チェスターと別れ、荷支度をしたクレスは一人、トーティスから北へと進む。
トーティス村を出る頃には、雨足は弱まっていたが、ぬかるんだ地面は思いのほか体力を奪うものだった。
雨具に小さな音を立て、降り注ぐ雨の音を聞きながら、クレスは村崩壊の原因となったペンダントを見つめた。
歩く振動に合わせ、微かな金属音を鳴らすそれが、不快な物に思えて仕方なかった。
『ペンダントを狙って、村を…』
マリアの掠れた声を思い出す。
クレスはペンダントについて何一つ、父母から聞かされていない。ただ、ペンダントを贈られた十五の時、肌身離さず持っているよう、父母から厳命を受けた。
あのときは対して気にも留めていなかったが、いつも持つということは、守るという意味合いもあったのだと、今になってクレスは思い至った。
だが、このペンダントにどれほどの歴史的価値があろうとも、値のつけられない高価なものであったとしても、それに一体何の意味があるのだろう。
こんなもののために、村は襲われたのか。こんなちっぽけなもののために、父は、母は、アミィは、トーティス村のみんなは命を落としたのか。あの穏やかで優しさに満ち溢れていた村を失わなければならなかったのか。
「っっ! こんなものっっ!」
抑えきれない憎しみがクレスを襲う。
胸元を引っ手繰れば、小さな音を立てて鎖の一部が切れた。
振り上げた手の中にある物を投げ捨てれば、この憎しみも苛立ちも和らぐと一瞬本気で思った。
『クレス、お前も随分と成長した。今のお前にならこれを託せる。受け取れ』
『いい、クレス。何事にも立ち向かう勇気と、そして優しさを持ってね。母さんからのお願い』
振りかぶったクレスの脳裏に、父母の顔が見えた。
十五の誕生日。慈愛に満ちた二つの双眸に見つめられ、ペンダントと共に贈られた言葉たち。
誇らしく、そして、少しくすぐったく思ったことを覚えている。
今となっては、遠い昔の、懐かしい記憶。
腕が止まる。
クレスはそこで思い出した。崩壊し瓦礫となった家は火に巻かれ、燃え尽くされていた。だから、これが両親の唯一の形見になるのだ、と。
振り上げた手を下ろし、鈍く光るペンダントをもう一度見つめた。ペンダントの玉には、空ろな目をした自分が、曲線に沿い歪んで映っていた。
父母の顔が脳裏に浮かび消えていく。クレスはペンダントから目を離し、雨によって煙って見える、ユークリッドの都を眺めた。
「…父さん、母さん」
ペンダントの鎖を、首へしっかりと結ぶ。
自分に一体何ができるのか、そしてこれから何が起ころうとしているのか、まるで分からない。けれど、父母から託されたこのペンダントを捨てることは、父母を裏切ることになるのだと、クレスは思った。
今は母マリアに言われたよう、伯父のオルソンを頼ることが賢明だ。オルソンならば、母から何かを聞いているかもしれない。もし、何も聞いていなかったにしても、都は情報が集まりやすい場所柄だ。ペンダントのことや、これを狙い来た、村を壊滅させた者たちの情報を拾い集めることができるはず。
遠くに煙る都を見つめ、クレスは足を踏み出す。
首筋に掛かるペンダントが、今は軽く感じた。
「…チェスター」
共に仇を討つと誓った親友の名を呼んだ。
出て行く間際に見た、アミィの姿を思い出し、クレスは唇を噛み締める。
今も一人、村で墓を掘っているチェスターを思うと、無性に遣り切れない。できることならば、共に手伝い、村のみんなを丁重に弔いたかった。
だが、自分は止まってはいけないのだと、クレスはユークリッドの都を見つめる視線に力を込めた。
胸の奥底に火を灯し、クレスは進む。ぬかるんだ山道を越えた先に、目指す都がある。
(必ず、村を襲った奴らを見つけ出してみせる。そして。――仇を討とう、チェスター)
