「これは…」
村の入口まで戻った二人は、信じがたい気持ちで立ち尽くした。
村は燃えていた。
「うっ」
何かが燃える匂いと共に、鉄臭い匂いが二人を襲う。――血の匂いだ。それも、むせかえる程の匂い。一人、二人の単位ではない。
強烈な匂いに当てられ、二人の顔は早くも青ざめる。
彷徨わせた視線の先、黒煙を吐き出す民家の陰へ倒れている男女に気付き、クレスは駆け寄った。
「大丈夫ですか!?」
ふと、それが昨日、結婚するとうれしそうに話していた女性だと分かった。手を伸ばし、揺さぶった体はすでに冷たい。女性の隣で固く手を握りしめている男性が、この人の婚約者だろう。どちらも事切れていた。
二人の遺体を見ることが忍びなく、視線を前に向ければ、今では無残にも踏みつけられている花畑の中で、息絶えている小さな女の子を目にした。
「ひどい…。あんな小さな子まで……!!」
「――オレ! 家を見てくる!!」
今まで黙り込んでいたチェスターが駆け出した。女の子を見て、妹のアミィと重なり合わせたのかもしれない。
クレスも弾かれたように、自分の家へと向かった。
横から風が絶えず吹いているため、視界は思ったより良好だ。だが、目前の風景が認識できない。
目に映るのは、くすんだ煙と舐めるように燃え上がる炎。
その合間から何者かに破壊された家々や瓦礫が見え隠れする。その中には、人影も見えた。
道であった残骸を走り抜け、煙にむせながらクレスは走った。
道々に見知った顔の村人たちが、赤黒い液体に浸かり倒れ伏している。
地面に顔を埋めたまま動かない者、瞳を見開き虚空を見続ける者。行き当たる誰もが、物言わぬ屍と化していた。
村は――緑に溢れていた。
子供たちは駆け回り、大人たちは活気のいい声を出しながら、仕事に精を出していた。いつも笑い声が響いて、温かく和やかで、とても居心地のよい場所だったのに。
目前に広がる村は、もはやクレスの見知っているトーティス村ではなかった。
悪い夢のようだ。
クレスは何も考えられず、家を目指した。
自分の心臓の音と息遣いがやけに大きく聞こえる。いつまでも着かないような、奇妙な感覚に囚われながら、記憶にある我が家を目指して駆けた。
「っっ」
自分の家があった場所を前に、クレスは息を飲み込んだ。
家は全壊していた。
もはや家とは言えぬ、瓦礫の山を見て、言葉を失くす。
家を支えていた木の柱や大きな梁が瓦礫の山から顔を出し、くすぶりながら燃え上がっていた。
瓦礫の山を自分の家だったものと、理解している自分がとてつもなく嫌だった。
家に連なっている道場に目を移したとき、クレスは思わず大声で叫んだ。
「父さんっっ!!」
崩れ落ちた道場の石壁を背に、父のミゲールが倒れているのを見つけた。駆け寄り、肩を揺さぶれば、重く閉ざされていた瞳がうっすらと開いた。
「とうさっ」
胸が詰まって、言葉が出ない。
父の胸元には肩から大きく袈裟懸けに切られた大きな傷がある。一目見て、致命傷だと分かった。
赤黒い血で染まった全身と、焦点の合わぬ瞳を見て、クレスは歯を食いしばる。父に何をしてやれるのか、クレスには分からなかった。
「…クレ…ス…そこに…いるのか…?」
名を呼ばれ、手を握り何度も頷いた。
苦しげなミゲールの顔に、笑みが浮かんだ気がした。だが、それも一瞬の事で、ミゲールは視線をせわしなく彷徨わせ、誰かの姿を追い求めた。顔は青白く、呼吸もだんだんとか細くなっている。
「…マリ…ア……。…母さんは……無事…っ」
顔を上げようとした瞬間、父の体が傾いだ。
「父さんっ?!」
クレスの脇を掠め、前屈みに倒れていく。まるで時の経過が遅くなったかのように、ゆっくり、ゆっくりと。
