感を覚えた。
ついマジマジと見て、不意に気付く。
似てる。イルカの兄貴分である、猿飛アスマと雰囲気といい気配といい、そっくりだ。



木の葉にいる親しい人に似た邂逅に思わず胸が震えた。
こうして見れば見るほど似ている。顎髭が生えているところは、まんま毛が生えているし、体格もそう、煙草好きなところもそう、だが一番はやはり面倒くさがり屋を装ったお人よし感がにじみ出ているところが瓜二つだった。
思わず笑顔がこぼれ出る。
何とか意思疎通は出来ないものかと、慣れないなりに自己紹介しようとしたところで、素っ頓狂な声が響いた。
驚いて顔を上げれば、湯気が立つタオルを持っている狼人が鼻に皺を寄せ、大股で近付いてきた。
「&$##$%!!」
そして、イルカを胸にかき抱くなり、熊人に向かって強い口調で吠えている。
熊人の方はと言えば、何とも面倒くさそうな表情を浮かべつつ、きゃんきゃんわめく狼人の言葉に相槌をうち、やがて腰を上げた。



「え、お帰りですか!? お茶でも!!」
あまりに早い別れに咄嗟に引き留める言葉が出る。狼人はイルカの雰囲気で何かを感じたのか、毛並みを逆立て小さくうなり声をあげた。
「#$%¥%&*+‘@」
熊人は何やらため息交じりに呟くと、にっと口の端を上げイルカへひらりと手を振って背を向けた。
そして、そのまま玄関から出て去ってしまった。



かなりがっかりしている自分に気付きながら玄関方面を見ていると、狼人はやたらと情けない声をあげて、イルカにすり寄ってきた。
「ちょ、こら。はいはい、分かった、分かったから。ほら、アンタ、綺麗になってるのにまた納豆の糸がついちまうでしょうが」
ぐいぐいと顔を擦り付ける甘えたな狼人にため息を吐いて、体を離させると、持ってきてくれたタオルで汚れた個所を拭く。ついでにイルカにすり寄って汚れたところも拭いてやれば、今まで下へと垂れ下がっていた尻尾がぶんぶんと嬉しそうに振られた。



「よし、綺麗になったぞ。んー、これからどうしようか……」
満ち足りた顔をして見つめる狼人を眺め、不意にある思いが浮かぶ。
昼飯を食ったら、夕飯の買い物に連れてってくれと言ってみようか。
ソファにお座りして、イルカの言葉を待つ狼人はどこか散歩を待っている犬のようでもある。
駄目元で身振り手振りで伝えてみれば、狼人は大きく目を見開いた後、イルカに飛びついてきた。
よく分からないがとても喜んでいることからして、一緒に外へ出ることができるようだ。

地形と情報を得られる機会を得たと、イルカはこっそりほくそ笑んだ。






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次回は外にお出かけだぞ!!