もう一度、親友に呼びかけ、クレスは歩む足に力を入れた。
休憩もそこそこに、昼夜歩き続けたクレスが都に着いたのは、村を出て二日目の午後だった。
その頃には、天気は晴れ渡り、清々しい一面の青空が広がっていた。
「…ユークリッドの都」
クレスは都の前に立ち尽くす。
久しぶりに来たユークリッドの都は、都の名に恥じぬ美しさと、活気に満ち溢れていた。
通りは、きれいに整備された石畳の白い道が引かれ、道の色に合わせたものか、立ち並ぶ家々の外壁は白く、装飾に凝った造りをしていた。例外なく、どれもが大きく立派だ。
住宅街から一つ奥に入った通りでは、行商人たちがひしめき合い、威勢の良い掛け声をかけては、客を引き止めようと、声を張り上げている。
通りを歩く人々も、村では余所行きに着ていくような、きらびやかな衣装を身にまとい、行商人の品を眺めたり、会話に興じながら、気軽な買い物を楽しんでいた。
道の脇には花々が、そして広場では陽気な音楽が流れ、ピエロの格好をした男が、集まってきた子どもたちを相手に、曲芸を披露している。
人々は笑いさざめき、豊かで平穏な、変わりない日常を送っていた。
クレスはそれらのものから逃げるように背を向け、路地裏へと入った。
昔、都へ来た時は父母と一緒だった。自分たちもあの中に混じり、笑い合っていた。それがすでに遠いものであることを理解するのが、辛かった。
胸が苦しいような切なさを覚えながら、クレスは裏通りで話をしている二人の男に近寄る。
「すいません。オルソン・ドローという人の家を探しているのですが、教えていただけませんか?」
ドローとは、母マリアの旧姓だ。
クレスの問いかけに、二人は話を止めると、西の方角を指差した。
「オルソンの家なら、あっちの高台にある一軒屋だよ」
「ありがとうございます」
礼を言い、立ち去ろうとしたクレスに、もう一人の男が声をかけてきた。
「なぁ、兄ちゃん。見かけない顔だが、親戚の家に遊びに来た…って感じじゃないなァ。そんなに汚れて、一体何事だい?」
頭からつま先まで視線を向けられ、クレスは内心の不安を押し殺し、口元に笑みを浮かべる。
「…いえ…何も。急にひどい雨が降って……それで…」
「あぁ、あの雨か。大方、馬車もつかまらずに、歩いてきたってクチか? 若いうちは歩いた方がいいと言いたいところだがな。最近何かと物騒なことがあるから、気をつけたほうがいいぞ。今度からは多少待つ様でも馬車を使いなよ。南にある村が壊滅したっていう噂があるくらいだからよ」
男の言葉に、一瞬、胸がひどく痛んだ。トーティス村は噂として、過去のものとして語られるようになったのだ。
「おいおい、あんまり脅かすな。兄ちゃん、顔が青ざめてるじゃないか」
連れの男はクレスが黙りこんだことを恐がっていると勘違いしたらしい。諌められた男は、それでも首を振りながら言葉を続けた。
「いやいや、こういう時だからこそ、ちゃんと言っておかなくちゃなんねーんだ。有事があった際に、頼りになるのは兄ちゃんたちみたいな若い力だからな。兄ちゃん、ここユークリッドでもな、少し変なことが起きてんだ。都が誇る独立騎士団の隊長が行方知れずでな、きっとこれは何かが起こる前触れで…」
男の言葉に、隣の連れが一笑に付す。
「まーた、お前はそうやって、話を大げさにする。気にしなくったっていいぞ、兄ちゃん。こいつは心配性というか、夢想家というか、とにかく話を大きくしたがる奴でさ」
「なにを?! あ、そういやーオルソンの家でも妙な奴が出入りしてたって話が……」
「あぁ、あぁ、聞いてらんねーや。こいつに付き合うことないぞ。早く、オルソンの家にでも行ってきな」