クレスは抱きとめようと手を伸ばしながら、落ちていく背を見つめた。
大きい、人だった。
己に厳しく、だが困っている者がいれば力になってやり、人々にいつも囲まれていた父の後姿を、子供の頃、よく見ていた。
その背は大きくて広くて、クレスの誇りであると同時に、とてもまぶしい存在だった。
自分に期待していたことを知っていた。けれど、どれだけ頑張っても父の願いは叶ええられそうになかった。
――自分は、甘いから。
とさりと、小さな音を立ててミゲールの体は地面に倒れた。あまりにあっけなく小さな音が、逆に胸を締め付ける。
「とう……さ…」
動かない体を仰向けにすれば、光のない瞳でクレスを見上げていた。震える手で瞳を閉じさせ、もう二度と起き上がらぬミゲールを見つめた。
「――ちっくしょう!」
無性にやりきれない気持ちが沸き起こる。感情に任せて、地面に向かって拳を埋めた。
そのとき、背後から小さな物音が聞こえた。
弾かれるように振り向けば、そこには母がいた。
「か、母さん!」
悲鳴に近い声が零れ出る。母のマリアが道場の壁にもたれ、おぼつかない足取りでクレスの元へ進もうとしていた。
「ク……クレス…」
小さな呟きと共に、マリアが地面へ倒れこむ。
「母さん、大丈夫?! しっかりして!」
駆け寄るなり、マリアを抱き起こせば、小さなうめき声を漏らした。それと同時に、背に回したクレスの手に、粘りのある冷たい感触を感じた。
「……っ」
震えながら手に視線を向けた。手の平一面、赤黒く染まっていた。
それがマリアの血と知り、息が詰まった。
震えだした手を押し止どめ、持っていた布でマリアの背の傷を塞いだ。
「駄目だ……駄目だよ、母さん! しっかりして!」
話しかける間にも、布は早くも血に染まり、止血の役割を果たさなくなる。マリアの顔はぬける様に白かった。その病的な白さがクレスの胸を苦しめる。
こぼれ出す命を必死に繋ぎ止めようと、クレスは懸命に布を押さえた。だが、マリアはその必要はないと首を振り、切なそうにクレスに向かって笑んだ。
まるで自分は助からないと言う素振りに、クレスはそんなことはないと叫ぼうとした。寸前、クレスの頬にマリアは手を寄せ、吐息を吐き出すよう口を開いた。
見詰め合った母の瞳の光は、消えつつあった。
言葉を押し止め、クレスは母の手を握った。
無力感が胸を抉る。
自分にできることは、こうやって耳を澄ますことしかない。
「何、母さん―」
泣きたくなる衝動を押さえながら、クレスはマリアの口に耳を寄せる。
「クレス…すぐに…ここから……逃げるのよ……」
か細く吐く息と共に、言葉を搾り出す。抱いている体から力が抜けていくのが分かる。
「…あいつらはお前のペンダントを狙って……むら…を」
「どういう…こと?」
思わぬ言葉にクレスはマリアの顔を見詰めた。だが、マリアの瞳にはもう何も映っていないらしい。
クレスの訝しげな表情に気付かぬまま、マリアは言葉を続けた。
「私の兄、オルソンの家に……都にいる伯父さんよ……きっと力に…」
マリアは一度言葉を区切ると、瞳を閉じた。
そして、自分の手を握るクレスの手になけなしの力を込めると、視線を彷徨わせ、自分の息子を探し、喉を振るわせる。
「…ごめん…な……さい…。私が…あいつらに……人質にされなければ………ミゲールは…ミゲールは…あんな……ことに……は……。ごめんなさ」
マリアは涙を一筋流すと、全身の力を抜いた。
すがっていた手は地に落ち、クレスの腕をすり抜けるように、マリアの体は落ち込む。
「母さん!」
それを必死に抱きとめ、クレスはマリアの顔を覗き込む。
「………かあ…さん?」
呼びかけた声は、頭上で鳴った雷の音にかき消された。
