けものびと 8
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「綺麗な町だなぁ……」
目の前に広がる街を見て、イルカはつぶやく。
落ち着いた色彩の店の前の歩行者が歩く道は、色違いのタイルで舗装され、街路樹と街灯が等間隔で立っている。
その隣の大きな道は二車線で車が走っており、それを越えて反対方向に走る車がこれもまた二車線で走っていた。
木の葉ではいまだに舗装された道路は少なく、火の国の都が辛うじて舗装された道路を使っているが、ここまで見目に気を遣ってはいない。
しかも、燃える油を使った車という乗り物を、誰もが身近に利用していることが驚きだった。
木の葉の里には火影が所有している車が二台あるが、定期検査や動力源になる燃える油を確保するのになかなか大変であり、故障したら火の国まで行って、専門の技術職に修理を頼まなければならないため、車という乗り物は金持ちの道楽という認識だった。
火影さまも本当はあるだけで金を食う車を手放したく思っているようだが、火の国の重鎮や、州の大名などを接待する時などに箔付けとしてどうしても必要だと苦い顔をして言っていた。
「……獣の顔をしてるけど、同じなんだよなぁ」
脇に抱えた絵本を持ち直し、隣にいる狼人を見上げる。
狼人はイルカの視線に気づくや否や、嬉しそうに耳をぴんと上に立たせ、尻尾を振り回している。
「%&’$+*‘‘@:+&%%%?」
何度聞いても獣の唸り声にしか聞こえない声に、イルカは遠い目をする。
さきほども大きい本屋で絵本を買ってもらったが、この狼人は何だかすごく横暴なことを店員さんに行った気がする。そして、今思えば、本屋の自動で動く扉へ絵が張ってあったのだったが、あの絵には二本足で立つ丸い頭の人型が書かれてあり、その上に大きく赤くバツ印がついていた。たぶん、あれは、木の葉で言うところの、店にペットは連れて行ってはいきませんの注意絵ではなかろうか。
「……お前さ、社会のルールは守った方がいいぞ? 俺を優先してくれるのは嬉しいしありがたいけど」
狼人のイルカに対する態度は、対等関係?を前提に接してくれているのは非常に助かっている。だが、狼人にとっては不利益になること請け合いだ。
木の葉でだって、ペットを連れて飲食店などに入ったら、飼い主が軽蔑の眼で見られるのだから。
イルカの気持ちが分かったのか分からないが、狼人はきゅんきゅんいって、イルカへ擦り寄ってくる。
イルカより身長は少し高いだけだが、筋肉質の体は厚く重く、圧し掛かられればあっけなくイルカは潰れてしまう。
「あー、分かった、分かった! よしよしよしよし!!」
肩口にじゃれつく狼人の頭を豪快に撫でて宥める。
すると、狼人は先の尖った鼻先からふぅぅんと幸せそうな息を吐き、名残惜しそうにイルカの頬へ頬を擦り合わせて、イルカの手を取った。
「$%&’”#$*@@‘*+;++」
「あー。ん? ご飯? 小腹は空いたくらいかな。今はいらないよ」
狼人が自分のお腹を押さえて、首を左右に大きく傾げる仕草を見て、イルカは首を横に振る。すると狼人は耳を萎びさせ、ひどくがっかりした気配を漂わせたので、少し考え、喉を軽く押さえた。
「でも、喉は乾いたかも」
「@@:**!! $%&! #$%%&!!」
イルカの要求に、狼人は目を輝かせて、興奮気味に何か言ってくる。その際、指をある一点で示してきたのでそちらを見やれば、広い緑の敷地が見えた。
人が歩く道沿いに木々が生え、奥には草原が広がっている。
ところどころ腰をかける三人用のベンチがあり、そこに座ってお弁当を広げている獣人がいる。中には草原にシートを引いて、同行者と話している姿もあった。
「公園っぽいな」
遊具があり、もっぱら子供たちとお年寄りの憩いの場所としてある、木の葉の公園とはまるで違うが、人々が憩いを満喫している点ではそう言ってもいいかもしれない。
狼人はイルカの手を引き、大きな公園らしき場所へと入ると、近場にあったベンチに座らせた。
「#$%&’+*@@@@! ”#$%&+|=‘?」
すぐ先にある、屋台といっては語弊がある、おしゃれな移動式店屋を指さして、狼人は必死に何か言い聞かせてきた。
店を指さした後、狼人を指す。そして、イルカを指さしてベンチを指し示す。
「あぁ、分かった。ここで待ってるよ。お前の帰りを待ってるよ」
言いたいことが分かって、任しておけと頷く。狼人は意思疎通が出来たことを喜び、鋭い牙のある口元を上に上げさせたが、すぐさまだらりと下げてしまう。
なんだなんだと様子を見ていると、狼人はきゅんきゅん言いながらひどく心配そうに何かイルカへ言ってきた。
始めは鷹揚に対応していたイルカだったが、それが一分を越え、三分を越えた頃になると、イライラしてくる。時間がもったいない。