連れの男が切り出したのを機に、クレスはもう一度頭を下げて礼を述べ、男が指した方角へと足を進めた。
にぎやかな場所を避けるように、高台に向かって進めば、オルソンの家は意外にも早く見つかった。
オルソンの家は、高台を占めるようにそびえ立つ、大きな屋敷だった。
大きな門の横についている、呼び鈴を鳴らし、クレスはしばし待った。すると、いくらかしない内に門が開き、中から中年の女性が出てきた。オルソンの妻であるジョアンだ。
「お久し振りです、伯母さん」
クレスはなけなしの気力を振り絞り、笑みを作った。だが、ジョアンはそれに応えることなく、しばしクレスの顔を呆然と見つめていた。
「伯母さん?」
もう一度声をかければ、ジョアンは弾かれたように話し始めた。
「ま、まぁ、クレス! 久しぶりね。一体、何年振りくらいになるかしら。あぁ、立ち話もなんだから、上がりなさい。さぁ」
半ば強引に腕を引っ張られ、クレスは屋敷に入った。まず応接間に通され、自分の汚れを気にするクレスをソファに無理やり座らせ、お茶を入れ始める。
「今、オルソンを呼びに行くから、これ飲みながら待っていてちょうだい。はい、どうぞ…あっ」
クレスに差し出したカップを、ジョアンは手前でひっくり返してしまった。
カップに入った紅茶がテーブルを濡らし、紅い筋を引き、床へと落ちる。クレスにはかからなかったが、ジョアンは布巾を取り出すと、何度も謝った。
「ご、ごめんなさい、クレス。や、やだわ、いつもこんなことないのに…。本当にごめんなさいね。久しぶりにクレスの顔を見たら、緊張しちゃったみたい……ごめんなさいね」
ひっきりなしに謝るジョアンに首を振り、クレスは余分に置いてあった布巾を手に取り、紅茶を拭いた。
「いえ、僕こそ連絡もなしに急に来てしまって…。あ、僕がしますから、気になさらないでください」
クレスの申し出に、ジョアンは申し訳なさそうに頭を下げると、「オルソンを呼んでくるわね」と一言残し、部屋を出た。
機械的に手を動かしながら、クレスはこれから伯父に何と言うべきか、言葉を探していた。
今でもクレスは村が壊滅したことが信じられない。この目で見たことなのに、すでに噂として伝わっているのに、それを自分の口に出して言うことが躊躇われた。
どう説明すればいいのか悩んでいると、応接間の戸がノックされた。
「入りますよ、クレス。オルソンを連れてきたわ」
ジョアンが声をかけて入ってくる。
結局、何と言っていいのか、分からない。
ジョアンはクレスに礼をいい、クレスの持っていた汚れた布巾を手に持ち、部屋から出た。
その後姿を見送り、ソファから立つと、久しぶりに会う母マリアの兄に向かって頭を下げた。
「伯父さん、ご無沙汰をしています」
「クレス、久しぶりだ。大きくなったもんだな」
頭を下げるクレスの肩に、大きな手が置かれた。
ふと見上げれば、母マリアと同じ色の瞳がクレスを見下ろし、微笑んでいた。胸がつかれるほど、母の笑みに似ていた。
油断すると泣き出しそうな自分を戒め、クレスはオルソンに向かって事の経緯を話そうと口を開きかける。すると、オルソンは押し止めるようにクレスの肩を掴み、静かに首を振った。
「クレス、何も言わなくていい。村のことは人づてに聞いたよ…。お前だけでも助かって、本当に良かった」
労うようにオルソンはクレスの両肩を軽く叩く。
「伯父…さん…」
村のことを知っていた事実に、クレスは言葉を失くす。言わずにすんだことを安堵すると共に、オルソンの口から村が崩壊したことは紛れもない事実だったのだと思い知らされた。
言葉が続かないクレスに、オルソンは優しく言い聞かせるように囁いた。