喉をのけぞり、クレスにもたれかかっているマリア。微かに開いた瞳が見つめる先にあるものはクレスではなく、空虚な闇だった。
「母さん? …ねぇ、母さん…? ……かあさ」
マリアの顔に雨粒が一滴落ち、それを境に、堰を切ったように雨が降り出した。
「うわああああああああああああああああああああっっ」
どのくらい経っただろうか。
豪雨の中、クレスは父と母の遺体を埋葬し終え、立ち尽くしていた。
(父さん……母さん……)
埋葬した場所を眺めているうちに、だんだんと思考能力が回復してくる。
自分と狩りに出かけていた親友を思い出し、クレスはチェスターの家へと向かった。
雨のおかげで、火は消えかけている。回りは火が消えた時にできた水蒸気で覆われていた。
マントが雨に濡れ、重く感じる。だが、体がこんなに重いのは、マントのせいだけではないだろう。
気だるい体を無感動に動かしながら、クレスはチェスターの家へと着いた。
家は全壊をまぬがれていたものの、所々くすぶった煙を吐き出していた。
一階にいない事を確認し、瓦礫を避けつつ二階へと足を進める。
「……クレスか」
チェスターの後姿が見えた時、雷鳴が轟き、周囲が明るく照らし出される。チェスターの前には、あの愛らしかったアミィの変わり果てた姿があった。
「…チェスター」
「…アミィの奴、さ。ここでオレのマスコット、作ってくれようとしていたんだ。あいつ…」
振り返らないチェスターの手には、作りかけであろうと思われる人形が握り締められている。
何も言えずに後姿を見つめていると、チェスターが感情のこもらない平坦な声で呟いた。
「クレス、知っていたか? アミィの奴、お前の事が好きだったんだぜ…」
沈黙する二人を、時折、雷が照らし出す。
外では激しい雨音が鳴り響いていた。春に終わりを告げる嵐のようだ。
強烈な光と共に騒音が辺りにこだました。
雷が近くで落ちたらしい。空気を振動させながら、その衝撃をあたりに撒き散らし、体を震わせる。
それを機に、クレスは口を開いた。
「…チェスター、ここは危険だ」
ぴくりとチェスターの肩が動く。
「僕とユークリッドの都にいる伯父さんの元へ」
「アミィや村の人たちをこのままにして逃げるっていうのか? オレは嫌だ! 行くなら一人でいけ!」
背が、声が、全身でクレスの言葉を拒絶していた。
チェスターの思いを感じ、しばし言葉に詰まった。けれど、言わなくてはまた失うことになる。それだけは嫌だった。
「村を襲った奴らが戻ってきたら、……殺されるかもしれないんだぞ?」
脳裏に、父母の、村のみんなの顔が浮かぶ。チェスターの張り詰めていた気配が揺らいだ気がした。
「……すまん、クレス。それでも、オレは……」
「チェスター……」
胸が痛くて、目を伏せた。
沈黙が続くかと思えたとき、チェスターが口を開いた。
「先に行っててくれ。二人とも残るのは危険だ。オレはあとから必ず行くから」
しっかりとしたその声の調子に、顔を上げる。何かを決意したように、凛と背を伸ばしたチェスターがそこにいた。
その決意が固いことを確認するため、クレスはもう一度念を押した。
「必ずだぞ」
「ああ、必ずだ…」
はっきりと言い切った言葉を信じ、クレスはチェスターから背を向け歩き出す。
「クレス」
部屋の出入り口に差し掛かったとき、呼ばれた。
振り返ると、未だにアミィを見つめ続けたままのチェスターが意志のこもった声で言った。
「二人で仇を討つぞ。…二人で、アミィや村の人たちの仇を!」
「ああ!」
しっかりと友の言葉を受け止め、クレスは今度こそ部屋を出た。
遠ざかる足音が階下にこだまし、やがて消えていく。
静寂の中、しばらく雨の音だけを聞いていた。