「うるせぇ!! 俺はここで待ってるって言ってんだろが! さっさと行ってこい!!」
「きゃいーーん!!」
軽く切れたイルカの罵声に、狼人はまるで犬のような悲鳴をあげて、飛ぶように店へと駆け込んでいく。その慌てぶりに思わず吹き出しつつ、笑っては失礼だとこみ上げる笑いを押し殺す。
時々おかしなスイッチが入るなと、店に駆け込んだ狼人を微笑ましく眺めていると、ふと視線を感じた。
周りを見る振りをして、さりげなく視線の主を特定する。
イルカの斜め前。狼人がいる店からは反対側にあるベンチに座っている、獅子の獣人。その周囲には鷲、鼠、狐、牛といった獣人が何かを囲むように立っていた。
獅子の獣人はイルカから目を離さず、嫌な気配を滲ませた視線を向けてくる。
粘着的であり嗜虐的なそれに厄介ごとの臭いを覚え、気付かないふりをしてやり過ごそうとした、そのとき。
「や、めてっ。い、たいよぉ」
か細い声が聞こえた。
ざぁっと全身の肌がざわめく。
駄目だと理性の声が叫んだのは一瞬だった。
獣人たちの訳の分からない、それでも愉悦に滲んだ声の合間、もがき苦しむようにくぐもった悲鳴があがる。それを聞いた瞬間、抑えることができなくなっていた。
「止めろ、貴様ら一体何をしている」
瞬身を使って、獣人たちの輪の中に入るなり、蹴り上げようとした牛獣人を逆に蹴り飛ばした。
吹っ飛ぶ牛獣人と、突然、現れたイルカに、獣人たちは呆気に取られて固まっている。
その隙に中にいた者を胸の中に抱き留め、さっさっと囲みから出る。
「大丈夫か? 意識はあるか?」
「う、っ」
獣人たちから暴力を受けていたのは、十歳くらいの男の子だった。
全身傷だらけで、特に左腕は歪に曲がっている。体から異臭が漂い、体もがりがりで、満足にご飯を食べていないことが分かって、胸がひどく痛んだ。
「@:*+**!!」
ごぉうっと肉食獣に吠えられた。
ぎりっと奥歯を噛む。
こちらに向かってくる風切り音と気配に、怒りが沸いてきた。
振り返りもせずに体を屈め、すかさず後ろ足で抉るように足刀を放つ。
狙い過たず、襲ってきた獅子の鳩尾を貫き、質量のある音を立てて獅子はその場に倒れこんだ。
「+*”$%&!?」
「%&$!」
{#$%&’+*:!!」
周囲を囲んでいた獣人が口々に何か言っているがイルカには意味一つ分からなかった。ただ一つ言えるのは。
「いくら見栄え良くしても、お前らは獣だよ。浅ましさしかねぇ、ケダモノ風情が」
吐き捨て睨み付ければ、言葉は通じないまでも侮辱されたことは分かったのだろう。
牙を剥き出して、威嚇する表情を見せつけた獣人に、イルカは戦闘態勢を取る。
頭が燃えるように煮えたぎっている。
イルカがここに来て接した獣人は理知的だった。特にイルカを買った狼人は常にイルカを尊重して、信頼し、同じ目線で物を見ようとしてくれた。
だが、実際はどうだ。
イルカが恵まれていただけで、こんな幼い子が理不尽な暴力に遭っている。物も食べられず、満足な治療はしてもらえず、身なりさえ綺麗にしてもらえていない。
分かっている。本当は分かっている。
イルカやこの子たちは攫われて、人身売買にかけられた。買われた先で境遇が天と地の差もあることはままあることだ。任務中、そんな境遇の子供を何度も見たことだってある。
でも、でも。
ぐっと奥歯を噛みしめる。
イルカは思いのほか、狼人に心を許していたらしい。
買われたという事実を忘れ、気心の知れる者と共に生活をしていたと錯覚してしまったようだ。
胸が痛い。
狼人がいい奴だったから、他の奴らもきっといい奴だなんて、そんな甘ったるいことを思っていた。話せば分かるんじゃないかって、半ば本気で思っていた。
だが、それは間違いだった。
「おい、ケダモノ野郎。人間様に歯向かったこと、後悔しろよ?」
チャクラを体に巡らした。
もういい。このままこの子を抱えて、逃げ出そう。
イルカ一人でも、この子ぐらいだったらどうにか匿って逃げることはできる。
このまま町に潜んで、情報を得て、そして、木の葉へと。
鷲の獣人が羽ばたきを繰り返す。鼠と狐の獣人が毛を逆立てて、こちらに飛びかかろうと筋肉を震わせる。
じっとお互いがにらみ合い、一触即発の空気に染まった直後。
ズンとその場を威圧するように気配が現れた。
獣人たちはもちろん、イルカもその気配に体を震わせる。
背後から、何かが来た。
圧し掛かる様に心身にくるそれに、イルカは固まる。
殺気だ。それもものすごく濃い、殺気。
それは、化け物と言ってもいいほど隔絶した存在が発することができるもの。
忍びでいえば、上忍。
だが、この殺気はその上忍でさえも軽く凌駕するような気配を醸し出していた。
過去のどの戦場よりもひどい。
行きあったが最後、確実に死が見えるそれ。