「話したいことは山ほどあるだろうが、今日はゆっくりと養生しなさい。風呂に入って、ご飯を食べて、よく眠りなさい。今の君に必要なのは、休息だよ。しばらく、この家に泊まっていくといい」
見上げれば、気遣ってくれる優しい瞳が見下ろしてくる。
ずっと張り続けていた気が、抜けるのを感じた。
「…はい。…ご迷惑を…おかけします…」
「なに、気にするな」
素直に頷いたクレスを見やり、オルソンは微笑む。そして、ジョアンに向かって、声をあげた。
「おい、ジョアン、風呂は沸いているだろ? あとクレスに料理をこさえてくれないか」
オルソンの言葉に、ジョアンは実にまめまめしく動いてくれた。
クレスが風呂を使わせてもらっている間に、食事の用意から、今まで着ていた服も洗濯してもらった。風呂から上がると、替えの衣服があり、食事も出来上がっていた。
久しぶりの豪勢な食事に、クレスは黙々と食べた。
その様子を眺めながら、オルソン夫妻は他愛無い話を交わす。何でもない空気が妙に懐かしくて、胸にこたえた。
「クレス、洗濯物乾いたから、ここに置いとくわね。じゃ、ゆっくり…寝るのよ…」
ジョアンに寝室へ案内され、クレスは何度もお礼を言った。ジョアンは首を振ると、少し困ったような顔で微笑み、「おやすみなさい」と扉を閉めた。
閉められた扉に「おやすみなさい」と言った後、寝台の横に置かれた棚の上にある、綺麗になった衣服を撫でた。きっちりと糊付けされ、綺麗に畳まれた衣服は、ジョアンの人柄が知れた。
感謝の気持ちを込め、もう一度戸に向かって頭を下げ、寝台に腰掛ける。念のために寝台の横に剣を立て置き、一つため息を吐き、寝転がった。
「…高いな……」
天井に向かって手を伸ばし、呟く。
自分の部屋とは全く違う。広さといい、置いてある家具や、調度品も、もちろん匂いだって――
(自分の家とは違う…)
失くしてしまったものを思い出し、無意識に首に掛かるペンダントを握り締めた。
このまま絶望の深みに入ることを嫌い、横を向いて布団に潜り込む。
布団はお日様の匂いがした。
柔らかい、優しい香りにようやく安堵して、クレスは目を閉じた。
どのくらい眠っていたのだろうか。
静まり返った夜の空気の中、誰かの話し声と数人の足音を聞きつけ、クレスは目を覚ました。
部屋に近づいてくる気配を感じ、咄嗟に立てかけていた剣に手を伸ばし、扉を開けて入ってくる者を凝視する。
「…伯父さん?」
扉の隙間から見えた人を認識し、詰めていた息を吐いた。
剣から手を離しながら、用事を尋ねようと口を開く。その直前、鎧に身を包んだ男たちが踏み込んできた。
「っ!!」
身の危険を感じ剣に手を伸ばすが、それよりも早く寝台から引き摺り下ろされた。両脇を取り囲まれ、床へ頭を押さえつけられる。
「うっ!」
連携のとれた素早い行動に、訓練された兵士のものだと窺い知れた。
「伯父さん、一体、どういうこと?!」
押さえつけられながら、クレスは混乱し叫んだ。どうして助けに入ってくれないのだろう。どうして、黙っているのだろうか。
「伯父さん!!」
少し離れた場所で立ち尽くしているオルソンへ、クレスは叫ぶ。オルソンはその叫びから逃れるように目を逸らし、途切れ途切れに言葉を漏らした。
「……すまない。こうしなかったら、わしらはおろか……ユークリッドの都が二の舞に……。許してくれ…」
その苦渋に満ちた声に、抵抗していた力が抜ける。オルソンにかける言葉が見当たらなかった。
大人しくなったクレスを笑い、鎧の男が見下ろしてきた。
「そういうことだ。おとなしく我々に従ってもらおう」
「くっ……」
歯を食いしばり、鎧の男を睨んだ。男はクレスの唯一の抵抗であるその視線を嘲笑い、両脇を固める男たちに顎で命令を下す。
「連れて行け」
「はっ。さっさと歩け!」