指先の感覚が鈍い。今まで躊躇していた手を伸ばし、血だまりの中にあるアミィの手に自分の手を重ねた。
触れた手は、すでに冷たくなっていた。
「――っ!」
そのことに胸が突かれ、ひったくるようにアミィの手を握り締めた。
改めて、小さいと思わせる手だった。
「アミィ」
そのまま腕を伸ばし、アミィの体を胸に掻き抱いた。微動だにせず、何の反応も示さないアミィが信じられなかった。
きれい好きで、身だしなみにいつも気遣っていたアミィの服は血にまみれ、二つに結んだ髪の一つが解けて絡まっている。
そのくせ、顔を覗けば、まるで眠るように目を閉じていた。今朝見た寝顔と何ら変わりはない。
「アミィ、目、開けろよ。…嘘だろ、こんなこと…。なぁ、嘘だって言ってくれよ。…兄ちゃんな、今日、クレスと大物捕ってきたんだぞ。これで、お前の夕飯食べられるよな? な、アミィ?」
揺さぶっても動かない。
重みだけを伝えてくる存在になってしまったことが信じがたい。まだ、こんなにもアミィという存在を感じることができるというのに。
「アミィ?」
顔を覗きこみ、呼びかけた。けれど、答えてくれない。いつものように笑って言う、あの言葉を聞かせてくれない。
どうしていいか、分からなくなって、深く自分の胸に抱き寄せた。
誰でもいいから、助けを求めたくて、回りに視線を彷徨わせる。けれど、誰もいない。雷の音がこだまする以外は、誰の気配も、何も聞こえてこない。
自分の息の荒さを聞きながら、チェスターは思う。
そうだ。昔から、二人きりだった。
オレとアミィしかいなかった。小さいときから、ずっと二人で生きてきた。手を差し伸べてくれる者はこの村にくるまで、いなかった。
いつから泣いていたのだろうか。瞳から涙がこぼれ、視界を歪めていた。
自分より少し濃い青色の髪が、目の前で揺れる。
あんまりだった。アミィが一体、何をしたというのだ。どうしてアミィがこんな目に遭わなくてはならないのだ。
ずっと、このまま平穏に暮らしていけると思っていた。今まで苦労をかけた分、これから年頃になっていくアミィのために、綺麗な服や、美しい装飾品、おいしいもの全て、望むもの全てを与えてやりたかった。
アミィと自分と、クレスの三人で、ずっと笑いながら暮らしていけると、そう信じて疑わなかった。
「…やめて、くれ。誰か、誰か、アミィを助けてくれぇぇ!!」
叫び声がついて出る。何度も何度も叫んだ。アミィを助けてくれるなら、この命はいらない。何でもする。神でも悪魔でもいい、誰でもいいから助けて欲しいと叫び続けた。
けれど、叫びながら、二度と起き上がってはくれないことを少しずつ理解していく自分がいた。
認めたくない。けれど、これが現実だ。
「アミィ……」
きつく抱きしめた。頭の中で冷静な自分が冷酷に言い放つ。
『アミィは死んだ。奴らに殺された』
突きつけられた事実に、身が燃える。
アミィはそう、殺されたのだ。
歯を食いしばり、顔を上げた。
絶対に許すものか。必ずこの手でアミィの仇を討つ。
瞳に暗い炎が宿る。この身を燃えつくしそうなほど熱く、けれど、凍るように冷たい思いが同居した、相反する感情。
「アミィ」
必ず討ってやると、アミィへ約束したとき、外から雨の音と交じりながら、馬が駆ける蹄の音が聞こえた。
そっとアミィの体を横たえ、チェスターは涙を拭い取り、一階に駆け下りた。
手にはしっかりと愛用の弓を握り締め、矢をつがえる。
体が焼け付くようにじりじりと痛む。近づいてくる気配を探りながら、弦を引き絞った。
「待ってろよ、アミィ。お前の仇はオレがとってやる」
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