荒くなる呼吸を意識的に抑え、気配を殺す。
見つかったら最後、生き残れない。
イルカにできるのはただ祈りながら息を殺すことだけだった。
目の前にいる獣人たちは、その気配を出している者を見ているのだろう。
誰もが絶望的な顔をし、息を吸うことさえもできずに固まっている。見開いた目が恐怖に染まっていた。このままでいれば、そのまま失神しそうな獣人たちを見つめ、いつ自分もその牙にかかるのかと流れる汗に目を顰めながら思う。
「+*$%&’@?」
一つ声がした。
それに対し、目の前の獣人たちが涙を流しながら、動けない体で必死に顎を引き、何かを承諾していた。
途端、圧し掛かっていた空気が霧散する。
それと同時に、獣人たちはイルカが気絶させた獅子を抱え、脱兎のごとくこの場から逃げ出した。
呆気なく去っていく獣人たちを見送り、覚悟を決めて振り返ろうとした矢先、きゅっと後ろから優しく抱きしめられた。
「+*+*+!! #$%&*+!!」
毛むくじゃらの手に、肌触りのいい服。
ぴすぴすと愛らしい音で鳴いて、何かを言っている音は、不思議と懐かしく思える声だった。
「……お前かよ」
緊張していた体から力が抜ける。
責めるようにぴすぴすと鼻を鳴らす音に、頭に上っていた血が下がった。
「あー。ごめん。ぶち切れて、約束破っちまったな。ごめん……」
考えなしに行動するはおろか、そのまま何の見込みもなく脱走としようとした己を深く反省する。
下忍時代、お前は頭に血が上ると自棄になる傾向にあると、難しい顔で叱ってきた上忍師の先生を思い出した。
まだまだ修行が足らないなと己の未熟さを痛感していると、狼人がイルカの腕の中にいる者に気付く。
「う、ヴヴヴヴヴっヴヴ」
イルカを抱きしめたまま、子供に威嚇音を発した狼人に、イルカは頭をぶつけて唸り声を止めさせた。
「キャイン!」
ひどい、何するのと言わんばかりに、イルカの顔を信じられない表情で覗き込んできた狼人へイルカは願うように言う。
「この子を見捨てるなら、俺はもうあんたと一緒にいられません。……お願いですから、あんたをあんな奴らと一緒だなんて思わせないでください」
覗き込む狼人の灰青色の瞳をじっと見つめる。
狼人はイルカの黒い眼をじっと見つめ、ぐっと鼻に皺を寄せたかと思うと、急にぴすぴすと鳴いたり、またぐっと鼻に皺を寄せて牙を剥き出しにした直後、きゅーんと切ない声を上げて耳を伏せた。
「*+‘@@@”#$……」
震える声で何かを言った狼人に、イルカは顔をほころばせる。
何となく。でもはっきりと分かった。
狼人はこの子供を見捨てない。きっとあいつらのようなことは絶対にしない。
「ありがとうっっ」
胸に子供がいる為抱き着けないが、イルカは自分から狼人の頬へと擦り寄った。感謝を込めて、嬉しさを隠さずに、狼人がイルカへするように何度も頬を首筋へと擦りつけた。
「#$$%&’%##”$&’%%;:@:::!!! うおぉぉぉぉぉぉぉおぉぉぉぉん!!!」
するとどうだろう。
狼人は突然体を震わせ、何かを言ったと思ったら、遠吠えをした。
それに反応して、周りで憩いの時間を満喫していた獣人たちは何故か急に怯え始め、そして、波が引くように公園から駆け出し、あっという間に人の気配が無くなった。
狼人が飲み物を買いに行った店まで、慌てて店じまいして移動する始末で一体何が起きたのかとイルカは目を白黒させる。
狼人はやたらと荒い鼻息を繰り返すと、イルカの胸に抱え上げていた子供を左腕に、そして狼人が買ってきた飲み物であろうカップをイルカへ持たせると、イルカまで右腕に抱きかかえた。
「うえ、ちょ、え」
子供は分かるかがイルカを抱える必要はないと下りようとしたが、狼人はそのまま二人を抱えたまま走り始めた。
「うあ、ちょ、こえぇぇっっ!!」
子供の身長ならば問題ないが、イルカは狼人とほぼ同じくらいの身長差だ。
すぐにトップスピードに乗る狼人の走りに、慌てて首に縋りついて落ちないようにしがみつく。
何故かそれでやる気を漲らせたのか、狼人の走る速度が上がる。ビュービューと風を切る音を聞きながら、これで子供が落ちたら怪我どころではないと、左腕に狼人の首を絡ませ、懐に絵本を入れ、右手で子供の体を支える。
すると何故か一瞬速度が落ちたが、次の瞬間には前よりも早く走り出すから度肝を抜かれた。
「もう何なんだよぉぉぉ!!!」
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉん!!!」
狼人は遠吠えをあげながら、街中を疾走した。
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こちらのイルカくんは若いぞ! 潔癖だぞ! 好き嫌いが激しくて頑なな面があるぞ!