無理やり立たされ、体を押された。両脇を封じられ、前後を男たちに囲まれたクレスは、已む無く男の言うとおりに足を進める。
オルソンの側を通る瞬間、クレスは悲しげに一瞥を投げかける。だが、オルソンはただ視線を伏せていた。
静寂の中、コツコツと遠ざかる足音が反響する。
鎧を着た男を先頭に、クレスは連れ去られていった。
一人きりになった部屋で、オルソンは居たたまれずに顔を覆う。
最後まで自分を非難することなく、ただ悲しげな瞳を見せたクレスに胸が痛んだ。だが、こうするより他はなかったのだ。
クレス一人を守るために、妻はおろか、都の者たちまで危険にさらすことなどできはしなかった。自分の選んだ選択は正しかったと思うものの、それでも苦しい。それでも辛い。
たった一人の甥を死に追いやった自分が、愚かしく、みじめだった。
「……クレス、……許してくれ……」
その後悔の思いが声になってこぼれ出る。そのときだった。
キィーと軋んだ音を立てて、扉が開く。
目を向ければ、そこには鎧の男が立っている。
自分の罪に耐え切れず、男を睨みつける。こいつらさえ現れなければ、こんな思いをせずにすんだものを。
「…なんだ、まだ何か用か?」
もうその顔は見たくないと、言葉を吐き出した。
だが、オルソンの不機嫌な態度に動じず、男は何も言わず部屋へと足を踏み入れてくる。その後ろで、静かに扉が閉まった。
まだ話があるというのか。
入ってきた男に対し、忌々しいとばかりに舌打ちを打った。
男は無言のまま、こちらに足を向け一歩ずつ近づいてくる。
一歩ずつ、一歩ずつ、ゆっくりと、確実に。
不意に、物言わぬ男へ、怒りよりも強い感情を抱き始める。
近づく男から離れるために一歩退いた。
「なんだ! 一体、何の用だ?!」
叫び声がついて出た。鎧の男は何も言わない。
後ずさるオルソンの背に、硬い感触が当たった。壁だ。背に当たる壁を一瞥し、オルソンは自分へと近づいてくる男を恐怖の眼差しで見つめた。
その瞬間、オルソンの頭の中で何かが閃いた。
「まっ……まさか……」
がたがたと体が震えた。男はオルソンの考えを肯定するかのように、満足げに頷くと、剣を抜き放った。
「悪く思うな。だが、安心しろ。――お前、一人ではない」
抜き放った剣は赤黒いものに濡れ、鈍い光を放ちながら、恐怖に歪んだオルソンの顔を映し出す。
オルソンの脳裏に、それが自分の愛する者の血だということが分かるまで、そう長くはかからなかった。
息が荒く、乱れる。
男は壁に張り付くオルソンに向かい――
「や、やめろ……やめてくれぇぇぇぇっっっ!」
「ミゲールの息子を捕らえてきました」
畏まった声が聞こえたと同時に、覆っていた目隠しが外された。
微かに灯る蝋燭の明かりさえまぶしく感じる。
瞬きを繰り返し、ようやく目が慣れたところで周りを窺えば、豪奢な調度品に囲まれ、部屋の上座に置かれた赤い椅子に深く座っている男の前に、クレスは立たされていた。
目前の男は見事なまでの黒い鎧に身を包みこんだ、屈強な男だった。何気ない所作の端々を見ても、隙がない。かなり手練のものだと知れる。
「頭が高い!」
「っ!」
男を認めると同時に、脇に控えた者たちから手荒く膝を落とされる。膝がついたことで、自然と前かがみに倒れこんでしまった。
慈悲を乞うようなその体勢が我慢ならず、クレスは顔をしっかりと上げ、目前の男を睨みつけた。
「ごくろうであった。…貴様のような者が持っていたとはな……」
男はクレスの視線を受け止め、嘲りを込めた口調で笑った。その言動に怒りが震えとなって、クレスを襲う。
「村を……トーティス村を襲ったのはお前だな!!」
ペンダントのみに固執した物言いが許せず、クレスは吠えた。
罪もない村人を襲っておきながら、言う事はそれだけなのか。一体、何人の関係のない者が死んだと思っているのだ。
だが、黒い鎧の男は、兜から覗かせる瞳に、ますます侮蔑の色を浮かべ鼻先で笑った。
「だとしたら、どうだというのだ。弱き者よ」
男の言葉が胸を抉る。
自分の無力さを嫌というほど味わった今のクレスに、返す言葉はない。
「くっ」
それでも憎しみと怒りを抑えきれず、男に立ち向かおうと腰を浮き上がらせれば、両隣に控えた兵士たちが、すぐさまクレスを押さえ込んだ。懸命に抗うが、屈強な兵士の力はクレスの自由を容赦なく奪った。
男はゆったりとした動作で立ち上がる。そして、クレスの無駄な足掻きを視界に捕らえつつ、クレスの首に向けて手を伸ばした。
男の意図に気付き、クレスは暴れる。だが、首に小さな痛みを残し、ペンダントはあっけなく持ち去られてしまった。
「か…返せ!!」
飛びかかろうと身を揺するクレスの頭を捕まえ、兵士たちは床に押し付けた。視線だけで男を睨みつけ、声を張り上げる。
「返せ! それを返せっっ!!」
「これはもらっておくぞ」
男はクレスの顔を見ることもなく、ペンダントを愛しげに眺め言い放つ。
「おい、この若造を牢に入れておけ」
『はっ』
男の言葉に一礼し、兵士たちは暴れるクレスを引きずり、部屋の外へと連れ出そうと足を進める。
「…待て」
出入り口にさしかかる頃、男が呼び止めた。その言葉に、兵士の足が止まる。
全身で抵抗しながら、首を捻り叫んだ。
「返せ!!」
「こいつは返すわけにはいかん。だが、最後の情けだ。名高いアルベイン流剣士として、正装姿で最期を迎えさせてやろう。無論、武器まではやれぬが。……貴様の親父同様に、な」
耳障りな笑い声と共に男は言葉を吐く。
「…な…に?」
耳を疑った。
冷水を浴びせかけられたかのように、煮えたぎった頭が一瞬にして、冷たく冷え渡る。
母の言葉を思い出した。
人質にされたことを後悔しながら、死んでいった母。
そればかりか、剣までも奪われ、父は無抵抗のまま、こいつらになぶり殺されてしまったのか。
「…ょう…もの……」
声が擦れた。
アルベイン流剣術の稀代の天才だと言われた父の最期が、あまりに惜しく、無念でならない。
人質さえとられなければ、父は必ず勝っていた。こんな奴らに、命を取られることはなかったのだ。
クレスは瞳に力を込め、口端を上げこちらを見つめる男に向かって吠えた。
「卑怯者っっっ!!」
その一言に、男はさも嬉しそうに喉を震わせ、笑った。
怒りが、憎しみが胸の内でとぐろを巻く。男はクレスの怒りを知り、ますます愉快げに笑っていた。
「連れて行け」
やがて、クレスを笑うことにも飽きたのか、男はクレスから背を向け兵士たちに命令を下す。
『はっ』
「っっっ、離せ!! ちくしょう! ちくしょうっっ!」
脇を固めた兵士たちが歩き出す。
クレスは引きずられながらも、男に向かって吠え続けた。だが、男は右手に提げたペンダントを見つめたまま、身動き一つしなかった。
兜の中の瞳がペンダントを一心に見つめ、男の顔を愉悦で歪ませている。
「これでついに……」
既にクレスの存在を忘れた男の態度に、悔しさがこみ上げる。仇を目の前にして、何も出来ない自分が歯痒く、怒りを覚えた。
男のいる部屋の扉がゆっくりと閉められる。
それでも、最後まで男から目を離せず見つめていると、扉が閉められる僅かな隙間から、男の後ろにあった鏡の中で何かが蠢いたのを見た。
「っっ!」
その姿を認めた瞬間、息を飲んだ。
男の後ろには、人とは明らかに異なる姿をした、異形の者が笑っていた。
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管理人はチェスター贔屓です。